表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
破滅の町 (分割版)  作者: keisenyo
第二部 後
98/129

第十九章 オグを追って 6.月台

 羽ばたく鳥が、足元から大ジャンプしました。風に乗り切れなかったのでしょう、ばたばたと、地面を這って、けたたましい鳴き声を上げて、もう一度大地を蹴りました。どこか怪我しているのでしょう、バランスを崩した飛行体勢は、ふらふらとして危なっかしく、空気はするすると翼の下から逃げてしまいます。それでも、雄々しく嘴を突き出して、真っ直ぐに飛ぼうと懸命でした。鳥は、黒い翼に赤い色の筋を持ち、目は丸くて黒く、腹は白く、少しぼてっとした体型でした。病気のような頭はずるっと剥けていました。尾は長く、立派でした。

 その廃墟にいた、独り群れから取り残された鳥でした。ちょうど日が真上から射していました。イアリオは、息を呑みながらその光景を見ていました。なぜなら彼女が見てきた滅亡した町村のすべての人々は、このように、孤独にあえいだのではないかと思ったからです。彼女の町の、先祖たちも。それが正解でした。そのような感傷が正解でした。鳥は、何を思いながら、うまく羽ばたけないままに空を目指すのか。何も思えないままに、ただひたすら翼を動かしていたとすれば。

 地震が起きました。地面がたいそうぐらぐらと揺れて、廃墟から大分離れた所の、大地に亀裂が入りました。その時イアリオは夢を見ました。堂々とした白昼夢でした。彼女が今立っている廃墟にかつて見た景色が重なって見えたのです。彼女の町の、北側にある、その昔交通の要衝ともなっていた、山脈西端の峠下の町でした。ピロットと、テオルドと、子供の頃訪れた遺跡でした。

 鳥は、地震に驚いたためか、ぐらぐらと揺れる地面にとてつもない危険を感じたせいか、飛び方を思い出し、あるいはどこか怪我しながらもうまい具合に翼を動かせる方法を見つけ出し、ふらふらと、危なっかしく、飛んでいきました。ふいに彼女は、その鳥が随分かわいらしく見えました。隠すことのない怪我を、あるいは未熟さを、この目に見せてくれたように思ったのです。彼女は彼に共感しました。その時に

 懐に、腹の内側に、不思議なあたたかい熱を感じました。まるでその中に何かいるような。

 絶望の肯定を、人は、どこで行えるのか。彼女はまだ、それを自分が身をもって行おうとしているのを知りません。しかし、イアリオは、自分自身に挑むような気持ちが溢れ出してくるのを感じました。白昼にも夢を見るようになって。いよいよ、幻と、夢そのものと対峙せねばいけなくなったように感じたのです。自分に見えてくるものすべてと。自分が見てきたもの、すべてと。私から、こちらから、覗き込むようにしなければ。あちらから、向こうから、見せられてばかりいるのではなくて。

 彼女はじっと眠れる場所を探しました。そこには一人で寝なければなりませんでした。誰かを伴うことなく、彼女自身が身をもって夢に臨むために。ちょうどいい所がありました。そこは、かつて月台として使われていた所でした。月を見るための台、神事を行うための台です。そこでの月読みの神事は二人の占者、暦読みの専門化が二つ並んだ仰向けの寝床に横たわり、一晩をかけて月の満ち欠けの変化しないことを確かめるというものでした。

 壁や樹などに隠れていない剥き出しの場所に、その月台はありました。彼女はロンドに、そこで自分が夢のために眠ることにしたと言いました。

「クロウルダは、霊となって交信するために、自分の身を捧げられるんだったね。私は、彼らのようにはできないわ。でも、できるかもしれない。それが目的ではないけれど、もう、白日にも夢を見るようになってしまった。こうなったら一辺に見ておこうと思うの」

 無口だった彼女が久々に口を開けました。

「どうか、まとめて眠れる時間をちょうだい。でも地震があった直後に言うことではないね」

「そちらの意思のままに。何があっても、あなたを守り抜くと誓ったことだ。言うとおりにしよう」

 イアリオは笑いました。美しい笑顔だとロンドは思いましたが、面窶(おもやつ)れのあるままにまるで最期の合戦に臨む者が見せる顔にも映りました。

 しかし、眠るまでの時間はまだありました。彼女は、クロウルダに案内されてこの土地に彼らが埋めたという、森の中の石版まで連れて行かれました。

「どうしてここに、こんなものを?」

 ロンドも訝しげに首をひねりました。石版はぶ厚く、何枚にも渡って土の中に隠れていました。そこにはたくさんの文字が彫られていました。それは彼にとっても初めて見る彼らの習性でした。物を残すことをおよそ彼らはしないのです。

「クロウルダの願いであったのです。これは、我々の書いたものですが、その内容はこの場所で生き残った人間の言葉です。我らが霊となって読み取った、あの世の声ではなく。それを書きつけて、慰霊のために埋めました。イアリオさん、あなたの閲覧した資料に中身は載っていましたが、今一度読んでみますか?」

 イアリオは頷きました。そこにはこう書かれていました。…


「霧の魔物来たる。それは私に毒を入れた。人間の悪意を増幅する猛毒だった。だがそれも私に原因がある。心の隙間がそれを入れるだけ大きかったのは、この土地で恐らく私だけだったのだ。私には妬む相手がいた。愛する者を獲られた恨みは大きかった。私は負けたのだ。私はみじめだった。私には力がなかった。私は独りぼっちだった。

 私はいけないことをした。私は、相手の大切なものを奪った。彼らの子供を、崖から突き落とした。私は笑った。私の悪は、彼らのせいだったと思い込んだ。私を選ばなかったあの女のせいにした。衝撃は町中に走った。この世で最も醜い悪が行われたことを、誰もが恐れた。私一人が粛清されればよかったのだ。ただそれだけだ。しかし、あの二人を恨んでいたのは私だけではなかった。事件の容疑は誰にでもかけられた。彼らの子供たちですら人から恨みを買っていた。霧が町に立ち込めた。魔物は私たちの心を覗いていた。

 確かに私がこの手を下したのに、誰もがその可能性のあるように疑われた。疑念は嫌悪に、嫌悪はさらに憎悪になって、この町を取り込んだ。誰が殺しをやったか、確定せずに、ただ憎しみだけが膨らんでいった。忘れればよかったのだ。彼らが泣き叫んでも無視すればよかったのだ。彼らだって相応の仕打ちを受けたも同然だったから。いいや、決してそうではなかった。誰もが彼らを恨んでいても、やってはいけないことが絶対にある。人の命を奪ってもいいほど、彼らは悪人ではないのだから。そこには落差があった。亀裂があった。それらは耐え難い時間を私たちに要請した。

 ある時、誰かがあの二人を殺した。それは町じゅうの合意であるようにされた。人から嫌われてもその涙は真実だから、すべての人間が、彼らを放ってはおけなかった。あの涙への共感をすべきではないと、私たちは思ったのだ。悪人に同情は許されないのだ。

 では、彼らが死んで、皆が安らいだろうか?死という、最も嫌悪すべき結末。それを我々が望んだことは。結末は我がことのように私たちには感じられた。彼らに愛は向けられなかったか?そうだ、確かにそうだ。皆が彼らを愛せなかった。

 事実と我々の精神の落差が、彼らの死を納得させた。我々は彼らを殺した。しかしそれは当然だと後から思った。そこには深々とした亀裂が走っていた。我々の精神と事実の前後に。私たちはその後、まったくどこか心に余裕をなくし、せっかちになった。互いに暴言を吐き合うようになった。何かの土台をなくしたのだ。

 恐ろしさが急速に蔓延した。誰かの刃が常に、自分に向けられているのではないかと思った。そんなことはないことだったのに。誰かが私の頭を叩いた。私は相手に叩き返した。それで相手は絶命した。そんなことがふいに起きた。そんなことは私だけに起きたことではなかった。

 暗闇がその巣をこちらに作った。私がきっかけをつくったのだった。いや、私だけがその契機になったとはいえない。それにあれは、事実だったか幻だったのか。いつだったか思い出せない。町の入り口、門を開き、外にいる者たちを私は呼び込んだ。門からは魔物たちが溢れんばかりに折り重なって、この町に侵入してきた。魔物たちは大きく膨れて大きな人の形になった。巨人たちは口を開けて次々と私たちを呑み込んでいった。呑み込んで私たちそのもののかたちになった。私は演説をしていた…『諸君、諸君は、変わらなければいけない!変化の暁にこそ絶対的な幸福が訪れるのだ!』ともかく熱に浮かされて、言い知れぬ恐怖とそれを克服しようとする怒りに押されて、私は必死になって叫んだ。

 私は変わることを求めた。変わらなければならぬと思った。しかし何から?それは分からない。私は櫓の上から演説をしていた。私の乗っていた櫓の下に、巨人どもがつどっていた。奴らは「おいで、おいで」とこちらを誘った。

 私は逃げ場を失った。足元で民衆が鉈を振るい、櫓を壊そうとしていた。その時、この見張り台は何かのシンボルだった。多分、私たちの感情は一致していただろう。土台を失くした私たちが、変わるべきなのだという感情は。足元につどう巨人たちがこう言った。

『我々にはあなたたちが必要だ』

『なのに、あなたたちが我々を必要としないのはなぜだ?』

『我々をあなたたちは遠ざける。しかし、二つとも元々一つだったのに。なぜあなたたちは我々を怖れる?』

『本当に恐ろしいのは、あなたたちだろうに』

『食らい尽くせ。かつて人間がしたように。世界中にしたように。今度は我々の番だ』

 私たちは食らわれた。恐怖に、絶望に、食らわれた。ここにあるのは白い手だ。血の色を失い、まるで死人のような。私たちはもう奴らと一緒だ。

 これは、私たちだけに用意された運命だろうか?生き残った私は考える。いや、違う。あの魔物どもの中には、数限りない過去の記憶が満載だった。私はそのページを紐解いた。これから生まれる命も、やがては我々のように、破滅するだろうことが載っていた。それは絶望の図書だった。それはそれを呼び、新しい仲間を増やす。それが願いで、その祈りは強力なのだ。この、楔の連鎖、断ち切れるものか。

 我らの悪が、我らを追い、我らを追い詰め、我らを殺した」


 クロウルダは生き残った町の人の言葉を、彼らの書物にのみならず、石に書きつけ彫ったのは、ありのままをそこに記して奉じたかったからでした。悪に唆されて死んでしまったこの場所の、人々に。魔物に冒されて生き延びる人間は、破滅が訪れた集落に多少は存在しましたが、大抵は何が起きたか分からず混乱の極みに達した人々でした。ところがその町では、このようにはっきりした記憶を持って、生存した証言者がいました。クロウルダたちは彼らの秘術で霊界の深みに降りようとすることはこの遺跡では行いませんでした。人柱となった彼らの犠牲者は、人々を襲った異常な苦痛を霊界から調べるだけ調べると、そのままその場の鎮魂を司る精霊と化するのですが、ここではその必要がなかったために、別の形の供養を選んだのです。

 そして、この町で最初の犠牲となった家族は、確かに近隣に目立つ一家でした。自慢をいとわず、武器を(ふる)い、作物の育ちがやたらといい畑を守っていました。生き残った男は一番目にオグに潜り込まれた人間ではありませんでした。クロウルダはそれも確かめず本にも石版にも男の証言だけを書いていますが、その一家こそ町の人間悪を刺激するような振る舞いをし始めたのです。ただ、かの悪が町中を巡った後、魔物の思惑のとおりそこが自滅の崩壊をするのはまこと容易でした。というのも、男の証言のとおり、自らに妬みという深い醜い悪がそれぞれにあることを確かめた人々は、それとなく互いを監視し始め、子殺しという最も醜悪な事件が発生した後、それは幾分か解放という悦楽を指し示したのです。その悦楽は皆のものでした。

 彼らは泣き叫ぶ両親の嘆きを耐えられぬものに感じました。そして自らに目覚めた強烈な嫉妬はその出口を求めました。単純な差別。否定。棄却に。それだけのことをこの町の人々がしてしまったのには土台がありました。彼らは月台をつくり暦を読むのに力を入れるほど、農業に精を出すのをいとわない真面目な性格でした。その底辺には、集団的力動が、つまりは少数が抜きん出た力を持つことを否定する、全体主義的な心が潜みました。彼らは被支配に抗せず自分たちの仕事に忠実に取り組むのを営みの核としたのです。

 彼らは善人であり悪人が隣人に生まれることを拒みました。ですが善人ほど人間悪に敏感になるものでした。悪そのものを否定することほど、悪であるとは、思いもしないことでした。オグは、それを

 知っていたのです。

「オグは、この町へ来た。そして、町を呑み込んだ…?いいえ、ここが彼を求めたんだわ、きっと。そうしなければ、そうしなければ、

 何も跡形もなくなるもの」

 イアリオは険しい表情で土にうずめられた石版を見つめました。

「だから、跡が残ったんだ。オグは、機能だから。この町に破滅をもたらして、それでいいと済んだんだ。さらさらと訪れたにすぎない。彼は彼らの悪を聞いたにすぎない。彼は呼ばれて来ただけだ」

 彼女は少し混乱したことを言いました。ですが、実際石版に書きつけられたこと以上に行われた破滅の過程は、そこに保存されていました。彼女は、石版に遺された声の主も、ここに訪れた悪意の化け物の気分も、なぜか皆分かるようでした。

 そして、彼女はオグがただ訪れただけだった集落と、彼が人々を巻き込んで自ら消滅していった、三つの町で起きただろうことの違いを、考えられるようにまでなりました。オグは人の何に惹かれて動いたのか。そして人の何を唆して滅ぼしていったのか。その時それは何を呑み込んだか。一つ一つ、滅びの現場を巡ってきた彼女には、大国の都で自分のふるさとの歴史を辿り、そのあらましを深く理解しそれぞれの時代に共感できるようになった、人間、それこそ人と人の間にいる者として、()()()()()()()ことのできる力が具わるようになっていました。そして、その力は悪意に呑まれた人々の苦しみも、また、()()()()()()()()()()()()事情も、すべて同一の(まな)板の上に乗せられるほど、透徹した物の見方をできるようにしました。そして、さらにその力は、彼女がかねてから得ようとしていた、あの町の未来、天女たちが伝えた文言に及ぶ認識に届きました。言わば、彼女の町の三百年前の出来事はオグに通過されただけの町村の結末であり、そこにこれから訪れようとする未来は、彼が人々を巻き込んで消滅する、三つの町で起きた終末なのです。

 彼女はこの違いを(あらた)めました。そしてその違いを愛でる者の姿を思い描きました。その異なりを、愛でる者。過程と結末と、走駆と雪崩と、そして臨場と。あらゆる物語の結論。それは、それには終わりがあること。はじまりがあること。

 オグの終わりを愛でる者。彼女の町に生まれた、ある男。額の出っ張った、物暗い顔の、勉学家。


 彼女はロンドだけを、あの月台の上に呼びました。夕陽が赤々と西空を照らし、眠るべき夜が近づいてきました。

「私は大変に怖いわ」

 彼女は自分の肩に、彼の手を置いてもらいました。

「夢を、一辺に見ようとしている。きっと、過去の世界をどこまでも覗き込むようになると思う。何を見せられるかな。それがどんな夢でも、多分、私はきっと理解できると思うわ。そこまで、私の旅路は進んでしまった!世界中から、私に向かって働き掛けてくれたよう。ここまで私を連れて来るために。

 私は自分を、言葉のように思うわ」

 ロンドはじっと黙っていました。彼女の肩に手を置いていると、その言葉の息遣いも、声を出すことによる身体の振動も、よく分かります。

「言葉のように、乾いている。まるで、中身がない。言葉って、昔の人間が使っていたものよね。自分より昔の。それを借りて、自分は話すことができるけれど、自分は、その言葉みたい。

 私は自分がどれほど体と心がばらばらなのか、わかってきたよ。本心もわからずにやってきたよう。オルドピスから出て、自分のふるさとから出て、この旅は人間の、後悔ばかりを感じているようだ。私は、どれだけ好きと思っても、叶いはしないことを、自分でしてしまった。私は自分の望むように本当は生きていなかった。本当の望みすらよくわからなかった。

 ああ、嫌だわ。私は自分の言葉すら言えない、なんて思っちゃう。言葉は全部、すでに言われた言葉だから。

 ああ、嫌だわ。私に、生きている実感なんかあっただろうか。そんな風に、このオグを巡る旅では、感じるようになったわ。でも、すべて人間がしたこと。人間がすべて感じたことなの。私がしたこと。彼らの思いがよく分かった。それはそこに今でもあった。世界中にはそれがあったわ」

 彼女は遥かに悲しい目をしました。今まで見てきたものを、こうして彼女は言葉にしました。

「ご免ね。私が、何言ってるか、わかる?」

 ロンドは答えました。

「あなたの深い悲しみがずっと伝わってくる」

 二人の間を風が滑りました。その風は、いつから吹かれたものでしょうか。今?それとも果てしない太古からでしょうか?

「そして、今更だが、俺は契約以上に、あなたを大切に思っている」


「俺は誓おう。あなたがこれからいかなる夢を見ても、自分はその夢を見るあなたを守る。だが、それは今まで通りだ」


 彼女はにっこりと微笑みました。そして、長い夢の準備に入るために食事を済ませ、小さな泉に禊に入りました。彼女は体を洗いました。爪も洗いました。水を落として、もはやぼろぼろになってしまった故郷の衣服に袖を通しました。全身をさっぱりとさせて、物静かに夜を待ちました。

 ゆっくりと訪れるまどろみの中、いよいよ、彼女の胎を出来上がらせるための、恐ろしい夢が、始まりました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ