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破滅の町 (分割版)  作者: keisenyo
第二部 後
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第十六章 学術都市 2.噴水の前で

 都市は、その色合いが金銀に輝いて見えました。光の粉が、散っているように感じられました。それは街の活気が提供してくれるからでしょう。絶え間のない子供たちの笑顔と声がそうさせるのでしょう。まるでこここそが世界の中心で…本当にここから光の帯が、四方に走っているようにも思われます。イアリオはこれまでコパ・デ・コパ以外にもオルドピスの市を、町の隅の方とはいえ回ってきましたが、これほど人間が活躍している様を見るのは初めてでした。建物よりも人が見えます。勿論、建築物も綺麗で外観はとてもさっぱりして、旅行者を楽しませる仕掛けもちらほらと窺えますが、田舎もののイアリオが出てきて、最も驚いたのが人の多さなのでした。彼らの街は、深い黄色を基調としていました。素朴なレンガの色をそのままにして、その凹凸で、建物に変化を与えていました。パステル画風の壁に見えたのは、実はレンガ一色一色を巧みに変化させて組み上げたまこと芸術の壁面でした。イアリオはそれを絵だと思い込んだので、トスクレアに尋ねると、彼は丁寧に解説してくれました。

「よく見てください。一つ一つの色がしっかり四角いでしょう?我々は絵画をこのように表すことができます。この芸術はまだ我々の国にしか存在していないようですね」

 彼はにこやかに答えました。ついでにイアリオはもう一つ訊いてみました。

「オルドピスは学問の国と聞いてますが、絵や彫刻も盛んなのですか」

 イアリオの脳裏にはハリトの兄弟、シダ=ハリトが浮かびました。ついでに、彼の取り憑かれたような朦朧とした表情も思い出しました。

「そうではありません。盛んなのは学問であって、絵や彫刻なのではありません。絵や彫刻は、この国においては学問の矢の先に当たるものなのです。ですから知の産物だといえるのです」

「そうですか」

 イアリオはわかったようなわからないような返事を返しました。二人は馬車から下りて、都道を連れ立って歩きました。これはイアリオがねだったからですが、婦人の安全を一番に期しているトスクレアは渋々彼女に従ってくれました。彼女は一応、ここで人ごみにまぎれて逃走するイメージを持ってみようと道に降りたのです。鎧をがちゃがちゃさせながらでしたが、彼らはメインストリートを離れ、ショーウィンドウと木陰の散歩道を回りました。トスクレアは店先に並ばれている色々な品物を紹介してくれました。イアリオは興味深く話を聴きました。オルドピスの国内の地域やその他の国がどのような名前でどのような並びになっているのか、彼女の町では子供の頃の授業では学びませんでしたが、歴史教師となった彼女はおおまかにですがある程度は知っていました。そのおかげで、地方の経済も取り仕切る上官トスクレアの造形の深い流通の話も、彼女はついていくことができたのでした。やがて二人は噴水を正面にした石のベンチに腰掛けました。噴水は彼女の町にはないものでしたが、レーゼがこれを将来造ろうと夢見ていたように、町の書庫にある本には載っていて閲覧することができました。そして、なぜ、彼があんなにもその夢に情熱を持つことになったかは、実際に本物を目にしてよくわかりました。勿論、彼は本物は見ていないのですが。ちらちらと降る空中の水飛沫は、亜熱帯の暑気をかき散らし、なおかつ清涼とともに心の落ち着きをもくれました。彼女は深く座席に座り、頭の中をその涼しさでいっぱいにしました。そして、前かがみになって銀の甲冑のトスクレアを斜め上に見上げました。すると、銀色に輝く彼の胸当てが、丁度トスクレアの顎の先に重なるように光って、彼の顔を誰かとだぶらせました。青い目は、その時茶がかった灰色に、整った顔立ちは、真四角になったようでした。彼女はレーゼの顔を思い出したのですが、瞬けば、そこには美貌の騎士が再び現れました。

 思えばイアリオにとっては、今この場所にいることは、故郷より何倍も幻想に近しい体験でした。町から出てくることは禁忌でしたから。しかし、その幻と現実は逆転したようでした。彼女は戦慄をどことなく覚えました。トスクレアの言葉は、まったく噴水の飛沫のように耳にちらちらと心地よく入り、それこそ幻か現実か、曖昧なものに聞かせました。そして、受身である彼女の耳にはその言葉がいやに攻撃的に聞こえることもありました。

「ここに来る品物は、決して世界中から手に入れたものではありません。ここは大きな都市ですが、大きな見本市ではないのですから。ですが、勿論物珍しい高級品はあります。数々の国が、我々に好意を寄せているのです。それは実際に売られています。買うことができるのです。交易は果てしなく学問の翼を諸外国に届けてくれます。向こうの国の文化がこちらに紹介されればされるほど、私たちの国の学びの成果があちらに届くことは紛れもないでしょう。ショーウィンドウに飾られている品々は、我々と向こうの国々との握手の交換の結晶なのですよ」

 イアリオは彼の言葉の端々に、彼の国がいかに優れた知性を具え魅力的かを伝えようとする意図が含まれていることに気付きました。彼の自国の紹介の仕方は、彼女の聞いたかぎりでは、森の民のそれととてもよく似ていました。森に住む人々と都の住人たちは、ほとんど同じ顔つきと体つきでした。肌の色は濃淡があり様々でしたが、頑強で肉付きがよく、芯の入ったような硬さの黒髪に、丸顔で、脚太でした。都の住人のなかにはトスクレアのように金髪の者や、様々な体型の人間がちらほらいましたが、彼女の町からすれば住人の服装はどちらも原色に溢れていました。両者は考え方も似ていて当然だったのでしょうか。森の民はずっとオルドピスを嫌っている感じでしたが。イアリオは、彼の手を見ました。篭手からすっと伸びた手の平は、長くて、どきりとするほど大きく思えました。

「でもこんな笑い話もあります。昔はもっと自由にあちこちで商売ができたのです。今は制限してなるべく富を均一に保とうとして、工夫をしていますが。一つの建物が、世界中の品々を売り出したとして大々的に広報したのです。そこにはまさに全世界から集めた価値ある物が、勢揃いしていました。ところが都の人々は一個もこの店から品物を買いませんでした。買うのが勿体なかったのです。だってそうでしょう、折角きれいに陳列してある物品を眺めているだけで我々は満足なのに、そこから少々の数だけ拝借して我が物にするなんて!惜しい気がしてならなかったのです。商売の国ではこうした考え方は決して理解されないものらしいですが、だとすれば、その建物の持ち主は我が国民性をよくよく理解せずにいたわけです。そこで、お店はそのまま博物館になってしまいました。店主もそのまま学者になってしまいました、とさ」

 彼の語り口調に乗せられたのもありますが、イアリオは思わずくすり、と笑いました。その時、何羽かの白い鳩が、彼女たちの足元に降り立ちました。

「白鳩は、平和の象徴だとされていることをご存知ですか。それは、彼らの真っ白な羽にはいかな翳りも見られないからです。戦は日常の翳りです。オルドピスは、その名の通り、秩序と平和を共に成り立たせていく覚悟の、国名です。しかしご存知ですか?鳩たちは現在のような白無垢の翼を手に入れるために、厖大な時間をかけてきたのです。昔は灰色だったり黒だったり、他の色が混ざっていたのです。すなわち、平和とはそれ以外のものを克服して、初めて掴めるものだということを、白鳩は示すのです」

 彼は夢を見ているように言いました。少なくとも彼女にはそう聞こえましたが、彼は文字通りには決して言ってはいなかったでしょう。ちなみにキリスト教世界で白鳩が平和の象徴とされるのは、聖書において大洪水時にノアが箱舟から放った鳩が、大地から水が引いてきたことを示すオリーブの枝を嘴に挟んで戻ってきたことに由来します。オルドピス諸国においては丸ごとそれと同じ伝説はありませんが、実はよく似た話が伝わっていました。

「ああ、私の話が長く過ぎましたね…え、そうではなかった?では、もう少し話を続けてもいいでしょうか。今からおよそ三百年前、この国はその芽を開きました。というのは、元々、複数の小国家がこの一帯を支配していたのですが、各々が結託することで、それぞれの力を大きくしようとしたのです。この国の名前は最初から決まっていました。理念が先行したのです。彼らはきっと、いがみ合う理由がすでに存在するような同盟を組んでは何も役に立たなくなることを知っていたのですね。お互いの利益不利益を優先させる条約では、仕方なく結ぶようなもので、すぐに破棄される可能性を含んでいますから。彼らはしっかりと考えたのです。彼らは国のトップたちですが、彼らのために国はあるのか。そうではなく、もし彼らが逆に国民のためにあるのなら、何といっても平和が望まれるのだと。平和、とは何か。それは人民の人民による政治だった。人々は政治に何を願うか。それは隣国との争いのない平坦な社会なのです。誰も争い事を好まない。少なくとも、我々の土地では」

 話を続けたトスクレアは、意外にも少しだけ疲れ切った表情を見せました。イアリオはその顔にはっと気付いたのですが、彼は彼女の方を見て、笑い掛けました。

「いけない、私としたことが。ああ、あなたは、人の話を聞くのが上手な方のようですね?私の話が、どこかあなたの中に染み透っていくようだ。何でも話せる、そうした気分になってしまっています。あなたは客賓、私は案内役なのに。今、私が疲労した表情を浮かべたのを、間違いなくあなたは発見された。でもまだ話足りない、そう思ってしまう。…騒動はけしてなくなるものではないのです。平安の維持も、これ以上むつかしいことはない。まだまだ新しいものの考え方なのです。諸外国はいまだ戦うことによって勝ち取る利益を重視しているのです。市井の間でも。だから、我が国は国名にこの名を選んだのですが。私たちはいつも新しい事件にまみえます。試行錯誤の繰り返しなのです。私たちは平和の維持に学問を据えた。試行錯誤こそがこの理念を推進していく力になるのだと確信しているからです。記憶と、記録と、その反省とが、きっと人々を正しい方向に変えていく、と。だから、我々は我が国に誇りを持っているのです。ああ、これが一番言いたいことだった」

 彼は、一息ついて、相手の目を見つめました。彼は一生懸命に話してしまいました。自分の意見を彼女にどこまで聞き入れてもらえたのか、そうして確かめようとしました。しかし、相手の目の中は曇って見えました。たゆたう霧ばかりが漂っているようでした。トスクレアには彼女の意思が量り兼ねました。ですが、彼女の故郷でもそうだったように、イアリオの目の前だと、誰もがまったく一人の個人に戻ってしまうところがありました。シオン=ハリトもそうでしたし、十五人の仲間だったアツタオロも、ピロットも、彼女に真正面から受け止められ、彼らの姿をそのまま彼らに返すような、姿見の鏡のように話を聴かれてしまうのです。そして彼らは、跳ね返された自分の心を見つめたのです。

 トスクレアは、まるで剣閃のように様々に彼の思うことをその女性にぶつけていました。彼女の案内役のはずが、彼女をまるで相談役にしていました。彼は自分の話を中止し、役割が自分と相手とで逆になってしまったことを、しまったと思いました。彼は少し萎縮しました。そして、本来の役目に戻ろうとしました。彼は目の前の女性をぶれない心で見つめようとしました。

 彼からじっと目を離さないで、彼を見ているのは、誰でしょうか。彼はこの女性の正体を知っており、その背中に背負っている宿命も諒解していました。名前も、身の上も知っていました。しかしその女性は誰でしょう。いざ面と向き合った時に、彼にはそれがわかりませんでした。目の前の女性はただただ美しい女性でした。ほつれた髪が顔にかかる、静粛な、しかし威厳のある、もしかしたら自分など太刀打ちできないかもしれないと思わせる。ふと、彼はその人の瞳に映る、彼自身の像が明るくなって見えました。翳りが薄くなり、白い明光の中にいました。いかにも、この晴天の空の下、陽の下に、屈託なく。彼は笑いました。

「どうやらわかってくれたようですね」

 イアリオは彼に微笑みを返しました。疑いが晴れたような彼の笑顔が、逆に彼女をほっとさせたのでした。二人は互いを見つめ続けました。「あなたといると…」トスクレアが、小さな声で囁きました。

「私そのものが暴かれてしまう気がする。

 あなたの町について、私は様々に聞き及んでいます。かの町と我々が長の年月交流を続けて、あなた方に危機が及ぶ時、我々が助けなければならないということは承知しています。どうか安心なさってください。今にも咲き誇ろうとしている小さき花を、ここで摘み取ってしまうわけにはいきませんから」

 彼は、現在彼女のトラエルの町が危機的状況に遭っていると聞いていました。それがどのような状況かは知りませんでしたが、とにかく町から出てきた者は、使者として丁重にもてなせと命令を受けていました。また彼らが逃げ出すような素振りを見せた場合は、強制的に保護せよとも言い渡されていました。彼はその事情を推測するしかありませんでしたが、三百年に及ぶかの町のあらましは心得ていました。しかし、その知識の中にオグはいませんでした。彼は、きっと町はその小さな保護区から解放される時期が訪れたのだろうと考えていました。その上で、その台詞となったのですが、

 すっかり彼はイアリオに惚れる心を感じていました。だから、そう言ったのでした。彼には彼女の年齢が少しも判りませんでした。少女のようでもあり、自分よりもずっと年上にも感ぜられました。失礼にならないような言い方を彼は用いました。それでも言い足りない言葉があるように、彼は感じました。

「しかし、なぜあなたが…使者なのでしょうか。いいえ、私が詮索していいことでは決してありませんね。どうか、ご無礼をお許しください」

「いえ、そんな…」

「あなたは不思議な人だ。初めて訪れる国にいながら堂々としている。肝が据わっている。だから使者にも選ばれたのでしょう。

 あなたといると、こちらが試されている気がする。どうしてか…やはり、大変な情報をあなたはこちらにもたらしに来てくれたのだと、疑いえません。実際大変なのはあなたの国なのでしょう?それなのに、萎縮してしまうのはどうやらこちら側です。我々にできることは、何でもいたします。そのように約束しているからです。危難はできるだけ遠ざけ、あなたの町を、守り通すことを誓います」

 騎士は、こうべを垂れました。イアリオはどうしていいかわかりませんでした。彼女の町の何についてが、彼や彼らに伝わっているか、とても推測できなかったからです。彼女は使者ではないのです。町も、危機的な状態にあるには違いないのでしょうが、彼の言うほど現実に差し迫ったものだとは、個人的な推量的な恐れが彼女にあるにしろまだ思ってもみませんでした。彼女にわかることは焦燥だけなのです。

 戸惑いこそ、一々と彼女の手にあるようでした。そして、オグと同化したテオルドが、人を惑わす者の立場を取っているなら、イアリオは、その惑わしに気が付く者でした。テオルドが、あちらのふるさとで人々を混乱の期に陥れている最中に、彼女はその混乱の根本をその足で辿ることを行っているのです。

 騎士は、石のベンチの裏側に据えられた花壇にある、青紫に可憐に咲く手の平ほどの大きさの花を摘み取って、彼女に渡しました。「この花が、あなたの身代わりになるように。あなたはこの花のように、近く大地に咲き誇る」

 トスクレアはその花に自国の意志を託しました。彼はもうすでに彼女という人間を輩出した、その目には見ぬ小国に尊敬の念を抱きました。そして、その小国こそ、自国のようにあらゆる国々から認められるよう、くびきから解き放たれるならばなおいいと思ったのでした。

 イアリオは胸がいっぱいになりました。彼の言葉は彼女の町まで含んだものとは気づかなくても、そうであればいいと思いました。咲くことのまだない花は、蕾の状態でした。彼女は二十五歳でした。しかし、彼女がいつしか背負ってしまった重荷が、花弁をいまだ開かせない固い芽ぐみの状態をつくっていたのだとしたら、それが開花するのは、今の後でした。開花とは未来でした。その将来から、逆に、道は延ばされているのです。そして、その道は、あちらからもこちらからも延ばされているようです。未来と今は互いに手を伸ばし合っているのでしょう。彩り豊かに、音楽を奏でるように…否定しがたいものは、ただ、自分の来し方でした。黄金のように変え難いものは、過去でした。蕾は花開きます。自然に。だから人は生きられるのでしょう。

 弦楽器が重い音を奏でます。過去が無ければ、未来は望めぬという。

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