第十七章 大図書館にて 6.海賊の歴史
三大図書館の一つ、コルマエルの館は、直径が三百メートルにも及ぶ円柱型の建物でした。その壁はどっしりとして黒く、周りを威圧する風情を持っていました。かの館は外壁以外は直線で一切が仕切られていました。館外の庭も、館内の円の中も、意識的に規律正しい直線の幾何学模様をつくり出していました。それは、彼らがこの世は円の連続だと考えるような思想を持っていたからです。円とは閉じた輪で、外と内とを区切る形のことでした。物質は皆輪郭を持ち、それ自身とそれ自身でないものを区別しています。しかし、それは重なり合い、互いに影響を及ぼし合いながら、この世に存在しています。
この互いの関係性を、オルドピスの学問では観念的に、円に象徴して捉えるのです。その円は、彼らに拠ればまっすぐな線で区切ることができました。直線で円を割り、ばらばらに分解すると、その円の中身が詳しく調べられるものと彼らは考えました。つまり生き物の体なら、部位ごとに分解してみることで、脚の役割、手の役割、内臓、首、頭の役割など、それぞれの性能がよりよく解る、といったことでした。彼らは生物などに限らず、あらゆる物事を一つずつの円として捉えました。そして、それぞれの性質をよく理解していくことで、人間にとって必要な知識が増えていくと信じたのです。この思想を模したのが、コルマエル館の幾何学構造でした。
かといって彼らが科学の信望者だというわけではありません。オルドピスの人々は自然に大きな敬意を払っていました。それには呪術的な力も働いていると感じられていました。ですがその自然に対して、人が影響を及ぼすことができるようになった領域は、徐々にですが増えていると思っていました。コルマエルの図書館はまったく切り立った壁の連続でした。しかし採光を考えてよくつくられていて、書架付近はそれほど暗さを覚えませんでした。とはいえ初めて入館した人間にとっては、いくら調和の取れたデザインだとしても壁の配置は入り組んでいて、まるで迷路にはまり込んでしまったように感じられました。
イアリオは頼んでいた本を借りてくるためにこの館を訪れました。その本は前にフィマが請け負い、彼自身が取ってくると言って館から飛ぶように駆け出していったものでした。彼は、そのすぐ後兵士たちに捕まれて、国賓の図書の用事であるからしかるべき手続きが必要だと言われ、少し質問を受けたのちに帰されていました。それ以来、まだ彼は彼女に会っていませんでした。オルドピスは彼を、かの町から脱出してきた人間が最初に誘惑した相手として認定しました。しかし、これ以上彼女に関わらせないようにするなどということはせず、彼を観察することにしました。司書である彼は、彼女が新たに図書を借りに来る他は、イアリオと会う機会がありませんでした。ですがニクトを通して、彼女との接点を持てていると彼は考えました。彼女を想う気持ちは日に日に募る一方でしたが、きっとまた出会えると信じて、その時を待ち侘びていました。
さてイアリオは最初の大図書館、曲線うねるシフルドの館で直接所望した書物をやっと借りてくることができたのですが、他の二冊は大分読み進めていて、ほとんど終わりかけていました。それ以外にも彼女はすでにたくさんの本を借りてきていました。すぐに用意される本もあれば、貸し出しに時間のかかる本もありましたが、とにかく彼女は自分の町の周辺の歴史を調べまくりました。彼女はオルドピスとクロウルダの期待に沿うような答弁を待たれていました。あの町で起きている、自分自身に覆い被さる焦燥の原因となっているものを、言語化することを望まれていました。そのために彼女は自分の得意な歴史から進もうとしていました。過去が整理されれば、自ずと現在がよく見えてくるだろうと考えてのことでしたが、大国の首脳トルムオからも、そのような段階を踏んだほうが良いとアドバイスを受けていました。
彼女は自分の町の来し方を、オグやクロウルダの歴史よりもまず先に調べることになりました。しかし、勿論、黄金都市の所在が率直に書かれている本などここオルドピスにもありません。彼女は、歴史学の教師でしたから、すでにある程度の世界中の趨勢は心得ていました。しかし、彼女が参照した資料は町に三百年間保存されてきたものが主で、オルドピスから輸入されたものも多少ありましたが、それらは最新のものとはいえませんでした。それに、町に保存される書物は、町によって取捨選択されていることが考えられました。彼女は正確な情報を欲しました。オルドピスにある数々の資料、あるいは歴史書は、恰好の情報を提供してくれました。何より、彼女は自分の知識を上回る知識が欲しいから、あの町から出て行ったのです。
オルドピスの図書から、彼女の町を直接調べることはできませんでしたが、その町は今や大国の隣国となっていました。すなわち、大国の歴史の歩みを調べれば、相当その周辺の事情が明らかにされました。伝説ではこの辺りは高い山を含めない低地はかつて海の中に沈んでいたと言われています。しかし、人類は高地に逃げおおせ、海の水が引き、住むことのできる陸地が増えてくると、彼らは山から下り始め、だんだんと人口を増やしていったということです。それがこの辺りの歴史の始まりでした。イアリオはずっとその始まりから書物に記されている史実を追っていきました。彼女の町で蓄えた知識に加えた補填は数知れずありました。彼女は夢中になって読み進めていきましたが、世界史は、無論オルドピスの周辺に留まりません。「歴史書・題は無し」あるいは「古代からの滅亡」には、世界中の古代史が取り扱われていました。彼女はまずそこから彼女の町の周囲の過去を窺いました。特に、三百年前より前、海賊の都がそこにでき上がるまでの過程を知ろうとしました。
事の趨勢は色々とありましたが、彼女に重要だと思われる事象は、やはり直近の歴史、海を巡る激しい攻防が行われた二百から四百年前の海洋史でした。その頃オルドピスはまだ国として存在していず、ほとんどが内陸の小国として独立していました。彼らは激しく対立する海洋国家からは離れて、比較的平和に、かつ独自の文化圏を確立しつつありました。のちに互いに結託して大国を開こうとする前に、学術を基礎とする国造りに積極的になるほど軍事面ではさほど脅威がなかったのです。とはいえ、今後力に任せたいくさに巻き込まれてしまう可能性を考えて、彼らは自分たちの学問を武器に、多方面外交を展開していくのです。その結果、内陸の大国は生まれ、徐々に、その勢力を陸端に伸ばしていくのです。
彼女はオルドピスそのものの歴史にも興味がありましたが、それはいくらでも今後調べられるものとして脇に置きました。当時激しかったのは港湾都市を抱える国々による海の勢力争いでした。特に海賊が勢いを持つ時代、三つの大勢力のいずれかが海の覇権を握るだろうと目されていました。中でもデラルクト=ムルース率いる勢力は、ほとんどその手にそれを握りかけていました。
彼は彼女の町の真下にある都がその手で自らを壊す、およそ三百年前より三十年が下った時代に活躍しました。彼は、トラエルの町の地下の港湾都市に居を構えた海賊たちの子孫でした。世界史には彼の隆盛とその後の没落の様子まで詳しく描かれています。そして、彼の名前はイアリオの町の国史にも登場していました。海洋史には彼以前の海の勇者たち、つまり彼に血の繋がる上古の海賊や、テオルドの先祖ムジクンド率いる、海賊から下克上を果たした戦士らも紹介されていましたが、彼らについては町の史料にも詳細な記述があり、むしろ町にあるものの方がより詳しく書いてある内容もありました。イアリオはオルドピスで手に入れた史料から彼らの歴史と彼らに繋がるより古い時代を検めましたが、さほど興味を引くものはなく、むしろムルースが辿った足跡の方が、なぜだろうと頭をひねるほどじっくりと考察を求められました。なぜなら、彼の没落は彼女の町の地下にある、黄金を巡るものだったからでした。
かの黄金都市をつくり上げたのは偽者の王を祭り上げた海賊国家でした。そのやり方はもしかしたら今や大国であるオルドピス建国の由来とほぼ似ていたかもしれません。より強い力を得るように、小さなまとまりは大きなまとまりとなったのですが、兵士どもの下克上が起きるまで、それは三大勢力のうちの一つとなりました。彼らは諸国から様々な市民や奴隷たちを連れていき、あの穴蔵の港を開発し続けました。戦士たちに追われるまで支配者となった彼らは元来が王侯貴族に連なる血の持ち主で、身を持ち崩したり、出生が遅れたために兄弟から追放されたりした者たちでした。彼らは巷の人々よりは金持ちで、小さいながら個人事業主となれました。海には数々の増資のチャンスがありました。貿易などに乗り出した彼らは競合相手と盛んにせめぎ合いました。船には武器が必要で、奪い合いに応える軍備が欲されました。そこで、彼らは船団などを組み、組織立っていくのですが、必要以上に兵士や投石器を揃えられた者たちは、その生業をほとんど海賊業へと移していったのです。
彼らは富を蓄えられましたが、根無し草の事業主でした。彼らはそれこそ故郷を追放されているのです。偽りでもいいから、根を張れる場所を捜し求めました。選ばれたのが石窟の港で、神官クロウルダがその地へ移ってきたオグを奉り封印していた所でした。彼らはクロウルダを追い払い、そこに彼らの国を建てました。
オグは、一度目覚め、彼らがそこに侵入する前後、人々の命を残酷に奪っていました。魔物は魔物としては大量の悪をその時に食べていました。オグは神官追放後も、その時のように暴れ回ることはしませんでした。満腹となり、長い眠りに就いたのです。魔物になんら邪魔されることのなかった、むしろ魔物に侵略の手助けをされたことにもなった海賊たちは、その地でしばらくの間この世の春を謳歌することになりました。ですが、魔物と海賊たちの関係については歴史書に詳しく書かれていることではありません。
さて、その後の話になりますが、自分たちよりも数に勝る兵士たちに国を乗っ取られることとなった海賊どもは、ほぞを噛み悔しがりました。彼らはこの恨みを決して忘れませんでした。もっとも、彼らの溜め込んだ黄金がそっくり奪われてしまったのです。欲に飽くなき手負いの海賊は、復讐を誓い、別の土地で力を蓄えました。四十年後、彼らは方々の海をほとんど手中とするほど拡大し、いざ彼らの奪われし土地へと、乗り込むこととなりました。
彼らは彼らの血族がかつて支配したその都市がすでに滅びたことを知りませんでした。彼らはまだ強力な軍隊がその地を支配していると思い込んでいました。その頃、周囲の国々ではまだムジクンドの時代に黄金の国から派遣された管領が、依然仮の支配を担っていました。無論、送られた赴任者たちは何度か石窟の都に連絡を寄越していました。ですが、一切返事は返らず、偵察隊を、あるいは兵力を差し向けても、海からの侵入は暗礁によって阻まれ、陸路は都の北方の山脈の最西端からしか進軍ができなかったために、呼び込まれ後退を許されず全滅させられていました。彼らは国で何が起きたかまったく知ることはできず、その後何十年と経つ中で、故郷とのつながりを薄めそれぞれの地方にあたかも土俗の貴族であったかのように、馴染む努力をしたのでした。
彼らはまた、母国に生じた異常を隠し通してもきました。民草は平和であればよく、強力な軍事力を持った国の翼の下に自分たちはいると考えてきましたから、内政は穏やかで、再び国同士の戦乱が起きる事態になるまでは特別な叛乱もしませんでした。かの国の亡びは世界中に隠れました。
しかし海賊たちは、かの裏切り者たちの勇猛なる進撃が、ある時期にぷつりと途絶えたことに注目していました。ですがそれは力を蓄えるためかもしれぬと、じっと様子を見ていました。内政に何らかの事変があったとしても、そこは軍事国家であり、大きくは変わらないだろうと見ていたのです。しかし、彼らもまた諜報を試み、陸伝いに人を送っていました。彼らなりに慎重に街の奪取を計画したのですが、生憎調査から無事帰って来られた者はいませんでした。ところが、ある時彼らは町の人間から見えないところに物見やぐらを建てることができました。
国を追われし海賊一党は、海からの侵入をはじめから諦めていました。なぜなら国を奪った兵士たちも名うての船乗りであり、海戦を通じて版図を拡大していったからです。海賊側が記憶に留めた暗礁の場所もあてになるはずもなく、かつての上司たちの反撃を拒むための策略も、敵は十分に巡らせているに違いないと疑いませんでした。そこで、海賊どもは、陸からの侵略を試みることになったのです。そしてそのために、彼らは彼らを裏切った兵士たちが支配する国以外の、一帯の港を手中に収めました。いいえ、彼らの目的のために、対立していた勢力を呑み込み、都を取り戻す戦力を増強したのでした。海賊たちは町の東側と北側に聳え立つ山脈をぐるっと回って、なんとか山を越えて侵入する道を切り開き、暗き都の様子を窺うやぐらを森の中に隠し建てました。しかし、海上の攻防ならまだしも、陸上の戦略というものに彼らは馴染みませんでした。
亡びし都の子孫である町人の警備の拠点は、森の中、山際、相当標高の高い場所にも置かれていました。トラエルの町の資料には、この時の海賊たちの建てた櫓の場所が詳細に記録されています。どのくらいの期間に建てたか、何人ほどで仕事をこなしたか、などが、参照できて、イアリオもこの記録に目を通していました。それは、彼女が町から脱出するための手がかりを探していた時でしたが、つまり、このように記録に残っているということは、彼らは誘い込まれたのです。トラエルの町の人々は周到な用意をして侵略者を一網打尽にしようと策略を練っていました。浅はかな侵略者たちは、まんまとその罠に嵌り、監視者の目が届かないと思い込んだ道を見つけて意気揚々とそこからいくさを仕掛けたのです。確かに兵站を用意し、長い補給路を山越しに整備し、時間をかけて奪われたものを取り戻そうと計画を練った海賊側ではありましたが、かつての彼らのように偽王を通じたまとまりはなく、烏合の衆に近い連中が血気に逸って黄金を求めたのを、頭目ムルースは抑えることができませんでした。それだけ町側、つまりは彼らから見たら強大な軍事力を持つ兵士たちは、陸から自分たちが襲われることなどないもののように、隙だらけの背中を見せつけていたのです。
襲う時は今と、功に焦るならず者たちは、一団となって敵の背後に襲いかかりました。暗黒の市街へと。敵の背後からは海に面した港湾が塞がれた大蓋を見ることができませんでした。岩窟の上にできた小さな町には市民がいて、彼らの突然の襲撃に不意を突かれ、すっかりうろたえたように見えました。結果、ネズミ捕りの罠は残酷に、彼らを捕まえ滅ぼしました。暗闇には火が灯され赤々と街中を照らしていました。黄金が至る所で山積みにされていました。彼らは兵士たちの姿がないことに疑問を持つ前に、その金の輝きに心を奪われました。そして、奥へ奥へとネズミのように誘い込まれました。彼らこそ不意を突かれ、徐々に徐々に減っていく仲間たちの姿に気を留めることなく、初めて、あるいは長い月日を越えて再び見出した黄金の都の姿にだけ目を囚われているうちに、一方的な全滅へと向かったのでした。
無論のことですが親玉ムルースはここにはいませんでした。彼はまったく手痛い打撃を被り退くしかありませんでした。櫓は壊され、補給路に追っ手がかかり、山脈よりほうほうの体で逃げてくる部下たちと共に、苦虫を噛み潰しながら彼は海へと退却しました。ムルースはこの痛手はいまだ健在なる勇猛な戦士らによるものとして疑いませんでした。そしてあらかたの戦力を失い、また結託した他勢力の信頼もなくし、彼自身の力はまっ逆さまに墜落する翼のように凋落しました。




