第六夜
ぼくは和泉光。小学5年生。父と母と妹の4人家族だ。
ぼくがみんなと暮らしていたとき、日本は大きな戦争をしていた。何で戦争をしていたのか、どうしてこんなに長く暗い時間を過ごさなければいけないのか、ぼくにはよくわからなかった。
けれど、休みの日には必ず遊んでくれる優しい父さん、毎日ぼくたちの為に貧しいながらもおいしいご飯をつくってくれるしっかり者の母さん、まだまだ小さいけれど本を読むことが好きで聡明なかわいい妹の暁。ぼくはこんな家族に囲まれて幸せに暮らしていた。
そんなある日、父さんに「赤紙」という戦争へ連れて行く為の手紙が届く。
母さんはぼくたちの見えないところでこっそり泣き崩れていた。大好きな母さんを泣かせるその「赤紙」にぼくは自分が何の役にも立たない歯がゆさを感じていた。父さんじゃなくて、ぼくが行けたらよかったのに。そうしたら、母さんは泣かなくて済んだのに。
それでも母さんは不平不満ひとつ漏らさず、”その日”には目に涙を溜めながら笑顔で
「お国の為に、いってらっしゃいませ」
と父さんを送り出していた。
その母さんの涙の美しさと言ったら、この世のどんな宝石を並べても敵うはずがないと思った。こんなに美しいものを差し出しても、父さんは戦争という辛く悲しい場所に行かなくてはならなかったのだ。
父さんからは定期的に手紙が届く。母さんはその手紙を愛おしそうに読みあげる。
「愛する家族へ。もうすぐそちらは桜が咲きますね。私もみんなと一緒に花見がしたいです。花見の帰りにはみんなでうまい飯を食べましょう。父さんはまだみんなに教えていないうまい飯屋を知っているんです、楽しみでしょう? 必ず帰ります。それまでどうかお元気で。愛おしいあなたたちに会えることを心から楽しみにしています」
母さんはいたずらっぽく笑いながらぼくたちに言う。
「やだ、父さんたら。私たちの知らないところでおいしいご飯を食べていたのね。あの人ったら、もう。帰ってきたら絶対父さんの奢りで食べさせてもらいましょ。ふふっ楽しみね、光、暁」
父さんの手紙はいつも父さんがどうしているのか、戦争はどんな状況なのか、父さんはいつ帰ってこれるのか、そういう父さん自身についての詳しいことは何も書かれていなかった。
ただただ、父は元気だ。ぼくたちのことを愛している。また会える日までどうか元気で。そればかりだった。
そうしていつしかそんな手紙も届かなくなり、その頃から母さんは目に見えて憔悴しきっていた。
ぼくは毎晩のように、夜中に起きては家の外に出て泣く母さんの声を布団の中から聞いていた。
「どうして……! 帰ってくるって約束したじゃない……!」
母さんが大きな声をあげるところなんて今まで見たことがなかった。
ぼくはそんな母さんの姿を見て父さんはもういないのかもしれない、と考え始める。
きっと母さんは真実を知っている。けれどそれをぼくたちに知られないようにしているんだ。
その優しさを無碍にしない為にもぼくは「何も知らない」を貫き通さなければならなかった。