エピローグ
――あれから私は普通に受験をし、普通に学生生活を送り、普通に大人になった。あまりにも普通の人生。けれど、光の人生を思うと平々凡々でいることが意外に一番の幸せなのかもしれない、とも思う。
仕事は教員を選んだ。美術の先生だ。未来ある子どもたちに、絵画の力を伝えることはとても楽しかった。
そして仕事の傍ら、趣味で描く絵には百日紅や兄妹のものが多かったように思う。
私の頭の片隅にはいつだって、あの夏の日が在った。
そして、こちらの方が重要なのだけれど、あれから私の話を信じてくれた大人たちが泉の捜索をしてくれて、光の遺体が見つかった。
もちろん白骨化していたが、骨から予想される年齢や背格好、話の状況からして光で間違いないだろうということになった。
数十年越しにようやく地上にあがることのできた彼の白い身体は、池脇家の墓に入った暁と一緒に納骨されることになったのだ。
私は毎年お盆の時期になると墓を訪れた。白や黄色の繊細な切子細工のような菊を供え、墓を丁寧に洗い、線香をあげる。
そして、その帰りには必ずあの百日紅の元へ足を運んだ。いつかまた私の目の前に現れてはくれないだろうかという淡い期待をもって。しかしいつでもその期待は泡のように消えてしまうのだった。
そうして長く長い年月が過ぎ、ついに私の命の灯火も消えようとしていた。
――あの約束はとうとう果たされなかった。
私はゆっくりと瞳を閉じる。まぶたの裏に白く柔らかな光線が見え、今にも死を迎える私を滑らかな絹のように包み込んでいく。
ああ、死の瞬間とはこんなにも穏やかなものなのか――。
その瞬間、目の前にあの百日紅が現れた。季節ではないのに、目が明くような赤で咲き誇っている。これが走馬灯というものだろうか。最期の最期にここに来れてよかった。百日紅の花を眺めながら、私はふふっと笑った。
「灯里」
突然降ってきた懐かしい声。それはずっとずっとずっと聞きたかった、あの恋い焦がれた声だった。
振り向くとあの日と同じように光が立っていた。透き通る白い髪。星を散らしたように輝く瞳が私を見つめている。
「会いたかったよ」
気付けば私は光と出会った時と同じ少女の姿になっていた。私は軽やかに駆け出す。今までの気持ちを全てぶつけるように光に飛びついた。
「光……!」
これまで自分がどれだけ光との再会を待ち望んでいたか、どんな思いで百日紅を眺めていたか、今この瞬間がどれだけ幸せで満ち足りているか、その全てが言語化できず涙となって瞳からするすると零れ落ちていく。
その涙を光の細く長い指がそっと拭う。そして私を落ち着かせるように背中をぽん、ぽん、と叩いてくれた。その暖かい手のひらのおかげで私の呼吸は徐々に整っていく。
「これまでのあいだ、どうしてた?」
ふいに光が口を開く。
「ぼくはね、灯里をずっと待ってた。でもあの泉にいた時みたいに寂しくはなかったよ。だって灯里との約束があったから」
彼が私の手を取り、微笑む。それは夏の陽射しのように眩しく、愛おしい日々のように胸を締め付ける笑顔だった。




