第十四章 北の森 7.歓待と固辞
そのもてなしは大層なものでした。まず、柔らかな獣の肉が出されましたが、それはよく火が通されていて、緑色の香辛料がまばらに撒かれていました。肉の香ばしい匂いは、町を出てからほとんど乾燥したものばかりを食べてきたイアリオの腹には、こたえる湯気でした。匂いの通りの味わいに、彼女は衆目も気にせずむしゃぶりつきたくなりましたが、それは控えました。次に運び込まれたのは野菜でした。彼らは畑を持っているのでしょうか、上質な菜物がぴりっと縁を立てて、獣肉の次に食するのにまったく似合ったみずみずしい形をしていました。それらは香辛料に近い辛さを持っていましたが、むしろ水気を含んだおいしさの方が勝っていて、爽やかに口当たりが過ぎていきました。果物が出てきました。梨のようなしゃりっとしたところのある柔らかい果肉で、黄色と桃色の二種の皮色がある実なのですが、客人にはそのうち種の無い桃色の実のみ、むき出しの状態で籠に入れられて出されました。供じられた数々の美味は、イアリオの心を繊細に撫でて、落ち着かせました。彼女は自分の身代が彼らに握られているとはいえ、それほど気分の悪さは覚えませんでした。彼女はまだ警戒していました。捕まった以上仕方がないと諦めていますが、ほとんどこの歓待の意味を知らないままで、村人が、こちらを好奇の目で見ているのも、居心地の悪さを感じることだったのです。しかし、食事は明らかに彼女の心理を溶かしました。ようやく打ち解けたと見た村の長老が、おもむろに彼女のそばに来て、話し掛けました。
「この村のしきたりでは、まず客人をもてなせとあります。それがお互いのためなのです。友情はいかなる困難も克服されるものだと信じているからです。御客人は、ようやく気を楽にしたようだ。我々の歓迎を、気に入って下さったのですか?」
イアリオは頷きました。
「ええ、とっても。こんな気分は初めてです。私の国は…そう…閉じられていますから。隣人は時に敵同士にもなります。滅多なことでは相手を歓迎いたしません」
「それは可哀そうだ。我々の真似をすればいいのに。楽しむことは、友を作ることだ。そして、慎ましい贈り物をあげることだから」
この言葉に彼女の心は一挙に惹かれました。なんと魅力的な言葉でしょう。自分の町も、こうした風に、もっと隣国と手を結ぶことはできないかと、彼女は空想しました。
「まあごゆるりと。ところで、お互いをもっとよく知るために、我々の歴史を少しだけ紹介してもよろしいだろうか?森の民は、閉じられてはいない。知ることこそよき隣人の条件であるから」
というわけで、イアリオは眠たくてもういいと言うまで、たっぷりとこの民族のあらましを聞く機会を得ました。歴史教師として興味深い話をうかがうことができて彼女は満足でしたが、実は、それほど穏やかな気分でその物語を聴けませんでした。それは、話が進むにつれてむしろ彼女の町の歴史が比較されて浮かび上がってきたからです。彼女からはこの夜自分から何も話しませんでしたが、心の中に、窮屈な思いが蔓延していくのをイアリオは感じました。黄金を守ろうとする民は、その存在が一人びとり、大変な命運のさなかにあると彼女はわかっていったのです。欲望の権化である、大量の金が、あの町にあったことが外に知られれば一体世界はどうなってしまうでしょうか。彼女の口は、それをしゃべってしまうかもしれない口です。その身体は、大変な宿命を背負っているのです。彼女は深い孤独を感じました。村の人々の話を真剣に聴くも、心のどこかで、そうした暗い気持ちが燻り続けました。
森の人々の歴史は、かのオルドピス国でも研究されていて、その書物に詳しく載っていますが、イアリオはこの森を去ったのちにこの時長老たちから聴いた話を、幸い紙を得る機会に遭遇した折に記述しています。それは、彼女の町と、彼らの村が、同時期に存在していたということが互いに響き合う大切な事象であると思ったためでした。自分たちの町が、恐怖に怯えていたずらに閉じ籠もっている最中に、いえそれ以上に大昔から、彼らは森に棲みついていたということを、彼女は感慨深く記しています。歴史教師としても興味深かった話を筆記する時、彼女はわくわくしました。「どうしてかわかりませんが、この世界は一度大潮に呑まれて滅びてしまい、その後再興しますが、彼らはその頃から誕生したばかりの森林に執着したそうです。森から恵みを貰い、彼らは、少なくとも一万年以上は継続してその頃と同じ文化を守っているのだといいます。言葉は変わったかもしれませんが、出立ちと狩りの方法と、料理の仕方はずっと維持されてきたのでしょう。彼らは民族として存在していず、ただの『森の民』でした。ここに棲めば、皆がそのように呼ばれるのです。つまり、出て行く者も、入って来る者もいたということです。彼らはこの森に棲まない人々から尊敬されました。なぜなら、奥深い森林の神秘は人に太刀打ちができるものではなく、彼らはそこで、森と共に生きているからです。彼らを尊敬するということは、森林に敬意を表するということでした。しかし、近年はオルドピスが学問的研究を目的に、この森を荒らしているのだといいます。相手は平気で炎を使い、獣たちと争いを起こすのだそうです。火は特に厳重な取り扱いが必要でした。森の民も火は使いますが、それは深く掘った穴の中で、決して炎の先端を地面から上に出さずに燃やすやり方でした。
彼らには神がいました。名前はありませんが、その神の意図は、めいめいの方法で森林に現れるのだそうです。例えば、川の流れが位置を変えたならば、人も住居を移すべきとし、なぜなら神がそうして世界を変革したのだから、と考えます。人の都合で棲家を移さねばならなくなったと考えるのではなく、直接神が人間に指令をしているのだと受け取るのです。また、例えば蟻の大群が出現したら、その年は肺病に気をつけよ、雨が多すぎたために、神が乾燥した風を寄越すのだから。これは蟻の生態と自然現象の相関を知恵として蓄積したものだと推測されますが、神の意図が自然にも現れてくると受け取るがゆえの表現になっているのでした。このようにそのお告げの例は多様でしたが、中でも注目するべきは、私も会った、あのバクについての伝説でした。ヒマバクは、聖獣とされ、神の意図がよく発現するのはその獣においてだと考えられていました。彼は、森を肥やし、自らも土になります。彼は長生きでした。彼を襲うのはこれも神意の発現と思われる肉食蟻の軍勢だけでした。ですから、ヒマバクは常理の獣共の運命を辿らないのです。彼の一生はすべて神の手に拠るもので、それを人の目に目の当たりにすることがあれば、それはかの動物を通じて神意が届けられたのだと、森の民は森に棲む者としてそう自然に感覚するのです。彼らは、一年に一度、ヒマバクのうち一匹を村人総出で世話をする習慣がありました。そして、世話をした最後に彼らは蟻塚の前にバクを連れて行きます。もし、バクが蟻たちに食われるようであれば、その年は大きな変化が訪れる一年で、良い事と良くない事が一辺に起きるから、用心しなければならない。神も意図しない事が、その年には起きる、と言われていました。
森の人々はヒマバクを『聖獣』と呼び、彼より上位に位置づけられる、神が直接使役する獣との関係においては『神獣の息子』と称します。彼らにとってその神獣はバクのような姿をした、しかし雲のようにずっと体が大きく、素早く空を飛ぶこともできる気高き威容を具えているのでした。そして、ヒマバクはその神獣のこの世における写しと捉えられていました。ですが、最近は『神獣の息子』というと特定のヒマバクを呼ぶ名前になっていました。それがヨグでした。ヨグは、どうやら彼らが一年に一度村に迎え入れるヒマバクの一頭を、同種族の代表として選別しているらしいのでした。神意の体現者とされる者たちの中に、さらに選定者がいたということです。」
近々、その選定が行われる季節でした。それで、村の少年マズグズはヨグを探していたのですが、そのヨグは、イアリオをまるで選定して連れてきたのです。村人たちは歓迎せざるをえませんでした。彼女を良き隣人として迎えたのは当然でした。オルドピスの名前をその口に上らせたからといって、ヨグが彼女を背中に乗せて来たのなら、この神意は何ぞと問うて然るべきなのでした。
眠くなるまで聴いた長老たちの話から、彼女はこのようなことが分かりましたが、しかし彼女にはこのバクの名前が気になりました。それは連想にすぎませんが、ヨグとオグ、あの、ハリトを襲った無数の悪の塊とされる魔物と、わずかに違う名だったからでした。どうにも関係がないようにも思いましたが、この晩彼女はその事に囚われ、眠るまで、ずっと二つの名前が頭の中でぐるぐると回っていました。
朝起きた彼女はすぐにも村人に礼を言って、オルドピスへ発つつもりでした。森人の歴史は興味あるものの、その旅路の目的にとってこの場所に長居はまったく無用でした。しかし、村人は彼女を離そうとしませんでした。
「できるならばこのままこの村にずっと住んでほしいものだが」
二番目に年寄りのお爺さんが、しわくちゃの目を開けて言いました。
「あなたはヨグに選ばれて助けられたのだ。我々にとっても、あなたの存在は大切なものだから」
「いいや、この女性の決意は固い」
一番の年寄りが言いました。
「だがかの国は何やら調べ尽くそうとしている。しかし、その態度は極めて不愉快である!あなたはあの国へ行こうとしているが、あの国は大き過ぎるのです。大き過ぎて、小を見ない。小を大事にしない」
どういうことですか、とイアリオが尋ねると、それに若者が答えました。
「長老様。正確には言葉が足りないですよ。あの国の人間は自分たちの領域でものを考えるのです。そこから、絶対にはみ出そうとはしない。頑なな思考の持ち主なのです。森の声に耳を傾けようとしない。彼らの大事は、その学問にあるらしいのです」
「一体それにどれほどの価値があるというかね?共に生きるという態度は、外敵を作ることではない。じっと耳を済ませて、しかるべき位置に望むことだ」
「つまり、調和を求めるということだね」
若者はまるで老人の言葉を翻訳するように、イアリオに話しました。
「あなたは、ひょっとしたらオルドピスのものの考え方に懇意なのですか?」
イアリオは若者に尋ねました。彼は色黒で、ひしゃげたような頭をしていました。ですが、どこかで学問をしたことがあるような、真っ直な眼差しをしていました。
「自分は元々かの国にいましたから。けれど、ここに来ました。森に救いを求めたのです。かの国は四方にすべて法があり、ルールに基づいて非常に有機的に動いていますが、そのために人間の尊厳というものが、はっきりしなくなったのです」
イアリオはよくわからない顔をしました。
「ハハハ、つまりは私にとってここの方が居心地がいいということなのですよ」
「オルドピスに案内して下さらないでしょうか?」
彼女は彼に頼みました。若者は首をすくめました。
「私が決めることではない。この村が、森の意図を通して、決めることですよ」
「あなたに二つの選択肢を与えよう。このまま我らが村に住むか、それとも出て行くか。どちらにしても、まず最初に会ったマズグズと、しばらくは共にいてもらうことにする。なぜなら、入り口となった最初の形が、出口にもなるからです。マズグズはあなたをかの国へは案内しない。しかし森を出るところまではついていくだろう。あなたの心には一つしかないかもしれないが…森の願いは、何事か、私たちは知りたいのです」
森の村人たちは自分に何を期待しているのか、この時の彼女にはよくわかりませんでした。イアリオの意思とは正反対の、もう一つの選択肢をこそ、望んでほしいといわんばかりでした。しかし、実のところ彼らはただ彼女を恐れていたのです。ヨグが、人間を運ぶなど初めてのことだったので、どのような態度でそのことに臨めばいいのか、誰にも分からなかったのです。ですが、彼らの取る口調は、はじめて彼らの元を訪れた彼女を萎縮させるものでした。まるで彼女がどう答えるかによって、彼らの知りたいと望む神の意思が、明らかになるような物言いだったのです。
昨日のマズグズは、ヨグから降ろされた後の彼女の前に、追いかけるのをやめてすっかり姿を現した時、怖い顔をしていましたが、それは彼が彼女を畏怖していたからでした。
「ごめんなさい。私はあなた方の期待には応えられないわ。もし一人でもあなた方を振り切って行こうとするならば、私はオルドピスの人間と同じように、頑なな心を持った人物と捉えられて、嫌われるかしら?」
「いや、そうは思わない。我々が思う森の意思は、きっとあなたをここに留まらせるということなのです。しかし、森や神は、いつも我々の心の範囲を超えて動く。あなたがそうした選択をするならば、それはそういうことになるのです」
「私、心苦しいわ。ここまで親切にしてくれたのだもの。できるだけ、この恩義に報いたいとは思うけれど、やはりどうしても行かなくてはなりません」
「ならばそうして下さい。我々は止めません。あなたがそうするのなら、それが森の神意だと、我々は思うから」
こう言われてしまってはもう反論もできませんでした。彼女は、まるでシャム爺や町の長老の話を聞いているのとおんなじだと思いました。彼女にとって、町の意思と、個人の意思は、元来異なるもののはずでした。その考え方は十二歳の頃の冒険や、その後の暗黒の地下の探険を通して確固としたものになっていました。町は、町人である以上はこうしなければならないという法を、そこで生まれてきた者たちに押しつけました。彼女は、それはどこか正当ではないと感じ続けた人間でした。できるならば町人同士で、特に当然と思われているような物事について、様々な意見のやり取りをやり尽くしたいと思っていたのです。いつか、それは無理だと判ってしまったのですが。
ところが、森の民たちは、彼らにとっての森の目、神の目を通してしか、彼女という存在を取り扱おうとしませんでした。そこに居心地の良さはありませんでした。
彼らとしては彼女の自由を束縛するようなことは何もしていないつもりでした。ただ彼らの願望を伝えたにすぎず、彼女の思うように、心苦しさを与えようとは微塵も思っていませんでした。それは、シャム爺や、町とて同じことでした。彼女としても、ヨグに感謝し、村人に感謝し、その厚意に甘んじつつも、出て行かなければいけないと言うだけで済むことでしたが、社会の非合理な力を感じ続けてきたからこそ、そのように心苦しかったのです。
イアリオは、彼らの希望を辞し、彼らの裁量をありがたく頂戴しました。彼女はマズグズと共に、森の出口まで案内されることになりました。




