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蛍火送り  作者: 椎井 慧
11/18

第十一夜

 泉を後にして、夕焼けと一緒に家を目指す。


 ツクツクボウシの物悲しい鳴き声と、蛙の重低音の合唱が四方八方から押し寄せて平衡感覚が無くなりそうだ。ぐるぐるする頭で今日聞いた話を反芻する。


 何十年もの間、ひとりで誰かの記憶に残ることもなく、彼の側にいたのは孤独だけ。ヒカルが、本当にとっくの昔にこの世のものでなくなっているのだとして、どうして彼はまだあの泉にいるのだろうか?


 答えが出せぬまま、家の近くまで戻ってくると小さな女の子が家の門前にしゃがみ込んでいるのが目に入った。


 歳は沙夜より少し下だろうか。迷子かと思い、声を掛ける。


「どうしたの? ひとり?」


 ぱっと面を上げた少女は――ヒカルによく似た端正な顔立ち。私は思わず息を飲んだ。汗が背中を伝う。


「あきらね、探しものしてるの」


 濡れた黒い瞳が水面のように夕焼けを反射させる。ふたつに結わえた柔らかく細い黒髪は、橙色の太陽に透けて赤みを帯びている。湿り気を帯びた風が彼女の髪をふわりと揺らした。


「でも何をなくしたのかおぼえてないの。すごく大事なものだったはずなのに、どこでなくしたのかもわからないの」


 今にも泣き出しそうな少女の顔。私は『あきら』と名乗るこの少女がヒカルの妹だと直感した。しかし、なぜ彼女が家の前に? なぜ少女の姿のまま?


 渦巻く疑問を一旦捨て置き、努めて冷静に問い掛ける。


「ねえ、あきらちゃんのお家はどこ? もうすぐ暗くなるし、お家の人が心配してるんじゃないかな」

「あきらのお家はここだよ」


 私の質問に予想の斜め上を行く答えが返ってきた。


「あきら、ここからほかのところには行けないの」

「何もおぼえてないから、どこにも行けないの」


 暁が矢継ぎ早に言う。その声は涙をこらえて震えていた。彼女もまた長い間、孤独を抱えていたのだろうか。



「お姉ちゃん? 何ひとりでぶつぶつ喋ってるの?」


 沙夜が訝しげな顔で玄関から出てきた。


「ひとりじゃな――」


 そう言いながら暁の方に視線を戻すと、暁は跡形もなく消えていた。


「うそ」


 小さく独りごちるが、特段驚いたりはしなかった。やはり、そうなのだろう。先刻の少女が本当に暁なのだとして、少女のまま現れたということは、暁はもう――。


「ねえ、お姉ちゃん今日1日変だよ? 大丈夫?」


 沙夜が顔を覗き込んできた。その表情は何かを憂慮するような、影の差した色をしている。


 一瞬の沈黙の後、私たちに聞き慣れた大きな声が投げかけられる。


「何してるの」


 玄関からひょこりと顔を出したばあばだ。


「夕飯できるから中に入りなさい」


 はーい、と沙夜は小走りで駆けていく。いつも通りの風景。


 昨日からのこの一連の不思議な出来事はどうやら本当に私だけのものらしい。



 食卓に並ぶ夕餉。白米、茗荷の味噌汁、焼き鮭、卵焼き、なすの肉味噌和えに、ばあば特製の漬け物。どれもおいしそうな見目と香りで私を誘う。そこで初めて自分が空腹なことを自覚した。


「いただきます」


 じいじ、ばあば、沙夜と4人で手を合わせるとようやく現実に帰ってきたような心地がした。味噌汁を口に含むと、その温かさにほっと胸を撫で下ろす。うん、これもいつも通り。やはりばあばの味噌汁は世界一だ。


 ばあばが今日1日家にいなかった私に何をしていたのかと尋ねてきた。しかしこれまでの不思議なことを説明しても全て信じてはもらえないだろう。答えあぐねた私はひとつの疑問をぶつけてみることにした。


「ばあばは暁って女の子知ってる?」


 するとばあばは目を丸くして問い返してきた。


「何で暁ちゃんのことを知ってるんだい?」

「え……っと。やっぱりばあばは知ってるの?」

「知ってるも何も」


 ――ヒカルと暁を引き取った叔母さんはばあばの母親だったのだ。

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