第十章 ピロットの行方 4.新しい入り口
草原の上で、イアリオは唇を噛んでいました。ハリトとレーゼを連れて、原っぱの中に隠された地下への扉を見つけた時でした。入り口を塞いでいた岩が、横にどけられていたのです。誰が?彼女は慎重に中を覗き込みました。ですが足跡はありませんでした。きっと、何かの拍子で岩が転がってしまったのでしょう。三人はこの入り口から入ることをやめました。
「議会に言わなければならないけれど、私が直接報告したら、私一人でこの場所に来たのではないことを知られるわ。皆でてこで岩をどかそうとしていたのだものね。でも、何かの折に、必ず知らせるわ」
彼らは開けっ放しの出入り口をそのままにして、別の門からの侵入を考えました。その日はその相談だけで解散しました。
その後日、ハリトが全速力でイアリオの家に駆け込んできました。息継ぎしながら、少女は木の皮を叩いて薄く広げた紙を取り出しました。
「これを見て」
「絵?どこのかしら?」
イアリオは紙を受け取って、まじまじとそれを眺めました。神々しい光が丘の上に集まっている、まるで、彼女らが白い霊たちと遭遇したあのシーンを描いているようでした。
「私たちの他に、あの現象を見た人がいたんだね!」
「そうなんだけど、私の兄が描いたのよ、それを」
イアリオはびっくりしました。
「それでね、裏側を見てよ。きっと近くにいたはずだよ。あの言葉も書いてあるんだから」
絵を引っくり返すとごわごわした紙面に黒い筆で文字が連なっていました。そこには、「未来がもう間もなく破局を迎える。我々は、一連托生だ。悪は変わる。変わらなければならない。破壊は再生のしるし。天秤の如く揺れる動きの中に、もはやこの国はいないから。」と書いてありました。
「なるほど」
「でね、署名は兄じゃないの」
裏の言葉の最後には、「カ・テ」とイニシャルが打たれています。ハリトの兄はシダ=ハリトですから、確かに異なる人物のようです。
「まさか…カ・テ、か…テオルド?カルロス=テオルドかな…?」
「兄は依頼されて書いたの。後で聞いたけれど、彼が自分でその紙を用意するはずがないでしょ。そんな余裕はないもの。誰に、て訊いたら、それは言えないって言ってたけど」
「まさか、お兄さんの所からこの絵を持ってきてしまったの?」
「あんまり驚いて。イアリオなら、後ろの署名が誰だか見当がつくかと思ってね」
ハリトはしゃあしゃあと言いましたが、その理由は、本当のところではありませんでした。兄の描いたものが、我々の大事な交差点とつながっている、ますます私たちは、近い関係ですよね?と、訴えるためだったのです。
「でも、依頼者が私の知っているテオルドならば、彼とまた色々話ができるかもしれないってわけね。そうか、ありがとう。本人に直接訊いてみることにするよ」
イアリオに感謝されて、ハリトはにこにこと笑いました。ところで、ハリトとレーゼはイアリオを呼ぶ時に先生と呼ばなくなりました。同じ仲間として、同等の間柄として、互いに信用し合うことにしたのです。その感覚は、イアリオにとって、十五人でテラ・ト・ガルの誓いを立てたものと一緒でした。同じ秘密の共有をしながら、慎重に慎重に、行動をしてゆく一蓮托生の国民でした。国とは人々の胸の中にあるものです。失われてしまった国も、現在ある国も、人々の心の中に思い描かれていないのならばないのと同じで、そうしているならば地上から消えてしまってもあるといえるかもしれません。家族という国、友達という国、名渡しの儀式をした者同士という国、町という国。地上にはさまざまな国があります。
その国が滅びるという天女たちの予言、果たして、いかなるものなのでしょうか。イアリオは二人の子供を連れて行くために、今まで彼女が使ってきた出入り口と違う場所の街への通路を使おうとしていました。できるだけ人の目に触れない、意外な場所からの潜入が要求されました。草原の穴はあまり使う気になれなくなりましたので、思い切って、彼女は町の中の三叉路の角にある、壁の内側に隠された扉から入ることにしました。そこは、東の市場のすぐ近くで、誰がその付近に行っても怪しまれることはなく、それに三叉路は家の玄関も窓もないまっさらな壁の続く細くて狭い路地でした。しかも曲がりくねり、視界は遮られていました。
「仮にここで会っているところを見られても、互いに出くわしたか、待ち合わせをしていたかに見られるということね」
勿論イアリオはそこの扉を開ける鍵をもらっていますから、議会は彼女がその出入り口を利用したことは知っているわけですが、まさか他に二人も同伴しているとは思いもしないでしょう。草原からの入り口を利用しようと始め考えていたのは、鍵を使用するところから出入りをしたくなかったためで、普段使っている入り口を改めようとすればその理由を必ず問われたからです。イアリオは今回の鍵の変更の次第を、もう少し調べたい場所が街の東側にあるのでその付近の入り口を使いたいからだと議会に説明しました。
「まだ人間の気配があるのかね」
彼女は父親の隣に座る、どっしりとした大柄な問審官に尋ねられて、
「そうですね。充満する人々の怨念をそのように捉えただけなのかもしれません。私にはもう地面の下へ行く必要はないかと思われます」と答えました。
「ですが、この前地下へ行くことのできる入り口を調べてみたところ、西の草原にある門が岩戸のずれを起こしていました。私たちは子供たちの件で今年何度も入り口の点検をしていますが、こんなに頻繁に地面に穴が空く原因を一度調べる必要があります。私は今まで主に地下都市の西側を調査しました。調査隊が定期的に送られていますが、これまでのやり方での調べ方では足らないように思えるのです。ですから、調査隊のやり方を変えてもらうか、それとも私自身の調査を支持してもらうか、どちらかにしてもらいたいと思います」
この説明は嘘ではありませんでした。議会は納得し、継続してイアリオを物調べに当たらせることにしました。
三叉路の角の壁を探ると、その下側に壁の内側に押し込める箇所がありました。押し方にはこつがあって、斜めにずらすように押し込みました。すると、人一人が屈んで入れるほどの穴がぽっかりと開きました。
「こんなに簡単に開いちゃうの?今まで誰かが偶然開けたりしなかったのかな」
「いいえ、あなたたちより先に来て、秘密の鍵を使ったのよ」
壁と地面の間に溝が掘られていました。この辺りは水はけを良くするために側溝を設けていました。そこに、小さな鍵穴があって、石の留め金とつながっていたのです。白壁の真下に三人は頭をくぐらせ、松明に火をつけると、ずらした石を元通りにして、壁の内側にもついている鍵穴に鍵をきちっと差し込みました。
「よし、行きましょう」
いよいよ、ハリトとレーゼはそれまで見たこともなかった未知の街へと繰り出すのですが、両者はぐっと口を閉めて互いの目を見合いました。穴の先の、暗闇の向こう側にあるものが急に現実味を帯びて感じて、息を潜め、じっと様子を伺いました。二人の密かに漏らす呼吸が、それぞれの胸を濡らして、あたためました。
「怖い?」
二人は灯りの中に浮かび上がる二人の尊敬する人間が、別の生き物のように思えて首を振りました。答えはNOとなったわけですが、恐ろしいことがこの先に待っているとわかって、思わずその恐怖にまるごと呑み込まれたのです。子供たちの目は輝いていましたが、それは異常なものと出会った時の反応でした。紫色に薄らいで、確かめようとしています。ですが、怯えた感じの色はしていませんでした。通路は屈んだまま進んでいかなければならず、窮屈な姿勢で三人は奥へ這っていきました。
彼らの行動を知る者がいました。カルロス=テオルドです。彼は評議会からイアリオが侵入口を変えたと聞いていました。(議会の討議や決定項などは資料化されていつでも閲覧もしくは問い合わせることができた。)テオルドは彼女の行為をできるだけ注意して見ていました。オグと同化して、彼は偉大な計画を実行に移すべく大掛かりな準備を進めていました。その中で、彼女は不穏分子となる可能性がありました。彼の目的は、この町を絶滅させることです。先祖のイラの魂の慟哭やまたオグの中にある数多の悪の霊たちの意識が、彼にそうするように囁くのでした。イアリオが全部いにしえの霊たちの心を慰めてしまうなどとはとても思えませんでしたが、注意するにこしたことはないだろうとテオルドは判断しました。彼は、彼女があの白い光たちに囲まれて、聞いた言葉も知っていました。彼にはあの現象が意味するものは何なのか判っていました。
イアリオがどこまであの白光どもの文言を理解したかは知りません。テオルドはハムザス=ヤーガットなどに彼女の目付けを任せ、彼女と子供たちの三人が何度か一同に会しているのを、そしてシャム爺を経てシュベルの問題に関わっていることを、報告させ聞いていました。
さて話は戻り、イアリオと子供たち二人はそろそろと四角い通路を這い進みました。やがて穴は下りになると、一気に落ち込み、危なくなりました。しかし丈夫な鉄の釘が、足場となるように互い違いに打たれており、三人は気をつけながらゆっくりと下りていくことができました。ずうっと下がり、相当な距離を進んだかに思えた頃、彼らはこの縦穴が煙突の役目を果たしていて、煙を地下から外に逃げさせていたのだとわかりました。ごつごつした岩盤に指を当てたところ、奇妙な感触があって、それが濡れた墨だとわかったのです。地下都市の東側は、主に工場が並ぶ一角でした。日用品をつくり出す、あるいは修繕するための釜のある仕事場が軒を連ねている区域でした。イアリオは、鉄釘の足場が途中からなくなることを知っていました。ですから、三人の中で一番下を、そろりそろり足元を調べながら降りていきました。そして、足下に何もないことを確かめると、松明を伸ばして下の様子を覗いてみました。
「ここからロープで降りるわよ」
イアリオは火をすぐ上のレーゼに持たせて、縄を鉄釘にくくりつけると、さっと滑り落ちていきました。地面に足が付くと、埃っぽい、何百年も人が足を踏み入れたことのない不気味な暗がりに待ち構えられていました。目を凝らすと、奇妙な形の鉄鉱が床にごろごろと転がり、金槌や台、やっとこに鉄床があちらこちらで沈黙していました。
「いいわよ。降りてきて」
子供たちは慎重にロープを伝ってきました。そして、床に足を付けると、古代の滅びた都の一室を、現実のものかどうか確かめるように探り見ました。明かりに照らされたそこは幻想的な、放置された異空間でした。灰色の衣装をまとって、石のように、すべてが止まって見えました。
「やっぱりここは、大昔に亡びていたんだ」
ハリトが呟きました。
「ええ。でもここはほんの一部。外に出てみましょう。きっとびっくりするわ」
橙色の光が鬼火のごとく移動して、暗い場所をほのかに灯しました。暗黒の大空間から見ればその光はホタルかそれ以上の小さな生き物のかすかな命の主張でした。暗がりが呑み込もうとしています。二人の子供らは空を見上げました。圧倒的な天井と、物言わぬ街並みの四角い壁が、こちらを押し潰してしまおうとしているようでした。立っている場所がとても狭く感じました。上のゴミ街と比べたら全然街路は広く自由に走り回ることができるくらいなのですが、イアリオからあの暗い滅びの事件を聞いたからでしょう。無数の生ならざる者どもが、そこかしこにいるのを目の当たりにしているようで、二人にとって身を隠す余地がどこにもない気がしたのです。いかなる空想も、どんなに突飛な噂話も、みなこの暗闇に呑まれそうでした。自分の存在などいかにちっぽけか判らずにはいられない。この場所が、三百年もの間自分たちの過ごす所の近くにあったなど、彼らは知るべくもありませんでしたが、それは、何とも深い真実の有様にも思われました。




