第十七章 大図書館にて 8.解ける魔法
シフルドという、丸を基調とした館、そしてコルマエルという、円を区切る直線を主体とした館に続き、三つ目の大図書館はメカトキオという、対称性をこれでもかとモチーフにした建造物でした。丸と四角、海と平原、なびくものと動かぬもの、食物と金属、など、一対の美術が棚となり書物を並べていました。それぞれの棚の一つ一つは物として左右対称なものの、隣に非対称な概念を持つものを並べていたのです。イアリオなどはこの大図書館に近づきたくありませんでした。彼らの思想が露骨にいやらしく伝わってくる所だったからです。
同質性と異質性の区別から、学問は始まります。メカトキオ館はその基礎的な思想を表した建築でした。様々なモチーフは美観を具えており、とげとげしくはないものでしたが、自分の町の歴史とともに、大国の思惑も勉強したイアリオにとっては、彼女のふるさとはこんな風にこの国からは見られていたのだという、その独特の視線を突きつけられているようでした。彼らにとっておそらく世界は観察欲の対象にとどまるもの、決してフレンドリーには近づかないものであると、館全体が宣言しているように感じられたのでした。
さて、オルドピスの首都デラスにある、どの大図書館の裏手にも、こんもりとした森がありました。壁に囲まれた中にある一ヘクタールにも満たないその森には、一言も会話を交わしてはならないという決まりごとがありました。そこは沈思の森で、沈黙の中での思考が尊ばれた場所でした。イアリオはシフルド館の森に、用事があって来ていました。
浴びるように呑んだ書物の言葉は、今、彼女の中で滔々と流れる川のごとく静かに沈黙していました。勿論、激しく濁流のように暴れまわった後でした。彼女はとりあえず人の歴史として町の周囲の在り様を理解しました。というのは、これからオグ、クロウルダという、精神性の強い者たちの理解を始めるからです。といってもあらゆる歴史は人同士の感情の蠢きであって、それに強く働き掛けた事象こそ歴史として記憶に留められるものです。しかし、古の魔物とそれを追う神官を知ろうとすれば、時代時代に一瞬、閃光のように光る想いの羅列ではまったく片付かない、連綿と続く鎖縛としてある心理と向き合わなければならないのです。それは、彼女の町が拘るものに等しく、黄金の神秘がそこに住む人々を捕らえて離さないのと同じでした。いくら大国の本当の計画に嫌悪感を持っても、あるいは数々の国が周りに起きて廃れても、今も彼女の焦燥につながるものはそんな歴史的事実を超えた恐ろしい現象でした。そしてそれへの理解がこれから始まるのです。
森には、フィマがいました。彼女はニクトから彼の様子を聞いていました。そこで、彼に会って話をしようとしたのです。というのは、彼が依然彼女に思い入れていて、狂ってしまうほど苦しんでいると伺ったからでした。仕事も手につかないほどになって、日々彼女に会えないことを苦悶し、ニクトに彼女はどう過ごしているか、オルドピスから提供しているサービスに満足しているか、などということを訊くばかりになっていました。
彼はどうやらそのことを他の女性たちにも話しているようでした。彼に寄ってくる、彼を都合のいい男として見做している、あるいは、彼のことが放っておくことのできない女たちは、そんな彼をいたく強く抱き締めました。急にそれまで見せたことのない弱々しさを、彼が見せるようになったからです。
それでも彼はずっとまるで子供でした。彼は言いなりでした。新しく、今まで感じたことがない、むくつけき感情が沸々と燃え滾っても。それはちっとも収まらなくても。彼は、彼を抱き締める女に当り散らしました。彼は自分を抑えられませんでした。彼は柔軟ではなかったのです。一見非常に柔らかく世を渡りこなしているように見えても、実は彼はただ時流に乗るだけで、自分を試してはいなかったのです。そして、彼の中に自らの言葉はありませんでした。
彼の中には他人の言葉だけがありました。
イアリオは、彼が出会ってきたどんな女性ともタイプが違いました。彼がしてやられたのは、彼女を一目見た時に、その目の中に強靭な意志とたくましさを見出したことでした。イアリオはとにかく強い意志を持っていました。彼女の心理は数々の事件に遭って目まぐるしく揺れ動くことがあっても、レーゼ、そしてハリトが彼女を慕ったように、彼女の傍にいると安心感を得られるのです。それに、何かが彼女の行動を阻んだことは、これまで一度もありませんでした。真っ直ぐな意志、それは誰もがある程度持っているものでした。しかし、それを彼はまったく持っていませんでした。
親は自分の子を育てるために、否応なくそれを自分の中に持たなければならなくなるものでしょう。また、子供は、子供の立場から、それを親に認め、また欲求するでしょう。彼にはそれがありませんでした。それがない事情が、始めから、彼が彼自身をうまく捌きながら生きていく道のりを用意したのです。彼は、そうとは知らず彼の中に本質的に欲していたものを、イアリオに発見してしまったのです。瞬時にして彼は彼女に憧れてしまいました。おかげで何も手がつかなくなるほどに、意識は焦燥し、ただ暴れるだけの人に時折なっていました。ニクトは彼に、今までどおり、自分の兄としてちゃんとして、しっかりしてと言いました。ですが、まったく効果がありませんでした。それまで自分になかったものを埋め合わせられてしまうものに出会った彼は、生まれて初めて、気が狂うほどの恋愛を体験したのです。
そして、そのうち、彼は今まで自分はただ一人で世間を泳いでいることに気がつきました。彼は幾人もの女性とうわべでも付き合うことができましたが、その相手が、唯一彼だけを恋人として見做していたかというと、そうではありませんでした。彼はまったく一対一の人間関係を築いてこなかったのです。勿論、後見人として国の指導者ともなったトルムオはいましたが、トルムオに彼は親としての姿勢を要求することはありませんでした。彼はただ頭のいい学生でした。
彼はまるで自分をばらばらにしてみんなに預けてもらっているかのようでした。彼は人々の付き人のように、人々の言うことに従っていました。ところが、イアリオの目の前で、彼はただの一人になりました。ばらばらだった自分の体を急いでかき集めねばならなくなりました。フィマ=トルムオに及ぶ命の危険は、ここに在りました。
当たり前の日常など、脆くも崩れ去ることは起こります。現実は、気づかない乱流を用意しているものです。そこで、人は木っ端のようにただあぶられます。
とはいえ、なんとか乗り切ることのできるのもまた人です。彼は彼唯一人のいる空間にいました。イアリオを、彼が想う時。その時の彼は、味わったことのない苦しみにただ殴られ続けるばかりでしたが、その
充実は、ただ彼だけのものでした。彼だけが乗り切ることができる。自分自身の進化を、見つけられるただ一つの場所に、彼はいました。
大図書館の裏手にある、沈思の森は、それぞれの人間に、まるでただ一つの場所を提供しているようでした。彼は森の中の小さめの冷たい石椅子に腰掛け、果物の皮を剥いていました。そうすると心が落ち着きました。彼は、彼女に会う機会がようやく訪れたことを、僥倖というより、天からまた落とされた奇跡だと思いました。そして、それが決まった時に起きた気持ちは決して逸るものではなく、冷たく落ち着いていました。彼は彼の想いを吐露するだけだったからです。彼女と会った時に。異性に対する緊張は彼にはなく、彼女を異性として認めれば、いつものように、言葉は出てくると彼は信じられました。ところが、指定の場所に来てみると、彼はわくわくする気持ちを抑え切れませんでした。自分が彼女によって変わりゆく可能性を、その時の彼は感じました。共同で、変わっていくことを、彼は願いました。彼と、彼女が。
そうした経験も彼にはなかったのです。それは危険でした。ですが、あらゆることが、共同で変わっていくことを、彼は知りませんでした。彼には知らないことだらけでした。頭のいい彼は、世界において、無知無学に等しい立場でした。
彼はうつむき沈黙したまま果物の皮を向いていました。そんな彼の肩越しから、すっと手が伸ばされました。彼はびっくりして振り返りました。伸ばされた手は女のものでした。それも、筋張った、まるで労働の後のような、張り詰めた筋肉さえ感じられる手でしたが、それは女を主張していました。ああ、一度出会っただけで、紛れもなく彼はその人を愛しくなってしまっていました。何ヶ月かの後、再びまみえても、そのただならぬ感触はまったく減じず、彼はその人のことが何よりも大事でした。彼は子供っぽく頬を赤らめました。それは異性の誘惑に応えるものではなく、他人の魅力的な母親を見た時に見せるものでした。彼は何かを言いかけました。でも、ここでは一言も口に出してはいけませんでした。
イアリオはじっと彼を見つめて、森の出口を指差しました。彼はついていきました。密集した木立を抜ける間、彼は彼女の豊かに伸びる後ろ髪や、その背中、肩、前後に揺れる手の平などを見ました。彼はそこにおぶさりたいと思いました。陵辱したいとも思いました。まるで母親のように、無防備な異性のように見える、特別な人を、彼はどうしていいかわかりません。彼には親がいなかったのです。彼にはいとおしい唯一の恋人もいなかったのです。人間の、善と悪が、急に一挙に彼の表に表れ出ようとしていました。彼が体験したことのない、誰もが体験したことのある、人の本性が、包み隠さず表面に浮かび上がってこようとしました。彼にしか感じられない熱いものが、その全身どころか、その足元の地面まで熱して焦がそうとするほど、彼の体から溢れ出ました。
心配して彼らの様子を見に来たニクトが、森の出口で待っていました。ニクトは、自分のことばかり考えていました。というのも、彼女の心は彼にあり、彼が、イアリオのことばかり考えてくれていては困るからです。実際、仕事が手につかなくなる彼を見て、心配にはなりましたが、それは解決可能な事案だということをよく知っていました。イアリオとの関係がはっきりすればいいのです。でも、その結果が「付き合う」ことになれば、著しく彼女の立場は苦しくなります。イアリオがどれだけいい加減な性格ではないか、まことに生真面目で故郷の問題を背負っているその背中を、何ヶ月もの間見ていました。そんな女性が、彼を選ぶとなったら。それは本当の出会いなのでしょう。
ニクトは彼がイアリオを見初め、彼が彼女の話ばかりするようになったのを、なぜか好ましく聴いていました。彼と少女は同意見だったのです。わざわざふるさとを出てまで、この国に一体何の用事があるのか、その詳しいところは聞いていませんが、彼女の、強い意志は少女も憧れるところがあったのです。しかし、彼女が自分の恋敵となるような想像はできず、腑に落ちなさは感じていました。彼女がフィマの相手をするとは考えられなかったからです。そこで、ニクトは彼女に彼の話を振り、どう思うか訊いてみました。
その回答は想像通りでした。彼女は、彼の想いが真剣なら、それに応えなければいけないと返事したのです。この時少女は少し恐ろしさを感じました。任務を持った人がその任務を疎かにするとは思わなくとも、思わぬ道筋が成り立ってしまうかもしれないと思ったのです。
ですが、イアリオは少女に相談しました。フィマについて、どうすればいいか。頭の良い少女は、自分の恋の筋道をそこで描き出しました。少女はフィマの心に揺らぎが欲しかったのです。まだ成人もしていない自分は彼の眼中にもないかもしれませんが、それでも、だんだんと、自分を異性として見て欲しく思ったのです。その仕掛けを少女は彼とイアリオにつくり出しました。そして、その計画はうまくいくものとは限らず、思わぬ方向に行ってしまうことも、破綻してしまうこともありえました。
森の出口に差し掛かり、フィマは、少女を目に入れませんでした。イアリオはニクトをちらりと見て、少女の指差した方角に歩を進めました。図書館の邸内の、人の少ない物静かな、会話のできる所へ行きました。フィマの体はふわりとニクトの気配を感じました。少女の気持ちが、彼の全身を包み込みました。その気持ちはただ恋心だけを含んだものではありませんでした。彼は愚かにもそれに返答ができませんでした。ひらりと白い雲が現れて、上の空に翻りました。まるでいざなうように。フィマは、こうしているだけで幸せでした。素敵な女性の後ろをついていくだけで。年下の女性の想いにくるまれているだけで。彼は誰かに導かれるままに生きていて、それでずっと暮らしていけると思っていました。ですが、何か、得体の知れないものが、彼の足元からせり上がってきました。そして、ずるずると、その地下から誕生したものに自分が引きずられる感じがしました。彼の足を取る何かに、彼は苛立ちました。
それは何でしょう。彼が、一度もそれと対決していないもの。彼自身の裏側にあるもの。彼はその時にこう思っていませんでした。殺してでもイアリオを手に入れたいと。彼には大きな穴が空けられていて、それが彼女によってしか埋められるはずはないと感じていることを。こくりこくりと、地面が喉を潤していきました。彼の熱い想いを、彼の体が漏らしてその足元を熱しているものを。彼の、表立った浮世の性格をそれは呑み込んでいきました。ゆっくりと、着実に、彼はそれまでの彼を失いつつありました。彼にとって至上の美貌の相手を見つけて、明らかに、彼は自分が溶けてなくなっていく予感を抱えました。彼はそれに耽溺しましたが、溶けていくのは彼の自我でした。自分を描いた自画像でした。しかし、フィマは、歩きながらイアリオの背中を見ていて、鋭く何かに気づき始めました。彼女の背に、それが背負っているものが見えました。重く、ひび割れていて、古い亀の甲羅のように、異常に大きくのしかかって見えました。ああ、この人は、と彼は思いました。大変な使命を持っているんだ。
彼女の詳しい出生など尋ねたことはありません。彼は、彼女と接触したことで兵士たちに拘束されるも、それこそ彼女がオルドピスにとって著しく大事な来客だと知っただけでした。それだけで彼に予想されるのは、彼女が、そのふるさととオルドピスをつなぐ橋渡し役として来ているのであろうということと、その彼女の国が、何らかの危機に見舞われているがためにこうして厳重にも護られているのかもしれない、というところまででした。彼は、シフルド館の邸内で波立つ曲線のオブジェを視界に入れつつ、彼女につけられた幾人かの護衛の人間を目の端に捉えていました。
しかし、彼の目には彼女の背中は、或る宿命的な悲劇を彼に語り、命運の行き先を彼に伝えました。彼は目の前の恋にすっかり瞼を塞がれながら、その実、決して盲目ではありませんでした。彼は確かに彼女を観察し、鋭く彼女の来し方を感じていました。それは、彼女が自分の町の歴史を一通り学び終えて、それ以上の自分の来し方を感覚し始めたためかもしれません。彼女を覆うもの、彼女の町を覆うものは、彼女の周りから解け始めていました。彼の見立てのとおり、イアリオは、自分の背中に、怪物を抱えているような気がしました。町の歴史を俯瞰し終えてなお、一体、自分たちはどこから来たのだろうと訝るところまで来ていました。海賊の時代からの始まりを回顧しても、それが自分たちを育てたもの、苦しめたものだとはまったく言い切れませんでした。そして、そこまで考えなければ、より遠くまで見通さなければ、まず、自分たちを認められないようでした。あの町は、オルドピスからも匿われていて、自分たちで隠れることを選んだつもりが、いつしかそれを選ばされている状況にも、なっていて。重い、重い、重力がかかる。
エアロスという、思いついた力の言葉は…どうしようもなく、彼女に訴え掛けてきていました。イアリオは、できるだけ人が自分に関わらないように努める必要があると思いました。オグは、なぜ、あの場所で眠っていたのでしょうか。天女たちの言葉通りならば、どうしてあの場所で破滅の時を迎えんとするのでしょうか。トルムオは町からはじき出されたように飛び出してきた彼女を、恐れていると言いました。その率直な言が、どこかよくわかる自分がいます。そうした理解を、進んでオルドピスは手伝いました。護衛は彼女についているのではなく、市民についているのです。オグに見初められた町の人間から、その未知の力にあてられぬために。
三人は小さな噴水のある憩いの場にやって来ました。反り返った丸羽が外側に開いた彫刻の間から、水が勢い良く噴射しました。水は輝き、小さな子供が歓声を上げました。彼女はいきなり振り返りました。フィマは驚きました。
彼女はまったくの自由人に見えました。重いものを背負った背中を背後に隠したからでしょうか。彼は思わず、ぎくりとしました。
「あなたに、これを渡そうと思って」
イアリオは手に金貨を握り締めていました。それは、レーゼから貰った、貴重な金の粒でした。彼女は手を開き、それを彼に見せました。
「なぜ」
フィマはぼんやりと呟きました。
「あなたから労働を買おうと思って」
イアリオはにべもなく言いました。
「これでは足りない?」
彼はあたふたとしました。思ってもみなかったことが、今起きたからです。
「いいや、そんなことは、あの…」
彼女は一度目を伏せ、改めて、彼に眼差しを向けました。
「私は籠の中の鳥だわ。でも、私の力で、自分のものを持ちたいと思ってね」
その眼差しは自由でした。
「あなたのできることの範疇でいいから。例えば、好きな果物とか、植物とか、私のお金で買ってきてほしいの。私はここで、とてもいい待遇をさせてもらっている。快適よ。だけど、やっぱり、自分が本当に欲しいものは、手ずから手に入れたく思うのよ」
彼女は本当のことを言っていませんでした。彼女はニクトと相談して、二人でこうしようと決めていました。別に、フィマから労働を買ったとて、彼女は彼に働かせようとは思っていませんでした。彼を引き離すために、冷たい態度をわざと取ったのです。自分と会う機会を彼に与え、彼女は彼にまったく気がないことを、伝えるために。
フィマは、二人にまるで子供のように扱われました。彼の心は、二人を凌駕するものでも、並び立つものでもありませんでした。フィマは、ただ求めてくる甘えん坊のままでした。ですがそうと知らずも、彼はいじらしく反発する気持ちになりました。
「受け取れませんよ」
フィマは両手で遮りました。
「こんなものは。僕はこんなもので測れる奉仕の心を持ってはいませんから。
僕の心は、もっと漲り、あなたに近づくことを望んでいます。いいですか?僕の命運は一瞬で決しました。僕はあなたに惚れてしまったのです。いいですか?僕は決して諦めませんよ。決してお金の額で僕とあなたとの関係は契約されないのです。僕の心はあなたのものです。僕を信頼してくださいませんか?」
彼は彼女にこうべを垂れました。
「僕をあなたの下へ参上させてください」
イアリオはまんじりとそれを見ていました。彼の心を理解しようとしました。どれほどの覚悟があるのか、それに、自分が動かされる、余地はあるのか。結論は素早く出ました。
「それはできないわ」
彼女は鋭く断りました。
「だって、私、あなたくらいにあなたのことを想えないもの。私以外にあなたは惚れられる相手を見つけるべきよ。もしかしたら、今のあなたのように、あなたをそう見ている誰かがいるかもしれないよ」
イアリオは二人から離れた所にいるニクトを胸元に引き寄せた気持ちでそう言いました。彼女は、少女からその思いのたけを聴いていました。その想いにとても自分は敵わないと知っていました。いいえ
故郷に残した真の想い人に対する気持ちとそれは比較して何の遜色はないと、確認したくないことを、確認してしまったために
「駄目です。あなたでなければ」
「いいえ、必ず私以外に誰かはいるわ。もしそれにあなたが気づけば、私はその関係を祝福するよ」
「僕と、あなたとの関係を祝福してください」
「絶対にそうしてはいけないわ」
彼女は言下に言い切りました。
「なぜですか?」
彼女は混乱しました。自分が、なぜこの場所に来ているのか。自分は、矢も盾もたまらずこうしてここに来てしまったけれど、その原因は、あの天女たちの言葉を調べるため。オグという魔物を、窺うためだったのだが。
「私は操を立てなければいけないからよ」
彼女はニクトとの打ち合わせにはないことを言いました。
「私のふるさとが震えているの。そうしている場合ではないの。あなたの申し込みは、嬉しいわ。だけど、絶対に、そうしたことは都合よく私の自由にできないことなの。私は強いさだめに結ばれているけど、それも私自身が選んだことだから…」
フィマは、じっとイアリオを見つめました。その背後にいる魔物が、じわじわと彼女の背中を這い登ってくる気がしました。
彼の見立ては正しいものでした。ですが彼は、愚かにも、彼女を解放してあげたいと思いました。その実力は、まったく彼にはないのに。
「この金貨は、あなたのその思いを伝達するのに最もふさわしい手段なのですか」
「そうよ。その通り」
その通りでありながら、まったく、その通りではない想いが溢れました。
「では、あなたは僕に対して何も答えていない。僕の慕情は、あなたを包んで安らがせるだけの、大らかさがきっとあります。あなたのそばに置いてください。でなければ、あなたはずっと、あなたを支配したさだめとやらに苦しむままでしょうから。あなたの背中にそのさだめが乗っかっているのが見えます。僕は、あなたがそれに苦しむのであれば、自分も苦しい。僕は、あなたを解放してあげたい」
その台詞には、彼の正確な観察眼が見つけた事柄と、彼が普段から使っていた、決まり文句じみた口説きの言葉が混ざっていました。イアリオはしっかりと彼を見ました。恐ろしく何ものにも縛られていない自由な眼差しが空中を舞い踊りました。フィマは、再びぎくりとして身を引きました。彼は、彼女が自分から身を引かせるように彼に要求していることはわかりました。彼の恋心には応えられないと。ですが、もしかしたらそれだけではないと、感じました。
彼は、自分が彼女にできることを、少しだけ分かりました。それは決して彼の欲望を満たすようなものではありませんが、当のイアリオ自身もまだほとんど気づいていないことが、この場で明かりに晒されたのです。彼女は、そして町は、他者にそれを望んでいました。そう、どれほど心を閉ざした人間がいても、いくら世界を拒絶した者がいても、それは、世界にいるかぎり彼らに求められるのです。
「こんなことをしても…」
目の前の女性はふと呟き、首を斜めにかしげました。その悩ましさは年下の二人にも分からない深遠さを覗かせました。
「無効なことだったね。あなたの正直な気持ちは分かったわ。でもそれには私は絶対に応えられない。…変だね。でも、こうした要求も正確だったような気がする。あなたたちに、私は一体何を任せたがっているのだろう」
イアリオは言葉を口にしました。自分にもよく分かっていない言葉を。
「金の粒は、無効だわ。どうしてこんなものが必要になったんだろう。人間は、愚かだわ。きちんと伝えなければならなかったんだ」
そうして寂しそうに後足を下げました。イアリオは立ち去りました。彼は、放っておかれました。ただ子供のような心だけが、この場所で弄ばれ、浮遊しました。
「絶対に、あの女を、僕のものにしてやる」
彼の唇の動きはそう言いました。彼の頭上にせり出した樹の小枝に、小鳥が留まって、ピイピイ、ピイピイ、飛び跳ねました。
「うるさいな」
彼は苛立たしそうに上に向かって手を振り払いました。何かに青年は耐えられそうにありませんでした。




