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破滅の町 (分割版)  作者: keisenyo
第二部 前
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第十二章 オグ 6.仰がれるもの

 彼女はテオルドに疑いを掛けられませんでした。彼は何もしていないのです。少なくともイアリオの目にはそう見られ、焦りがどこか彼を名指ししていても、注意深く観察をしても、彼は、いつものように彼女に応対して粛々と義務を実行しているかに見えました。オグとは一体何ものでしょう。彼女はまだそれに対峙していませんでした。今、図書館のカウンターを境に出会っているのに、そうであるとは気づきませんでした。天女の言葉が名指すかの魔物が、まさに町の下に巣食っていたのに、彼女の目には、オグの住処に被さり広がる、彼女の先祖たちが亡んだ、あの街並みしか見えなかったのです。時間は上下に根を下ろします。オグの影響が、三百年前の滅亡に絡んでいたのではありません。ですが、そうしたことに近いことが行われたのは、事実です。オグのような怪物は、どんな現象の影にも居座るのです。時は、誰かの奥底に深く眠っています。眠りから覚めた時、それが、エアロスとなるのでしょう。

 イアリオは鼻水をすすりました。眩暈も少し覚えました。それから数日、彼女は寝込みました。熱が高くてひどい風邪でしたが、見舞い客が彼女の所に大勢やって来てくれました。彼女ほど病で来客の多い人間も珍しいものでした。イアリオからは、人付き合いをなるべく控えるようになっていたのですが、彼女を慕う人々は数多くいたのです。

 病床からようやく起きられて、彼女は外に立ち、ぼんやりと頭上に輝く白い太陽を見上げました。しかし太陽が雲がかっているのか彼女の目が潤んでいるのか、それは霧のような白さでした。ですが一瞬、あの日がこちら目掛けて飛んできて、目の中にすいっと入ったような感じがしました。その途端、イアリオは眼球が潰れてしまいそうな痛みを感じました。そして、目を開けると、一面が真っ白に塗りたくられた世界が見えました。彼女は吐き気がしました。

 その時、大波のような罪の意識が彼女に迫り、ざぶりと呑み込んでしまいました。彼女は喘ぎました。(ここはどこ?)目を伏せて、食いしばり、はらはらと心臓を鳴らせて、苦痛を噛み締めました。(まるで、とてつもない過去が、ここにあるみたいだ)

 けれどそれは幻でした。彼女の鋭く尖ってしまった感覚は、彼女の意識を超えて、いまだ受け入れることができない遠い事実をも見せるようになってしまったのです。


 イアリオは、北の山脈の麓に来ていました。この付近は原住民である狩人たちの住む場所で、彼女の町と彼らは親しく付き合ってきました。互いの収穫物を交換することもあれば、町は石や銅でできた便利な道具をあげたり修繕したりする代わりに、彼らに山の見張りを頼んでいました。町側が守備隊を派遣して山越えなどをする外部者や内部者を監視しているのとは別に、彼らにも内通してもらうことで、より防備を固めていたのです。原住民たちは、その土地から出て行こうとする者はなく、また黄金に関心も示さないまったく古体然とした人々でしたので、町も信用したのです。さて、イアリオがこの山の下まで来たのは、あの白霊たちがこの山を降りてきていたからでした。正確に言えば彼女が見たのはこの山の方角から、でしたが、ハルロスの日記や図書館の資料には、ここの原住民が、その山脈に先祖たちの棲み処があり、先祖たちはそこから下に降って、生者に啓示をもたらすことがあるという信仰を持っている、と書かれていたのです。もし狩人たちにとっての先祖だけがそこにいるのであれば、イアリオの前に現出したあれらの霊たちはそうではないのかもしれませんが、気になって、彼女は一日馬を走らせてわざわざここに来たのです。ですが、当初見られると思っていたのとは違った印象が、山脈を見上げた彼女の脳裏に走りました。私は、どのようにしたらこの険しい山々を越えられるだろうかと、彼女は思ってしまったのです。まだ彼女は、自分が町を出て行くだろうとは考えてもいませんが、そうしなければ、調べるべき事柄は調べ尽くせないと判っていました。山脈を頂まで眺めると、切り立つ岩壁は、ずうっと空高く伸びて、足がかりも何も見出せませんでした。木や草はある高さまでは山腹を覆っていて、それからはごつごつした岩がいかめしい顔で大地を眺め下ろしています。とても越えられるものではありません。彼女は諦めたように振り返り、山を後にしようとしました。

 すると、洞窟の中で見かけたあの死相の天女が、去り際にどこを眺めたか、稲妻のように閃きました。こちらだったと、勘が告げました。なぜあのヴォーゼはこの山の上を見上げたのでしょう。暗い壁に囲まれながら、まるでその分厚い岩壁を突き抜けて、どうしてこちらに眼差しを届けたのでしょう。これは勘にすぎません。ですがイアリオは再び山の上を見上げました。そして、そこからやはり、あの白霊どもはやって来たのだと感じました。だとしたら…?

 あのハルタ=ヴォーゼという輩は、この上にいるということなのでしょうか?

 山を越えるという意味は、多様でした。彼女がもし運命を受け入れなければならない瞬間が訪れたとしたら、いくつもの意味が、そこに重なりました。越えなければ見えないものがあります。しかし、見たところで、苦痛ばかりが襲うこともままあります。それでも受け入れなければならないのは、まさに、身から出た錆でした。

 レーゼは、それほど敏感ではありませんでした。彼は、父親の下に就いて、その働く様子を近くで観察しながら、いつか自分で父親が形成した仕事のシステムを流用して、新しいニーズを作ってやろうと息巻いていました。彼ならばできたでしょう。これから、たちまちに町が壊れていかないかぎり。

 しかし、彼もまたイアリオと同じ焦りを覚えていました。レーゼは新しい需要を掘り起こすことを考えていたので、誰よりも町の政治や人間関係に目を開きたいと思っていました。彼らしい、透徹したものの考えで、町中の仕組みなり構造なりを見て取っていくと、不思議と、彼がしたいことよりも、彼をせっつく何者かの力を感じました。このままであるはずがないという、実感がそこにありました。しかしこのままでなければ、広場に噴水を造るという野望は、実現できません。彼がイアリオたちと地下に潜る理由は随分とそこにありました。彼も、この焦燥が天女の言をはらりと見せていることを感じていました。それは旗のように、たなびいていました。自分を見ろと、主張していました。なぜ、なぜと彼も考えましたが、イアリオほどに、身に迫ってはいませんでした。それは…彼が、この町にいる必要があったからです。


 イアリオは、少年だった元教え子の用事である工房にやって来ました。彼は学校をすでに卒業していましたが、職場での自分の仕事振りを見てもらいたい、とお願いしてきたのです。彼の工房には、ハリトの兄であるシダ=ハリトもいました。彼女は、教え子の作品を驚いて眺めました。それはとても小さな銅像で、鋳型を石材でつくる複雑な工程を経て完成する工芸品でした。彼女は立派になったものだなあと思いました。彼は幼少期から知っていますので、彼が本当になりたかったものになれて、とても嬉しく思いました。ところが、その仕事場から出て行こうとした時、シダ=ハリトが彼女を呼び止めました。

 彼女は、彼がテオルドの命を受けて新月の夜のあの現象を描いたことを思い出しました。ハリトの兄は、ぼさぼさと髭を伸ばして、いかにも芸術に打ち込む孤独な影を引いていましたが、目の奥が曇っていました。彼の工場では貴重品の修繕を主な生業にしていました。しかしどうやら、ハリトはそんな仕事はそっちのけで、自分の作品に打ち込んでいる日が一年以上続いていたようでした。

「なんだか変わったわねえ。ハリト、健康そうには見えないけれど、大丈夫なの?」

「僕のどこが変わったっていうんだ?そんな感じはないが」

 彼はくたくたの袖を伸ばして左右に広げました。袖の下の彼の腕は、芸術家らしいエネルギーに満ちているようではありませんでした。不安げな眼差しで、彼はイアリオを見据えると、無理な頼みごとをしてきました。

「お願いだ、地下から僕らが以前見たあの絵を持ってきてくれないかな?どうしてもそれが必要なんだよ」

 彼は、十五人の仲間たちと繰り広げた探険のさなかに見つけた、大屋敷に飾られた絵画を彼女に所望しました。イアリオはびっくりしました。

「なぜ私に頼むの?それに、できるかできないかは別として、そうしたことは議会を通して依頼するのが筋でしょう?あの街にあるものは、個人では持ち出してはならないから」

「そうはいかない。僕が変だと疑われてしまうじゃないか。お前だって、そうした嫌疑を掛けられていただろう?あの町に囚われていると、誰からも思われたくないんだ」

「だったら、自分で行くしかないわよ。あなたのために、絵を持ってくるなんてできないよ。物見遊山であそこに行ってるんじゃないんだからね。ちゃんとした仕事だから」

 イアリオは無下にも断りました。しかし、ハリトは食い下がりました。

「どうしても欲しいんだ。あの絵が。僕の次の作品にインスピレーションを与えてくれる、あの絵が、今は命より欲しいんだ!お願いだよイアリオ、どうか聞き届けてもらえないかい?」

 それでも、彼女は断りました。ハリトはすっかりしょげ返って、すごすごと自分の陣地に戻っていきました。

 シダ=ハリトにはテオルドの息が掛けられていました。彼らはずっと密かに地下に潜っていたのです。他に、父親と同じ大工になったヨルンドと、漁師となったハムザス=ヤーガットが、議会にも告げず繰り返し地面の下の街と、地下道と、洞窟とを見て回りました。テオルドは彼らの心理を巧みに唆して彼の目的のために誘いました。一人では、例えば草原の入り口から大岩をどけて中に入ることはできませんでした。イアリオがレーゼとハリトを連れて、三人で最初に地下に潜ろうとした入り口は、既に開けられていたのですが、それは自然現象ではなかったのです。テオルドたちは地下に潜り、皆オグに触れていました。それが彼の目的というわけではなかったのですが、ハリト、ヨルンド、ヤーガットそれぞれに、言い難い衝動が起きてその体は侵食されたのです。ハリトの場合、黄金に等しいぐらいの価値のある作品をつくり上げることが生きる主題となりました。それを、一年以上、続けていたのです。しかしうまくいかず、彼の苦悩はどんどん大きくなりました。町にあるどんな印象も彼に刺激を与えなくなって、彼はあの地下都市に思いを馳せるようになったのでした。ところがテオルドが守備隊の長になってから、ハリトたちは彼とともに地下へと向かわなくなりました。ハリトは守備隊に志願したこともありました。しかしテオルドがそれを拒みました。

 ハリトはイアリオに頼むしかありませんでした。その時点でもう彼はあるものを放棄していました。自分自身と向き合うこと。自分が描きたいものは本当は何であるか探求すること。それは彼でしかわからないことでした。本当に地下にある絵を彼が求めているならば、人に頼んではならないのです。彼は気づきませんでした。オグは、彼の中のそうした悪に、自分を放棄するような態度に、甘い息を吹きかけていたのです。

 オグは、ハムザスやヨルンドにも、同様に息吹をかけていました。そして、もう一人にも…。

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