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破滅の町 (分割版)  作者: keisenyo
第二部 前
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第十一章 ハオス 3.はみ出ずるもの

 エンナルは、以前夜中にハリトに目撃されていた時に、黄金を布袋から出していました。それは、相手の子供を勧誘するためだったのですが、相手はそれを拒みました。彼は子供を殴りつけて、自分の言うことを聞かせましたが、相手も、それでまんざらでもない様子でした。なぜなら、その後黄金の塊を手に持たされて、ずっしりとした重みが興奮を誘ったからでした。まるで今流した血のように、その重みは意味を持ちました。

「できるんだよ」

 エンナルは彼に囁きました。

「自由にさ。何でも、自分の思い通りにだ。みんな優しい。お前も、来い。素晴らしい世界が、お前を向こうで待ち構えているんだ」

 エンナルは、昼と夜とでは違う顔を持っていました。職人として働く彼の昼の姿を知っていた子供はその様に怯え、震えましたが、その立派な体躯の若者に、追従したいという気持ちも持っていました。彼が適わない相手が、彼を誘っているのです。それは、確実に自分が今よりも強くなることを、確証していたのです。黄金は、彼の手の中で、そのように、悪の気持ちを囁きました。しかし、毒々しいその色は、本物の黄金のものではありません。それは、怪物オグがいるという、地面の中深くの洞窟にできる、ゴルデスクという、偽物の金でした。

 いいえ、ゴルデスクにも、金と同じほどの価値を人間は認めています。それほどの希少性と、魅力とを持っているからです。ゴルデスクで出来た飾り物は、金以上に人々を魅惑し、怪しい噂を広げました。奪い合いが絶えなかったからです。盗賊のトアロはこの石を生まれ故郷で元海賊から奪いました。そして、下の街に持ち込みました。ゴルデスクは、奇妙に光り、彼女の声に応えました。いいえ、彼女の側面、最も悪に近い破滅の意識に応えました。魅力ある宝石は、人間の本能をくすぐり、とてつもない事件を引き起こすことがあります。ゴルデスクの塊は、そうした力を根本的に具えた、最も悪質な宝玉だったのです。たとえば、トアロの身に起きたことを思えば、かの玉石の力を感じることができるでしょう。彼女は、この暗い街で在りうる欲を、喰らおうとして、殺されたのです。

 エンナルはこうして子供たちを誘い続けていました。そしてある日、彼は一人で、袋に入ったゴルデスクを抱えて、ゴミ街へとやって来ました。個別の欲望に目覚めた彼は、不遜な顔色で、夕方の町を歩きました。黄金は、触るに禁忌と言われながら、町にも存在していました。細かい装飾の置物に、美しい髪留めに、つまりはおめでたい日にしか披露しないような物に使われていました。この町ではそうした付加価値の高い代物を、誰か個人が一手に持つことを禁じていました。それらはある意味で彼らの共有の財産で、三百年前人々を刺激したような要素のない使い方をしていたのです。ですが、エンナルの抱える塊はそうした使い方を超えて用いられました。彼は、どこでこれを手に入れたのでしょうか?

 子供の時分、揺らぐ若草の心は、刺激に対して無防備です。

 地面の下には、黄金都市の、さらに下、オグが住まう、古くからの洞窟がありました。エンナルは、ゴミ街を通り過ぎ、イアリオの先祖の墓地近くの、とある民家へと入っていきました。エンナルその他、子供たちは、皆このルートを通って来るように、ある人物から命令されていました。教わった身隠しの技と、忠実なところを示すよう求められたのでした。彼らは、もう耄碌してしまったおばあさんのいる部屋の廊下を抜けて、突き当たりのドアを開けて、何も置いていないがらんとした部屋の、床石の一つを持ち上げました。穴がそこに空いていました。穴がその中に誘いました。

 地下に下りていった先に、ひんやりとした湖がありました。エンナルはゴルデスクの袋を何度か持ち直しながら、松明の灯を行き先に伸ばし、ぱちぱちと爆ぜる炎に甘えるように、突き進みました。湖は、半径四十メートルほどの小柄なものでしたが、奥にさらに大きな別の湖とつながっていました。鍾乳石が垂れ下がり、湖面はしんと静かで、生き物の気配はまったくありません。いいえ、その場所を通り道にしている怪物がいました。かの化け物は、何度か、そこに来た子供たちの頭上をかすめ、その体に触れていました。

 悪が、自分の中に潜んでいると、気付いた子供は、自分をどう思うでしょうか。そのうち成人した人間の何人かが、職場で暴れ、何もかもに無頓着になって、つらい心の病気に悶えていました。悪は、人を魅了し、唆します。自分の仲間にならないか、と。自分の側に来ないかと。偉大な悪の化け物が、その町の真下にはいました。怖い物語は、すぐそばにありました。エンナルは硬い地面を歩いていって、湖を回り込み、先の、墨を張ったような黒々した一つの洞穴を入りました。そこに誰かがいました。

 男が、にょきにょきと伸びた岩に腰掛けていました。上半身裸で、下は上の町のスカート様のき物ではない、二股に分かれたパンツでした。男はあご杖をついてエンナルを待っていました。

「遅かったじゃないか」

「すみません。お待たせしました」

 エンナルはこの男に強い憧憬と恐ろしいほどの驚異を感じていました。彼よりも、男は体つきも小さく、筋肉もついていません。むしろ痩せさらばえて、不健康な感じすら受けます。しかし眼光は何者よりも鋭く強烈で、こちらを威嚇し、皮肉り笑っています。そして絶え間ない不安感を送り続けるようです。エンナルは、この男に見込まれていました。そのことに、彼が誘惑した少年のように、彼は猛烈な喜びを認識していました。

 男はエンナルからゴルデスクを受け取ると近くの別の岩にそれを乗せました。

「他の連中は?」

「皆帰したよ。しばらくの間、おとなしくしているように」

「はい」

 エンナルが踵を返し行こうとした時、男が呼び止めました。彼が振り向くと、素早く男の手が彼の喉を掴みました。

「何を…」

 エンナルは背筋が凍りつくようなぞっとした冷たさを覚えました。その男の手も、それくらい冷たかったのです。

「お前、お前なりによく頑張ったじゃないか」

「ええ、それは、もう」

 手の力が強くなってきます。

「これは俺の愛情表現なんだよ」

 ゴキリと嫌な音がして、エンナルの体は崩れました。男は高笑いすると、青年を優しく抱き上げ、ぽんぽんと背中を二回叩きました。

「怖いか?どうだ?」

「あ…あ…」

 彼は首が曲がった状態で、一言も声が出ませんでした。痛みを超えて、呼吸ができず、ただひゅうひゅうと喘ぎ、涙を垂れ流すばかりでした。男は彼を笑いながら見つめるばかりです。エンナルは、ひょっとして自分はこのまま死んでしまうのではないかと恐ろしくなりました。そして、ぐるんっと彼の両目が一回転しました。

 気がつけばまだ男の両腕の中に、彼はいました。首は元通りになり、息もできました。あんなに恐ろしいことをされたのに、彼はほっとしていました。そして、不思議に安らいでいました。

「頚椎がポイントだ。その部位をいかにずらすか、な。お前は体験した。慣れればすぐにできる。いずれ、実践してみよう。相手の生殺与奪の権利はお前に具わるんだ」

「はい」

 エンナルは首を持ち上げました。胸元が垂れ流した涎で濡れていることに気がつきました。けれど、うっとりとして、頓着しませんでした。

「次の渡航日を楽しみにしています」

 男はにこやかに暗黒の洞穴から青年を送り出しました。


 イアリオとハリトとレーゼは再び太陽の下に出て、息を吸い込み吐きました。ところが、地面の下と地上とで、少しも空気の味は変わらない気がしました。イアリオはさっぱりした顔つきになっていました。しかし他の二人はそうではありませんでした。

 三人はしばらく東の市を見て回りました。二本のメイン・ストリートがあり、道を挟むように雨よけと陽射しよけの幕を張った軒が連なっています。市といっても売り子はおらず、職人が軒先に出て客の相手をしました。町には貨幣経済はなく、物と物で品物を交換し合っていましたが、重要な価値と認められるものは希少性のあるおいしい作物でした。農夫たちがつくった農作物は、全部町が管理して、大工や針子、芸術家といった農夫以外の人々にはそれぞれの仕事に応じてそれを分配していたのです。市ではそれぞれの職業の集団が自分たちの仕事の見本を置いていて、その職能を争うことができました。その集団ごとにも町から配布される食物には量や質の差異があって、毎年の改定でそれは変わりましたが、彼らはうかうかと自分たちの仕事を疎かにできないようにされていたのです。また、彼らは各々の仕事の成果を交換し、配分された食べ物によっても仕事を「買う」、「売る」ことができました。

 東の市に並び立つ店の幅や奥行きは相当ありました。そこに、各集団がつくる服飾や飾り物、レンガ、あるいは食器などを並べるからです。彼らが仕事を終える夕暮れ時などはこの辺りは特に活気に溢れました。

「さて、これからどうしようか」

 市場の端辺りまで歩いて、まだ人前でしたが、イアリオはハリトとレーゼに訊きました。

「これで、イアリオの問題は、一つ解決したんだね」

 レーゼが言いました。

「次はあの幽霊たちの言ったことが、本当かどうか、ということだよね」

 ハリトがイアリオを斜めに見上げるようにして言いました。

「そう、そうなんだよね」

 イアリオはうつむきました。子供たちは彼女の次の言葉を待ちました。

「または、どう墓参りをしていくか、ということでしょ。表じゃそれはできなくなったから」

 イアリオが黙っていたので、レーゼがひそひそと話しました。それでも彼女は口を閉じています。

 二人はその様子を見つめました。思い悩むようではなく、表情はすっきりとしたままでしたが、その眼はずっと何かを見続けていて、様々な事を考えている感じではありませんでした。

 その表情が少し崩れました。匂い立つような女らしさを彼女は二人に見せました。

「イアリオは、あの霊たちの言葉を確かめるのは気が進まない、て言っていたけれど、今も?」

 何か言わないと気が済まなくなって、レーゼがまた口を開きました。

「うん」

 イアリオは首を縦に振りました。

「でもほっとした。束の間の安泰ってところかなあ。私自身の問いに、答えが出たから、しばらくはこの余韻に浸りたいって思っているわ。けれど、そうだね…認めたくないけれど、次の課題が、もう目の前にある感じがしている」

「それって?」

「オグ…」

 彼女は、天女の言葉にも出てきた、そしてハルロスの日記の中にも登場した、いにしえの怪物の名前を言いました。

「どういうわけか知らないけど、ざわざわするの。その名前に。ピロットのことは、きっと私の中に収まった。でもまだ、私からはみ出ているものがあって、それを、体全体で感じているの。何が何だか、まだよくわからなくて、こうして言うのも憚られるのだけれど」

「イアリオの言うこと、俺はよくわかるぜ」

 レーゼが彼女の言を引き継いで言いました。

「俺も、よくわからない。ハリトは?」

 ハリトも首を横に振りました。ですが、少女は二人があの白い幽霊たちの話したことを言っているのだと思っていました。当然これからはその真偽を確かめにまた地下に行くのだと。

「ついこの前までは気づかなかった感じ。でも、何かが動いているようなのね。奇妙ね。とても奇妙。でも、きっとずっと前からこうだったんだわ。でも…こう言いながら、私はただ当てずっぽうに何事かうわ言みたいに言っているだけかもしれない。ああ、もどかしいな。きっと今の言葉、文にして書いてみたら、読み返したらやっぱりもどかしいはずね」

「でも、そうなんだから。どうしようもないじゃないか」

「何がもどかしいのか…鍵は、多分あの話にあるのだと思うわ。でもどうしたら確かめられるのかしら。いいえ、できればやっぱり、確かめたくないわ」

 イアリオはうろうろと市場の端を歩き、そわそわと街路を眺めました。市のまっすぐの道はここまでで、住宅地に入るとその幅は狭くなり、くねくねと折れ曲がります。市場の隅の展示は絵画や彫刻などで芸術家たちの肝いりの作品が並んでいました。どれも線が太く、かっちりと対象物の輪郭を描き存在感を際立たせていましたが、その隣の店の別グループの作品群は反対に線が柔らかく、繊細な様式でした。芸術の店の対面は下着屋さんで、着心地のいい長襦袢が木の十字架に架けられて質の良さをアピールしていました。それぞれの店の奥にはたくさんの籠があり、売買のための交換用の食材が積まれていました。瓜が香り立ち、ハーブが芳香を漂わせていました。

 夕日が赤々と西の空を照らしました。もうすぐ帰る時間です。レーゼとハリトは互いの顔を見合わせました。

「俺たちはまた入りたい。だから、イアリオが無理というなら、鍵を預けてくれないか?」

 レーゼの側で、ハリトが頷きました。

「それはできないわ」

 そもそも、私がそこまでやる必要はどこにあるのだろうか?と、またイアリオは消極的なことを考えました。あの天女たちの言葉を、わざわざ確かめに、自分自身だって十分危険だとわかっているあの暗黒の地下に臨むのは。どう考えても、無謀であり無駄なこと、なんじゃないか。ピロットについては私の中で確かな位置取りを得られた。それで、もう、あの場所に分け入る意味はないはずでしょう?違う?墓参りも禁止になったけれど、もしかしたら、そんなことしなくても私は十分かもしれない。この子たちだって私が自ら危険に誘ってしまっているもの。もうこんなこと、やめても、いいかもしれない。やめてしまおう…。

 そして、自分の新しい人生を…。

 その時、イアリオの目が二つの目に吸い込まれました。紫に近い、藍の深い、深い、瞳でした。それは、レーゼの二つの瞳でした。えっと彼女は思いました。やがて、二つの言葉が口から漏れました。

「そうじゃないわ。行くんだわ」

 どこへ?

「やっぱり、私は行くんだ」

 だから、どこへ?………イアリオは可哀相なものを見るような目つきになりました。しかし、その対象は視線を向ける相手ではありませんでした。その瞳に映る、自分自身でした。彼女ははっとしました。自分がレーゼに目を向けていることを、今更知りました。

 何か不思議な安堵が彼女の体を駆け巡りました。イアリオはハリトも見つめました。まだあどけない顔の少女は、こちらを見て、頬を紅潮させています。イアリオはゆっくり、口元を緩んで微笑みました。「結局はそうか」と、呟きました。

「なんだか、私が、私を一番怖がっている気がするね。あのどうしようもなく、自分の運命だって感じた夜の事を、意味もなく後悔する気持ちは、何かの始まりを知らせたその場面が、あまりにも大きいからだ。わかってはいるんだ。私の前に、あの光たちが来た理由も。私が、地下の幽霊たちを供養したいと願っていた理由も。私は…白い町が、滅びた方がいいなんて考えをしている。この町が嫌いなんだ。心の底で、すごく嫌悪しているんだ。だから、言ってみれば、私はあの天女の言ったことを望んでいた。…それを確かめるということは、自分の思いを確かめることでもあったんだよ。だから、そう、ピロットをどうにかしなきゃならなかったんだね!彼のことが、私の嫌悪感につながっているからだ。彼はいなくなったことが、やっと私の中で落ち着いた。いよいよ、私は私自身に向き合う必要が出てきた。だから…生活に戻りたいと、考えた。普段通りの仕事に返って、落ち着いて生活したいと。でも…違う、違うんだ。あの言葉、はっきりと覚えているわ。白光がうたった文言、天女の姿、光たちの顔、顔、顔。皆私にこう言った。これは事実だって。どうしようもない進行中の現実だって。なぜ、そう思うか自分でもわからない。だけど、焦燥がある。どこか、言い知れない焦りがある」

 レーゼが、真剣な顔をして頷きました。

「物凄い現象が、自分のものの考えに近いことをしゃべってしまったから、受け入れるのに時間がかかってしまったのね。ええ、一緒に行きましょう。今度は、あの不可思議な話を、ちゃんと確かめに!」

 いつのまにか、三人は市場からはずれて住宅地も通り過ぎて、郊外の人気ない野原まで来ていました。彼らは草に寝転がり、沈む夕日を一緒に眺めました。イアリオは、自分の傍に彼らがいることが、何よりも心強く思われました。彼らがいなければ、あの神秘的な入り江にも入ることができず、恐らくピロットは永遠に彼女の一部にはならなかったでしょう。

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