第十二夜
「暁ちゃん、――と光くんていうお兄さんのふたり兄妹だったんだけど――ふたりのお母さんは、私のお母さん、つまりあんた達のひいばあばと姉妹だったんだ。戦争で両親を失ったふたりを、ひいばあばが呼び寄せたんだよ」
ばあばは懐旧の念に目を細めた。
「ふたりは仲の良い兄妹だった。ふたりで一緒に家の手伝いをしてくれたり、光くんが暁ちゃんの勉強を見てあげたりね。でも被爆したふたりはここに来てそう経たないうちに体調を崩しちまった。みんなはどうしたもんかと戸惑っていたけど、ある日突然光くんの方がいなくなっちまったんだ。何でいなくなったのかもわからないし、どんなに探しても見つからなかった。暁ちゃんはおにいちゃんはどこ、会いたいって泣きながら息を引き取ったよ。あれは本当に可哀想だった……」
悲痛な面持ちで、ばあばは茶碗と箸を机に置いた。伏せたその瞳はうっすら涙に濡れているようにも見えた。
ほんの少しの静寂を挟んで、ばあばの瞳が私をまっすぐ捉える。
「で、どうしてあーちゃんが暁ちゃんのことを知ってるんだい?」
核心に迫る質問。
まさかばあばがヒカルと暁の従兄妹だったなんて……。近所の人に聞いた、とでも言っておこうか。いや、近所の人なんて数人しかいないようなこんな集落ではすぐにばれる嘘だ。
もう、言い逃れはできないだろう。この奇妙な出来事たちを、説明しなければならない。どんなに頭がおかしいと思われようとも。
「私、その……信じてもらえないかもしれないけど、ヒカル――私と同じくらいの歳の、ね。ヒカルに会ったの。ここからちょっと行ったところにある百日紅の木がある小道のそばの泉で。あの、ホタルがたくさんいる泉……。そこで暁ちゃんのことも聞いたの」
ばあばの顔がとたんに曇った。
「ホタル……? この時期に?」
訝しむような、そんな表情にも見えて私は尻込みする。
「何か、変……?」
「全くいないこともないかもしれないけどね、灯里が見たのはたぶんホタルじゃないんじゃないか」
その言葉の意図するところがわからず、私は首をかしげる。
「どういうこと?」
「ホタルってのは昔っから人魂に例えられてきたんだ。例えられてるだけじゃなくて、本当に人魂だったなんて話もあったりさ。今はお盆だからね、そういうのがたくさん居てもおかしくないだろうよ」
あの美しい光景が、全部人魂……?
顔が青ざめていく私を見ると、ばあばは深く息を吸って、とにかく、とゆっくり紡ぐように言葉を続けた。
もう泉に近付いてはいけないよ、危ないことがあってからでは遅いから――。
翌日。私はほとんど眠れずに夜を明かした。白む空を眺めながらぼんやりとヒカルと暁のことを考える。
きっとあのふたりは再会を望んでいるのだろう。暁は最期までヒカルに会いたがっていた。ヒカルも残してきた妹が心残りで、ずっとあの泉から離れることができないのではないのだろうか。
ヒカルの『大切な人を残してきた後悔』と、暁の『大切な人に置いていかれた悲しみ』を思うと居ても立っても居られない気持ちになる。
ふと部屋の隅を見やると、トートバッグからクロッキー帳がはみ出ているのが目に入った。
そういえば昨日は夏休みの自由研究の為に絵を描こうと思って持っていったのに、結局それどころではなくて何も描かなかった。
クロッキー帳を手に取りぱらぱらとページをめくる。もくもくそびえ立つ入道雲。汗をかいたサイダーの瓶に伸びる太陽の光。縁側で食べるスイカ。自分の好きな風景だけを切り取って詰め込んだ、特別なクロッキー帳だ。
私は絵を描くことが好きだ。『好きこそ物の上手なれ』とはよく言ったもので、小さな頃から絵を描き続けていたおかげか、ちょっとしたコンクールで賞を獲ったこともある。
今年の夏休みは「私が見た夏の世界」というテーマで、風景画を中心にクロッキー帳に描き溜めていたのだ。
「そうか」
閃光が走るように、私の脳裏にひとつのアイデアが舞い降りた。
私はいそいそと着替え、トートバッグを持ちそっと部屋を出ると音を立てないように外へ出た。
早朝の空気は夏といえどもうっすらと冷たく、草木や地面の湿り気を帯びた匂いと共に鼻先をかすめていく。
遠く山際を臨むと、昇り始めた太陽がダイヤモンドのように煌煌と輝いていた。空は朝焼けに赤く染まる東から薄桃色を経て、まだ夜の残る群青色の西へかけてグラデーションを描いている。
私は夜を追い掛けて百日紅の元へ自転車を走らせた。




