第二章 侵入者たち 2.黄金都市の噂
そこは、石畳の街でした。レンガ屋敷は寄り添うように立ち並び、空は狭く感じられました。彼女はこうした少しごみごみした街で育ったのです。スグナル国は宗教で有名な小国でしたが、その周囲に、このような都市国家が点在していたのです。
なかでも、「いやしき吹き溜まり」と呼ばれる都市が特別悪名高い街として名を馳せていました。治安などあったものではなく、人々は日々暮らしを立てるために毎日の盗みも辞さないほどでした。こんな中で育ったからには、商人の言ったとおり、なかなかの盗賊になってしかるべしでした。盗賊は手段であって目的ではないのも、自然の成り行きでした。彼女は幼いころからその才能を発揮し、金目のものはずるがしこくどうすれば手に入るか計算し、その都度手に入れてきました。彼女が興味を持ったのは、衣服や宝石の類よりも、歴史の匂いのする物質でした。例えば、くだらない土器や、骨董、書物などです。彼女は自ら先生を選び本の読み方を習い、自分の力で本物と偽物を区別する目を養っていきました。こんなわけで、なまなかな金品じゃ飽き足らない性格をもった冒険家になるのも時間の問題でした。彼女は、外の世界に興味を示しだしました。そこで、こんな話を聞きました…。
その男は、落ちぶれた海賊でした。彼女にはわかりました。端正な顔立ち、潮に濡れた手足、長い髪の毛、その男は間違いなく海賊の親分だったことを物語っているように、彼女には見えたのです。どこからこの街へやってきたのか、仲間は一人もいないみたいで、目は落ち窪み、相当の困難と辛苦に喘いできたものと思われます。痩せ細った体はまだ頑強でしたが、吐く息にはまるで命が宿っておりませんでした。海賊は目を上げました。正面に立つ少女をぼんやり見つめて、喘ぐように閉ざされた唇を開きました。
「お嬢ちゃん、僕にはなんにもないよ。興味を示したって、どうしようもないさ」
トアロは興奮しきった声で言いました。「おじさん、海賊でしょ?どうしてここにいるの?」
「残酷なことを訊くお嬢さんだ。よし、いいだろう。今際のきわに、不思議な話を一つ、二つ、聞かせてやる…」
男は話し始めました。そのおおよそは先ほど商人が話したこととかぶりますので繰り返しはしませんが、彼女は二度同じ話を聞いたことにより、あの商人が言ったより本当に差し迫るほどの真実性を肌身に感じたのでした。
「あの男の言ったことは本当だ」
彼女は、アズダルにこう言いました。彼は、勿論あの男とは商人のことだと思いましたが、彼女の中では海賊のことを言っていました。それから、二人は黄金都市についてさまざまな情報をかき集めました。本物らしきもの、疑わしきもの、偽情報、すべての言葉と文言をふるいにかけてみますと、正しい羅針盤さえ持っていれば、おのずと光が見えてきます。彼らはそうして辿りついたのです。やっと、巨大な富眠る、三百年もの月日を闇の中で過ごした、かつての栄えし幻の都を。
「あの男が『三方を山で囲まれた』といったのはな、二方の間違いだったよ。亀裂深き場所は、数えてみればそれほど数はない」
トアロは、「あの男」を商人さして言いました。
「おのずと、目的の場所は探せそうなものだった。しかし、問題は今までなぜそんな国が表に浮上することなく沈黙を守り続けたかということだ」
彼女によれば、兵士たちの叛乱の憂き目にあった海賊国家の話は比較的多く、どれもたんまり蓄えた富を放出しながらの国家運営だったということでした。それならば、彼女の聞いた話も同じような宿命を辿ったと思われますが、違いました。三百年も海賊がそのふるさとに隠した黄金財宝を探しているなど他で聞いたことがありません。ということは、兵士たちによって運営された都がどこかで沈黙を守っているとしか考えられませんでした。何か、そこでは広大な意図でも目されているのでしょうか。ふところにたくさん財宝を持ちながら、それを軍事に使わぬことなぞ国の性質として思いつかないことです。ある特別な国を別として、それは必ずしも国家を守ったり、発展させたりするのにつながりません。その国は――どこか他の国とは違った側面があるかもしれない、と思われました。
(もはや滅びたる可能性だってある)
彼女にはそのような予感もありました。ゴルデスク、フュージと呼ばれる貴金属が、その世界にはありました。前者は黄金のようで、その輝きは黄金以上にあやしく、人間をとりこにする魔の魅力を持っています。後者は銀に近く、やはり同じような蠱惑的な力をもつ宝玉です。これらの財宝を、トアロの会った海賊は持っていました。彼女はその男からそれらを盗んだのです。今や航海戦術は時代遅れとなり、海を舞台とする多くの海洋国家は没落の危機に瀕しておりました。海賊もまたしかりでした。人々は海へのロマンを忘れ、陸地へ、内部へ、足のつくしっかりとした大地へ、豊潤な果物を求めて還っていったのです。海賊がうちたてた国なら、その街はおそらく海に面した港にちがいありません。そのような街が、今やどこかでひっそりと粛々とした暮らしを行っているなど想像ができません。まるでこんなところにかつて街があったのかという場所にこそ…もしかしたら、三百年誰もが見つけたことがないところに、この海辺の都市はあったのではないか。トアロは、そのような直感を得ました。
(でなければ話はつながらない。そのような場所があるものだろうか?)
長年この話を忘れてしまっていたのは、こうした考察があったからでした。しかし、彼女は重要なヒントを商人から得ました。トアロはその言葉に導かれ、いくつかの候補地をあげて、いちいち潰しにかかりました。そのうちの一つが、かの白き町にいざなう目的の行路をとったのでした。
大地に走るおよそ二十キロほどの断崖絶壁は、古い時代に大地震によって立てられた茶色い牙でした。この世界にはいくつかそのような割れ目があり、人はそれをして「蛇牙」と称しました。蛇のような体躯の恐ろしい魔物が通ったかのようだったからです。蛇牙の真下にはちろちろとした川が流れていました。川は、海につながっており、そこからトアロたちは侵入しました。見上げると鬱陶しくなるほどの巨大な壁がせせり立ち、彼らを圧倒しました。彼らがこのルートを選んだのには、第一に海賊の話にもあった「海は新しい暗礁ができて、陸上を行くも様々な罠が張られている」ということ、第二には盗賊的手法で街に近づくということを、考慮に入れたためです。彼らは小船を岩壁につけて、この巨大な岩壁を登っていく選択をとりました。この方法が、およそ盗賊らしく思われないかもしれませんが、「盗賊的な冒険者」ならば、合理的な作戦でした。彼らはいつ果てるかしれぬ岩壁登りに挑戦することになりました。鉤爪と縄とで上手に登っていくのですが、ところどころ、壁から水が染み出していることがあって、行くには大変な難儀をしました。二人は互いの体を縛り合い、交互に先に行くことで、なんとかこの絶壁をよじ登り続けました。しかし、断崖の半ばでもう日が暮れてしまいました。適当な岩棚を探すにもそれらしき岩壁などありません。岩壁に吊り下がりながら、彼らは眠るしかありませんでした。しかし、これも上手にしたもので、打ち込んだ鉤を足場にして服の四方をも壁の隙間にうずめてしまい、多少、いえかなり窮屈な状態ですが、体を岩壁に固定して眠る手段を編み出しました。翌朝、トアロが目を覚ましますと、一羽の白鳥が目の前を通り過ぎ、甲高いあさぼらけの声をあげました。すると、昨日はわからなかったのですが、アズダルの足元ら辺に、入れそうな横穴を発見しました。穴からはちろりちろり、断続的に水が滲み出ています。トアロはじっとこの横穴を見つめました。そして、自分の勘を信じて、彼を誘いその穴へ入ってみることにしました。
人から奪えばいい宝物の類など、彼女はなんの興味も示しませんでした。それは、彼女の故郷では当たり前の光景でしたので、それ以上の刺激がなければロマンを感じなかったのです。古い歴史もののお宝などには若干のロマンを感じますが、それだけではなんとも自分の欲望を満たしたことにはなりません。彼女は、今現在このような冒険をこそ待ち侘びていたのです。穴蔵を注視して、その奥に何の危険もないことを見てとると、彼女はアズダルを連れて、またもいつ果てるかしれぬ長い長い迷路を進んでいきました。もしかしたら、彼女にとってこの先にあるだろう黄金宝物のやからはさして重要ではなかったかもしれません。彼女にとって発見がすべてで、歴史的な物事の性質や、他貴重な資料こそ、胸躍る戦利品だったからです。
というわけで、長い長い迷宮の足取りの最中、アズダルは彼女から歴史談義を聞かねばなりませんでした。「いいか、これは単に私の推測にすぎないのだがな…」彼女はこうして話を始めます。「その街は、海賊どもに支配されるより前、ある神官集団の国だったそうだ。なんでもクロウルダと呼ばれる連中は、生意気に各地に点在していてな、さる怪物を監視する役目を司っているということだが、今やその数は激減していて、町の数も数えるほどだという。どうしてこんな話をするかというとだな。我々が今向かっている黄金の街は、そこかもしれんのだよ。クロウルダは水辺の町をよく築く。それは、彼らが追っている怪物が水辺を好むからだ。当然、それは港であったりもする。何百年も前その港町が襲われたからとて別に不思議ではあるまい。そのうちの一つが、我々の目指している王国かもしれないというのは、こんなことから予測できる。あの断裂、まさにその怪物が立てた傷跡だといえないか?ハハ、こんなことは妄言だというのか。そのとおりさ。だがね、さる町の図書館で見つけた書物にこんな節があるのだよ…。そう、オグという魔物が地下に潜み、町に牙を立てたという話さ。その本は歴史的にみても価値のあるもので、記述は正しいとされる。そんな本が、魔物についての文を残していることが驚きだが、歴史は否応なく当人の主観を伴うものだ。なにより大事なのは、オグと呼ばれるその魔物は、クロウルダと呼ばれる民族の生涯の相手で、かの魔物を封じ込めるために、港町を築いたということ。そして、海賊どもとのすったもんだの最中に、その悲劇が訪れたということだ。港町はその後あまり時を経ずして海賊たちに襲われ消滅したという。怪物の呪いか、または外敵に抗しえなかったためか。この本を、クロウルダたちは重視するのだ。館員から話は聞いたのだがな、どうやらその港に遺恨があるらしく、何度もその町を探そうとして、果たしていないのだという。…アズダル、私はこの港こそ黄金都市の前身ではないかと疑うのだ。ロマンがあるだろう?いやいや、不確かなことをいっているのではない。私は、直感と誠実な推測に基づいてこういっているのだよ…」
トアロの文言には熱が帯びていました。アズダルはまた始まったという心持ちで聞いていましたが、長大なうねうねと続くこの穴蔵をずっと進み続けていますと、どんどん、何か自分たちがそこにいざなわれているような不思議な感じがしました。トアロの希望にすぎない推測も、本物のように聞こえてくるのです。
やがて、二人はぽっかりと開いた広大な空間に飛び出ました。がらんと広い、天井の高いドームでした。上方かすかに光が見えましたが、地面までその光は届きません。二人はごくりと唾をのみました。しゅうしゅうとうなる風が、彼らの背後から飛び過ぎ、不気味な音声を残していったのです。何事か、呟きがその風から聞こえました。人々の唸る声、罵る言葉、忌み嫌うすさまじい想念が、渦を巻いてつむじいていました。彼らはそれが、オグだということを知りませんでした。彼らは、また、オグに触れてしまったことに気づきませんでした。その魔物の性質は、人の悪意を増大させる、まさに魔の魔物というべきものでした。
ぞくりとした感触を意識的に払い、二人は広大な空間を目を皿にして注意深く窺いました。何が通ったのかわかりませんでしたが、そこには何かが潜んでいるような、人の気配を感じたのです。彼らは、松明に慎重に火を付け(そこまでは極力灯を使わないようにしていた。全身これ神経の二人にとって暗黒の穴を進むのにわけはなかった)、周りをうかがってみますと、すっくと立つ二つの柱が、目の前にそびえていました。そこは神殿の出口でした。ゆらゆらと揺らめく火に当てられて、柱は荘厳な佇まいを三百年以上も守り通した洞穴の両側にさらしていました。トアロが上を窺ってみますと、天井にも届かんばかりの背丈で、円形の柱芯の先に尖った三角の頂が三つ張り出していました。
こここそ、私の推理どおりの神官どもの館にちがいない、彼女はそう確信しました。