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蛍火送り  作者: 椎井 慧
16/18

第十六夜

 そっと瞼を開ける。東側の窓から射す光が、窓際をふわふわと舞う埃に反射しきらめかせている。



 ――朝か。一体何時間寝ていたのだろう?


 ごろり、と寝返りを打ち天井を見つめた。コチ……コチ……。時計の時を刻む音だけが響く。私は夢の中の出来事を反芻していた。


 果たして、うまくやれるだろうか……。信じて、と言ったものの不安で仕方ない。心臓の奥にどす黒い何かがこびりついて離れてくれない。


 ヒカルも暁も約束通りに姿を現してくれるとは限らないし、もし失敗したら?


 今日は8月16日。タイムリミットは刻々と迫っている。


 ああ、他に何かいい方法――。



 ぐうう。



 唐突に腹の虫が鳴いた。そういえば、昨日は何も食べずに寝てしまったのだった。


 むくりと起き上がり、部屋を出る。居間からばあばが作る朝食の匂いがした。


 その香りに吸い寄せられるように居間へ入ると、ばあばがこちらに駆け寄ってきた。


「あーちゃん! 大丈夫なの?」

「ん……。大丈夫だよ。心配かけてごめんなさい」

「……あの泉に行ってたのかい?」

「…………」


 ばあばは深くため息をつく。ああ、怒られるな、と私は覚悟した。


「座りなさい」


 ばあばは静かに、けれども怒るわけではなくそう言った。私はおとなしく椅子に腰掛ける。


「これ」


 ことっ、と机の上に一つの器が置かれる。簡素な黒い素焼きの器。そしてその横に割り箸のような、細長い何かが置かれた。『おがら』と呼ばれる、麻の茎を乾燥させたものらしい。


 初めて見るそれらに、私は小首を傾げた。


「これは?」

「送ってやるんだろう? なら、これを使いなさい」

「えっ?」

「送り火を焚くんだよ。本当は迎え火を焚いた場所で焚くのが普通だけど……。もし、あーちゃんの話が本当なら……光くんを暁ちゃんと一緒に送ってやってほしい」

「ばあば……」



 ぐう。


 私のお腹が再び鳴く。こんな時に。


「まぁ、まずは腹ごしらえかね」


 あははと高らかに笑うと、ばあばは私の好きな食べ物をたくさん用意してくれた。


 なめこの味噌汁、手作りこんにゃくの煮物、鱈の西京焼き、だし巻き卵。


 私はそれらをゆっくり味わいながら胃の中に収める。


 食べ慣れた大好きな味。さっきまでの不安だった心がほどけていくのを感じる。なぜだか鼻の奥がつんとしたけれど、私はぐっと堪えた。


 腹をすっかり満たし、シャワーを浴びる。するとばあばが出掛けようと声を掛けてきた。


 約三十分ほどだったろうか、ばあばの運転する車に揺られる。


 車の窓から外を眺めると、青い田んぼがするすると後ろへ流れていく。そのうち山道に入り、踏み込むアクセルの音を聞いていると車が停車した。


「ついたよ」


 車を降りるとそこは見知らぬ場所だった。


 こっち、と促すばあばの後について、木々がさざめく緩やかな坂を登りきると、視界が開ける。


 目に飛び込んできたのは、綺麗に整列する墓石たちやその脇に立ち並ぶ卒塔婆。墓前に供えられた菊の花が風に揺れている。



「ここは……暁ちゃんが眠ってるお墓だよ」



 辺り一帯には何もなく、いくつかの墓石が立ち並ぶだけだ。山の上に位置するこの場所からは、たった今流すように見ていた青田が眼下に美しく広がっていた。


 天国まで突き抜けていってしまいそうな青い空と、太陽を浴びてめいっぱいふかふかになった入道雲、そして夏草の匂いをはらんだ風が私の髪をそよがせた。


 私は身体中で呼吸をするように、大きく息を吸い込んだ。清夏に溶け込む私の身体。目を細め、白い太陽を見上げる。


 もしもヒカルが暁と一緒にこの景色を見られたら、どんなに喜ぶだろう。


 早くあの、暗澹(あんたん)とした冷たくてうら寂しい泉からヒカルを連れ出してあげたい。この明るい世界へ、連れ出してあげたい。



 だから、二人とも待っててね。



 私は墓前に手を合わせ、心の中で呟いた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] Twitterから来ました!  客観的……と言われるとちょっと不安ですが、とりあえず感じたことを書かせて貰います。  初めに印象的だったのは、やはり情景描写ですね。日本の良き田舎が丁寧に…
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