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破滅の町 (分割版)  作者: keisenyo
第二部 前
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第八章 ハルロスの日記 2.ハリトとレーゼ

 家に帰るまで、イアリオは唇をきゅっと結んでいました。それは、テオルドと話して、どれほどピロットが、自分の中に息づいているかわかったためでした。彼の問題が長年の懸念だったのです。それが整理されて、今、次の目標を持つことができて、わくわくとした気持ちがありましたが、そのための責任の重さも感じていたのです。それは誰かがやらなければいけないことでした。彼女たちが呼び覚ました古代の人間たちの亡霊と、そこに巻き込まれてしまった彼の魂も、一緒に慰めてあげたいとイアリオは思っていました。目の前の視界が拓け、足取りは重く、それでいてしっかりと大地を踏み締めていました。

 しかしそれも歩みを進めている間でした。彼女は自分のベッドに腰を下ろして、今日起きたことをずっと思い出しているうちに、穏やかな心地になっていきました。次にしなければならないことは、今休んでから、行動に移すのです。彼女はどれだけ彼のことが好きだったのか思い出したのです。それが、今回の行為の動機になっていることを、新しい目標の導入にもなっていることを、よく理解していました。彼女の唇はゆるみました。微笑が顔面に広がっていき、もしそこに少年が立ち入れば、きっと彼は彼女に恋をしていたかもしれません。イアリオはひざの上におもむろにハルロスの遺した日記を広げ、本を傷めないように大切にしながら、彼の書き残した、亡国への愛の物語を紐解いていきました。

 ふと、彼女ははす向かいの家の小窓をちらと見ました。張り出したベランダに赤い色の観葉植物が鉢に植わっていました。イアリオはこの植物に思い出がありました。まだ歩きたての、ほんの二、三歳の頃に、この植物の葉をちぎっては齧りして楽しんでいたのでした。葉の味はほろ苦く、その味わいが楽しいのでした。彼女の好きだった人間は死んでしまいました。…ようやくやっと、その苦味を噛み締めたいと思ったかもしれません。これから彼女は、彼の墓にも、三百年前の、死者たちの墓丘にも臨むのですから。

 その植物は、まさに墓地の付近に生えていたのです。

 しばらくして、にぎやかな声が戸外で騒ぎました。子供たちが連れ立って走り回っているようです。彼女は本から目を上げて、涼やかな眼差しを再び窓の外へ向けました。

「先生ーーー!」

 聞き覚えのある声が、彼女を呼びました。イアリオは立って、小窓から伸び上がって外を覗きました。

「あら、ユート、私に何か用事があるの?」

 顔が真っ黒く日に焼けた少年が背伸びしながら言いました。

「あのさ、ハリト知らない?あいつがよく行くところとか、知ってたら教えてほしいんだけど」

 彼の後ろから続々と子供たちが集まってきました。この辺りの少年少女たちで、彼らがひとかたまりになって遊んでいるところを、イアリオもよく目にしました。

「ハリトは僕らのリーダーなんだよ。それがどこかへ行っちゃってさ。次に何をしたらいいのか、全然わかんないんだよ」

「あなたたち、どういう遊びをしているの?」

「リーダーごっこ?」

「わかんない」

「でもハリトが言い出した遊びでしょ?こっちがどうすればいいかなんてわかんないよ」

 子供たちの言うことは要領が得られませんでした。どうやらシダ=ハリトの妹のシオン=ハリトが彼らの団長になって、率先して子供たちを指揮していたようですが、突然いなくなったらしいのです。シダ=ハリトはかつてのテラ・ト・ガルの仲間で、その妹のシオンは、イアリオが受け持ちのクラスに来たことがありました。ですから、彼女はシオン=ハリトをよく知っていて、いろいろなところで少女を見かけていました。

「そうね…最近では東の市場なんかに顔を出していたけれど…」

「ええ~、そんなとこまで行っているの?やだなあ、ずっと遠いぜ」

「あんまり同じ場所にいるような性格じゃないね。よくハリトがあなたたちのリーダーなんかやってるわね?」

「僕たちのボスなんだよ」

「この人数を見てよ!みんなあいつに連れてこられたんだぜ」

「気分が乗ってる時はね、すごくおもしろいことを思いつくの。みんなそれに飛びつくの。だから人が集まってくるんだけど」

「あいつの噂だけどさ、前のところでも、おんなじようなことが起きたらしいよ。途中でゲームをほっぽりだして、どっか行っちゃったってさ。ゲームのルールとか、みんなあいつが考え出したから、それ以上遊ぶことができなくなっちゃったんだって」

 イアリオは子供たちの話を感心しながら、半ば呆れながら聞きました。どうやらシオン=ハリトは彼女が思っていたより大分問題のある生徒だったようです。少女のくっきりとした眼差しは彼女の担任でない今でも鮮明に思い出すことができます…。いつも挑むような恰好の目線、かわいらしいのだけれど、激情と思い込みの激しさを窺わせる挙動、そして豊富な膂力というべきでしょうか、持て余す力を、イアリオは少女に感じていました。なるほど、と彼女は思いました。少女のイメージと子供たちの話が頭の中で一致をし始めたのです。

「もし西地区に今もいるなら、ひょっとしたら、シャム爺という人に聞けばハリトの行方はわかるかもしれないけれどね…」

「なんで?」

「あ、知ってる!なんでも知ってる物知りシャム爺だ。今もいるのかな?ずっと昔からいるんでしょ?」

「そうよ。シャム爺はいなくならないの。彼はゴミ街にいるわ。とても入り組んだ道の、ごみごみした感じの一帯に住んでいるの。行ったことのある人はいるかしら?」

 何人かが手を挙げました。イアリオは頷きました。

「では、シャム爺を探してごらん?彼はいつも、どこにいるかわからないけれど、確実に街のどこかにいるわ。きっとハリトよりも捜し易いと思う。けれど、彼女が西地区にいるのかわからないから、どっちを捜すか、みんなで相談して決めましょう」

 イアリオは子供たちの相談に付き合いました。皆、真剣に討議した結果、ゴミ街のシャム爺を捜索することにしました。イアリオとしては、この探索が彼らの新しい遊びになって、良い感じでハリトを待つことにも切ることにもなるだろうと思いました。

「リーダー、ね…」

 子供たちが行ってしまってから、イアリオは苦い記憶を思い出しました。彼女たちのかつてのリーダーであったラベルは、死んでしまったのです。何が彼にあったかとても推し量れるものではありませんでしたが、確実に、地下での出来事がそこに関わっていたのは確かだと思われました。

 それから何日かが音もなくすぎていきました。彼女は時間さえあればハルロスの日記を読み進めていきました。イアリオは夢中になって読みました。ハルロスは、口下手な人間でしたが、教養があり、物語はしっかりした骨格を持って読み応えのある内容でした。彼の物語りに没頭した理由はほかにもありました。滅びる前の古代都市の美しさが、詩的に弦楽重奏をうたうように余すところなく語られていたのです。そこには筆者の主観や猛烈な思慕の念が混じっていたとしても、問題ではありません。雑多で野卑な住人たちが住んでいた、元々海賊たちの打ち立てた都市だとしても、戦士の代になり素晴らしい未来を望もうとしていた都市国家は、輝きに彩られていたのです。そのことは、亡くなった人々をいまだ供養しない、上の町の人間に少なからず疑念を抱いてしまったイアリオの腑に落ちる事柄でした。あの街を愛した人間がいたということが、どれだけ彼女の心を慰めたか…!自分たちが、亡者たちを目覚めさせたように思い、大好きだった彼が、その波にさらわれたように彼女は感じていたのですから、かの都の暗黒がその手だけでは慰め難いものならば、どうしようもなかったのです。彼女はその方法を知りませんでした。ハルロスはその方法を示してくれました。

 彼女は日記帳を持っていって、お墓の前で読んでみることを思いつきました。彼女は人間の愛が最上の薬になることを知りませんでした。しかし、ハルロスが海の外で行おうとしていた死者たちを慰める方法と、彼女の思いついたやり方は、同じものでした。もし…恨みで膨れたイラの霊魂が、テオルドやピロットに宿ったのだとしたら、ハルロスの思いは彼女にこそ具わったのでしょうか?

 どちらが今後、この町にとって、ふさわしい威力となるのでしょう?…

 止められない力は、もう、町の下から突き上がろうとしていました。黄金のように変わらない力が、すべての生命の間で流れていました。その威力の最前線にいた一人が、彼女だといえるでしょう。自分のやるべきことが見つかったときに、その行いの全貌をその時点で知るなどということは不可能です。亡霊たちはたゆたっていました。何をかじっと待っていました。彼らに力はありませんでした…。ですが、さだめが彼らを待ち受けていました。

 彼女が地下から持ってきた本の、末尾の何ページかが破かれていました。イアリオは別段そのことを不思議に思いませんでした。そこにはイラの、溢れるばかりの怨嗟の思いが書き綴られていたのですが、

 そのページはテオルドのところにあり、彼女の前には、ハルロスの愛ばかりがありました。

 イアリオは、夜中身を起こし、小窓から夜空を見上げました。涼しい風が、入り込み、その若々しい顔を、丸くなぜていきました。彼女はまっすぐ空を見上げました。星たちがきらきらと瞬いていました。

 同時刻――その日の夜は、満月でした。月の真下に、下着姿の少女が立っています。この町の下着といえば、体にぴったりとした長襦袢です。無論、年頃の女の子がそんな格好でいれば非難の嵐です。

 少女は四角い石屋根の上にいました。名前をシオン=ハリトといいました。目は丸く、くっきりとしていて、あの月のように輝いていました。可愛らしい頬は白く月光を浴びて、束ねた髪は、野ざらしにされた藁のようでした。野性的な力の奔放さを体に漲らせている、獣のごとき人でした。なぜそこにいるのかといえば、気持ちがいいからでした。恥ずかしさを彼女は気にも留めていません。少女の生命力は奔放で、受け止める相手がいなければ、どこからか漏れてしまうのです。

 彼女には想い人がいました。いえ、そう彼女は思ってみることもしませんでしたが、最も信頼できる異性がいたのです。彼女はおもしろいことがあるといつも彼に話しました。…その相手しか、まともに少女の話は聞けなかったのだともいえました。少年の名はレーゼといいました。悲劇が歴史に仕組まれていたとしたら、この二人にもそうでした。

 その晩、ハリトは家々の屋根を伝わりながら、おもしろそうな事件に出会いました。黄金を見たのです。手に抱えるほどの大きな塊を、男の子が持っていました。彼女は目を瞠りました。塊の毒々しい色合いは、決して美しいとは思いませんが、それでも神々しさと気高さを感じたのです。男の子はそれを仲間と思しき別の少年に見せていました。彼らは何事か言葉を交わしていましたが、声が小さくて、やっと聞き取れたのは次の単語でした。

「町の下…黄金の洞窟…言葉…仲間…」

 二人はいさかいになったらしく、黄金を持つ方の少年が、相手をぶちました。相手は血を流しました。殴られた方は恐怖の気色が浮かんで、ぶった方の少年は笑いました。彼は黄金を相手に渡しました。相手は驚いたように塊の感触と色を確かめて、じっと彼を見据えました。何かの約束が交わされたのでしょう。二人は頷いて、毒々しい金の固体は元の持ち主に渡り、一緒に連れ立ってどこかへと行ってしまいました。

「で?」

 翌日、ハリトからその報告を受けたレーゼは、柳の葉のように鋭く開いた眼を少女に向けて、水のような口調で訊きました。

「あれ?ここで食いつくものだと思っていたけれど」ハリトが意外そうな顔をしました。「そんなにつまらない話だった?」

「そうではないけど…中途半端だな。お前、奴らの後追っかけて、その洞窟とやらを見つけたんじゃないの?」

「なんだか寒くなって、ん…クシュン!」

 レーゼは呆れて手を挙げました。

「商人としてさ、興味ないの?黄金って価値のあるものなんでしょ?」

「お前、よく知らないな。商人ってのは蓄えて何事かなす人間なんだよ。なんでもかんでも価値のある物を持っておくような神経じゃない」

 ハリトはよくわからない感じの顔をしました。

「まあ商人なんて、俺が勝手に自分を言ってるだけだ。そんな職種の人間は、この町にはいないからな。憧れがあるよ、彼らの生き方には」

「あの広場に、噴水をつくるため?」

「そう。そのために蓄えを作る。俺の力でやりたいんだ。例えば意見書を出して票を集めて、町中でその事業に取り掛かるとか、議員になって率先して活動するとかいうのはなしでな。ロマン、てやつだよ。女のお前にはわかんないだろ」

 ハリトはつっけんどんな性格のこの少年が好きでした。彼女は人々を巻き込んで遊ぶのが楽しく、それでいて非常に飽きっぽいものですから、子供らには福の神にも厄病神にもなりうる厄介な存在でした。彼女の話し相手になれる人間は、このレーゼをおいて他にはいません。しかし、彼こそ真剣に真っ向から意見を言える、本当の気持ちを言うことができる、貴重な相手なのでした。

「なーんだ」

 ハリトはつまらなそうにそっぽを向きましたが、本心は違います。時間をかけて、彼の気を引こうとしました。

「…悪かったよ。お前、わざわざ風邪引いてまでその話俺に持ってきてくれたんだっけな。確かに気になるよ」

 ハリトはぱっと振り向いて、意地悪く少年を睨みました。

「もっと早くそれを言えばいい」

 レーゼは肩をすくめ、すまなそうに目を瞑りました。

「でもいいや、許す。もっと真剣にこっちの話を聞いてくれよ」

「俺はいつだって自分なりに真剣なつもりだけど…」

「だったらちゃんと伝えてよ?そんなんじゃ、立派な大人にはなれないよ」

 今度はレーゼが彼女を何者かわからない顔をして見上げました。むずむずとするものを少女は感じました。自分でも何かわからない気持ちが、かたちにも言葉にもならないような、なんともいえない青春の衝動を彼女は持て余したのでした。

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