第十三章 接吻(くちづけ) 4.頼る相手
「俺はね、イアリオの感覚は、正しいと思う」
イアリオの家にまた三人が集まりました。彼らは、次の探索の打ち合わせをしようと申し合わせていました。しかし、そこでイアリオは自分の正直な気持ちを明かしました。自分が、一人でもオルドピスへ行って調べるべきことを調べてみる必要があるかもしれないことを。そうでなければ、この言い知れぬ焦燥に包まれて、どうしようもないことを。
レーゼは頷きながらそれを聞いていました。
「なぜだかわからないけど、それは正しいという気がするんだ」
「まともじゃないよ」
背丈が伸び、顔立ちも鋭くなったハリトが突き刺すように言いました。「私は反対」相手を睨みつけるような印象深い彼女の目は、以前は朝日のようにきらめいていたのがだんだんと夕暮れの赤々と揺れる太陽を思わせるようになりました。
「まともでない、か。確かにそうだな。でも、オグについて知る機会は奴と直接会う以外、もうないんだぜ」
彼らは、ハオスがあの時すでにオグに食われてしまったのではないかと結論していました。これはハリトが言い忘れていたことでしたが、彼女がオグに襲われて何日か目覚めなかった時に、彼がその魔物に食べられる夢を見た、というのです。イアリオはありうべきことだと思いました。クロウルダの儀式のやり方は詳しく本には載っていませんが、最後の彼の様子を見て、そうに違いなかったと思ったのです。
オグに食べられてしまうこと。それが彼ら流の悪魔の慰め方だとしたら、一体どんな意味があるのでしょう。そこまでは、彼女の町にある本には書いてありません。
「イアリオはさ、命を懸けてまで行くつもり?」
ハリトは厳しい表情でイアリオに尋ねました。
「そうね。行くとしたら、そうなるわ。もう、なんだか限界なの。もう少しこの町にいることにはなるけれど、その時は、来るのだと思う。ハオスに行かれるといい、なんて言われたのが決定的かな」
「ということは、その前からずっと、行こうとは思っていたの?」
「そうかもしれない。けれどいつからかわからない。もしかしたら、あの天女たちに出会ってから、そうしたことを考え始めていたかもしれないね」
イアリオの口の響きはまるでうたうようでした。レーゼもハリトも、気をつけないとその揺々とした調子の声に身を委ねそうでした。
「俺はよくわかるんだ。その、限界って感覚は。俺はまだでも、イアリオはもうなんだ、と思う。ああ、でも…」
レーゼは急に言いよどみました。何かが彼に待ったをかけたのです。そのままなら彼は、彼女がいかにして町を出て行くかの算段に乗ろうかというところでした。
なぜなら彼は、彼女を、ずっと尊敬していたからです。
「俺は反対だな。だって、やっぱり、命を懸けるほどのことかい?」
彼にそう言われ、イアリオは急速に悲しげな顔に変わっていきました。
「そうなんだよ。だから、あなたたちには話したの。本当は馬鹿々々しいことかもしれない。だけれど、私の本当の気持ちだから。あなたたちが止めようとしてもこれは変わらないわ。でなければ…きっと、私が異常なだけ」
彼女は二人を交互に見つめました。悲壮な決意をしているものの、まだ、理解者を欲していた目でした。こうした気持ちを抱いたのは白霊と天女たちに出会ってからでした。いいえ、もしかしたら、黒表紙の日記帳を見つけてから。いいえ、あるいは、十年ぶりにあの暗がりへ行くことになってから。それから、彼女にもわからない衝動が地面の下から立ち昇って、すっかり彼女の全身を虜にしていたのです。私はこうしなければならない。命が懸かっても、たとえ誰かを巻き添えにしたとしても、見えてしまった、突き進むべき未来が!彼女はまだ年端のいかない二人を、その協力者に選んでしまっていました。そこに彼らがいたから、そして彼らならばもしかしたら自分の思いの巻き添えには決してならないでいられるかもしれないと、感じたから。そうであれば、彼女の下した密やかな決断は、皆二人に教えなければなりませんでした。
イアリオはハリトやレーゼに頼る気持ちがありました。彼らがこの町にいるのであれば…自分は、おとなしくオルドピスを目指して、命がけの冒険にも行けるのだとも思いました。
レーゼもハリトも、そこまでの信頼を、イアリオが自分たちに持っているとは知りませんでした。彼も、彼女もイアリオを離したくありませんでした。
イアリオの目から、涙が零れました。「つらいわ」その仕草は、まったくみじめでした。
「あんな現象に会わなければ良かった!と、今でも思うわ。でも、せっつくの。誰かが背中を押している。もう待てないわ。もう待ってはいけないんだわ。その時はまもなく訪れてしまう。私はその準備をしなければいけないわ。あなたたちにこうして話すのが、その最初の一歩なの。だから判って?そして、私を助けて?お願い…」
彼女の目論んだ旅は、知るための旅でした。それは、何かを変えるためではなく、ただ、これから起きる出来事を克明に観察するためでした。彼女は傍観者としての自分を成立させるために、町から出ようとしているのです。それは正しいことでしょうか?何か言い知れない現象に突き動かされてしまったとしても、そのとおりに行こうとするのは、果たしてまともでしょうか?そうではないはずでした。冷静に考えればそうではないのは至極当然でした。しかし彼女は気を迷ったのではなく、まして唆されたのでもなく、自分が、こうしなければならないと判断したのです。彼女自身の真っ当な感覚で、受け入れなければならない運命として。
しかしその感覚はみじめでした。彼女は幸福になるために危険を冒そうとはしていなかったのです。彼らのこれから降りかかる不幸を、恐慌を、一手に抱き締めるために修行に出ようというのです。
レーゼは大きく息を吸いました。彼は、イアリオのように、自分の中で呼吸をぐるっと回転させて、今自分に感じるだけのことを整えようとしたのです。ハリトはそんな彼を横に眺めました。彼が、どうしようと言うのかと待ちました。彼は、自分のひざに両手を乗せて、はっきりとした眼差しをしました。
その瞬間、ハリトは、突然泣き叫ぶように言いました。
「レーゼ、私は反対だよ!ずっとだよ。ずっと、この三人は一緒にいるの!」
ですが、
「わかった。できるかぎりのことを俺はするよ」
レーゼも濡れた目をしていました。
「何でも言ってくれ。いつ行くんだ?きちんと出発の日だけはちゃんと教えてくれよ」
ハリトはがらがらと壁が崩れてしまった顔をしました。どうにもならないのだと彼女はわかりましたが、自分の理解に入れたくありませんでした。その後、ハリトは急に能面のような顔つきに変化しました。これは、まったく彼女の願う通りではなかったからです。
「少なくとも、ハリト、あなたの成人式までは行かないと思うわ。ありがとう、レーゼ。お陰でちょっと、気分が楽になったわ」
イアリオはほっとした顔を彼らに見せました。レーゼは再びどきりとしました。なぜ、自分が、この場所にいるのか、どうしてイアリオとこんな風に相対しているか、一挙に、その意味が彼を襲いました。彼は非常に難渋な顔をしました。あまりにその表情が渋いので、イアリオは尋ねました。
「どうしたの?そんなに、私が出て行くことを認めたのが、嫌だった?」
違う、違うと彼は首を振りました。そうではありませんでした。レーゼは前頭部に鈍い痛みを感じました。その痛さも表情の渋さに拍車をかけました。彼の心に起きた、この痛みは、これから半年ほど、彼を地獄のような苦しさに突き落とすのでした。




