始まりの月夜
『むかーし、むかし。
世界にはまだ何も生まれていなくて、宇宙や星すらなく、太陽も月も空も海もなく、本当に何もない状態が長く続いていたのでした』
「おかあさん、何もないってどういうこと?」
ベッドの中、母の隣で幼子が尋ねる。
「ねぇ。どういうことかしらぁ。お母さんもこの本を読む度に考えるんだけれどぉ、考えても考えても判らないのよねぇ」
「そうなんだぁ」
『ある時、ふいにナニカが芽生えました。芽生えはしましたが、芽生えたばかりのナニカは自分が芽生えたことにも気が付いていませんでした』
「???」
幼子は意味が判らないのか、首を傾げている。
「そうよねぇ。お母さんにも何がなんだかねぇ。さぁ、続きを読むからねぇ」
『長い時間そのままだったナニカは、またふいに、とうとう自分に気が付きました』
「わぁっ! それでそれで!」
『何もない所に自分だけが居ると気が付いたナニカは、猛烈に淋しくなりました』
「判る!」
「え? そうなのねぇ。淋しいって気持ちが、もぅあなたも判るのねぇ」
手を握り締めている子の背中を撫でながら、母は続ける。
『ナニカは、酷く落ち着かない気持ちで自分を抱き締めました。そしてその感触にびっくりして、自分に手があることを知りました』
『ナニカは自分の手をまじまじと眺めました。うっすらと光っていました。そして、手が見えることにもびっくりして、目があるからモノが見えることに気が付きました。びっくりしながらうっすら光る体のあちこちを触ったり眺めたりして、自分の体を確認していったのでした』
『ナニカは寄る辺ない自分を鑑みて、「何か、何かを」と呟きました。自分の声にも驚きましたが、その時にはもう、ふわふわとした白い物が目の前にあり大層驚きました』
「わぁ、雲みたいだねぇ」
「そうよねぇ」
幼子は本のイラストを覗き込み、笑顔になる。次第に幼子は大人しくなり、母の声に引き込まれていった。
『でもそのふわふわは、触ると柔らかくて気持ちが良かったので、ナニカは体に巻き付けました。そうしたら体が温まってきて、ナニカの淋しい気持ちは少しだけなくなりました』
『自分の体がうっすら光るナニカは、だから目の前の物が白いふわふわだと気が付きましたが、同時に自分の周りは真っ暗だとも気が付きました』
『何故だが悲しい気持ちになったナニカは、明るいのは自分では無くて周りならいいのにと願いました。そうしたら、自分の光はおさまり、周りがぼんやり明るくなりました。そして自分が何もない所に居ると気が付いのです』
『ナニカは怖くなりました。何故なら、自分の足元だって暗いばかりで何もありません。気が付いたら「何もない暗い所に居るなんて、いやだ!」と思わず叫んでいました』
『その途端、辺り一面が明るくなり、足の下には白いふわふわがあり、見渡す限りが埋め尽くされていました。ナニカは少し安心して、そこで過ごすことにしてそのまま眠りました』
『どのくらいの時間が経ったのか、ナニカは知りませんが、また長い時間が経っていました。目が覚めたナニカは以前と変わらない周りの風景に淋しさと不満を感じました。そうしたら、目の前に自分に似た何かが現れたのです』
『ナニカが驚いているうちに、目の前の何かはすぐに話し始めました。「淋しいのね。これからは私がずっと一緒に居るわ」』
『「本当かい? それなら淋しくないね。君は僕のナカマだね」二人はにっこりと笑い合いました』
『二人は、いつも一緒に居ました。特にすることもないので、二人で過ごす場所をふわふわの材料で快適にしていきました。最初のうちはそれで楽しかったのですが、二人で居ることに慣れてくると、またナニカは淋しくなるようになりました』
『ナカマは、とにかくナニカが淋しくならないようにしました。近くに小さな丸い物を浮かべ、その中に空と海と大地に分け、山や川、森や草原を作り、星と呼びました』
『そこに色んな形のチイサナモノ達を入れて、チイサナモノ達が増えて行くのを二人で眺めました。チイサナモノ増えに増え、国になり国がまた考えが違うもの同士が分かれて住むようになり、国の数も増えました』
『ナニカは喜び、それを見てナカマも喜びました。二人は長い間ずっと熱心に星の中を眺めていました』
『チイサナモノ達はドウブツ、マモノ、ヒト族などと呼ばれ、どんどん増えていきました。チイサナモノは増えに増え、それぞれの種族ごとに国になりました。また、同じ種族でも考えが違うもの同士が分かれて住むようにもなりました』
『ナニカとナカマはすっかり嬉しくなりました。どんどん増えていくチイサナモノ達が、可愛くてなりません』
『幾つか星を増やして、それぞれ少しずつ気候や環境の条件を変えてみたりしました。そうすると、他の星では種族ごとに分かれて住んでいたチイサナモノ達が、種族は関係なく一緒に住んでいる国のある星も出てきました』
『チイサナモノを見ているうちに、ナニカの淋しさもどんどん減っていきました。ずっと一緒に居ると言ってくれたナカマとも、どんどん仲が良くなっていきました。そしていつしか、一緒に居るのは二人だけではなく、自分たちに似た者達が現れました。二人は、トクベツナモノ達と呼びました』
『時にチイサナモノ達から困りごとや願いごとが聞こえてくるようになると、ナカマだけではなくナニカも少しだけ手助けをするようになりました。トクベツナモノ達が手助けをすることもありました』
『それなのに、争いごとが絶えないようになった星は壊れてしまうこともありました。二人は大層悲しみ、そして失望しました』
『それだけではなく、ナニカは激しく怒りました。「せっかくナカマが作ってくれたのに。チイサナモノ達は結局いつも争うのだな。つまらない」と言い出して、星を壊してしまおうとしました』
「えっ?」
幼子はびっくりした。さっきからよく判らない言葉もたくさん出てきたが、判らないなりに黙って聞いていた。ゆっくり話す母の声が好きだからだ。だが、どうも聞き捨てならない言葉が出て来たのだ。
「おかあさん、星って壊れるの?」
「お母さんもよく判らないけれど、戦争で、山も森も荒らされちゃうことかしらぁ? 人も動物もたくさん死んじゃったり? そういうことを、この本では壊れるって言っているのかもしれないわねぇ」
「じゃあ、ナニカもそうして星を壊しちゃうのかな」
「さぁ。でもナニカは神様だからぁ、壊すって思うだけでも壊れちゃうのかもねぇ」
「やだぁ!」
「大丈夫。だって、壊れてないものぉ。私達、毎日元気に暮らしているでしょう?」
「あ、そっか」
そうしてまた、幼子は心地良い母の声に耳を傾けるのであった。
『ナカマは驚いてナニカを止めました。そしてトクベツナモノ達を介入させることにしたのです』
◇◇◇◇◇
「ナニカ、お願い。少し時間をちょうだい」
険しい顔をしながら両手で星を掴んで、今にも潰そうとしているナニカの手を、ナカマがそっと包み込んだ。
「どうするつもりだい?」
「今までと違うことをしてみようと思うの」
途端にナニカは瞳を輝かせ、今にも潰そうとしていた星を手放した。星はナニカの手を逃れ、ふわんとその場に浮いている。
「どう違うんだい?」
「混ぜてみようと思って」
「何を?」
「チイサナモノ達を」
聞くなり、ナニカは眉を顰めた。ナカマが気後れするほどに、ナニカの顔が険しくなっていく。
「今まで別々に暮らしていたチイサナモノ達を、同じ国に押し込むのかい? それなら今と同じように争いが絶えなくなるだけだろう」
どんなに仲良くしていようと、ナカマとナニカではやはりそもそもの地力が違う。ナカマは内心では震えそうなほどに怖くなっていたが、そんな素振りも見せずに言葉を続けた。
「そうじゃなくて。こっちの星のチイサナモノを、あっちの星に入れてみようかと」
「は?」
「魔法がある星とない星や、獣人のいる星といない星、文明が進んだ星と野趣あふれる星とか、それぞれ色々違いがあるでしょう?」
「それを、混ぜると?」
「そう、極端に違い過ぎるとまた争いがあったら困るから、まずは募ってみるけれど」
「募る?」
「そう、私たちのトクベツナモノの中から、星に行ってみたいモノを募ってみようかと」
「君はいつも変なことを言い出すなぁ」
ナニカが呆れたように言うが、その瞳は面白い物を見つけたように輝いていたから、ナカマは胸を撫で下ろした。
「あの子とか、行きたいって言うと思うの。でも、もしかしたらもう帰って来れなくなるんじゃないかとも思うのよね」
「そうなのか!?」
「うーん……星の状態によっては力を使い果たしちゃうこともあるかもしれないわ。まぁ、あの子なら帰って来る力はあると私は思ってるけれどもね。でも、あちらでの暮らしが楽しくなったり、仲良しのチイサナモノが出来たら、帰ってこないかもしれないでしょう?」
「あぁ、そういうことなんだな。それなら……行かせるのは止めよう」
「あはっ」
神妙な顔で呟くナニカに、ナカマは思わず笑ってしまう。
「ナカマ!」
「だって、あなたがそんな風に言うなんて。いつだって好奇心いっぱいで、先がどうなるかわくわくしているあなたが」
「だって、僕たちのトクベツナモノが、二度と会えない場所に行く許可は出せないよ!」
「くぅっ」
胸を押さえ、その場に崩れ落ちるナカマ。ぶわりと、ナニカから迫る重く苦しいモノがナカマを脅かす。
「っ! ごめんよ、そんなつもりでは」
ナカマに駆け寄り、抱き起すナニカ。
「いいの。判っています。でも、ねぇ、私のナニカ。あの子が行きたがっているのよ」
◇◇◇◇◇
『月が輝く、美しい夜でした。一人のトクベツナモノがとある星に降り立ちました。もしかしたら、もうナニカとナカマの元へは帰れないかもしれません。それでも、トクベツナモノは違う場所へ行ってみたかったのです』
『だからナカマは、トクベツナモノと約束をしました。降り立った星では、絶対にとても仲良くなれるチイサナモノが見つかると』
『それは、伴侶かもしれない。親友かもしれない。何か志を同じくする仲間かもしれない。ヒト族ではなく、動物や魔物かもしれない。行くまでは判らないけれども、まるで魂を分けた半身のように惹かれ合うチイサナモノに必ず出会えると、ナカマはトクベツナモノに約束をしたのです』
『だからトクベツナモノも、ナカマに約束をしたのです。それならば、家族が出来て子孫が増えたら、その中からまた誰か、行きたいと言った者を別の星に行かせると』
『それならばと、ナカマはまた約束をしたのでした。その誰かは、必ず、魂を分けた半身と出会えると』
『そうして、星へ降り立ったトクベツナモノの頑張りで、少しずつ、少しずつ、争いは消えていきました。すべての星で争いが消えたわけではありませんでしたが、それは仕方が無いのです』
『子孫たちは別の星へ降り立つ者も居ましたし、降り立つ力を失って途絶えてしまった家もありました』
『それでも、ナニカとナカマは星を見守りました。もう、ナニカも星を壊そうとはしませんでした。愛しいナカマとの間の、トクベツナモノ達の子孫が今も星に居るからです』
本を読み終えた母に、幼子が尋ねる。
「おかあさん、じゃあ、この星にもトクベツナモノ達の子孫がいるの?」
「居るわよ。だからこの物語が伝わっているんだもの」
「ほんと? じゃあ、会ったこと、ある?」
「どうかしら。ふふふ。さぁ、もう寝ましょうね。結局最後まで読んじゃったわぁ」
「はぁい。でも、行ってみたいなぁ、他の星に。ね、おかあさん!」
「……そうなのねぇ……」
「おかあさん、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
母は幼い我が子をふんわりと抱き締めて、おでこにキスをするのであった。
───毎日会ってるわ。あなたのお父さんと、あなたがそうだもの。
言葉を飲み込む。
絶対に手放したくないのに、我が子がどこに居ても暮らせるだけの、様々な知恵や力を身に付けさせないとならない。
何故ならば、夫と自身が出会ったように、我が子が行った先には必ず魂の半身が待っているのだから。
でもまだ、今は。
そんなことは、考えたくない母なのであった。
おそまつ様でした。
読んで下さって、本当にありがとうございます。