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破滅の町 (分割版)  作者: keisenyo
第二部 後
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第二十章 夢の中 1.アラルとヴォーゼ

「アラル、アラル」

 白い草花、膨らむ芝土の匂い。そこは陽だまりの遊び場でした。よく子供たちがやって来る所。泉からほど近い、何でも遊具が揃う場所。そこに、彼女は一人の女と一緒にいました。清楚な、白い衣服を身につけている、町長の娘。

 彼女はその女性に声を掛けられていました。彼女は顔を上げました。自分の鍛錬に塗り重ねられた褐色の腕を、声の方に伸ばして。手は、女の頬を転がし、鼻先をつまみました。それだけで、その手は喜びを噛み締めました。なぜなら深遠なる感情を二人が分かち持つことを、その手は知っていたからです。自分の手。私の手。私…?

 その手はごつく、まるで剣を握る手でした。その腕は鍛えられ、太くたくましく曲線を描きました。そして、その両脚は、どこまでも駆けていくことのできる強靭さがうかがえるほど、力に漲っていました。彼女は、自分のために、その身体を育てたのではなく、相手のために、秘密の恋人のために、戦場で活躍するために、その肉体を手に入れたのでした。

「ヴォーゼ」

 彼女は相手の名前を知っていました。勿論、その相手は秘密の恋人だからです。二人は女同士でした。暴かれてはいけない関係を、幼年時から密やかに育ててきました。それは、破滅が行く末にある道程でした。


 エスピリオ=アラルは船員と商人の間に出来た子供でした。彼女はとても整った顔立ちでしたが、まるでその顔相はあのピロットにもそっくりでした。跳ね上がった目、美しい眉、そして細い顎は、船員の血が濃いエキゾチックな風体でした。そして彼女は、一目だとどちらの性か分からない雰囲気を醸していました。その佇まいは彼女が幼い頃は随分ともてはやされていて、どんな町娘にも町男にも劣らない人気がありました。

 ですが、成長するにつれて、その体は筋肉を増やし、顔つきもやや男性寄りに偏ってきました。彼女は頭も刈り込み、どの町男よりずっと男らしい顔立ちになりました。そんな彼女がまだ戦場に立ったことのない頃に、海賊が町の南方の港を襲い始めました。アラルの父は、いくらか危難を抱えながらそれでも航行に勤しみました。ところがある時、彼の船はぼうぼうと燃え盛りながら、港の湾に入ってきました。

 この時のことを、アラルは鮮明に記憶しました。それは恐怖と威圧が船に取り憑く猛炎が彼女に接近するにつれていや増すのと同時に、強烈な怒りこそその身に猛り狂うのをはじめて感じたためでした。彼女はその時に母親と連れ立って港にやって来ていました。父の帰りを迎えるために、炊事の手伝いをしていたのです。幸い父親は無事でしたが、そのことを喜ぶより、彼女ははっきりと襲い来る者に対する敵愾心を抱き憤慨しました。

 それを当時から気の置けない相手として認め合っていたヴォーゼは心地悪く感じました。彼女が、親が何事もなく戻ってきたことを何も特に感じていないことを。それでよしとまるでしないことを。町の有力者の娘だったヴォーゼもまた同じ年頃の者たちに人気がありました。彼女はいつも朗らかで、周りを安心させ、不思議な温かみでくるむ雰囲気があったのです。ヴォーゼはアラルに歌をねだりました。アラルは歌うことが上手で、その伸びやかな声が可愛らしく町や港を包む時、人々は元気になり、どこか勇壮になり、赤子も多弁に世界に話し掛けるようになるのです。しかし、アラルは断りました。もう二度と人々を明るくする歌を、この時から彼女は歌わなくなりました。


 二人が子供の頃から、いいえ赤子の頃から、イアリオは思い出すように夢を見始めました。彼女はどちらの人間にもなりました。どちらの心も窺いながら、するすると思い出を紐解いていきました。ある時、彼女はアラルを「私」と認識し始めました。ヴォーゼより、圧倒的に自分の意識が彼女と被さるのです。周りの見え方、心のつぶさな動き方、そして何より、白い服をいつも着たヴォーゼを見る時にいじらしく輝く、心臓の鼓動。それが深くなること、浅くなること、横に広がること、縦に潰れることを、当人より何倍も夢を見るイアリオは感じてしまいました。彼女は恋を知っていました。二度の恋を知っていました。だからそれは恋だと知っていました。アラルよりも。

 しかし彼女はもう一人、もしかしたら親より大事かもしれない存在がいました。それは、彼女の家の地下倉庫にいる、男の子の亡霊でした。生まれた時から、その幽霊は、彼女の傍におり、彼女だけに声をかけていました。イアリオはこの男の子の霊には重なり合うことはできませんでした。この夢の中、生きている人間ならば、アラルや、アラルが想いを寄せる人だけでなく、周囲の人々にも、その意識を重ねて彼らの想いや意志を聴くことができましたが。その男の子はアラルに喧嘩のやり方を教えていました。アラルは言われるままにそのやり方を学びました。おかげで彼女はどんな男の子よりも腕っぷしが強くなり、その勇ましさは恰好にも反映され始めました。彼女は歌うことが大好きな女の子でしたが、およそ、その性とはかけ離れた容姿に変わり出したのでした。

 ところで、アラルとヴォーゼが暮らしていた町は商人の町で、南の港と、北の険しい山脈を越えて広がる、森と荒れ地とをつなぐ道の途中にありました。北東の森を越えればコパ・デ・コパなど大河沿いに都市があり、北西の荒野の向こう側には陸づたいに東方との交易を望む国々がありました。西方諸国は東に臨む隊商ルートを設けようとしましたが、森まで辿り着けばそこに棲む風変わりな「森人」たちに頼むことでジャングルを突っ切れるものの、森の中の行路も易しくはなく、ましてその手前の荒野も広々としたものでした。その中間点に、休息できる町が必要だったのです。アラルの町はその要請に応えて出来上がりました。

 エスタリア。それがその町の名前でした。エスタリアの南には港がありました。港と町の間には豊潤な大地が広がり、作物が豊富に採れました。西方の人々は荒れ地を越えて物資をこの町に運び込みましたが、港からも様々なものを持ち入れました。その町よりも先んじて建てられた南の集落は、クロウルダと呼ばれる民族の手によって拓かれていました。彼らは船着場を造るのがうまく、水辺から離れることのない宿命を負っていました。ですが、港には自然に人と物が集まってくるものです。エスタリアが建設されるようになる頃には、そこは一つの民族だけが住むのではない町にまで拡大されていました。アラルの父親はクロウルダの出身ではなく、この地に魅了されたある船人たちが移住してきて血を繋いだ一族でした。その頃はまだ海は平和で、のちに海賊たちが荒らしまくるのはアラルが物心ついた時からでした。

 二つの町は、協力して大きくなろうとしました。海からも内陸からも人間がやって来るようになったエスタリアは、小さかった旅籠街をみるみる広げ、魅力的な賑わいを獲得しました。


 その町はルイーズ=イアリオが生誕した頃には、四百年に及ぶ風化の時を経ていました。そしてかの遺跡はトラエルの町の人々に、山脈の北側から攻め入る侵略者たちを監視し迎撃する拠点として利用されてきました。オグを巡る彼女の旅路の中で、そこは夢に度々登場し、白昼堂々と姿を晒すまでになりました。




 泉に近い、樹も草花も石も何でもある、陽だまりの遊び場にアラルは寝ていました。彼女はいくさを駆けてきました。彼女は、父親の船が海賊に燃やされてから、その身に激怒を抱き、敵に斬り刺す剣を手にしました。彼女の初陣は、再び迫ってきた海の賊が、クロウルダの港に上陸を果たした時に挙げられました。アラルはそこで、人を斬り、首を落とし、三人を絶命させました。倉庫の亡霊に鍛えられた身体は大人にも負けない身のこなしと、人の命を奪う際に持たざるをえない決断の素早さとを彼女に与えました。そこでのいくさは市街戦となり、クロウルダをはじめとした港町の人々と、そこに援軍に来たエスタリアの兵士たちは、賊どもを追い返すことに成功しました。クロウルダは元来海戦よりこうした町中での戦いが得意でした。というのも、いにしえの魔物オグを監視するために、地下に縦横に掘ったトンネルを利用して、神出鬼没のゲリラ戦ができたからでした。

 アラルは血に塗れ、凱歌を歌おうとしました。しかし、彼女は歌を歌えませんでした。まだ怒りが体中に満ち溢れていて、その戦勝を祝おうとする思いに浸れなかったためでした。その怒りがどこから来るものか、アラルはまるでわかりませんでした。その夢を見る、イアリオも同様に。

 その怒りは更なる血を求めるようでした。アラルは、追い払われた悪漢たちが、再びまたこの港湾に攻め入るかもしれないと考え、それまでに、自分自身を鍛えねばとしました。しかしそれは本意とは異なりました。言い知れぬ怒気に突かれるように、その肉体は鉄を人に振り下ろす手応えを味わおうとしました。一度きりの戦場では足らず、峠道を越えた、諸国の飽き足りぬ競り合いにそれは参加しようとしました。西国が共同で建てた旅籠街エスタリアには剣戟の刃は遠く、クロウルダの港で繰り広げられた殺人が最初の近隣での激しい戦闘でした。

 そう、人殺しの快楽は、人を、著しく変えてしまいます。ですが人間を殺すことにひどい快さを感じる者は稀と言ってもいいでしょう。そうでなければ、時代が要請する過酷な現実に、感情を失い、それはさして意味の無いものとして行われます。人間が、人間らしさを失うことなど、この世に無限に起きるのです。

 彼女はその人間らしさを失おうとしました。なぜならその体に怒りが満ちていたからです。そしてその怒りは人の肉体を打ち倒した時、輝く光となり、小さく爆ぜました。もっともっとと、それはせがみました。人を攻撃せよ。そして支配せよ。小さく爆ぜる快楽のために、お前は鉄を抱くのだと。

 それまで彼女が誰かを攻撃するような、やたら腕っぷしを披露したがる喧嘩好きだったわけではありません。彼女は、決してエスタリアで剣を抜くことはありませんでした。その他の町で、その他の戦場で、その腕は長く幅広の剣を振り、血を求め暴れたのです。アラルはしばらく故郷を差し置いて、遠くの戦場に足を運びました。そして、そこでたちまち殊勲を手にし、名を挙げてふるさとに凱旋しました。あの陽だまりの広場に、彼女は帰ってきました。

 白い服を着たヴォーゼが、密かに彼女の目を覚まさせぬように傍に腰を下ろしました。そしてアラルの細い顎と整った顔立ちを見つめて、何やら話し掛けました。最後に彼女の名前を幾度か呟いて、彼女の目を開かせたのです。冷たい手がその頬骨を触りました。その手は冷たく、人間を殺し続けてきた腕は、たくましくも武器のように鋭く優しさがありませんでした。

「いつ、こうしてお前の顔を触っただろうか」

 アラルはヴォーゼに問い掛けました。

「多分、幾度も触った。触っているだけで、不思議な気持ちになる。だから。

 だから、私は、いくさ場に出掛けた。それは、私を、攻撃するんだ。何度も、何度も、私を…」

 アラルはまたヴォーゼの顔を触りました。夢を見るイアリオはふと思いました。これは、あの、景色と、同じだ。私が、レーゼと、口付けを交わしていなかったと気づく時と。どうして


 この時、夢見手のイアリオは気づきませんでした。どうして今まで私は

 自分は

 こんなことを繰り返してきたのだと。アラルと非常に意識が被っていたとしても、自分が、またここでも自分を裏切っていたなどとは。アラルは自分を攻撃していました。自分の代わりに人を攻撃しました。それはあのテオルドがピロットなどを攻めたのと一緒でした。彼女は自分を好きな相手から引き剥がすことを求めたのです。自分の想いは決して実らないから。決して。決して。

 女性同士でそれが叶うことなどないから。

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