第十五章 オルドピスへの道 2.研究者と兵士
イアリオとマズグズは、森の東を指して歩いていきました。そのうち彼女たちの背丈ほどもない低木ばかりが地面には茂るようになっていき、色彩に溢れた植物たちは見当たらなくなっていきました。捩じくれた樹も、この辺りからずんぐりとしたまっすぐな幹の樹木に取って代わり、広々と網の目に広げた枝を天に上げた巨木が、二十尋ごとに植わる景色に変わっていきました。二人は低木の隙間を縫って行きました。次第に森は乾いた土を見せてきて、木肌も乾燥した硬い皮膚をのぞかせてきました。その葉はまばらになり出し、草があちこちに群生し始めました。巨木の木の実は勾玉状の珍しい形で、しかも季節はまだ夏にもかかわらず手の平ほどに大きく膨れていました。ジャングルの中で少し背を屈めただけで聞こえていた、きんきんとした耳に痛い音は、鳴りを潜め、一方、乾いた風がさああと木のかしらを撫でていきました。やや騒々しかった鳥たちはちゅんちゅんとおとなしくなり、雛鳥は樹木に空いた居心地の良さそうな穴の中で可愛らしくぴいぴいと餌をねだっていました。溢れんばかりに自己主張を激しくしていた生命は、どこか落ち着き、ようやく世界と生き物とが調和して見えてきました。
かんかんかんと、金属を叩く乾いた音が行く手からしました。マズグズが立ち止まり、嫌悪感いっぱいのしかめっ面をしました。この先に誰かがいるのでしょうが、もしかしたらと、イアリオは見当を付けましたが、黙っていました。少年は、彼女に指図しました。
「そこに、オルドピスの連中がいるよ。あなたはそこに用があったんだっけ?僕は止めないけれど、森は、あなたを出してあげるから、そこまではついていくつもりだから」
マズグズはまだ少年ゆえの言葉を使いました。義務と希望がその言葉の中で相反するものだと表明され、単純に相手を困らせました。イアリオは返事に窮しました。
「そう言われてしまうと困るわ!マズグズ、本当はどうしてほしいの?」
「あなたにはやっぱり森にいてほしい。ヨグが連れてきたからってだけじゃないよ!何か、気に入るものが、あなたにはあるから」
「そう。それが本心なんだね。えっと…じゃ、やっぱりオルドピスの人たちに会うわ」
「なぜ?」
「私は私だと、認めるならば、ヨグに連れてきてもらったかどうかじゃなくて、ルイーズ=イアリオだとするならば、それが普通よ。マズグズ、あなたに好かれて私は嬉しい。だけど、人間が判断する森の総意は、果たして本当に森の思いなのか、判らないところに、真実があるように思うの。結果がすべてを表すわ、きっと。だったら、猪のようでも、まっすぐに進まなきゃならないと、私は思う」
少年にその言葉がどれだけ伝わったでしょうか。彼女は誰にも理解しづらい言い方をしました。そう、ハリトやレーゼに対しても、二柱の神の名を用いて自分の心を説明したように。
マズグズはじっと彼女の瞳の中を見ました。そのようにしなければ、受け入れられませんでした。神獣の息子の連れて来た人間を、森に棲む者としてどのように把握するかではなくて、今そばにいる人間が、何を思っているかを感じようと彼はしました。彼は、森の人間の半ば代表として彼女を案内していましたが、自分の判断が森人の総意ともなる中、イアリオの思いを、個人として彼が受け取らねばならないこともよく理解していたのです。彼は、今まで経験したことのない途方もない分岐点に、自分が今いるような気がしました。しかし、不思議なことに、彼をくるむ不可避の環境から突き放されて、この分岐点に立っている感じはなく、どこか守られている気分もありました。そして少年は、自分の心に著しい変化を覚えました。こんなに短期間で、彼がイアリオから影響を与えられたことは驚きですが、ヨグ探しを任せられるほど森に精通している彼はまだ思春期の真っ只中の年齢で、性格も頑なではなく柔軟に富んでいたのです。スポンジのように吸収し易い、変化を呼び込む相応の感性が彼にはあったのです。それに、オルドピスが、積極的に森に働き掛けをしている時代の背景も、そこには総合して働いていました。森は、変化の途上にあったのです。あるいは彼の感性は、森の人間の、最前線の感性と言えたかもしれません。
「あ、あいつら!」
マズグズはその耳でわずかな音を聞き分けました。彼は、イアリオの手を引き、まっすぐ音へと向かいました。ざわざわと低木を掻き分ける音がしたので、森の一角にテントを張り駐留していたオルドピスの人間らは、一様にざわめき、急な敵の出現に備え出しました。弓を持った戦士がキャンプの中央で構え、他の人々は、手に手に松明となたなどを持って、応戦する体勢を取りました。イアリオは唖然として彼らの前に姿を現しました。マズグズが、興奮して鼻息荒くしていました。火は、土の表にぱちぱちと爆ぜていたのです。
「こいつら、火を土の中から出しやがった!」
彼の非難に、人々はただちに炎を消す作業をしました。しかし、なお彼は人々に食ってかかりそうな姿勢のまま、ぎらぎらと両目を燃え立たせていました。
「弓を、下ろして下さい」
イアリオは言いました。
「火がなければパンはできない。でも、何よりもそれが、この場所では破壊の予兆ともなるのです。この子の前でそれを消したことは認められますが、およそやはり森林に対する正しい態度とは言い兼ねますね?」
「あなたは?」
兵士が声を掛けてきました。
「私はオルドピスに用事があって来ました。私の故郷ははるか西、クロウルダという民族に会う必要があるのですが、ご存知ですか?」
鎧をまとっていない、おそらく研究者と思われる、頭髪の薄い痩せぎすの男たちがざわめきました。イアリオが彼らに自分が山脈の向こうから来たことを隠したのは、町からオルドピスに、町人について山脈から外へ出て行った者がいればそれを保護し、町に戻してもらうよう頼んでいる可能性があったからでした。オルドピス人すべてが彼女の町を知っているわけもないでしょうから、それほど高い可能性とも思われませんでしたが。ですがいまだその地下に隠されている黄金は町の人間に特有の十字架であり、町はおろか、オルドピスとしても、その情報の流出は好まないことが予想できました。
イアリオはオルドピス領に臨むにあたり、クロウルダさえ見つかればいいように思っていました。彼女が知りたいことは、これから町に降りかかる災難の正体です。どうしようもない焦燥の幻霧を払った姿です。ですが、そのクロウルダという単語に対して、オルドピスの研究者たちはざわめいたようでした。
「まるで、森の神意を体現したようなものの言い方をされますが、見るからにあなたは森の人間ではない。敬意を表します。しかし、なぜにかの民族に用事があるのでしょうか?」
キャンプの中央で弓を番えた戦士が、厚手の布に巻かれた、弓を掲げた小手を下ろしながら、尋ねました。
「お話はできませんが、重要な使命を帯びています。かの民族をご存知なのですね?どこに行けば彼らに会えるか、教えていただけないでしょうか?」
オルドピスの人々は、彼女に恐れを感じました。彼らは彼らの領土から西に伸びるこの森を、「湧森」と名付けて距離を取っていました。森にはイアリオも訪ねたような泉が突然現れることがあり、また突如草原だったところにその一部が張り出すこともあったからでした。森はまだ彼らの領土ではなく、彼らはこの森を積極的に調べていました。ですがそれでもまだ判別できないことに遭遇することが多く、その度に依然として森そのものに畏怖を覚えました。そんな森の中から、その女性はまったく唐突に彼らの目の前に現れました。一介の女性がこの場に現れたなどとは毛頭考えられず、重要な使命を帯びているというその言葉通りに、その身は迫力を纏って見え、一同を仰け反らせたのです。しかしオルドピスの人間よりも前に彼女を怖れたのは森の民でした。その時の彼女の姿勢もあまりに堂々としていました。イアリオの両目は聡明で、曇り一つなく、眉はきりっとして決して揺るがない心を示していました。視線はまっすぐに彼らを見ていて、相手と自分との距離をまるで零にするようでした。彼女と、彼女に見つめられた人間と、その両者の存在をこの場に確定でもするかのように。しかし、それは彼女に元々具わっていた性質でした。故郷ではその能力は教師として発揮されていて、またハリトやレーゼも、こうした魅力に魅かれていたのです。
オルドピスの研究者たちは黒く日に焼けた腕と脚とを剥き出していました。穿き物は短く、上半身にはイアリオの町の人々が身に付けているセジルという長方形の上着を、そのまま肌の上に着せていました。兵士たちは袖のある服を着ていて、穿き物も膝まで長く、その上に鉄製の胸当て、小手、脛当てを嵌めて、腰に気付け薬や笛などを入れた軽い袋を提げていました。全部で十人ほどがそこにいましたが、群がる人々の後ろから、青みがかった銀色の装備に身を包んだ、たくましい体をしたいかにも地位のある風体の戦士が、彼女の前に進み出ました。
「失礼をば、お許し下さい」
その額は窮屈な鉢金に縛られていて、こめかみに筋が入っています。太い首をひくひくとさせながら、兵士長は頭を下げました。
「もしかしたら、とお尋ねしますが、あなたは、山向こうのトラエルの町の人間ではありませんか?そちらからの使者は、丁重にもてなすようにと私の上役から言いつかっています」




