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破滅の町 (分割版)  作者: keisenyo
第二部 後
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第十六章 学術都市 1.惑いと解放

 惑わす者が、そこにいました。彼は、テオルドという名前でした。

 彼は、ある一つの計略を目論んでいました。それは、かの町を壊すことに違いありませんでしたが、それだけでなく、彼の故郷の人々を真に自由にしてあげることでした。彼は、今も地下に居続けているいにしえの怨念であるイラの直系の子孫でしたが、彼の目的は彼女のそれとは違うものでした。遠い先祖は破滅を望んでいました。しかし、彼は生きている人間の代表でもありました。彼は、もともと偉丈夫ではありません。もやしっ子で、体を動かすのは不得手です。そんな彼が、このような壮大な計画を立てられたのは、誰よりも一番本を読んでいるからでしょうか。空想が、現実を動かそうとしているからでしょうか。いいえ、彼の素肌は敏感で、人の考えを通してしまうからです。彼は町中の人間の考えることがわかりました。

 それは彼に魔物が宿る前からでした。そして、その体にオグが宿ったために、それはもっともっと可能なことになりました。彼は人の思考に潜む悪魔の様子を見ていました。自由になりたい!そう望む、人々の本当の願望をよくわかっていたのです。誰も、本当は黄金を守り続けようとは思っていないのです。そうしなければならないことは理解しても、奇妙な熱にあてられ続けて集団心理に自己を投げ入れていても、伝統と習慣に埋没しても、変えてはならない、あるいは変えようがない黄金は、すべて守られるべき正しい場所に存在しているはずでした。そこは、地下の暗闇ではありませんでした。そこは、人間の各々の記憶の中に、悲痛な感情の向けるべき先にあるはずでした。彼らはそれを克服していませんでした。地面を蓋で閉じることは、目を背け、あるべき場所にないものを、いたずらに、封印してしまうことでした。

 人々はこう感じているはずでした。僕たちは、私たちは、このようにして生きていたかっただろうか。いいや違う。はじめから望んでいたのは、死人とともに生きることではなく、どのように生きるべきかを、自分で決めることだ、と。三百年もの間、滅びが人々の中で舞い続けました。十五人の子供たちがあの暗闇に入ってから、町は、とうとうふるさとをどのように捉えて彼ら自身がどのように生きるべきか、よくよく考える必要のある時代に来ていました。

 しかし、決してあの町の多数の人間がこのようなことを意識したのではありません。全体の意識が変化するなど大きな出来事が起きてからなのです。それはまだ、テオルドが掘り起こした、そしてまたイアリオも掘り出そうとした、一つのニーズにすぎなかったといえるでしょう。

 ところが、そこにはオグという魔物がいました。オグは、今にも自分の全存在を、終末にかけてしまおうとしていました。彼はその重たい身体にこれ以上人々の暗黒の意識を宿せなくなったのです。悪を繰り返してきたその身体は、はじめから自分は何を望んできたのか次第に明確にわかり始めていたのです。しかし、オグは人間の悪の意識で、その中に自我はありませんでした。オグは、その集合全体でした。つまり、彼が望んだということは…彼が、それに気付いたということは…その中に閉じ込められた、あまたの人間の一つ一つの意識が、そう思い始めたということでした。

 テオルドは、人間の体を持ち、オグの精神を所持していました。彼はこれ以上我慢のならない段階にきていました。彼の元々の体もオグのようでしたが、一人の人間の悪意をだけただ実現させるために、産み落とされたのかというと、そんなはずがありませんでした。イラからの代の、すべての母体は、彼の内部に結集される形で宿っています。ひとりびとりの諦念と恨みと果てしない怒りと憎しみが、そのひとりひとりの中で解放されるのを望んだのではなく、彼の肉体でこそ滅びるのを待っていたのです。彼は、痛々しい肉体を持っていました。ですから、なんとしても、彼の代で終わらせるしかなかったのでした。テオルドの顔が見えるでしょうか?想像力が溢れるも、その空想の力は世界を嫌なものに溢れ返させていました。その目の色は暗く、どんよりとしていますが、その目は何よりも過去を語ります。彼の体に怨念が刻まれたのだという、途方もない烙印です。しかし彼の暗い情念は、ヤーガットの弟ハムザスや、シオン=ハリトの兄シダ=ハリトなどの暗黒の心を焚きつけるも、一方で、ルイーズ=イアリオをいささかとも焦がすことはありませんでした。

 彼にとって、彼女は未知でした。彼にとって、彼女は他の町人と同じ人格の持ち主ではなかったのです。彼は彼女をコントロールできませんでした。けれど、テオルドにはなんとなくイアリオが何を考えどんなことを起こそうとしているか、わかる気がしました。その時はまだ彼は気がついていませんでした。自分はイアリオと同一の機軸上の、しかしそれぞれの道を歩いていたのだと。彼と彼女では、歩みが異なりましたが、いざ向き合っている実情は、まったく同一なのでした。


 オルドピスの首都デラスの北側には、一本の大河が流れていました。あのコパ・デ・コパを通過していった川面の水は、この川にも流れていました。ですが、首都はその岸辺から、何キロか南へ離れたところに建てられていました。首都と大河は太い道路でつながれ、道と河の交わる所には集落が砦のように堅牢な要塞を築き上げていました。デラスは四方の丘から臨める低地にありました。一見この地勢は他国から攻め込まれやすく、防御がまったく機能しないように見えました。四方の丘や周囲の山々に砦が建っているものの、実際都まで敵の侵入を許したことはこれまで何度もありました。それでもこのように眼下に広がる壮麗な都の姿を、この国を訪れたいかなる人々にも見せつける必要がありました。

 その国がどんな理念と威容を兼ね揃えているかを、都の形は見せていました。それは書物という知の集積を国の柱に据えている、学問の国の矜持そのものでした。彼らの武は、言い換えれば知恵でした。この都市は、攻め込まれた時の備えを用意するものではなく、彼らの国家運営こそ物語り、軍事国家ではなく外交をこそ重んじる国であることを示していたのです。しかしいざ攻められても中央の三つの大図書館は固い守備を誇る要塞へと変じ、何ヶ月も持ち堪えることができました。その間、得意の外交が力を発揮し、彼らの知の恩恵に与っている国々が、援軍を寄越すのを待つことができました。

 彼らの知の技を、求めない国などありませんでした。それは独占も望まれましたが、他国がそれを許しませんでした。彼らのうまい手練手管もあったものですが、降りかかった火の粉は度々すさまじい数の援軍が巻き起こす猛風で消すことができたのでした。しかし、誰も、その国家運営を、傲然そのものだと疑う者はいませんでした。

 イアリオは、自分を情けなく思っていました。丘を下り、いよいよ宏大な網の目の地上都市に入ろうと大門に向かっているさなかに、鳥籠の中にいる自身を思って、決意しか固めることができないことに苛立ちを覚えたのです。彼女は彼女の意志でここに来ようとして来ましたが、思いがけず向こうから手を差し伸べられました。そのことに、戸惑っていることもありました。途中からこうして自分の足を使わずに目的地へ到達してしまい、何ともいえない恥ずかしさも感じたのです。

 しかし彼女の皮膚は、まったくあらゆる感覚に吹きさらされていました。その状態は今やオグと同化したテオルドとほとんど同じでした。彼らの予感はある方向を指し示し、事態は一刻一刻それに近づいていることをよくよく知っていました。彼女は何より答えを欲しました。その予感の行く末を、誰よりも詳しく知りたくてここまで町から飛び出してきたのです。ところが、なんということか、ゆっくり、ゆっくり、彼女を乗せた馬車は彼女に壮麗な街並みをたっぷり見せつけるようにして進んでいきました。それもそのはず、オルドピスの首長は遊行を終え明日都に到着ということなので、それに合わせて、イアリオの馬車は進んでいたのです。彼女は首長に会うなどどうでもいいことだと考えていました。勿論嘘をつき続けるためには通り抜けなければならない関門だと捉えていましたが、そのために何をするのかは、具体的な準備をまったくしませんでした。彼女は度胸とはったりだけで乗り切ってやろうと心に決めてしまったのです。彼女の側にはトスクレアが付き添っていました。彼はコパ・デ・コパからずっと連れ添い、何とか賓客をもてなそうとして、いろいろと工夫をしてくれていました。車に乗ったままでも気が滅入るからと、都に来るまでもたびたび外に連れ出し、彼女が脱出できないくらい厳格な守りの陣を兵士たちで敷きながらでしたが、水浴びやピクニックなどを供してくれたのでした。イアリオも美貌の男性が側にいれば悪い気はしません。コパ・デ・コパから出て四日後に、彼が妻子持ちであると聞いてしまって、ときめきは多少減ってしまいましたが、悦びは一向に消えませんでした。イアリオは年上の男性にこれほど私心をかき乱されたことがありませんでした。まるで少女に戻ってしまったような、幼い気持ちがどうしても先行してしまいました。勿論自分の使命は緊張を持って抱いているものの、少なくとも故郷を離れた解放感と、思いがけぬ殿方の優しさが、彼女を虜にしようと囁き誘うのです。そしていざ、目的の場所に到達してみると、自分が誘惑されていたことを思い知り、そのことが自分を恥ずかしく、情けなくも思えさせたのです。トスクレアが自分の手を引くたび、イアリオはぎょっとしました。まるで内臓が半分縦に切られて、それぞれがまちまちに活動しているように感じました。その誘惑と、ふるさとで感じていた言い知れぬ焦燥とが、体の中でまったくばらばらに働いていたのです。

 そう、偉丈夫に引かれる彼女の手は、あの町の人間の手でした。イアリオは、そうでなければ、この出会いにいたく感謝したく思いました。彼女はトスクレアの美しい眼差しをじっと食い入るように見ることがありましたが、その眼差しを彼は吸収してしまいました。にこやかに笑って、あくまで彼女を癒そうとするのです。イアリオはわざわざ苦味を口の中に探して味わわなければなりませんでした。そうしなければ、あちらからやって来た誘惑に、駆られてしまいそうでした。町を飛び出してきたうら若い女性の心理は、まったく自由にここから羽ばたいてもいいのでした。コパ・デ・コパの上質なしつらえの寝室に案内されてしまった衝撃がまだ胸を突いていました。彼女はこうした方面にはある意味無防備に近かったのです。懇切丁寧に出迎えられ、かえって毒を口に盛られるかのような心地にさせられたのでした。

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