50・ 乙女心の誘惑
早朝、ようやく陽が昇り始めた頃、ジュールは背に受けた衝撃で目覚めた。
覚醒しきらない意識のまま半身を起こし、傍らに眠るはずの妻へ視線を向ける。瞳に飛び込んできたそのあまりの寝姿に、完全に覚醒する事になった。
夫婦としてあるべき待遇にしようと、妻の居室を私室の続き部屋へと移した事によって、自動的に同じ寝台で眠るようになって約一週間が経ったが、フロリアの寝相はとにかく悪かった。
朝夕冷え込み始めた季節になったおかげで暖炉に火が入れられるようになったが、そのせいもあるのか寝具を頻繁に蹴飛ばしている上に、ひどいときには寝衣が腹の辺りまで上がっていて下着が丸見えになっていたりする。まさに今、目にしているその姿のように。
まじまじと見るような真似は良くないと解っていても、今日に限っては自制が効かなかった。
何故なら、フロリアの下着には何故か苺の刺繍が全面に施されていたからだ。
今までも寝具を蹴り飛ばしているそのあられもない姿に、驚愕しながらもそっと寝衣の裾を直したり、寝具を掛け直したりしていたから、その度に悩ましい下着姿を目撃するハメになった訳だが、苺刺繍の下着など身に着けているのは初めてだった。
何故今日に限って苺なのか。おまけに、下着だと言うのに新生児用のドレスのように、ウエストラインにレースが施されている。
それを見ていると、何故か分からないがとにかく己が不道徳な事をしているような気分になった。
いつまでもそのままでは風邪を引いてしまうと思い、とりあえず寝衣の裾を下げようと試みるが、妻の上半身でガッチリと抑えられていて、全く歯が立たなかった。
フロリアは華奢だから、抱き上げてしまえば裾を直すことくらい訳もないが、その時にうっかり目覚めでもしたら、と思うと二の足を踏んでしまう。
ジュールは思わずため息を吐き出し、とりあえず寝具をそっと掛けてフロリアの下着を隠した。
だが、すぐにバサリ、と足で蹴り上げられてしまい、また元の状態に戻ってしまう。
それを目にして、がっくりと肩を落として利き手で顔を覆った。
共に眠るようにはなったものの、いまだに清い関係を貫いている。
正直な所こんなに寝相が悪いとは思っていなかったが、それを知ってなお可愛いと思う程度に妻は愛しい。
自分とて良い年をした男だから、肉体的な欲求はもちろんある。
だが、まだフロリアの事を勘違いしていた頃に彼女に浴びせたひどい言葉と行動が、呪縛となって自分に返って来ていた。
これが結婚してすぐなら勢いでどうにかなったかもしれないが、部屋を続き部屋に移してすぐに手を出せば、いかにも己の欲の為に部屋を移させたと思われるような気がしてしまう。
フロリアに対する自分の態度は今まで相当に酷かったから、これ以上妻を傷つけるような事はしたくない。まして、せっかく良い関係になってきているのにまた信頼を無くして、逆に嫌われるような事になろうものなら立ち直れない気がする。
どうせアランに相談したところで〝夫婦だから問題ない、多少強引でも押し倒せ〟とでも言われるのが関の山だ。
当主は王城にも出入りしている侯爵家出身の母のおかげか、とにかく紳士的であるよう育てられたおかげで、衝動的な欲求に正直に振舞う前に自制心が働いてしまう。
それでも夜会で抱いた嫉妬心と己の妻であるという所有欲に抗えず、同意も得ずに唇を奪うような真似をしてしまったわけだが。
手は出したいが、どのタイミングでどこまでなら許されるのか、今まで恋愛と無縁だったせいで皆目見当もつかなかった。
とりあえず、今は妻の苺柄の下着を隠さなければ、とジュールはしばらく悪戦苦闘することになった。
どうにか寝衣を直して寝具を掛け終えても、起床時刻にはまだ早い。
再び自分も横になろうと寝具に潜り込んだ瞬間、またフロリアが寝返りを打った。今度は腕の中に飛び込んでくる。
思わずドキリ、と心音が跳ねるのと同時に、条件反射で包み込んだ妻の体は驚く程温かかった。今まで知らなかったが、妻は体温が高いのだろう。
子供みたいだな、と心の中でつぶやくと、自然に頬が緩んだ。
寝つきが良く、一度寝入ったら朝までぐっすり眠っているのは知っている。それを幸いと、自分の腕の中に居る妻の頭頂部に口づける。
寝相が悪くても、青色族を愛好するなどと言う過激な趣味があっても、他人に容姿をどう評されようとも、可愛いものは可愛いのだった。
だから、不埒な想いを抱いている事も、寝姿に口づけてしまった事も、苺柄の下着をしっかり見てしまった事も、全て許してもらえないだろうか。
衝動に突き動かされてうっかり妻を傷つけるような事をしでかさないようにしなければ、とジュールはしばらく悶々と悩む日々を送る事になった。




