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破滅の町 (分割版)  作者: keisenyo
第二部 後
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第十八章 夢とフィマの決断 2.クロウルダとオグ

 重低音が、鳴り響きます。人は、疑う余地があればとことん疑うものでしょうか。自分をも、他人をも。

 そのスパイラルから抜け出すことは、実にしんどくて困難なことでした。ですが、人は生まれながらにして、このような能力を獲得しています。そこに個人差はあれど、人は、信頼ではなく疑義を抱いて苦しむ性質を持っているのです。いかにそれを、克服していくか。そのための方法の一つは、行いを皆断罪して、何が善で何が悪か断定するような、しっかりした客観性に基づく手段にしか、ないようにも思われてきました。法、ルール、あるいは積み重ねられた常識といった客観性に基づかなければと。オルドピスという国は、どのようにして人間を断定するか、その研究の歩みをずっと続けている国でした。つまり、その判断に人間性を排し、どこまで客観的に善悪を識別できるかということに、学問の挑戦は向かっていたのです。しかし、そんな国の方針を、その国の中にいながら嫌悪する者たちもいました。彼らの中には深き森へと進み、原初の生活を望み、それまでの社会とは縁を切る者もいました。彼らからすれば、大国の方針は、人間の苦しみをそのようにして欺く方向へ歩んでいるものと受け取られました。苦痛をその肉体の埒外にあるものとして捉え、半ば操れるものとして限定する、その試みを繰り返しているにすぎないと。

 クロウルダもまた、人の苦悩を取り出して始末できるものにしなければならないと、考える民族でした。彼らは、人をともし火のごとく儚いものとしています。世の中のいかなる風にも吹き消されてしまう、かよわい火だと。それは、彼ら自身がオグに喰われた歴史からきている認識でした。

 オグを追うようになる前、それは千五百年以上も前になります。彼らは他民族を魅了する青い国をつくっていました。海辺の街と、その海辺のほど近くにある湖畔の街を、彼らは統合してひとつにしました。街と街の間に運河を渡し、その周りを青い壁で統一した建物で覆ったのです。彼らは軍事力を持たず小船で運搬を担う商業の民でした。河にも海にも交易の道をつくり、卓越した操船技術を持つ民族として諸国から信頼されました。

 彼らの国は、かの魔物に襲われました。そしてほとんどが死に絶えました。ほとんどが、そう、三百年前のトラエルの人間のように、狂い、苦しみ、残酷に、地面に転がされていました。当時のトラエルの人々が陥ったのは、自制の効かなくなった(海賊どもに見せつけられ続けていた)欲望に支配され、暗心が暗心を呼び互いに互いを恐怖し合う、負の感情のスパイラルでした。それはオグの働き掛けなく起こり、彼らの都を蹂躙しました。洞窟都市という閉ざされた環境、民は皆海賊に連れてゆかれた奴隷だったなど、いくつもの特殊な事情がそこにはありました。一方クロウルダについて、美しい青の国を創り出していた頃の彼らに特筆すべき事項があるとすれば、彼らは自らの民を幾度か大規模に粛清してきたことでした。

 このようなことは、どの時代にもどの国にも起きうることでした。民族浄化と言えるこの恐ろしい施策は、甚だしく自民族の血の力が衰えてきたという感覚の元に行われることでした。粛清は、純血を保つために断行され、弱い者や混血者を、容赦なく殺しました。いにしえのクロウルダは、しかしこのようなことを定期的に実施してきました。彼らにとって意図的な粛清は正当な政策だったのです。

 彼らは元来、混血を喜ぶ民でした。他民族との交流を喜んで行い、それがために商魂はたくましく彼らの中に輝きました。その一方で、自分たちの純潔さこそ保たねばならないという、強い強迫観念をも持ち続けていました。その二面性が彼らの民族性を保ち続けたのですが、ほぼ六十年ごとに、彼らは二親等に及ばない自国民を皆殺しにしてきました。

 さて、オグは、人々の悪の意識の集合体で、生きている人間に悪を為すよう囁きかけます。彼らにかの魔物が囁きかける時、その純血を保持せねばならないという意識に強く働き掛けました。その時彼らはより強い粛清を望みました。そして本来なら残すべきであるはずの人数を超えて、互いに殺し合いを始めました。彼らは思ってもみなかった激情に見舞われました。自分たちの種を保存しようと、戦ったのではなく、ただ自分ひとりが生き残りたくて、手に手に武器を取ったのです。

 その結末たるや惨憺たるものでした。彼らは我に返りました。彼らは元来霊魂にも親和性のある民族でした。彼らの純潔を保とうとする意志は、その能力によって培われたものでもありました。あまりに混血が進むと、魂の本質の声を聞き逃してしまうようになっていくのです。クロウルダの古い伝承があやまたず語り継がれ、神秘学にも通ずるその学問も、維持するためには、民族浄化を行わなくてはならなかったのです。しかし、その能力によって彼らはオグによる破滅が自分たちに起きたことを知りました。オグに呑まれたクロウルダの同胞の霊魂が語る言葉を、彼らは耳にすることができたからでした。

 霊魂と、生まれる肉体の関係は、決して複雑なものではなく、単純に借りてくる世の姿として魂は体に宿ります。それが、霊魂としても、肉体としても、種々複雑な事情を持っているものですから、いざ魂の(前世に及ぶ)声を聴こうとしても、一方で身体の(血縁がつながる)来し方に理解が迫るも、まったく聴き及ばない、到達できない壁のようなものがあります。それは致し方ないことで、忘れてしまうことでもありますが、そうはいっても過去がなければ今はなく未来もないものでした。そのひずみを見つける時、過去から今に至る過程にひび割れを感じる時、人間はいたく不安に駆られることもあります。クロウルダという支族は、そこに常にいにしえから不安を抱き続けていました。彼らは、その霊に親和する力でもって彼らの同族の霊に働き掛けをしました。そして彼ら自身が、死後自分の魂をある程度この世に残すよう尽力し、古代の秘儀を伝え続けてきたのです。いにしえの魔物オグに呑み込まれた彼らの霊は、呑まれてなお自我を持ち続け、生き残った同胞にメッセージを残すことができたのでした。

 そして彼らは、従来のように船人となって商いに生きるのみの生き様を選択しなくなりました。あまりにオグに襲われた衝撃が大きく、それと向き合わざるをえなくなったからでしたが、そもそも青の国を創る前、その地に流れ着いた彼らは元々の居住地から逃げ出し離れた、ある神官一族の末裔でした。霊や神々と通じ合うことのできる力を最初から彼らは持っていたのです。ですが彼らは、その役割を放棄し、股旅者となり、引き延ばされた長い旅の途上で船の舵取りを覚え、船乗りの適性を自らに見出したのでした。貿易商人の身分に甘んじ、美しき蒼の外壁を川べりに沿って建てられるほどの財を成したのです。しかしながら、彼らの過去は未来を追いかけていきました。歴史の循環がここに起きて、再び彼らに神官を担った力に応じた定命が宿ったのです。

 その力は捨てられるものとならず、伝承は維持したのです。股旅者となるも、過去は伝統に留められたのです。そして彼らは、自らが一番正しいと自負していました。自分たちの血のつながりを通して、霊界に働き掛けるのを。さて、しかし折角に定住の地を見出した彼らは、魔物を追うために再び流浪の民となります。それはおよそ千五百年も前のことでした。クロウルダたちはオグに追いつけばその場所に村を建て町を起こし、魔物を監視しながらいかにそれを封じ続けるかの研究をし始めました。


 しかし、オグとは何でしょう。それは、人間の悪の集合です。それは、人間の集落に訪れると、一人か二人を誘惑します。その人間の悪を、刺激するのです。彼は、集落の人間すべてに、直接影響を及ぼすことはしません。悪は、毒となり、蔓延るからです。誰かに、それが宿って働くのを見れば、その集落に悪が参上したことが知れ渡り、人々は己の中に、それぞれの悪を見出し、互いに恐れおののくようになるのです。そうなれば互いに互いを監視し合います。それこそをオグは待ち望むのです。彼は人間の恐怖を食べ物にしました。その食べ物は彼の好みに合おうが合うまいが空腹を満たし、さらに腹をすかせるものでした。彼はそれによりさらに一幅膨れ上がるからです。そしてそれは何よりも快感を引き起こすからです。

 オグによる悪が履行された群集は、その見出された悪を収めることができず、彼が手を出さずとも人間が人間に悪を行うようになります。そして、自ら破滅の一途を辿って、自らかの魔物の腹の中に納まってしまうのです。彼は直接働きかけた者以外の者たちも、その腹穴に吸い込むのです。それはこの世にある快楽のうち最も至上なものでした。しかし中には彼の魔の手から生き延びる者もいました。ですが、その人間の見た景色は深刻で、生き延びたところで、その衝撃を忘れ苦痛に苛まれなくなることはありませんでした。

 クロウルダはこの苦しみを理解して、それを最小限に押しとどめる手段を黙策する神官になることを選びました。彼らはオグを奉ります。それは、その中に見る自分たちの悪を、慰めるためです。荒ぶる霊を鎮めようとして、その霊を奉り神社などを設ける方法は、土俗的な宗教によく見られますが、クロウルダは、彼らの悪を手に負えるものとするために意図的にこの方法を選択したのです。彼らにはそれが実現できることだとして見られたのです。生命の、爆発のようなその現象が、立派に制御できるものだとして。

 彼らの方法論は、オルドピスが彼らの周りの世界中を支配しようとするやり方と似通っていました。ですからのちに両者は手を結ぶことができたのでしょう。しかし、クロウルダはその後も純血を保ちました。すなわち、彼らの霊と交信する技術は純血によって保存されて、その種の数も、徐々に減らしていったのです。彼らは他民族と奔放な接触をすることはもうできなくなっていました。千年以上が経ち、もはや少数民族となった彼らは彼らが見つけた全世界のオグの欠片を、その監視下にすべて置くことは難しくなっていました。二百年ほど前より、クロウルダは世界中に影響力を見せ始めたオルドピスと協力して、自分たちの意志を継続させることにためらいはありませんでした。


 彼らは知りませんでした。オグは、私たちの取りうるあらゆる姿の、たった一つの過去の像です。それ以上でも、それ以下でもないもの。しかし、それを追い続ける歴史を彼らはつくってしまいました。オグによる破壊は、必然のところがあるのです。なぜなら彼に襲われた集落が、それを望んでいるところがあったのです。オグの望みは人間の望みなのです。では、なぜそこから生き延びるような人々もいたのか。彼らはそれを知りません。

 オグは、人間を誘惑してその人間の欲望を刺激するに留まっていました。彼が、人を支配するのではないのです。彼によってその欲望は増幅されるものだとしても、大なれど小なれど、欲望の欠片は当人の中にあるからこそ、突付かれるのです。生き残った人々は、彼による破滅の現象を理解するために、苦悩します。ですが、その多くは自らが巻き込まれうるほど欲望の根を持たなかったために破滅から身を引き離せたのです。クロウルダのオグに対する理解は、その領域に留まっていました。彼らは現象を客観的にしか把握できませんでした。

 オルドピスもまた、事象を埒外から理解するような彼らのものの見方では、オグについてそれ以上のことを見出せませんでした。イアリオは、クロウルダとオルドピスが共同で編纂にあたった書物を読み込み、残念ながら、そのような実感に至りました。彼らは怯えているのだということがよくわかりました。それはまるで、彼女の町の人間が、三百年前を震えながら見続けているように。

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