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破滅の町 (分割版)  作者: keisenyo
第二部 後
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第十七章 大図書館にて 4.監視する者たちと

 青年が生まれてはじめて強烈な一目惚れを体験して悶える一方、イアリオは、毎日取り憑かれたように借りてきた本を読んでいました。ニクトが度々訪ねてきて、欲しいものはないか色々窺うのですが、彼女は、二冊の書物を手に取って以来、まるで流水が滝壺に流れるがごとく、文字の洪水を受け止めていました。人間がこんなにも紙でできたものを眺める機会などあるものかというくらいに、やつれ、疲れても、ページを繰る手の動きは止まらず一定でした。用を足す時などやむなく席をはずす場合の他、彼女は片時も本を手放しませんでした。勿論、今までたくさんの書物を一度に読む機会はありました。墓丘の上で出会った白光の天女たちの不可思議な言葉を調べようとした時に、またその前にも彼女が教員になろうとして歴史の勉学に励んでいた時に、限られた資料とはいえ役に立つものは片っ端から参照した時期がありました。ですが、都の大図書館を訪れた後の今の読み方は半ば異常で、貧しさに喘ぐ人間がいちどきに食べ物を与えられたように、彼女はがつがつと文字を貪っていました。頭の中に入ってくる文字の描き出す物語を、彼女はかつて聞いたもののように、つまりは昔話のように、鮮明に、想像ができました。文とは不思議なものだと彼女は思いました。それは、現在起きていることではないのに、一語一語が、ありえた過去を物語っているのです。

 ありえたもの、という過去の感覚を、彼女は持っていました。決してその場に自分が立っていたのではない過去に、彼女はあくまで想像で近づくことのできることだと考えていたのです。イアリオにとっての歴史とはそのようなものでした。それは、あの町の地下の探索に出掛ける前も、同じでした。大人たちの言うことが、どれほど脚色に染まっていても、本当のことと語られることとが違っても、ありえたことを彼女は信じられました。なぜなら、そうでなければ明瞭に空想することなどできないからです。はたして子供たちに語られる昔話は、本当に起きたことでしょうか?そうでなくとも、彼らは物語に親しみます。

 一方で、テオルドなどは、真に歴史を重んじました。彼にとって、歴史とは連綿と続く心のお化けでした。彼の町がもたらす伝統の束縛も、彼の女系の祖先がもたらす怖いお話も、どちらも彼には本当でした。両方とも、人の悪を含む昔語りであり、彼にとって、まことに痛々しいものでした。歴史は彼女のように想像で近づくものではなく、人の心が創り続けてきたものだったのです。しかしイアリオにとって、それは大事な食料のようなものでした。彼女はハルロスの日記も手に入れて、なおさらにそのように思いました。人間が生きるために、必要な、大切なもの。多くの物語はいったいこのようなものでした。何が昔話を子供たちに語るのかといえば、彼らの健康と成長を祈るためです。そして彼らの興味関心を呼び覚まし、世界に意識を開かせるためです。もしかしたらそれは、ひょっとしたら、イラ本人と彼女の子孫も同じ目的だったかもしれません。

 何も、昔話は健全無毒なものばかりではありません。大抵が微毒を持つものです。しかし、それならそれが語り継がれたという事実は、何を語っているのでしょうか。彼も彼女も、その本当のところを感じていました。人間の生業の中にある、確か過ぎる行動というものに。

 イアリオは、公から彼女にあてがわれた部屋で、本を読み進めていました。その部屋は国家の来賓がしばらく滞在する時に使われるものでしたが、小宮殿のほど近くにあり、建物は二階建てで、塔はなく四角く落ち着いた風情で、内庭と外庭がありました。宮殿や大図書館には窓枠にガラスが嵌められていて、それが反射する陽光が輝かしくて慣れぬ間はどうしても気になりましたが、彼女が泊まることとなった公館の外壁の窓はただ奥まっていてガラスが使われておらず、また装飾も最低限で華美ではなく、小気味のいい外観をしていました。それに外壁の色は肌色で、柔らかく日の光を反射し、オルドピスに来たばかりの外国人に都の街並みはやや目に刺激のあるものでしたが、その刺激から守られていました。部屋もまた簡素な色彩が基調で、彼女はほっとしました。コパ・デ・コパのような室内では落ち着くことができません。まして、先日泊まった小宮殿の部屋も、豪華な幕が壁に飾られ、調度品も触れるに憚るような意匠があって、居心地がよいとは言えませんでした。とはいえ、さすがに来賓用の部屋でしたから、凝った彫刻はなくとも調度類はぴかぴかに磨かれて、ベッドはふかふかで、布団は毎日天日に干して入れ替えてくれました。彼女は可能なかぎり、自分でできることは自分でしたいと思っていましたが、いざ長期滞在となるであろうここでの生活が始まれば、用意されたものはとても気配りが行き届いて、かつ過不足がありませんでした。イアリオはひたすらに、ここに来た使命を果たすべく動くことができたのです。それにふさわしい環境は、彼女の手で作り出されず、周りで整えられました。

 おかげで彼女は、何も思い煩うことなく、むさぼるように図書を読むことができました。彼女は体力の限界までそれを続けました。ありつく食事もろくに喉を通さぬほどで、ひたすら打ち込んでいたのです。心配したニクトがさすがにイアリオに忠告しました。

「お風呂にも入らないで、睡眠も十分に取らないで、このままやつれて死んでしまえば、私たちは非常に悲しむわ!それだけじゃない、わが国の沽券に関わってしまうもの、なんとかして、あなたを元の姿に戻して外出させることにするからね!」

 彼女の世話を言い付かったニクトは、イアリオがどんな人間かその様子を細かく観察しながら、彼女の姿勢には何も口を挟まぬつもりでしたが、ついに我慢がならなくなりました。大賢者トルムオの養子である少女は、始めからイアリオの世話役に決まっていたのではありませんでしたが、どうやら適任だと思われ、トルムオはこれを認めました。といっても少女を預かる身として、彼に葛藤がなかったわけではありません。トラエルという町から否応なしに飛び出した人間を、どのように扱うべきかはまことに慎重に討議されることでした。それはかの町に秘匿すべき埋蔵量の黄金が存在するだけではなく、オグという、とても人間には対峙できない怪物が、その悪の息吹で人々を破滅に導くことが分かっていたからです。彼女がどうしてその手先で決してないなどと判断ができるものでしょうか。

 彼女は籠の中でしばらく監視し続けねばならない対象でした。彼女を世話する者も、また活動を制限しなければなりませんでした。ニクトこそまだ養父の管理下にあり、行動を制限しやすい都合のいい人物でした。少女を彼女の使用人に当てることは異論なく、ただその親が或る覚悟を求められるだけでした。

「一体、イアリオの国では何日に休みの日があるの?」

 少女が訊きました。イアリオは書物に指のしおりを挟んで、顔を上げました。

「ここでは、何日ごとにあるの?」

「六日ごとだけど、あなたは、もう二回分の休みをふいにしているわ!」

 少女はかなり憤激していました。

「私の町でも同じだわ。ニクト、でもね、きちんと休まなくてはならないという決まり事はないよ。案外、人間の体って丈夫なんだから!」

 と言いながら、彼女は両肘を引き上げてみせましたが、思った以上に引き上がらなくて、自分でちょっと驚きました。

「そうは言ってもね、誰だって心配するよ。あなたはたった一人でこの国に来ていて、そうでなくたって一人の女性なんだから。いくら使者だからって無理はしていけないの!この意見は、私の我が儘に聞こえる?」

 イアリオは素直に首を振りました。

「でも…私の方が、我が儘かもしれないけれど、こんな風に考えるわ」

 彼女はニクトに応えながら、頭の中はずっと歴史でいっぱいでした。だから、少女に向けて言うのではなく、その歴史に言わされるようなことを言いました。

「本当は、自分の命なんてどうでもいいって。なぜなら、それだけの覚悟でここに来ているからね。私は生かされているのよ。そして、行かされた。自分で行った。色々な導きはあったけれど、結局は、ここに好き好んで来てしまったのは私だわ。

 何か、自分の前に巨大な壁があるの。私はそれを乗り越えようとしている。でも可能かどうか、わからない。一人で来てしまったことは、間違いだったかもしれない。そう思っているわ。ああ…何だか、情けない。早速反省かしら。目的の場所に来て、かねてやりたかったことを、今現実にできているのに」

 彼女にしてはこの言葉はしおらしいものでしたが、町を出て冒険に出掛けてから、いいえ、あの地下都市に潜る間、いなくなったテオルドを探しに行きながらピロットの背中を追うことになった少女時代にも、それは幾度も直面した感情でした。彼女は今、人間の隙間にいる感覚が、鋭敏になっていました。浮き上がってくる事実の過去の積み重ねと、下に沈み込むどうしようもない人間の心の現実との、隙間に彼女はいました。両者は分かれ、しかし、そのどちらにも自分は両足を掛けて立っていました。独り言のように彼女はそうしたことをニクトに呟きました。ニクトは心配そうに彼女の様子をうかがうばかりでした。

 ですが、そうは呟くもののさすがにイアリオも自分の体力の限界を感じました。腕は上がらなくなっていました。また、日の当たらない場所にばかりいることもよくないことだと思いました。従来、彼女は体を動かすことが好きでしたから、なおさらでした。彼女は、少しだけ休眠を摂り、食べ物も口に入れました。まだ日は高くなりかけでしたので、その日一日は休息することに決めて、イアリオはニクトに連れられていくことにしました。少女は、彼女を都から傍の、山の手に連れて行きました。都の周囲に聳える丘と比べても、その五倍ほどの高さの小山ですが、周りに同じくらいの高さのものが連なっていて、可愛らしいこぶの山脈を草原につくり出しているところでした。彼女たちはピクニックの準備をして行きました。弁当箱を提げて、イアリオの裸足と、ニクトのサンダルが、しゅっしゅっと、草を掻き分け小気味よく山肌を進んでいきました。真夏の空は、クリアに、太く短い草の絨毯に覆われた緑の斜面を照らす太陽の光を燦々と透過させていました。イアリオは歩きながら、この辺りにある植物を目に留めました。白い花と黒い花は、長い弁を四つに分けて共に同じ形に開き、ゆっくりと揺れながら頷いていました。所々に群生する細い幹の木立は、どうも可愛げがなく、どこか寂しそうでした。そして、たまに見かける小石と砂の混じった草の禿げた地面は、いかにも暑そうに蒸気を吹いているようでした。イアリオの町では夏でも海に近いので、長袖の襦袢ははずさなくとも過ごせましたが、ここではそうもいかない気がしました。都には部屋も街中も暑気払いの涼気に溢れて、激しく動かないかぎりは汗だくになることはなさそうでしたが、どうしようかと彼女は悩みました。ぽたぽたと汗が滴り、止まりません。

「イアリオ、暑そう」ニクトが歯をきらりとさせて言いました。少女は上下セパレートの、都の市民が着るような露出の高い服を着ていました。国賓の使用人たちは袖も裾も長い物を着ることになっていたのですが、彼女との最初の出会いがそもそも普通の衣装だったので、このままでいいとイアリオもオルドピス側も認証したのでした。「でも、その服は変えられないの?」

 ニクトはイアリオの長袖長裾の民族衣装を指差して言いました。イアリオは、この暑さに対処するならばこの国の人々のような衣服に、まるごと変えてしまった方がいいようにも思いました。でも、そうすれば自分はあの町の人間だということが遠くに離れていってしまいそうに思いました。今も、ただ腕まくりするだけでも、袖をちょっとだけ切ってみることも、まるで皮膚をめくるような痛みを自分は感じてしまいかねない気がしました。

「変えられないわ」イアリオは呟くように言いました。「いくら暑くてもね。なぜだかわからないけれど」

 小山のてっぺんに立つと、遮るもののない風が来て、幾分楽になりました。さわさわと空気が揺れて、イアリオのちりちりの鬢も、楽しげに膨らみました。少女の金髪ははたはたと広がって、蝶のようでした。ところで、彼女たちには護衛がついていました。二人が大図書館に行った時も、兵士が傍で監視していました。イアリオの処遇は、彼女がこの国に来てから首都を訪れた後も変わりませんでした。彼女は自由ではありませんでした。それは、オグの影響を受けたと思われる人間をこちらで野放しにするわけにはいかないからでしたが、彼女には、まだその理由を知らせていませんでした。

 オルドピスは、あらゆることを想定していました。彼らは非常に恐れていました。人の悪意の塊に、明らかに影響を受けた人間が、自らの、囲いの中から外へ出ることを、

 やむにやまれず選択したことを。

 クロウルダのハオスが、彼女について確かめられたことを、オルドピスは伺っていました。あのオグの中に自分の前世を持つ彼女が、何か、途方もない変化を求めていることを、人身御供となった彼の死後の魂は伝えてきました。塊となった悪が、自分の消滅を望んでいて、そのために非常に大勢の生者の意思を望んでいることも明らかにされました。いにしえの悪と彼女は、見るからに同期していました。彼女を野放しにするのは明らかに危険で、監禁か、さもなくば殺害することまで大国では討議されていたのです。

 しかしそこは、学術に重きを置く国家で、彼女を監視し観察し、またとない歴史の機会から学びを得る選択こそ結論を勝ち取りました。十二歳と年若いニクトを彼女の傍に置くことにしたのも、少女を含めて管理下に置き易いからでしたが、それにはもう一つ理由がありました。少女は、実はクロウルダでした。イアリオがトルムオの執務室で老賢者と相対している時に、ニクトはその裏庭で、その民族の長と遊んでいたのです。彼らにはオグと強く結び付く特殊な感覚がありましたが、それは決してオグに誘惑されてしまう心の弱さを増長したものではなく、あくまで悪の監視者となる祈祷師、神官たる潔斎(身を清らかにすること)につながるものでした。ニクトが彼女に懐いたのはたまたまで、少女の他に使用人候補はいたのですが、かえってまたとない人選の流れとなったのでした。

 ですが、あいにく彼女から重大に思われる影響を受けてしまった、可哀そうな人間が一人いました。すかさず、オルドピスは彼女を一目見ただけでたちまち恋(わずら)いに陥ることとなった青年を、監視下に置き検証を始めました。

 野山の上で、イアリオたちは弁当を広げました。木枠の箱に丁寧に盛り付けられたトマトサラダと、干しブドウ入りの柔らかいパンは、とてもおいしくて笑顔が漏れました。イアリオは、眼下に細い川の支流があるのを見つけました。食事が済むとそこへ行って、二人は兵士の視線も感じながら、思い切りよく遊びました。イアリオは、川の縁に石で囲いを作って、その中に魚を追い込み、素早く生簀(いけす)をつくってみせました。

「これで手づかみでも獲れるわ。ほら!」

 そう言って、一番大きくて生きのいい魚を、両手で掴んでみせました。ニクトはあっけにとられて見ていました。川に浸かったイアリオは、人魚のように輝いて見えました。

 決して見目の悪くないイアリオは、まだ乙女でした。その感性はいまだに少女のものを残していました。今、彼女は自分の町にいませんでした。たった一人でこんな場所にまで来ていたのでした。三百年間堅持された、恐怖と怯えから出来上がった囲いを脱して、そのはるか彼方の空の真下で水面(みなも)にはしゃぎました。

 大人になった彼女は、想い人だったピロットを地下にて再び発見したものの、いささかも彼を失った時から変化していない部分がありました。あの十二歳のときから。ニクトとイアリオは獲った魚を調味料なしで焼いて食べました。魚はその身をぷりっとさせて、ほのかな青臭さを口いっぱいにさせて、少女と少女のようなイアリオを、満足させました。


 その翌日でした。ニクトがイアリオの部屋を訪ねると、彼女は裸で、裸身を光に晒していました。それは本当に綺麗な体でした。お尻のわずかに下ったところに染みがありました。肩甲骨がやや高めでしょうか。背中は少し肉厚で、首は長く、太めでした。裸はどこか崩れていれば、醜く見えてしまうものですが、その崩れが、ニクトの目にはかえって見たこともない美しさに変わっていました。彼女は振り返り、ニクトに笑ってみせました。

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