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破滅の町 (分割版)  作者: keisenyo
第二部 前
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第十章 ピロットの行方 2.西地区の守護者

 シャム爺への連絡方法はありません。シャム爺が、西の町の困ったことに、顔を出して、解決の道筋を示すのです。たとえば早急に産婆が必要なときは、お産の母親を安心させて、すぐにも赤子を生まれさせる手はずを整えます。また訴訟になりかねない喧嘩が始まれば、両者の言い分をよく聞いて、しかるべき裁判者に登場してもらう前に、詳しいいきさつを調べます。急性の病人が出れば、真っ先に駆けつけ、医師よりも早く症状の見立てをして、本人を看護します。このように彼は問題事の最前線へいち早く到着しました。そのために知識も豊富で、西の町の人々は彼がいることで見えない守り神に護られているような日々の安息を感じていました。「シャム爺」は本名ではなく西の区画に受け継がれてきた管理者の渾名です。いつごろから彼が現れたかというと、およそ二百年前から、人口が増えてきて街並みも複雑になり始めたときからでした。当時は人々の心が荒れていて、問題がよく起こり、小さな勢力が方々で争いを起こしていました。そこで、町は各方面に管理者を置き、町として統一した意思を持つために、裁判所や医師を整備したのです。町の西側の管理者は揉め事の矢面に立って活躍しました。彼自身がごたごたを最初に引き受ける姿勢を示すことで、スムーズに揉め事が解決していく様子を人々に見せたのでした。これは西区の伝統となって、今もシャム爺という渾名にもなって敬愛され尊敬される管理者を継いでいるというわけです。ちなみに「シャム」は、彼らの言葉で「落ち着いた、冷静な」という意味です。

 彼に会いたいからといって町人から彼を見つけるのは容易ではありませんでした。彼は彼が用事のある場所に現れるという存在ですので、人からの用事は聞かないのです。それに、自分の管理地域にいてそこからは出ないものの、常にどこかに移動していて、同じ所に定住はしていないのでした。夜こそ寝床にいるものの、その床はいつも変化していました。ですから彼についてこんなうわさが立ちました。もし彼を発見することができたとすれば、彼の知っていることを何でも教えてもらえるという。

 イアリオは、このつかみ所のないおじいさんの探し方を知っていました。始めは、十年前、闇雲に探してその日のうちに見つけてしまったのですが、なぜか、この時その方法がわかったのです。シャム爺は、人の目につきにくい道路を歩きます。影から人々の様子を覗き、その本当の姿というものを目に留めるのです。人と相対してしまえば、会話せずにはいられませんから、それで自分の判断が鈍るのです。影の中の離れた場所から人々が会話するところを見ることで、客観的な観察が得られるというわけです。ですからゴミ街の人々は、どこかに黒っぽい影を見つけると、あれはシャム爺かもしれないと、どきどきするのです。ですが、彼は尊敬されていましたから、まるで親しい妖怪をそばに置いているような感覚でした。イアリオは、そんな妖怪じみたおじいさんの動き方を、よく把握できるような探し方をしていました。おそらく地下のあの暗がりに臨んで様々なことを知覚したからでしょうか。物陰に潜むものを、暗い恐怖を体験した子供たちは知ることができるようになりました。

 ポイントは、ゴミ街の狭い路地でした。イアリオは朝早く家を発って、人々がまだ寝静まる頃に、するすると路地を抜けていきました。そして、小さな空き家か物置小屋と思しい家の戸を開いて中を覗いていきました。誰かの住んでいる家は、小さな看板が戸口に掛けられています。そうでない家は、持ち主不在の自由な空きスペースでした。ゴミ街ではこうした所を上手に使っていました。持ち家も狭いものですから共同で鍋や食器や調味料などをここに置いていたのです。シャム爺はこうした場所を寝床にしています。彼女もここで寝ようとしていた彼をつかまえて、祈り方を聞き出したのです。

「ああ、いたいた」

 イアリオはにこにこ微笑んで、積み上がった調度品に掛けられた藁に、背中もたれて眠っているかわいらしい老人を発見しました。

「シャム爺は、風邪を引かないのかな」

 彼こそ厚手のチョッキを(セジルという、長方形の上衣です)着ていますが、何も上に掛けていません。それはいつものことで、このような狭い空間はぴったりと戸を閉めればぬくぬくとして暖かいからでした。

「シャム爺、起きて」

 むにゃむにゃと寝起きたシャム爺はびっくりしてイアリオを眺めました。そして、昔を懐かしむような目をしました。

「はは、これは、懐かしい。小さかったお嬢さんがまたこんな所に来るなんて」

 老人は起き上がり、傍に置いたコップを持ち上げてぐびっと一口水を飲みました。

「あの時は、毎日来たこともあったな。毎日わしの居場所がわかるから、さすがのわしも、隠れることが不得手かもしれないと思い込んでしまったよ」

「私がもの探しが上手なだけよ。今日も一発であなたを見つけたわ」

「本当かね?」

「いいえ、嘘です。でも、本気で見つけようと思えば、シャム爺はきっとどんな人でも見つけることができる」

 イアリオはしみじみと言いました。

「そういうお前さんは、いったい何の用事で来られたのかね?いいや、わしは、人の用など聞かん。わしが用事のあることにしか、用はない」

「その台詞、前とまったく変わらないわ。あなたの持ち込んだ疑問に答えるために来たのよ」

 イアリオはハリトから聞いた子供らの情報を、彼に教えました。彼は驚いて、深刻な顔をしました。

「そうか、わかった。わしは放置しすぎていたようだな。あの連中を。わしに隠れて何かしているということが、そもそも気に入らぬことだったが。放っておいたら大変なことになってしまう」

 でも…と、老人は口を閉じました。何かを探る目つきをぐるぐると回しました。

「お前さんのやっていることも、どうかと思うぞ。ずっとあの忌まわしい場所に入り続けて、ましてやいにしえの亡霊たちを慰める。はて、生きているこちら側の者が彼らに取り憑かれるだけではないか?お前さんも、もはやそうなっているのでは?」

「そうかもしれない。でも、違う」

 イアリオは強い目で言いました。

「私を信じて。きっとあの場所は、忌まわしいものではなくなるから。何年、何十年、いいえ、何百年かかるか知れないけれど、墓丘に願ったように、幽霊たちは天国に帰るわ。私たちもしなきゃならないと思うの。先祖たちに、彼らの荒ぶる魂を癒すように頼んだのなら、生きている人間たちも、同じ事をしなければならないのではないかしら?それとも私たちもあのようになる可能性を、大変な欲望の渦に呑み込まれるのを防ぐことも、同時に天国の人々に頼むばかりなのかしら?私たちこそ、そうなりかねないのを」

 老人はうっと呻きました。

「お前さんの言うことはわかる。わしも、昔、同じ事を考えたことがあったよ。なぜ人間はあの暗闇を恐れるばかりなのだ、とな。でも、それがずっと続いた伝統だった。わしは考えるのをやめた。面倒くさくなったのだよ。それよりも大切なことがある。日々の生活を、確かなものにするための努力だ。繰り返し、同じ生活をし続けていくことだ。それが何よりも大切だ。わしは、一番大事なことに気づいたとその時には思った」

 彼は言葉を切り、じっと正面に視線を据えました。

「シャム爺という役職もな、わしは、四十年前に就いたわけだが、今もやりがいのある仕事だよ。だがな、人間の不安は、ともすればあの暗黒から昇ってくることもあるのだということに、だんだん気がついてきた。わしらは向き合いおおせていないのだ。根本的な恐怖から遠ざかるばかりで、どうも最近の皆は、表面的なことだけで争いを犯しているようなのだ。実がない、味がない、人らしさがないところで、罵ったり、不平を言ったりしている。以前は違ったとは言うまい。ごくごくつまらないことで言い争っているうちは平和だということもできよう。だがそんなことは問題ではない。わしはある可能性に気づいてしまったんだ」

「可能性って?」

「お前さんと同じだ。同じ考え方なのだ。この町から、我々が離れるという可能性だよ」

 イアリオはびっくりしました。そんなことは、彼女も考えたことがありません。

「わしは、こんな町捨てて出て行ってしまいたいと何度も思ったことがある。わしだけではない。この町に生きることがすべてだと皆が教えられているけれど、それは体面、昔からの都合と言うべきもので、本心は違う。ただ生きるということを考えれば、この町しかないと誰もが選択しているにすぎない。人間はわかっているよ。選択というものははるかに自由だとな。いつのまに選んでしまったことが、押し付けがましく、また自ら選んだとも思わないで、粛々と実践していくことが正しいと思い込んでいて、それは正しい。確かに正しい。それが強力な力を生み出しているにすぎないのだよ。この町から離れられず、わしたちも、滅びの都を守るためにここにいると思っている。黄金はいづくにも流出してはならないと認識している。だがそれは、我々こそその黄金に囚われていることにほかならない。しかしこの歳になるとそう感じることもつらい。町を出るなどと希望すること自体ありえないことだ。安らかに眠りたい。そのために何事も厄介ごとは起きてほしくない。そればかりだ、今願うことは…」

 老人はつらそうに言いました。イアリオはこのような話を町人から初めて聞きました。シャム爺だけでなく、他にも、町人たちの中にはこんな風に自分の出生の在り様を疑問に思った者はいるのかもしれません。

「お前さんのやっていることに、わしは口出しせん。ただわしのようにお前さんも苦しんでほしくないと願うばかりじゃ。だがそれも、余計な口出しだでな」

 シャム爺はよっこいしょ、と立ち上がりました。

「考えに耽りがちだ、というわしの性格も損なものでな。以前…そう…わしの奥さんに、だったら一度出てってみなさいよと言われたことがある。でもそうすればわしにも家族にも不幸が訪れた。この町は、臆病で、死を用意するのだ。しかしそれも仕方がない。我々は受け入れるしかないのだよ」

「もし、そのために子供たちを地下の誘惑から引き離そうとするのならば、私はあなたたちの邪魔をするわ」

 イアリオがふいに言いました。

「受け入れるしかないだって?そんな弱さ、私はいらない。誘惑は立派よ。もしそれが、ピロットの不幸を生んだ要因になっていてもね。新しい不幸を準備していたのだとしても、それが人だわ。私たちは、三百年前の人々を見限っているのよ?彼らが誤ったことをしたとして、自分たちの中からその要素を排除しようとして、何も認めたがらなかった。ただ恐れるばかりで見向きもしない。見ようともしない。感覚は追い出したわ。あの街に、全部置き去りにしてね。究極の欲望の行き着く先を私は見た。人間の死体が山のようだった。でも彼らは人間だった。亡霊の声が聞こえるわ。なぜこんな暗がりに自分たちを放っておくんだって、光ある地上に運んでほしいって!それができるのは、生きている人間、私たちしかいないけれど、恐怖は物語のように生き残ってしまった。ああ、でも、私も何を言っているのだろう。どんなことを言いたいのかわからない」

 彼女は頭を振り、眉をしかめ、額を強く押しました。

「受け入れがたいのかね?この町が」

 老人は静かに言いました。

「違うわ。あなたと違うところで私は闘っているのよ…」

 イアリオは力なく呟きました。

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