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破滅の町 (分割版)  作者: keisenyo
第二部 後
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第十七章 大図書館にて 1.菊と輪奐(りんかん)

 オルドピスには、三つの大図書館があります。彼らは(例外はありますが)各地の町に必ず図書館を置いて、その知育管理を徹底していました。芸術、建築、水道整備など彼らの持ち合わせる技術は「知識」と等号で結ばれています。と言っても、知識とは何かと問えば、それに答えるのは難しいことです。それは言語化され本にもなるでしょう。それは共有されるものであり、客観的に所有することのできるものです。しかし伝えなければならない技術の中には、頭の中で、ただ単純に言葉を繰り返すだけでは受け継がれないものもあります。彼らはそういうものも含めて「知識」と言っていました。例えば漁業の技とか、農業の技とか、教育や、生活における時間管理、人間同士の付き合い方、課題の提案の仕方などを。身体と心の統合、対象をリスペクトすること、そして、自分自身が自然の中に(人間の間に)生まれ育っていることの感覚をすら。

 彼らは円滑な国政を敷くために多大な努力を払ってきました。それは、国民のひとりびとりが己の知育を心がけて始めて成ることのできる理想でした。イアリオの町でも、そうした献身が三百年もの間、とりあえずの平穏をそこに保ち続けてきたわけですが、彼女の町では、平穏のわけは呪縛にありました。すなわち、彼女の町における「知識」は全部そのためにあるものでした。この国でも、やはり、「知識」は国と個人を保存するための、生き抜くためのすべでした。

 一人の人間の命とは(あるいは一国の国の命運は)はかないもので、その運命を左右するのはおよそたった一つの何ものかの力によるように、見えることがあります。しかしそのように見えたとしても、実際は、あらゆる物事が、関わっているのです。かたくなにその命を守ろうとすれば、澱みやいびつさはおのずから見えやすくなるでしょう。命は人間の認識がどのようにできるものではないのですから。認識は、どうしても後追いになります。そこから何か知恵が現れたとしても、なかんずくあるのはその知恵をどう生かすか、どう利用するかという人間の主体の態度なのです。そのようにして蓄積された知識を、人は、あやかる神のように崇めてしまうことはどうしてもあるのでしょう。そうした「知識」そのものを追ってみられる、オルドピスの国家運営の姿勢は、周辺国から称賛されるものにしても、傲慢に感じられるのもやむないものがありました。

 かの国が、トラエルという町を、本当はどうしようとしていたか、イアリオはその真実を知った後、彼らが語る(騙る)知識の本質に、悪が同伴していたことを否応にも理解しました。


 大図書館には世界に類を見ない数の書物がありました。三つあるその建物は三階建てで、その下にも幾層にも渡る地下階が広がっていました。大図書館はそれぞれに特徴的な外観を持っていました。それは丸と、直線と、対称性とを基調としたものでした。イアリオが初めて訪れた大図書館は、名前をシフルドといって、その特徴は丸でした。つまり、外装も、内装も、丸い形で統一されていたのです。曲線がうねうねと連なるそこは、まるで海の中を覗いているようでした。彼女は海に潜ったことはありませんでしたが、地上のいかなるものにも喩えられないその曲線の流れは、神秘性を湛えて、未知なる音楽が聞こえてくるようでした。奇妙で面白く、でも何のメッセージも受け取らない、飽きの来ないデザインでした。

 イアリオはそこに、先日極めて率直な出会いを果たしたあの女の子を連れて来ていました。付き添いの少女はヒスバル=トルムオといって、あの大賢者の養子でした。ですが、少女は、自分のことをニクトと呼ぶように言いました。ニクトとは、ヤグルマギクのことで、彼女が養子として迎え入れられる時、両親からトルムオに宛てて添えられた花でした。その意味は、花は車の車輪によく似ていましたから、優秀だった彼女がその背中に人々を乗せても運べるような、国の奉仕者になってもらいたいと願われたものでした。しかし彼女の本名のヒスバルもまた別の花の名前でした。こちらはなよなよとした女性らしい、ピンクの花弁を垂らす美しい花でしたが、少女のヒスバルにとってまだ遠い将来に夢描く他のない、曖昧な自分像でした。彼女は「ニクト」の方を好んでいました。渾名と知りながら、でももう一つの自分の名前のように、彼女は彼女をそう呼んでもらっていました。頭のいい聡明な彼女は人の言うことをよく見聞きし分かり、自分のことを、その名の花のごとくオルドピスの何を担うべきかを知り行く轍の上にいるものだという、将来を描いて疑いませんでした。

 しかし彼女は、今はまだ、どんな花にもなりえるまだまだどことなくあどけないつぼみでした。「ニクト」にしろ「ヒスバル」にしろ、その花が少女の中に融け込んで、本物の一輪になるにはもっと時間がかかることでしたが、そうなるに十分な頭脳と美貌の予兆は、すでに多分に見られました。彼女は努力を惜しみませんでした。人に、誰しもに夢や希望を与えられるような、前向きな力動が健気な彼女からは溢れていました。彼女を見ると、いかに自分そのものが咲き誇る可能性を探り、信じているかが分かるのです。

 イアリオはたちまちこの少女が大事になりました。彼女を寝室に案内したニクトは、彼女の身の回りの世話をこまごまと担ってくれることにもなりました。ニクトは、外交の心得もあったのです。彼女の世話をする以前にも、小間使いのように賓客をもてなす経験をしていました。その時は少女自身から、やらせてほしいと賢人たちに頼んだ経緯があったのですが、今回は偶然なイアリオとの出会いもあったとはいえ、すんなりと彼女の世話を任されました。ニクトは彼女に懐きました。彼女は大図書館への案内を、少女に依頼しました。

 大図書館シフルドは丸屋根を三つも連ねて堂々と来客を歓迎しました。その入り口は四方にありました。来場者は円形にくり抜かれた扉を入り、中を覗くと、まず中央に立つ巨大な柱とその周りにせわしく動き回る影の人々を目にします。そして一階にある本棚もすべてが円柱形か、外壁に沿った弧状でした。光は天井の採光窓とガラスの壁窓とから採り入れているのですが、本棚の上と内壁とに角度を変えられる鏡があり、室内に満遍なく光が届くように、鏡面の角度を一時間置きに調節していました。しかし、それでも建物の中ごろはあまり採光が届かなくて、それで大柱の周囲のここの役人…つまりは司書たちを影法師にしてしまっているのです。そこは本の貸し出しのカウンターになっていて、一階と二階に備えられていました。二階より一階の方が幅広く、柱に沿うように木製の机が来客のために弧を描きました。上に昇る石階段はその机の間に挟まれて、人々はその階段を足しげく昇り降りしていました。なぜなら、上も下も人がいっぱいだったからです。そこはオルドピスの国中からだけでなく、世界中からも人がやって来るのです。

 イアリオは目を白黒させて、呆然とその様子を見つめました。コパ・デ・コパも都の城下も、人間がたくさん行き交っていましたが、ここほどに密集している場所は見たことがありません。人いきれが入り口にいるだけで迫ってきました。彼女はニクトに手を引かれました。そして人ごみの中、上のカウンターにまっすぐに連れて行かれました。ところで、オルドピスの本の貸し出しにはイアリオの町同様厳粛なルールがありました。ここではトラエルの町と違って、紙は十分な供給ができ、少なくとも一般民が入れる所の書架から本を自由に取って読んでもいいのですが、外へ持ち出す時には、審査に合格した証明書をカウンターに持って届出をせねばなりません。審査とは、国が行う書籍の取り扱いについての法律のテストです。

 一般書架にたくさん並ぶ本は、勿論コピー本ですが、原本こそ地下に重々に管理されていました。複写師は、この国でちょっとした尊敬を抱かれる役職でした。図書館の司書は国の役人と同じ衣冠で、これもまた、人気のある職業でしたが、それはどの国でもどの時代でも同様だったでしょう。書物とは彼らの礼賛する知識の集合体であり、本を管理するということは、つまりは彼らの生きるすべの管理者でもあるのです。新しい知恵を生み出すのも重要なことですが、もしかしたらそれ以上の価値の重きをそこに置いているかもしれませんでした。

 シフルドに取り込まれる光は淡く、建物内部の喉下を黄色く染めていました。もしかしたら屋外より多種多様な人々が、そこには密集していました。イアリオはどのように人を避けていったら上階の大柱に辿り着けるのかまるで分かりませんでしたが、ニクトの手引きのままに通って行けば、比較的直線を楽に歩けました。そして、弧を描く木机の前にやって来ました。

「フィマ、フィマ!」

 少女の呼び掛けに、カウンターの向こうで返却本を片付けている最中の青年が、振り向きました。青年は痩せ型で背は高く、女性にもてそうな緩やかな空気と表情を持っていました。このような優男のタイプの人間を、イアリオは初めて見ました。トスクレアのような美男偉丈夫ではありませんが、それでも間違いなく異性に好意を持たれるだろう背格好と雰囲気は、彼女の町にいる強引な女垂らし共には一度も見かけないものでした。

 彼もニクトのように、トルムオと養子縁組をしていました。それだけ有望で将来性豊かな秀才だと見込まれていたのです。

「ニクト!ああ、そちらが予約の入っていたお客さんだね。今行くから、待っていて!」

 彼の声は優しく甘い匂いがして、思わず振り向く香りが立ちました。ニクトはにこにこして彼を待ちました。それは、イアリオを案内して来たというよりも、彼に会いに来たと言った方が正確に思える所作でした。

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