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破滅の町 (分割版)  作者: keisenyo
第二部 後
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第十九章 オグを追って 2.ロンド=フィオルド

 イアリオは、オルドピスの碩学の指導者に呼び出されました。室内の黒曜石に引かれた溝に、水が流れるあのいやでも清涼さを押し付けてくる一室で、彼女は待たされました。トルムオは一人の青年を連れてきました。青年は、彼女より少し年上に見えましたが、野性の無骨さを隠さずその身に漲らせていました。野生的でありながら、しかしどこか気品を具えていました。

「彼は、ロンドといいます。ロンド=フィオルド、大陸西方の戦士の部族の出で、私たちの世界中の、研究の手助けをしてもらっています。彼は非常に有能な人物です。是非あなたに引き合わせたくて、ここに来てもらいました」

 老爺は言い切り、長髪を後ろ手に縛ったこの大男を前に促しました。男は軽く会釈して、輝くイアリオの瞳を見ました。イアリオも、彼の淡いブルーの瞳を覗き込むように見つめました。

「ロンドです。よろしく」

 彼女は彼のその面差しに自分たちに似たものを感じました。それもそのはずで、西方のたくましい部族は彼女たちの先祖でもあるからです。彼女の手に黒い表紙の日記帳を託したハルロスの父親も、その部族の出身でした。彼女は彼に強く惹き付けられるものを感じました。彼女は困惑しました。それは、彼が彼女の性欲をかき乱すほど、異性としての魅力を存分に発揮していたからです。

 イアリオは思わず、自分自身を忘れないようにしないと、と自分に強く念じました。彼女はこれまで目の前にいる誰かに性欲に振り回さるような覚えは一度もありませんでしたが、はじめてその覚えを得たのです。そのどうにも抑えがたい、強烈な感覚を。彼女は慌てて故郷を、そこに住む人々を思い出し、自分は何のためにここまで来たのかその目的を心に蘇らせました。

 トルムオが彼を紹介したのは、彼がこれまでクロウルダの護衛を務めて、彼らと一緒にオグのかつての棲み家を訪ね歩いたことがあったからでした。彼は、オルドピスからとても厚い信頼を得ていました。クロウルダたちはその研究のために、今オグが棲みつき彼らが監視している水辺だけでなく、かつてオグによって滅ぼされた集落の跡を訪れることもあるのですが、そこは人が寄りつかず遺跡となっているような場所も多いので、盗賊や悪党がねぐらにしている場合がありました。彼らがオルドピスと手を組んだ後は、そのような場所に向かう時に大国から兵士たちを貸し出してもらうようになったのですが、ロンドは傭兵としてオルドピスに雇われていたのでその代わりを担ったのです。

 もとい、クロウルダによらず大国の研究者たちは皆、危険のある実地調査をする際はイアリオが森の端で出会ったように軍が守備を勤めました。クロウルダもそのように、オルドピスの雇われ研究者として迎え入れられたというわけです。ですが、オルドピスは、フィマのように彼女に劇的に影響を受けたと見えたような者が、自分たちから現れることを知りました。彼らは彼女をもっと慎重に見極める必要があると感じました。

 トルムオはイアリオが書物を読み尽くしたならば、次には彼女は直接オグの史跡を辿るべきだろうと考えていました。彼女は神官クロウルダの血も引いているだろうと思われたのです。トラエルの町には元々彼らがいたのですからその血が混じってもおかしくはないのですが、今や少数となるも千五百年以上も己の運命に呪縛された者たちの、独特の研究者臭がイアリオからも漂っていたのです。そして、その在り様はオルドピスに従属する学者のそれとは違い、たった一つの魂で、頭脳だけでなく、大分己の肉体すらも酷使して研究に打ち込む姿に見えました。というのも、彼女は単純に書物を読み進むのではなく、彼女の先祖の生い立ちに触れ一々共感を持ちながら、咀嚼し味わうように、昔の人々の冒険に傍で立ち会っていたのです。それは彼女が黒表紙の日記帳の著者に心を寄り添わせたように、あるいは三百年前、地面の下で滅びた人々に恐れではなく悼みと敬意で接しようとしたように、彼女は過去に生きた人間すべてに自分の共感と空想を及ぶかぎり全力で注ぎ入れたのでした。

 ですが、その姿勢はまた何かに追い立てられているようにも見えるものでした。それは、オグの秘密を暴こうと犠牲を厭わず無限に努力する、クロウルダの取る姿とも重ねられるものでした。


 ロンド=フィオルドという冒険者は、彼女との旅にうってつけだろうと思われました。それは彼がオルドピス外部の人間であることと同時に、そのほどほど天真爛漫な性格もあってでした。彼は、世界に対して謙虚さを持ちつつも必要以上のことを知ろうとしない性格でした。どんな相手にも敬意を持って接する人間で、分け隔てせず、何かに囚われることのない精神の持ち主でした。そして、いかなる困難が降りかかっても彼は冷静で、事物に対し常に余裕と、真贋を見極める洞察力とを具えていました。彼を慕い、彼に随って行動する者は大勢いました。ですが、彼は自分の子分や家来といった関係は持たず、友人かあるいは弟子として、その大勢と付き合いました。いざとなれば、彼の味方に付く者は三百人を下らず、さらにその三百人が人を集めれば、一体いかほどの人間が彼の下につどうのかわからないほどでした。

 この男の印象を、イアリオは見誤ることなく受け取れました。彼女は自分とよく似たものを彼から感じたのです。彼は西方の部族の王の血こそ受け継いでませんが、その傍流の血を引いていました。狩猟と採取を好む彼らは他国との交易で富み、また交易隊の守備兵として雇われ、そのたくましい力を揮いました。いくさがあれば駆けつけ、なお名声を得ようと働く傭兵となりました。彼らは一度も自ら戦争を仕掛けたことはなく、侵略の欲を持たぬ民族でした。彼らに隣接した土地に住む者たちはそんな彼らの特性をよく理解し、彼らの力をうまく借りながら自分たちの土地を守り続けてきました。

 しかし、陸戦は無敵の彼らも、海戦に長けた海賊共には敗北を喫してしまいました。彼らの幾割かが奴隷となり、あの海賊国家の兵隊として、侵略の手先として働くことを余儀なくされるのです。それから幾十年後、海賊の連れてきた兵士の方が支配者たちより数を増やし、下克上が相成ります。ですが、兵士たちはそれまでの上司のやり方を真似て更なる海洋国家の発展を望み、むべなるかな、政治の手法までは真似ることができなかったために、内側から瓦解する羽目に陥るのです。いいえ、あの場所には、眠っているといえいにしえの怪物が地下に潜みました。そして、人には到底扱え切れないくらいたくさんの黄金がその傍にはありました。

 西方の戦士だった彼らは、自らの欲望に向き合えるほどその純真さに翳りがなかったのかもしれません。人を支配することも、財産を溜め込むことも、彼らはしたことがなかったのです。人間の欲望に果てしがないことを、彼らはトラエルの町で、初めて知りました。

 一方、海賊に盗られずに居残った敗北の戦士たちは、否応にも自分たちを省みることとなりました。彼らは海辺に居を構えていなかったために、侵略者たちには厖大な数の戦士を供するだけ供すると、あとは何も要求されませんでした。とはいえ、彼らに隣接する海辺の民族は、彼らの庇護を解かれ海賊たちに搾取されることとなりました。トラエルの地下街で叛乱が起き、偽王たちが次々に都から落ち延びていった後も、その土地は植民地であり続けました。海の侵略者は、その財力と交易力を遺憾なく用い、西方の戦士たちにはとても用意できない最新の武具を装備していました。いくさに負けた戦士たちは、自らに足りなかった力は何なのか、探し求めるように、隣国のみならず、大陸中に、足を伸ばし始めました。

 それから四百年近くが経ち、海賊はすっかり威勢を失くし、情勢も様変わりしましたが、大陸はオルドピスという新興国家が席巻し、その支配域を拡大していきました。西方の戦士たちは遠方の国々と文化交流するほど多くの旅人を輩出しました。昔と変わらず隊商の守護を担う中で、その剛力を錆び付かせずに己の知恵を鍛えていったのです。その中で、各地に大勢の仲間を持つようなカリスマ性のある者も誕生しました。その中の一人が、ロンド=フィオルドという偉丈夫でした。細々(こまごま)しい隣人同士の軋轢など、ちっぽけなことだと意に介さず、より大きなフィールドで人同士の付き合いを説く、彼の天真爛漫さは多くの人間の心をつかみました。そして彼は正義感が強く、義を押し通す責任感も持ち合わせました。死者には無言の哀悼を、生者には情けを、友人には喜びをという竹を割ったような態度が、彼と出会う人々に人間らしいすっきりとした目覚めを味わわせました。

 彼は定住せずに国々を経巡り歩き、そのうちにオルドピスと接触しました。オルドピスは、この男を有意義な隣人と認めました。つまり、敵対せず仲良くなることで、生まれる利があると判断したのです。しかし、彼としては大国の領内も見聞したく思いました。オルドピスは外国籍の人間に対して厳しい法を敷いていましたから、いくら名の知れたロンド=フィオルドといえ自由にかの領地へ踏み入れることはできませんでした。そこで、彼は大国の示すある条件を呑むことにしました。オルドピスの隊商、あるいは研究者たちの護衛を務めるならば、そのかぎりにおいて領土内を見聞できるものとすると。

 それ以降、彼は長らく大国に身を寄せ、その領内を巡り歩きました。オルドピスは今も周辺に領土を拡大しゆく国でしたが、決して侵略を旨とはせず、その法治を受け入れる国を周囲に広げている最中でした。ただ、彼らの法があまりに新しく、受け付け難いと感じる部族も当然ながらいました。イアリオが訪れたコパ・デ・コパという商業都市も、ここ三十年に編入された土地柄で、その周りにはまだ彼らに仕事や土地を奪われたなどと感じ、恨む人間も残っていたのです。ロンドはそんな人々とも接触しました。彼は彼らの恨みを和らげました。大国外の土地を指差し、どうにも祖国で暮らすのが苦痛なら、自分が新しい居場所を用意してやると言ったのです。彼にはそれが用意できました。彼を信頼し彼が信頼する者たちがその受け入れ先となったのです。彼は、オルドピスに来るまでも、来てからも、人々の苦痛や悲しみと接触し続けてきました。そして、持って生まれた明るさと豪快さで、それに応え続けてきたのでした。

 イアリオは、この男の生い立ちと性格とを、初見でにわかに分かりました。彼と、彼女は似たものを互いに持ち合っていました。彼を彼女に引き合わせるのにオルドピス内で反対する議論がなかったわけではありません。しかしトルムオがそれを収め、彼に彼女を一任するように事を運びました。勿論、トルムオはイアリオがオグの史跡巡りを始めれば、彼だけを随わせるつもりはなく、オルドピスの研究者と兵隊も、必要な数だけ同行させるつもりでした。しかし、彼女に近いところで奉仕するのは彼のような外部の人間であることが良いと考えていました。それに、いずれロンドから彼女の印象と感想を聞き出し、忌憚なき客観で、ルイーズ=イアリオの影響力を、つまりはオグののさばる力をさらに測れるだろうという目論みもありました。

 彼らは、オグの、人々を彼と共に滅亡させる力の行く手をその領土に広げられることこそを心配したのです。


 自分と、よく似た人。かつ、自分ととても違って見える人。そんな相手がもし自分と善い(あるいは悪くともよい)性質を共有しているなら、どうやら人は惚れてしまうようです。また、それが受けつけ難い自分の性質であったら、強烈に嫌ってもしまうようです。彼女はふるさとで嫌いな人間に出会ってきました。ピロットも初めは嫌いなところがあり、それは彼女が惹かれ続けるところでもありました。彼女は、テオルドも嫌っていました。しかし、三人はとてもよく似ているところがありました。

 彼女の独特な善性を分かち持つ者がいたとすれば、それはレーゼだったかもしれません。それに気づくのに、彼女は大変、大変に、時間をかけましたが。そして善性はおろか、彼は彼女の影の部分も担う力がありました。彼と彼女は同じ悪性を所有していました。その力に、彼の恋人であるシオン=ハリトはくるまれることを望みました。

 その力とは、人が最初に抱く想いに等しく、最初の、想い合う人間に抱くものでした。自分の親に。自分の子に。そして、それは様々な変遷を経ながら、人間を苦しめます。あるいは、様々な旅路を経て、本当の元に戻ります。真実がありながら、それは虚偽を含む、危険な認識、恐ろしき偏愛でした。そして、何よりも純粋で、畏まらず、畏れ多い認識でもありました。

 その力に、何の変哲もなく穏やかな生活を暮らしていたはずの、青年フィマは()てられてしまいました。いいえ、はじめから、青年はその力に親和性がありました。幻の母親と真実の母親との区別がつかない、その生い立ちから已む無く自分の世界を歪めた、その力。ルイーズ=イアリオにはその力に基づく大きな歪みがありました。しかしその歪みのために、彼女は自分自身を町から出て行かさざるをを得なかったのです。

 イアリオは、自分がロンドの前で裸になって立つのを想像しました。トルムオの石室から、自分の部屋に戻って改めて、自身に起きた性欲を見つめようとしたのです。抱いてください、と彼の前で彼女は言うのでしょうか。私の初めてをもらってください、などと言い添えて。

 彼女は、生まれて初めて本気で自分の処女を散らすことを考えました。それはなぜでしょうか?彼女はわが身を自分のものだけにしておくことを、どうも望まぬことに感じ出しました。そして、その感覚は大変に強いものでした。一人きりでここに来て、意味の分からない出来事の調べ物をするために、身ひとつ命懸けでしたのに。誰かと共にいたいなどと、まして、子を望みたいなどと、言える立場にはいないはずでしたのに。

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