第十章 ピロットの行方 1.出歩く子供ら
いつもの日常が明けていきます。その中で、時間を空けて、三人は相談する約束をしました。どうやってあの天女の言った文言を確認していくのか。その言葉の神秘さと言い知れぬ圧力とが彼らを捕らえていました。
レーゼは日ごろ父親の仕事の手伝いをしていました。この町では、十五歳を過ぎると、職業見習いとして働きに出るのです。それから十八になるまで自分の適職を見つけることになります。十八が彼らの成人の歳でした。この町では仕事は世襲制ではなく、自由な選択ができましたが、子供たちのおおよそはやはり親の仕事場を目指すことになりました。親に反発する者、従順に従う者、それぞれの歩みが十五から始まります。子供たちが一番身近に見聞きした事柄は、やはりその心理に大きく関わってくるものです。ところでハリトはまだ満十五歳ですから、授業に出るのも(学校教育は八歳から始まる。しかし歴史や算数、読み書きなどの必須科目以外は受けるのは自由である)遊ぶのも好き勝手ができました。彼女の家は石工をしていて、兄のシダ=ハリトは芸術家になりました。芸術家といっても石壁の装飾や絵付け、飾り物の調整や、左官工事も担いました。彼が望んだような紙の美術は、まだ手伝うこともできていませんでした。彼はイアリオの一つ上で、今二十三歳です。その妹のシオン=ハリトはまだ人生の目標を立てる時分ではありませんでしたが、レーゼと一緒に新月の丘にやって来て、星々に祈る特別な願望がありました。
ところがその願望は今や二つになりました。もう一つ出てきた望みは、イアリオと同じことを自分もしてみるということでした。それは、大した望みではないように思われるかもしれません。レーゼのに比べれは明らかでしょう、小さな子供が、人真似をしたいと思うことと一緒なのですから。しかし、ハリトにとっては重大なことでした。彼女は今まで誰の真似もしたいと思ったことがなかったのです。彼女は唯我独尊、彼女もまた、ピロットに似ているところがありました。自分が一番大切で、他のことには気も留めていませんでした。だから、この気心の変化は、大きな変身だったのです。教師と生徒という関係で出会い、北の墓丘でまた出会い、そこで一人の大人の女性の生き方に触れた彼女は、イアリオに憧れ、いつでも彼女のそばにいたいと望むようになりました。イアリオと一緒の、教師に自分はなってもいいのではと考えたこともありました。ぼんやりと一人でいて、町から東の山脈の麓まで広々と開けた牧場の草原などを眺めたりして、彼女は物思いにふけることが多くなりました。
ハリトはまだ、夜中、ほとんど下着の状態で外を出歩くことがありました。それで風邪を引いたというのに、彼女は懲りませんでした。眠れないのではありません。憂鬱になるといつもこうするのです。ハリトは、よく、鬱屈した気分になりました。それは彼女の溢れんばかりの生命力が、押さえつけられているようにも感じていたからかもしれません。夜風にさらされ、彼女はいい気分でした。一人だけで、真夜中に寝静まった家並みの上にいると、何とも言えない開放した気分になります。彼女にこの町は狭すぎたのかもしれません。人知れず抱えた彼女の鬱憤こそ、ピロットのそれと似ていて、何かに注力できないからこそ、自らを追い詰めることがあるものでした。夜も更けた丑三つ時、ハリトは、前のようにまた少年たちを見つけました。今回は彼らの話したことを、前よりも詳しく聞くことができました。
彼らの話を聞いているうちに、ハリトは、自分もその少年たちの仲間になってしまおうかと思いました。面白そうだと思ったのです。しかし彼女は、ためらうことなく身を翻しました。このことをレーゼやイアリオに報告した方が、より望ましいと感じたのです。もし、イアリオと会う前の彼女だったならば…いきなり少年たちの前に登場して、自分も仲間に入れてくれと頼んだでしょう。
井戸から水を汲み上げて、桶に、イアリオは自分の顔を映しました。二十二歳の顔は、まだ張りがあり、十八歳と年齢を詐称してもいいほどでした。彼女は結婚を望んだことがありませんでした。でもふと今、そうしてもいいと思いました。誰も相手はいませんが、それに自分をもらってくれるような殊勝な人間がこの町にいるとも思われませんが、希望は持ってもいいような気がします。
ふふっと彼女は笑いました。一人笑いなど今までしたことがあったでしょうか。ピロットがまだこの町にいる間はそれができたかもしれませんが、彼を失い、彼女は大事な自分の一部をどこかへ奪われていたのです。彼女は自分からすすんで群れることはありませんでしたが、いつも人の役に立つことをしようとしていました。そうしなければ逆に自分は生きられないような気がしたのです。心の中に、彼を失った責務が無意識を苛んでいて。彼女は、人と笑い合うことはできましたが、一人だけいて安穏としたことがありませんでした。
それが今できるようになったのは、彼女が、自分の悩みを人に打ち明けたからでしょう。でもそれは誰にでしょう。母親、テオルド、マット、ハリトとレーゼにも話しましたが、そのうちの誰が彼女にとって重要な役割を果たしたのか。しかしそれはさして大事なことではありません。自分の笑顔を見て、彼女は自身が大分変わったな、と思いました。
お昼御飯が済んで、くしゃみも一つし終えたところに、思わぬ客の訪問がありました。背の低い眉毛の長い老人が、ちんまりと玄関口に立っていました。もの優しい目でイアリオと、家の中を眺めています。
「シャム爺!珍しい、中に入って!」
彼女は快く客人を招きました。しかし、これは本当に珍しいことでした。シャム爺は(この呼称は本名ではなくて、ずっと西の町に続いた管理者の渾名であった)彼の担当する区画の外に出ることは滅多になく、まして個人的にどこかを訪問することはなかったのです。彼を訪問したいという者はたくさんいるのですが…。
「奇妙な人影が、夜な夜なわしたちの町を徘徊しとるんだ。それに、そいつらはどうも子供らのようでな。西の区域にはいない連中だったが、近頃は、わしとこの連中も混ざり始めていて」
イアリオは沸かしたお湯にハーブを入れて彼に出しました。少し茶色がかった黒い筋のアクセントのあるその茶葉は、辛目の味がして、シャム爺はこのハーブティーがお気に入りでした。
「ありがとう。わしにも時間がない。わざわざお前さんを訪ねたのだからな。本題を聞いてくれ」
「奇妙な人影って、その言い方、彼らが何をしているのか、シャム爺にもわかってないわけ?」
「ああ、そのとおり。まったく胸がむかむかすることだよ。落ち着きがない。町の人間だとはわかっていて、しばらく様子を見ているうちに、何か判ろうものかと期待していたんだがなあ。お前さんは何か知らないかい?」
「どうして私を訪ねたのか…よくわからないけれど、私にもさっぱりよ。がっかりさせちゃったかしら」
「ふむ。子供たちが来ているから、彼らの事情を、何か知っているかと思ってな」
「そう…」
その時、イアリオの脳裏にはこの前の子供らの事件がよぎりました。
「おじいさんも知っているでしょ?地下に、彼らが迷い込んだこと。まるで十年前の私たちみたいに」
「ああ。半年ほど前だったな」
「それが関係していたりしてないかな?」
「なんじゃそれは。どのように関係している?」
イアリオにも判りません。ですが、気になることといえばそれくらいでした。
「子供たちにおかしな傾向はないよ。夜な夜などこかに遊びに行く子だって、普通にいるもの。それが、シャム爺のいる西地区を舞台にしていたっておかしくないわ。むしろ、そこだから、子供たちは燃えるものがあったりしてね」
「燃える?なぜ?」
「あなたがいるからよ」
彼女は老人にウインクしました。
「案外、あなたを困らせようとしているだけなのかも。今頃、珍しく私の家まで来ているシャム爺の姿見てほくそ笑んでたりしてね」
「やめてくれないか。わしは連中に夜中ずっと引きずられているんだぞ。ああ、でも…お前さんの言うとおりかも知れんなあ」
老人は頷き、ふうとため息をつきました。
「やつら、すばしっこくてなかなか捕まえられん。どんないたずらをしているものかと老人らしく喝入れようにも、連中がわしで遊んでいるんじゃなあ、取り越し苦労だわ。ありがとう、その通りかもしれん。わしが追いかけるのをやめれば、連中も遊びをやめるかもしれんか」
ふさふさした眉の下の目を瞬き、シャム爺は腰を上げました。
「どれ、帰るか」
やれやれと、シャム爺はひょっこりひょっこり、玄関から出ていきました。イアリオは、ふと、あの光の幽霊たちの合唱を思い出しました。「この国は滅びる。滅びなければいけない。なぜなら、行き過ぎたがゆえに、取り戻す必要があるからだ。」…彼らは何を宣告したのでしょうか。そして、その宣告は正しいのでしょうか。彼女は不気味な予感に、ぶるりと震えました。シャム爺のもたらした奇妙な情報は、これとは何も関わりがなく思われましたが、彼女の心の奥底で、ざわざわと様々なことが融合していくように思われました。
イアリオは、教師の仕事の他に、評議員である父親の手伝いもしていました。それは主に議事録作りで、これからその準備に入ろうとしました。今回は相談事が二件あります。町中を走る水道の修理についてと、臨死間近のおばあさんについてです。その資料を作成するために、議事録用の薄い丈夫な粘土板かあるいは石版をたくさん用意する必要がありました。彼女は父親のところに行き、綺麗に保存されている予備の石版のある倉庫の鍵をもらおうとしました。その時、彼女は父親が面やつれしているのを見て、心配になりました。彼女は知りませんでしたが、相当な気苦労があったのです。丁度その頃、正職に就いたばかりの若者が暴れ回るという事件が起きていました。イアリオの担当していない議事で、議会では大変深刻な問題になっていました。若者は一人や二人ではなかったのです。父親はこの問題の主任で町中を巡り情報を集めていましたが、決定的な理屈がつかめないのでした。若者たちは病棟に入りそこで看病されるほど、つらい心の病に身をもだえていました。
さて、その日の晩、イアリオはハリトとレーゼを自宅に招待していました。それまで何度か三人は集まってこれからの相談事をしていましたが、三百年前の地下都市についての詳しい事柄と、十年前の事件についてのいきさつを、彼女から二人に話すのが主でした。その間、イアリオは何度かお墓参りにも行き、一人で、ないしはハリトを連れて、ハルロスの日記を読み上げていました。
「予備知識はこれくらいでしょう。あとは、いつみんなで滅びの街へ入ってみるかね」
三人であの破滅の都市に入り込んでみようというのは、最初の話し合いの時に決めていました。イアリオは勿論抵抗感がありましたが、乗りかかった船に二人を乗せたのは自分なので、その責任をどうしても取らざるをえませんでした。彼女の話が、実際本当であることを見せた上で、墓参りに付き合ってもらうのが通すべき筋だったのです。
「そのことなんだけど」
ハリトが、手を挙げました。
「奇妙な連中が、夜中出歩いていてさ。奴ら、そのことを話していたよ」
「ああ、前に言った、あのことか」
レーゼが合いの手を入れました。
「新しいことがわかったんだよ。この前、おんなじ奴を見つけたら、そいつの言っていることを詳しく聞けたんだ」
「…どういうこと?」
イアリオの目が閃きました。
「前に、黄金の塊を持っている奴を見かけたんだ。今度は違って、鋭いナイフみたいなものを握っていたけれど、あいつが言ったんだ。地面の下に、とてつもない広い洞窟があって、そこに行けば、違ったものが見れるって。洞窟からは外に出られて、海の外へ行けるんだってさ。でね、そこで、秘密のことをするからついてこないかって言うんだ。私もついていこうと思ったんだけれど…」
三本の蝋燭が明るく机の上を照らしています。その時、ハリトの顔面を虹色が撫でたように、見えました。
「こいつ、下着でよく夜中出掛けるらしいんですよ。また風邪引いた?」
「だから、ついていくのを止めた。洞窟なんて行ったら、風邪どころじゃすまなくなるよね」
ハリトはその時思っていたことと違うことを言いました。勿論、それは話の流れを受けてのことですが。
「洞窟って…」
「どうしたの先生?」
「まさかねえ?」
イアリオは妙な気分を振り払いました。地下に入り込んだ子供たちの事件は、もう片付いたはずでした。彼女だってその後一度も地下で彼らに会ったことはなかったのです。
「町の下…黄金の洞窟…言葉…仲間…」
「イアリオの話じゃないだろ。その連中がそんな言葉を言ったって、別の場所かも知れないぜ」
「でも、黄金を持ってた。あれは、その街にあったものじゃないの?」
「黄金とは少し違う、と言っていたじゃないか。小金みたいにさらさらしていなくて、ごつごつした奇妙な石だったんだろ?」
「私は、先生から話を聞いていて、ずっとあの連中が話したことが本当だと思っていたよ」
レーゼは目を瞑り、首をすくめました。
「だったら連中もイアリオたちみたいに死体を見ているかもしれないだろ?」
「それって、洞窟で見られる違ったもの、かもしれないでしょ」
「ちょっと待って…待って!」
イアリオが二人の会話を止めました。頭が混乱しています。まさか、もし半年ほど前の子供たちとは違う連中が今も地下に来ているのだとしたら、それはどういうことでしょうか?いいえ、ハリトの言っていることが、はたして正しいことかどうかはまだよく判りません。
「もう一度聞かせて。ハリトは、夜出歩く連中の話を聞いたわけね。夜な夜な密かに、そいつは仲間を募っている様子だったということなの?」
「そうだよ」
「だったら彼が、黄金の塊や、洞窟の話で相手を勧誘していた、ということね?」
少女は頷きました。
「なんだか西のゴミ街に、下への入り口があるらしいよ。狭い路地から狭い路地へ、人の目につかないように、隠れながら行くのがスリルあるんだって」
「へえ、ゴミ街!あそこから行けるなら、イアリオの言っていた、地下都市しか思いつきもしないな。でなけりゃよっぽど狭くて小さな洞窟のはずだし」
「海にも行けるなら、港から?やっぱりあの連中が言った洞窟は、街のこと?」
二人は二人だけで町の地図を調べて、イアリオの話から推測した地下街の規模をそこに照らし合わせてみていました。話に拠れば天井に梁を通し、その上に石や岩を嵌めて草木の根で楔を打ち、頑丈な地面にして構成した都市の天蓋は町の南側、ほとんど家の立っていないゆるやかな丘陵の真下でしたが、それより北方は、岩壁をくり抜いて出来た人工の岩窟街で、町全体がほとんどその上に乗っておりました。昔の人々は、地面の下がこのように穴を開けられているのなら、その上に家を建てることなどなぜしたのでしょうか。それは黄金の都を鎮護する役目を背負ったためで、彼らとしては、岩層の強度をきちんと調べて、その上で今やたくさんの建物をそこに並べていました。ゆるやかな坂に、白い歯のように並び立つ家々は、北からの光を受けて、見上げれば燦然と輝き美しい町並みでした。平野や、山裾にも彼らの家がありましたが、それは農家や畜産家のためでした。
「ならハリトの言うとおり、連中は黄金の都に行っている、てことか」
「そうなると色々と問題だよ。私たちと鉢合わせるかもしれないじゃん」
密かにイアリオは呼吸を大きくしていました。混乱した意識を、しかるべき方向に向かわせるべく、強く、肺の中の空気をかき混ぜたのです。
「何よりも問題なのは、折角解決した事件が、またぶり返してしまったことだわ。あの街に、厄介な存在がいることは明々白々なのに!私の会った女の霊、それに、ピロットを帰らぬ者としてしまった脅威が!」
イアリオは呻くように叫びました。二人はびっくりして彼女を見ました。
「どうやら、事はもっとおおごとらしいぜ、ハリト?」
「そうか。そうだよね。先生の大好きな人がいなくなった場所…」
そうでした。彼女は、第二のピロットが出てきてしまうことを、何よりも今恐れていたのでした。
「当たり前なんだ、本当は。あんな未知で危険な場所を放っておくなんて考えられなかった。他の御先祖に天国へ連れて行ってもらうことを期待して、墓丘を建てた?冗談でしょ、何考えてるの!ピロットを返してよ。でなきゃ、もう一度でいいから、彼を、ここに引き止めるために何かを私にさせて…」
イアリオは独り言を言って、大きく溜息をつきました。
「シャム爺の報告は本物だったわ。夜な夜な出歩く連中の正体を、ぜひ暴かなきゃ。これは、あの天女たちの言葉を調査するよりも、何よりも重大なことだと私は思うわ。地下都市に行く前に…ハリト、レーゼ、いい?まずはこの問題を解決するわ」
二人は頷きました。彼女の行為を手助けすることが彼らの望みでしたが、彼女といたことで、事件の重大性が彼らにもよく理解されたのです。
ハリトが隣に座るレーゼの肩に頭を乗せました。少年はそれを鬱陶しく振り払うこともせずに、そのままにしておきました。疲れてしまったのか眠たいか、いずれにしても、この奔放な少女がまた自分勝手に振舞ったと思ったのです。しかし、ハリトは、イアリオの感情を理解して、彼にもたれかかったのです。




