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破滅の町 (分割版)  作者: keisenyo
第二部 後
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第十五章 オルドピスへの道 6.都へ

 イアリオはこの手に触れようかどうかと混乱しました。いいえ、自分は使者であると嘘をついた、彼らを騙した気分が、そう躊躇させたのではなくて、相手のこの壮麗すぎた艶美さに、彼女は恐れを持ったのでした。おずおずと出したその手に、彼が触れると、まるで自分の体に稲妻が突き抜けたかのようでした。その動揺が美しい戦士に幾許か伝わったのかもしれません。彼は碧眼の色を変えずに、自ら彼女の町の案内役を買って出ました。そうしてはるばる来た旅人に歓迎の意を表しながら、彼女の緊張をほぐそうと努めたのです。

「お疲れでしょう。早速宿舎にお連れした方がいいでしょうか?実は、あなたの宿泊先について、二つ選択肢があるのです。町なかの宿も、あなたがゆっくり休息できてかつ身の安全を保証できる所がありますが、我々の砦にも、同じくらいくつろげる絶対堅固な居場所をご用意できます。どちらにしましょうか」

「あ、はい、ええと、そちらに迷惑のかからない方なら、喜んで行きます」

 突然、トスクレアは大声で笑い出しました。そうしてさらに、ご婦人の硬さを和らげようとしたのです。しかし彼女はぼうっとして彼の笑顔を見ていました。こんな風に笑うんだと、まるで性を意識し始めた少女のような発見をしたのでした。

「では、我々の砦に来てもらいましょうか。男ばかりの住まいなので、淋しい思いを多少させてしまうかもしれませんが」

「構いません」

「ではこちらへ。ああ、ご安心ください。この町へ遊びにいらっしゃる姫君と同じ部屋を用意して差し上げますので、女性として不自由はないはずですから」

 かの国は学問の国で、その代表者も学識ある人間が為ることになっていますが、王族は一種の適切な職種として国民に認識される地位に、かの国でも健在していました。王族は外交に重んじられました。ですから、他の国の王侯と、そう大して変わらない扱いを受けていました。しかし、どこぞの国の貴賓でもない普通の町女が、こんな接待を受けても構わないものでしょうか。イアリオはすっかり身を低くして彼に従いました。彼女ははたして自分の身が持つか心配になりました。物語の中にしかない、騎士の国にこうして出てきたことは後悔しなくても、これまた物語の中でしか語られないような、突然の貴い扱いに現実の体が慣れることはありません。事実は小説より奇なりとすれば、おそらくずっとそうなのでしょう。

 イアリオは考えなければならないことがいっぱい出てきました。どうして彼女は、町からの特使だという嘘をつき、のうのうとここまで来たかといえば、クロウルダに会い、そして彼女の町で起きている出来事を知るためでした。ですが、嘘がこのような体裁を生むことになってしまいました。彼女は、素晴らしい部屋に案内されて、そこに施された数々の意匠に目を凝らしました。ふかふかの絨毯には金ぴかの獅子の刺繍が施されていて、ベッドの柱には龍が彫られ、真鍮のコップはウサギを模していました。調度品がこがね色の棚の上に一列に並んでいました。それらもいかにも一級品でしたが、皆動物の何かを象っているようでした。

「すみません」

 トスクレアが謝りました。

「ここの部屋を造った姫様は、動物好きでして。そのような意匠が多いのはどうかご勘弁を。しかし姫君は、ここから南に見える窓の外の風景をいたくお気に入りでした。午前中は兵士たちの合戦練習の風景をお目に入れられますが、それがもし気に入らなければ、窓から離れて真下を視界に入れないで下さい。滔々と流れる大河と、美麗な花畑を御覧になられます」

「私、本当にこの部屋で一晩を明かしてもいいのでしょうか?」

 彼女は恐る恐る尋ねました。

「勿論!失礼にならなければ、ここは多くの貴賓を迎え入れる最上の部屋でもあるのです。我慢ならなければ、もう一つ、別のお部屋も御覧になられますか?そこは少しだけ古めかしいのですが、先代のお后がお造りになった凝った寝室です。決して華美ではない、落ち着いた雰囲気の静寂の間でありますが」

「いいえ、そんな。私…」

 彼女にとってはここで落ち着いて物事をうまく考えられるか、ちゃんと眠れるかどうかが気がかりでした。まったく身分に似合わない豪勢な寝室をあてがわれて、本当に、身の縮む思いがしたのです。

 しかし、彼女はすぐにその場にも慣れてしまいました。見知らぬ土地へ冒険に行くと感性が鋭くなり感じやすくもなるのでしたが、同時に図太くもなるものです。いいえ、あの地下街やその下の洞窟、切り立つ山や異常なほど生命が漲る森などを経てきた神経には、ただ豪奢なだけの空間など慣れるに苦労はしなかったのでした。彼女は客人用の長椅子に座り、ほっとするまでそこにいました。トスクレアがいなくなり、間もなく長袖長裾のメイドが登場しましたが、少し時間を空けてもう一度来て下さいと、イアリオは頼みました。一人になる時間ができたことは望外の喜びでした。やっと色々と思考する機会が訪れたのです。

 彼女はどこまで嘘をつき続けるべきか、悩みました。おそらくどこかで、兵隊たちの護衛を振り切り、単独でクロウルダを探さねばならない時が来ます。彼女は使者ではないのですから。もし、それが暴露されたら、彼女は勿論ただでは済まなくなるのです。強制的に送り返されるか、あるいはこの国で最も下層の位の端した女としてこき使われるか、それも運のいい方で、何らかの刑罰は当然だろうと思われました。行き当たりばったりの計画など立てるものではありません。彼女は勇気で彼らを騙したと思っていますが、これほど無謀な勇気もないのです。図太さは無神経でした。無計画さはいい加減でした。

 しかし、彼女は無神経さと感じやすさの両極を行ったり来たりしました。眠れぬ夜を過ごしたものの、体に疲れが残るほど眠れなかったのでもありませんでした。その晩彼女が見た浅い夢の中で、鈴の音を聞きました。行進する軍隊が、鈴を振るわせながら、彼女を連れて、オルドピスの首都へ向かっているのです。彼女が眠りに就く前、貴賓室をもう一度訪れたトスクレアは、彼女に兵士たちを付き添わせ首都まで連れて行くことを約束していました。そこで、彼らの指導者に会うことになったのです。イアリオは恐ろしさに身を震わせました。故郷の町の北の山脈を越えていこうとするよりも、あの地下都市の亡霊たちに出会うことよりも、その約束に、差し迫った恐怖を感じました。夢の中、これまでの夢幻の如き冒険の数々は、思い出の中に散り散りになり、そこで培ったはずの勇気と度胸は、微塵に壊れてしまいそうでした。それでも深い眠りに潜り、確かな休息を経て、彼女ははっと目を覚ましました。

 昨夜思いついた計画では、彼女は首都の手前でその行方をくらまし、首都付近でクロウルダの消息を尋ねようと考えていました。ですが、それでは追っ手がかかった時に、すぐに捕まってしまうでしょうから、もっと早い段階で、彼らの手を振り切る必要がありました。時間をかけて、じっくりと、クロウルダ探しは行っていった方が良いと思われたのです。森の端で下した決断は、かえって足取りを悪くすることにようやく彼女は気が付いたのでした。きっとまだうかれていたのでしょう、初めての外側の世界に!

 けれどここも人間の社会なのです。彼女の想像の中で広がっていた外世界は、実際に来てみるといかにも彼女の覚えたことのなかった様々な感覚を刺激しましたが、そこにも人が住み、町と同じ理屈が通りました。ですが、彼女の町とはまた違った慎重さが求められました。彼女は自分をちっぽけな存在に感じました。だから、その本意を遂げるためには、自分を隠しながら行けば自ずと道は開かれるのではないか、という期待を自分にかけられました。それがまた正しい判断かどうかは別にして。しかし大胆さは、牛のような足並みの下に、無鉄砲さは、秘密の影に隠れていなくてはなりません。彼女の町は、黄金を隠しているのです。その存在自体が、かの町に危険を呼び込むのです。

 クロウルダと会うために何をしなければいけないか。彼女の行為の理由はそこに集約されるべきでした。当てずっぽうな旅は本当は危険ばかりがありました。そこへ、やって来るのはただ焦りと不安と落とし穴なのです。彼女はこの国で貴賓として扱われることになりました。今は、その身分に乗じて大人しくしており、この要塞都市を出てから、勝負を仕掛けねばなりませんでした。ところで…オルドピスは、自国の都市には必ずその中心に図書館を置いて、知識の享受を第一にして、国家運営を行っている国でした。しかし、コパ・デ・コパには書物の家はありませんでした。ここは、元々侵略地でしたので、交通の要衝地としての機能を重視していたのです。これは、かの国の実験でした。元々、この辺りの民族は交易民で、商人の多いお国柄なのですが、先の会話にもあったように商人ではない人々は彼らをやっかむ傾向があったのです。特に、農民や漁民などは商う人に根深い怒りを抱いていました。この町を侵略して、これを良しとしなかったオルドピスは、まず、商売に規制を設けて不平等感を拭い去ることから始めたのです。国の方針は次第に浸透していって、彼らはほとんど同じ資力を持つことができ始めましたが、そのために、支配側の神経をすり減らすような細やかな統治が要求されていました。この地方にまだ知恵の集合である書物を自由に読む権限を与えなかったのは、彼らの国の名の通り、平和と秩序の安寧が第一とされたからでした。オルドピスはまだこの交易都市あるいはその周辺に、打ち込むべき楔としての限定された知(思想、あるいは感化)は用いるものの、その他の様々な知恵まで与えて(彼らにとってまだ未開である)人々が使いこなすようになっては、自分たちの思うように支配ができないと考えていたのです。

 社会の方が尊大である支配制度では、一見息苦しさが先行しそうでしたが、実はそうでもありませんでした。知、などという理想の中には安心があるのです。そこにくるまれてしまえば、それ以上のことは何も知らなくても、生きていけるのですから。他人に、自分を預けて、逃亡しても、咎む者はいません。知、あるいは理想的恒久社会の実際は、現実には多くの愚者を生み出すシステムを孕んでいましたが、これ以上知の大国の陰部をここで述べるのはやめましょう。かの国に愚者が多いというのではありませんが、愚にもつかぬ行いがいつのまにか蔓延してしまうのを、止められない、システム上の欠陥が数多く存在しているのでした。

 愚は愚でもいいのですが、それを見つけられない文化が広がってしまっているのです。たとえば、批判と笑いの文化は、育っていないのです。知は恐ろしい怪物にもなってしまい、彼自身を呑み込む不運も運命の分岐点の向こうに在るのです。

 オルドピスの行く末は別の物語が判じるでしょう。ですが、イアリオが最初に訪れた町には、彼らの未来を暗示する事が色々と表示されていました。理想とは、現実の相棒です。それをなくして、両者はお互いに成立しないところがあります。オルドピスは象徴性の高い国づくりを目指していました。人々はそれに倣い、引き受ける形で、納得のいく生活をしているように自分自身を思っていました。

 彼女の町とは違った音色がこの国には、ありました。ですが互いの社会には、異なる形でもそれぞれに自縄自縛の原理が具わりました。両者が混じり合うのだとすれば、その先鋒に、彼女の肉体がありました。いくら社会が変わっても、時代が変遷しても、変わらないものがあります。一人一人が、それぞれのペースで、本当は生きていること。揉まれながら、巻き込まれながらも。イアリオはまだ森の中で嗅いだ、あの麗しい泉の水の匂いを覚えていました。自分を取り戻し、適切な歩調をつかめた、ヒマバクのヨグと森を横切っていった先にあった、神秘的な憩いの場の匂いを。

 各人は、それぞれのペースで、生きているからこそ、個々人の一音一音から社会に音楽が生まれるのです。砦は、戦いの音楽を奏でますが、今は、一人の女性を出してあげようと、南に向いた門と共に送り出す曲を開きました。行進曲でした。それは彼女が見た浅い夢の模様と同じようでした。彼女は数人の騎士に囲まれた、鈴付きの馬籠の中に入れられたのです。彼女はついに囚われの姫君となりました。ここまでかの町からの使者を丁重にもてなすのには、知の国としての訳がありました。ですが、その訳は彼女につまびらかにはされず、イアリオの無神経と感じやすさの両方を行ったり来たりしている精神を、非常に揺さぶり、脅しました。自分が馬に乗っていくならまだ彼らを振り切るチャンスがありましたが、これではまったく逃げられませんから、計画もおじゃんです。どこかで休息を取るために泊まった宿から、ひっそりと逃げ出す他には、彼らを出し抜く可能性はありませんでした。彼女は、嘘つきでした。彼女はすっかり神妙な心にされました。籠の中でしか考え事は許されず、いくら何を思ってもそこを出て行かず、狭い空間を思考はさすらいました。それこそ刑罰を受けなければならない身分になったのを、彼女は自覚しました。

 今は誰にも暴かれていなくても。さて、もしまだ彼女が本懐を捨てていないのなら、より彼らを騙さなければなりませんでした。ですが、まったく簡単なことだと気付きました。自分が使者だとずっと言い張ればいいのです。それ以外に、どうやら選択肢はないようでした。イアリオは、堂々と嘘をつき続けることを選びました。今となってはもう怖がることなんてないのだと、開き直りました。それもそのはず、彼女は命を懸けて、山越えをしたのですから。それに、ヨグの手助けを経て、肝も据わったのですから。彼女は、御立派な輿に揺られて、覚悟を決めた眼差しをしました。

 いざ、大国の首都へと。


 その道中は比較的穏やかな天候に恵まれ、起伏も緩やかな整備された道にストレスもなく、特別に書き記すことはありません。彼らは町を通過していき、宿場町で食事と睡眠を摂り、安全な陸路に呑気にも聞こえる轡の音を響かせました。町を通り過ぎたといっても、馬車道は人家のど真ん中を突っ切るのではなく、その隅をかすめるように縫っていました。彼女は人々の目にあまり触れず、常に周囲に甲冑の兵士を伴って、彼女から外国の異文化に遭遇する機会もほとんどありませんでした。

 コパ・デ・コパから、十二日が経ちました。その脳裏に、別れた親しい友人たちを、愛しさに気付いた人間を、描いた時に、美貌の騎士トスクレアが、輿を停めて言いました。

「我らの首都、デラスへようこそ」

 イアリオは輿の側面の木の小窓を開いて、外を覗きました。それでは足りず、外に出て、地面に足を下ろし、丘から眺められる眼下を窺いました。

「見てください」

 どこまでも広がるように見える、低地の巨大な街並みには、三つの中心がありました。それは、要塞のごとく毅然として立つ、三棟の大図書館でした。道はそれらから放射状に伸びていました。網の目のように細かな小路は、幾何学模様をかたどり、街並みを整然と整えていました。街の南側には大宮殿と小宮殿があり、そこからもまた道が光の線のようになっていました。

「他国の人々は、この都を『蜘蛛の巣のようだ』と揶揄されることがありますが」

 トスクレアが胸を張って下の壮麗な都を指差しました。

「その表現も正しいでしょう。しかし私は、この様子をまるで太陽の光だ、と思っています。しかし、デラスは、その意味なのです。知識とは、人間にもたらされた光ですから。我らが都は、その光線を、ここから全世界に届けているのです」

 これが、学術都市・オルドピス首都なりの、傲然たる威容でした。

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