第十一章 ハオス 4.再出発
季節は冬を巡り、春を迎え、夏の兆しがあちこちに見られるようになりました。この町は海辺ということもあって気候は穏やかで、一年中それほど気温は変わらず、ゆえに服装も変わりませんでした。チョッキのセジルを材質を変えて薄くしたり厚くしたりということだけでした。彼らの冬は短く、雪は見られません。春が長く、大きな催しがこの季節に集中しています。種蒔き祭に開漁祭、馬肉祭、そして誕生祭です。大きくはこの四つでしたが、他にも小さなお祭りが開かれました。大きな祭の前三つでは冬越しの食料の余りをふんだんに使った料理が供されました。秋に行われる収穫祭では、採れ立ての食物がテーブルに並びますが、三つの祭はその逆で、放っておいても腐ってしまう、もしくは悪くなってしまう保存食をメインに食べましたが、何より各々の仕事始めの滋養に大切な儀式でした。しかし、それだけたくさんの食べ物を、彼らの町の持ち畑は生むことができました。土壌がたいへんよかったのです。それに近隣の河川では豊かな魚介が獲れ、また牛や馬などが食む牧草も、十分によくありました。ここは恵まれた土地でした。北の山脈まで伸びた田畑はどれも実りが良く飢饉に陥ったことはこの三百年間でほとんどわずかでした。
当然、人口も増えました。誕生祭は、この一年で生まれた赤ん坊を皆で祝福する行事でした。イアリオは教職を持ちつつ議会の仕事も手伝っているので、こうした行事に追われて、地下の探査は中断せざるをえませんでした。三人で会うこともなかなか難しくなり、そのうちにハリトは学生を卒業して、お針子の見習いになりました。イアリオが十年ぶりに入ることになった、黄金都市で子供たちが遊んでいた一件から、およそ一年がたとうとしていました。
「やっと自分の時間が持てるようになったわ」
久し振りに集った三人は、イアリオの部屋に集まって蝋燭を囲んでいました。
「随分待たせてしまったねえ」
「イアリオ、ほっぺたに染みができてる」
「あら」
ハリトが指差すところを、彼女はさすりました。
「本当?まあ、どうでもいいけれど」
「イアリオって色気ないよね」
ハリトが針のように言いました。
「顔つきはいいのに」
「そう?」
「…誰か好かれている人はいないの?」
「そうねえ…」
彼女は黙って宙を見つめました。彼女が好きだった相手は、もう遠くへ遠ざかっていました。以前は幻影の彼を追って、どんな危険も躊躇しない、猪突猛進もいいところの勢いがあったかもしれませんが、今は、日々の仕事に追われたせいもあるのでしょうが、保身の方が強まっていました。彼女は新しい恋愛をしようとは思いませんでした。それは自分自身を変えてしまうからです。彼女は今の自分のままで十分でした。
「イアリオは、さ」
レーゼが口を挟みました。
「多分、本気で好きにならなきゃ動かないんだと思うよ。冗談にも恋愛をする奴はいっぱいいるけど、そうした性格じゃないからだ。いいんじゃない?」
「あら、まるで私のことを、よく知ってるような口振りね」
イアリオは久々に会った青年をつぶさに眺めながら言いました。
「そりゃあ、一緒にピロット探しをしたんだもの。あんた、誇りに思ってたじゃないか。彼を愛していたことを」
イアリオはふっと笑いました。
「そんなこともあったね。いいえ、間違いではないわ。だからかもしれないよ。私が、今のままの自分でいいと思っているなんて」
「勿体ない!」
ハリトが叫びました。
「私は納得がいかない!」
「なんでお前がそう怒るんだよ」
「イアリオには、普通に結婚して、子供を産んで、幸せになってもらいたいもの!そうでなきゃいけないわ!」
ハリトの言うこともわかるのですが、イアリオは、どうしても自分にそういったイメージを持てませんでした。人間の幸福は人それぞれで、普通の幸福といわれるものを、掴めないことも当然ある。そう考えるイアリオは今でも十分幸せだと自分を思っていました。ですが、きっとハリトの中では、幸福のイメージが彼女の言ったとおりである以上に、彼女自身にそうしたものを求めているのでしょう。イアリオは優しい目をしました。
「じゃあ、私の分まで、あなたが幸福になってくれるといいわ」
「どうして?」
「人の幸せは私のものよ。だって私、教師をしているんだから」
この言葉に違和感を覚える人はいるでしょう。自分の幸福感なくして、どうして他人の福をそれと感じられるものでしょうか。
そして、もう一つ違和感を覚えるべきことが、この場に現れていました。ハリトは、イアリオを先生として仰いでいたような時期には、言わなかったことを言ったのです。彼女の中で、この年上の女性は相対的に価値を低めていました。イアリオは気にしませんでしたが、それはねちねちとしつこく付きまとい、得物を決して放さない軟体動物の捕食にも似た心持ちでした。彼女はイアリオに、さっぱりした気持ちで望んだのではなく、自分と相手とを切り離していませんでした。
ハリトとは違ってレーゼは、「人の幸せは私のものよ」と語る、イアリオの仕草がとてもエロティックに見えました。それは、酒場の女主人が言うような、張り裂けるばかりの人生訓を思わせました。彼は、この女性といるととても安心しました。
「まあ、私のことはともかく、これからどうすればいいか、やっと相談できるんだから、そっちを話しましょう。二人にはまだ熱い火があるんでしょ?おおよそ半年前の、あの光の言葉。それを、確かめたいって」
二人とも頷きました。
「私も同じ気持ちよ。どういうわけか、焦りがあるの。早くにこの探索をしたいとも思っていた。でも待たなければならなかった。いくら焦っても、慎重に事を進めなければ何事も成功はしない。私への醜聞は本当だったから。シャム爺の言う通りお墓参りはやめて正解だった。あれ以上疑われてしまっては、もう一度、地下に潜るなんてできなくなっていたでしょう。私が、黄金に囚われているなんて噂が広がっていたのよ!議会はまだ私の探査を認めているし、手続きには問題はないから、恐ろしいのは人の立たせるこの噂話だけ。でもそれももう下火」
彼女は言葉を切って、立ち上がりました。
「私は人の噂話が嫌いなところがある。だから、ちょっとだけ振り回された。その状態で、もう一度地下探索をしてみるなんてことはできなかった。私の心、意外に弱いんだって発見したわ。今はすっかり落ち着いてる。これは推測にすぎないけれど、ピロットを誘惑して逃亡させたのが黄金なら、私もそうなるかもしれないって、考えてしまったの。自分が黄金を持ったら、ここから逃げ出してしまうかもって。ずっとその調子の苦しい気分だったわ」
しかし、その気分があるから、彼女はこの町の住人であると言えたし、この町の人々は、今も黄金に囚われているのだとも言えました。
「けれども一方で不思議な焦りがあった。その駆られる感じは、やっぱり天女の話から出てくるものだった。さあ確かめに行きましょう、ということだけれども、何から手をつければいいかしら?あなたたち、考えはある?」
「まず俺たちに訊くの?まあいいけれど。ずっと考えていたのはやっぱり地下だよ。あそこに行ってみなければわからないことだと思う」
「ハリトは?」
「同感です。私もまた行ってみたくてうずうずしていた」
「おい。単なる探検じゃないんだぜ?」
「でも、どきどきするよ。あそこに黄金があるかどうかじゃなくてさ、あの街が、懐かしいところってあるじゃない。やっぱり私たちのふるさとなんだって」
「それは、俺も否定しないけれど」
「そうね。あの光たちも言ってたわ。ふるさとはどこにある?ここにあるというのに、誰も見ないって。私たちが、あの街を再認識することって、やはり重要なんだと思う。これからの私たちの活動は、それにも触れていくかもしれない。私は私で、十五人の仲間たちに連絡してみようと思うの。彼らが今あの都をどう思うのか、是非聞いておきたいから。それが、ゆくゆくはあの話を解釈する手がかりになっていくかもしれない」




