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破滅の町 (分割版)  作者: keisenyo
第二部 後
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第十四章 北の森 3.迷いの森

 鬱蒼とした木の下は、じめじめと湿っていました。きっとこの先では、知らない動物たちが弱肉強食を繰り広げているでしょう。しかし、こういった捩じくれた樹の幹を、彼女はどこかで見た思いがしました。それは、幹ではなかったのですが、あの地下でレーゼとハリトと共に見つけた、ハオスと初めて会った地下道の手前にあったいびつな根っこに、とてもよく似ていたのです。あの死滅した街の中で、いびつな生命を主張した奇怪な根の隆起に出くわしたことにその時は驚いたのですが、恐ろしいフィード・バックがこの森林にて起きました。あの滅びの街に、根を張る生命があったのです。イアリオは子供の頃、骸骨たちに絡みつかれて仲間たちと生と死が引っくり返る経験をしましたが、その上で、死しかないはずの空間に自己主張する生命を発見していたのです。彼女はその命にそっくりな、異常な生命をこの森に目の当たりにしたのです。それは、生命こそ溢れるばかりに見えるジャングルに、滅びが同居していることを示唆したのです。

 気候でいえば亜熱帯に属するこの一帯は、原生林をそのまま残して、あらゆるものが熱っぽく息づいていました。じわじわと地面から立ち昇るものは、命だけではなくすべてのものたちの息吹でした。土も、石ころも、自らは動かぬものたちが、その存在を生命に負けず主張していました。驚くほど一つ一つの無機物は、植物と我を張るように突出して目に映りました。その頭上に覆い被さる絶対的な森林の覇者は、決して足元にそれらを捻じ伏せてはいないのです。イアリオは頭がくらくらとしました。昔のままの姿をした、命と無機質の世界は、やはりこちらに手を寄越すも、そう容易くはこちらから近づくことはできないのでした。彼女は、自分の町の下にした滅亡した都とここの情景が、重なって見えました。溢るるものはあの街にもあり、どうやら、こちらを喰い滅ぼしたい意思は、一方が死で一方が生の極端な現象だとしても、非常に近質に持っているように受け取られたのでした。

 ぐるぐると考えたり迷ったりすることが、この森に下りてきてまだ一歩も進んでいない彼女にいくつも襲い掛かって来ました。しかしいつまでも逡巡してもしょうがないと、イアリオは足を動かし、山脈を右手に行き出しました。黒い土はふかふかとした所と、ずぼっと穴のようになっている所がありました。木の根は張り出していちいち避けて進まなくてはなりませんでした。枝葉はかさ張り生い茂り、垂れ下がるも行くのに邪魔でした。こちらをようこそと歓迎してくれる森は、独特過ぎるお出迎えで、訪問者の背中を何度も仰け反らせました。これは山登りよりも大変な行軍でした。オルドピスの人間も、この森を通ってきたのでしょうか。きっと彼らは彼女が登攀したルートよりもずっとはずれた所から、町の人間も了解しているはずの道らしい道を登ったのでしょうが、それでもきっと森のどこかを突っ切ったでしょう。そう思えば、ジャングルを進んでいくにも少しばかり勇気が湧きました。しかし、森のきわを歩きながら、彼女は危険を身近に感じました。森林にあるあらゆるものが、こちらを向いているような、しかし無関心でもあるような、曖昧とした視線を送っているように思えたのです。この森全体が、自分の存在を知覚しているように彼女は感じました。それは行き過ぎた感覚かもしれませんが、森に棲む肉食獣も、この甘い肉の匂いを漂わせた滅多にありつけない得物を捕まえようとして、動き出しているかもしれないとも考えてしまいました。そんなことは恐れてもしょうもないことで、余計な思考に他ならないのですが、この異様な景色に圧倒されて、イアリオは意識をまるごと森に呑み込まれてしまった心地になっていたのです。

 もし、自分の母親を砕いて壷の中などでぐちゃぐちゃに混ぜてみたら、こうした色とりどりのジャングルにでもなったかもしれない、などと、彼女はとりとめのないだけの野蛮な感想を持ちました。山際を練っていくイアリオの行く手に、今度は縦にひび割れた大きな大木が立ち塞がりました。彼女はそれを横にして避けていきましたが、何となく気になって背に回したその大木を振り返ってみました。すると、ぎょっとしました。ぼんやりと木肌に浮かんでいたのはまるで自分の顔だったのです。そのように見えただけで、やはりそれは幻だったのですが、それでも少々ショックに彼女は感じました。イアリオはそれ以上気にしませんでしたが、彼女の心の中に、実は大地が裂けたかのような鋭い亀裂が走っていて、今は振り返らずにいておくべきことが、その木肌に浮かんで見えていたのです。

 原生林は、まるで彼女の心の深奥を、現象として見せてくれていました。その光景は決してまったく異質なものではなかったのです。そして捻じ曲がった木の幹は、いびつな形かもしれませんが、変形しながらも力強い生命の意志の力を見せていました。かさ張る枝葉は、混沌のようでいて、自分と、大切な人々、そしてその他の人間たちとが折り重なる似姿にも、彼女には見えることがありました。つぶらな紫の木の実はイアリオに豆料理を思い出させ、土や石の色は、彼女が毎日のように触れてきた石版や粘土板、あるいは糸巻きや刺繍棒、パン釜に差し入れる木製のピールなどの道具たちと、同じ色でした。彼女はその色に親しみを持っていました。イアリオは彼女の町の印象を、そのままこの原生林に見出せるようになりました。…イアリオに、自分の町で、何かしたいという純粋な望みがあったとすれば、ピロットの奇跡を待つこと、そのための地下の亡霊たちの供養だといえたかもしれませんが、その実、彼女は誰にも心を寄せておらず、自分の心は自分だけのものでした。しかし、その奇跡が起きたはずが、その時に彼女の根はもはや町にはありませんでした。あの時どうしてピロットと共に生活する手段を思い描けなかったのでしょうか。彼女は間違いなく彼と再び会いたいと言っていたのに。彼女は、彼に寄り添おうとはその時に思っていませんでした。もっと二人で共に居ようとは考えませんでした。彼女は町へ戻ってきた時に、その本当のところを知るのですが、いざ故郷から出てみなければ、それは分からないことでした。


 歓迎のあまり、慌てて差し出されたような枝葉の腕は、単純に行く手を阻む邪魔な存在となり、こちらを迎え入れようとしてびっくり気味にぴょこんと突き出た木の根は、間違いなく進行を妨げるのに一役買っていました。イアリオは少し進んだだけではあはあと息を切らせました。垂直に進むような登山時はそうでもなかったのに、こんなにも森の中とは歩きにくいものだったでしょうか。むっとする熱気も相まって、息苦しさは相当なものでした。彼女は水を飲みました。どこかで水を補給して、たっぷり飲みたい気分にもなりました。パンをかじっても、栄養が体中に行き渡る感触はなくて、足元から、たった今摂ったばかりの養分がこのジャングルに流れ出しているように感じました。彼女は道を掻き分けるのに精一杯になってしまい、いつしか右手に望んでいたはずの山肌は、どんどん遠くへ遠ざかってしまいました。はっとして周りを見渡すも、ここがどこだかわからなくなっていました。イアリオは慌てて高い木を探しました。かさばる枝葉を透かしてどれが高木か確かめるのは難儀でしたが、すぐに都合の良い木を見つけ出すことができました。しかし、その樹木の根元には、ふんわりとした形の巨大な赤い花が、獲物を取り込もうとして待ち構えていました。花は、胞子を撒き散らして、獲物に毒を盛ろうとしました。人間であるイアリオはそのむせ返る胞子に、手足の痺れを感じましたが、それよりも何だか良い気分になり、ふらふらと森のさらに奥に分け入って行きました。小動物ならその場に転げ回ってしばらくして、徐々に花の根に絡みつかれてしまうのですが、彼女の手足は大手を振って楽しげに森を回り始めました。しかし、毒の効果は短く切れて、我に返ると、どこをどう行ったのかまるでわからない知らない景色に向き合い茫然としました。そこは、鬱蒼と胸の高さの立ち木が茂返る緑の濃い場所で、少し屈むと、耳に痛いきーんとした音が聞こえました。イアリオは眉をしかめて、早くこの場所から立ち去った方がいいと思いました。そこで、また背の高い木を探して、方々を眺め回しましたが、この辺りはでこぼことした木は少なくて、肌がつるんとしていて、奇妙な蔦が絡みつくも細くてとても登りがけられない樹木ばかりでした。そんな中見つけたようやく取りつけそうな木は、枝ぶりは短いながらもしっかりしていましたが、それほど高くはありませんでした。それでも山脈がどの方向にあるか分かればいいと、彼女は枝に足掛け登っていきました。

 ところが、やはりその木は頭上の枝葉を透かしても山脈を望めるほどの高木ではありませんでした。イアリオはがっかりして、渋々降りていこうとしましたが、少しばかり周囲が望める木の上で、休息を取ろうかと考えました。地面の上だと熱された土に身体だけでなく頭もほだされ、自分が何をどうしていいかわからなくなりそうだったからです。わさわさと熱を持った頭を冷やし、ゆっくりと気持ちも落ち着くまで、時間をかけて、彼女は木のかしらに取りつき待とうとしました。しかし、その時彼女の背筋を焦りが突き抜けていきました。それは、故郷でいくらも感じていたあの焦燥でした。こうしてはいられない。一刻も、早く、かの国に辿り着かねば。

 木の上に取りつきながら、そこで落ち着きを取り戻すはずが、彼女は繰り返し街でも考え抜いたことを頭に巡らせました。自分は一体何を知ろうとしているのか。こんなにも木々が押し迫った森林を彷徨して、勿論それは目的の国へ到るためだけど、こんなことに一人きりでチャレンジする価値がどこにあるのだろうか、と。しかしそれは、道にすっかり迷ってしまったために、参ってしまった心が、同じ質の別の感情を呼び寄せただけでした。

 いやいやとイアリオは首を振りました。焦ってもしょうがない。もう一度、木を探そう。そう思い、結局は休息もほどほどに、まだ頭脳もかっかして熱いうちに、この背の低い立ち木より丈のある、登れそうな樹木を探して、目星をつけました。彼女は木から滑り降り、そちらに向かって走り出しました。彼女は、いったい不注意なままでした。またあの危険な毒を撒き散らす花のような生き物に、出会ってもおかしくないことを念ぜられませんでした。彼女は行く手の背の低い幅のある木の幹に隠れていた、巨大な虫に気がつきませんでした。虫は、じっくりと獲物を確かめ、その行動を予測しながら待っていました。彼はイアリオが自分のそばを通り過ぎた後、わさわさと木の陰から出てきました。カブトムシのように角を突き出しており、その胴体は丸く、硬い殻に覆われていましたが、その高さはイアリオの膝まであり、角から尻にかけては彼女の足から首の長さまでありました。その昆虫は肉食でした。森の王者とまではいかないものの、獣もひとたまりもない硬い顎と押し付ける重量とがありました。人間は、明らかに彼が今まで食べてきたものよりも動作が遅く、捕食し易い目標でした。イアリオは走っているうちに、背後から不気味な羽音がして、それがこちらに向かってきていることに嫌でも気づかなくてはなりませんでした。しかし、その音も耳に届いているはずが、いたずらな焦燥に突き動かされて、一直線に走るばかりでした。もう獲物は捕らえたも同然でした。虫は、大きく顎を開けて、柔らかい肉の動物を背中から押し潰さんと空中で構えました。その時でした。

「危ない!」

 人の声がして、おかげで彼女は咄嗟に身を屈められました。地面に突っ伏すと、頭上を猛烈な羽音が飛び過ぎるのを聞きました。ぞっとして、恐る恐る頭を上げると、虫はいなくなっていました。

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