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45・ どんな姿になっても変わらないもの

 アランは会場の入り口から颯爽と歩いてくるジュールを認めて、軽く手を挙げる。

 特段待ち合わせていた訳ではなかったが、ハイネン家の夜会には純粋に遊びに来ただけだから、外せない社交があるわけではなく身軽だった。

 だから入口近くの招待客の出入りが見える場所で、ワイン片手に友人夫妻が現れるのを待っていたという訳だ。

 ジュールの話を聞いた限りでは、夫人が一緒に会場入りする気がないのは事前にわかっていた事だが、やはり親友の腕は空いたままだった。

 だが、それを残念に思うには少々早い。まだ夜は始まったばかり。朝を迎えてみなければどうなるかなどわからない。せっかく休暇を取ってまでここに来たのだ。じっくり親友夫妻の物語を鑑賞させてもらおう。

「何だ、お前も来ていたのか」

 ジュールはアランの傍までやってきて、呆れたようにそう口にした。

「まぁ、お前たちの事がちょっと気になったんでな」

 そう言って笑ってみせると、ジュールは不本意そうに眼を眇める。

「私も子供じゃないんだが……」

 その反応に、アランは「ははは」と声を上げる。

 良い年をしているくせに色恋に関しては子供同然ではないか、と内心で思ったが、それを言えばジュールの矜持を傷つける事はわかっているから黙っていた。

「さて、行くか。お前にまつわる噂話を確認したくていてもたってもいられない奴らが待っているぞ」

 社交嫌いのジュールでも、アランとの仲ほどではないが、それなりに友と呼べる者も数人いる。

 アランとジュールを加えた数名の非嫡男ばかりの仲の良いグループがある。

 とうとうそれなりに長い付き合いのあるあの悪友たちの耳にも入ったのだろう。

「ああ……気が重いが自分の口から伝えておかなくてはな」

 酒が入っていると、男ばかりの特有のノリで冷やかされるのが見えてげんなりする。

 だが、避けては通れない。ジュールは久しぶりに会う友人たちの元へ向かってホールを移動し始めた。



「で、実際の所はどうなんだよジュール。フェンネルト家って、あのフェンネルト家だろう?」

 そう、友の内の一人が問う。

「ああ。新興男爵家のフェンネルト家だ」

「お前も大変だよな……ヒュリック伯の意向には逆らえんしな」

 同情するようにそう言った友の言葉に、ジュールは怪訝な表情を浮かべて問い返す。

「大変って、何がだ」

「いやだって……お前には言いにくいが、フェンネルト家の娘と言えば、行き遅れと噂の娘だろ? あの、容姿に恵まれていないとかいう……」

 言いにくい、と口にしながらしっかり明け透けに告げて来るあたりが相変わらずだ。

 長い付き合いの友などそんなものだろうとは思うが。

「人の価値は容姿だけではないだろう。確かに私たちは政略結婚だが、私は妻の健気なところが気に入っている」

 ジュールの言葉に、その場に集まった男たちは驚きに目を見張った。

 その内の一人が、ヒューと冷やかすように口笛を吹く。

「堅物のジュールにここまで言わせるってどんな奥方だよ! お前なぜ今日連れてこなかった」

「妻は恥ずかしがり屋なんだ、そのうち一緒に夜会参加する事もあるだろう」

 憮然としてそう答え、ジュールは手にしたグラスの中身を煽る。

「おいアラン、君さっきから笑って立ってるだけだけど、君は見た事あるんじゃないのか? ガレスタ家はヒュリック家と懇意だろう?」

 別の友がそう問えば、アランはニヤリと笑って口を開いた。

「夫人の価値はそんな些末なものでは測れんよ。ジュールの隣に立てば、並の女性なら皆霞む。ジュールの見目が良すぎるんだからな。夫人が健気だと言う所は、俺も異議はない」

「へぇー、アランにまでそこまで言わせるんだから、さぞ出来た女性なんだな」

 その言葉に同調するように、それぞれが「早くお目にかかりたい」だの「どんな女性か楽しみだ」などと言っている時だった。

 いつものメンツで欠けていた最後の一人が、勢い込んだ様子でやってくる。

 やや興奮したように、前のめりに口を開いた。

「お前たちの内の誰かじゃないだろうな!」

 話に脈絡がなく、皆揃って首を傾げる。

「落ち着けエディ、それじゃ何のことかわからん」

 アランがそう言うと、エディはそれもそうか、と頷いて先を続ける。

「おそらくどこかの良家の婦人が今日の会に参加しているんだが。それが物凄い美人でさ。エンベルン侯爵家やら……ああ、とにかく良家の男がことごとく振られてんだよ。最初に袖にされたのが侯爵家のラディキン殿だったからさ、もうみんな興味津々で、一目あやかりたいって近づいて行っては追い落とされてる。名前すら交換してくれないってさ」

 楽し気にそう述べたエディに、ようやく男たちは得心して頷いた。

 エンベルン侯爵家と言えば家格、資産共に申し分のない家柄だ。その侯爵家の三男であるラディキンと言えば、社交界では有名な遊び人で、そして洒落者と評判の男だった。

 甘い雰囲気のする顔立ちに、女性を手玉に取る話術を持っているせいか、ラディキンに狙われたら落ちぬ女は居ないという嘘か実かわからぬ噂もあるほどだ。

「ものすごい資産家だってのはわかるんだ、着ている衣装の質が桁違いの代物だから。最高級の織り生地とレースを使ったドレスでさ。アクセサリーの細工も、一流の職人が手掛けたものだろう。それに、なんだあの奥ゆかしい付け髪! 恥ずかしそうに扇で顔を隠しているんだが、その隙間からたまに覗く顔がとにかく美しい! あれはどこの誰なんだろうな? まさかとは思うがあれがお前の新妻って……ことはないか。連れて来るなら一緒に来るよな、普通」

 仲間内で一足先にその謎の貴婦人とやらを目にしてきたエディは、思い返すように一瞬天を仰いでから頬を緩めた。

 エディの持ってきた話題に、仲間内ではああでもないこうでもないと盛り上がっていたが、ジュールだけは難しい表情をして考え込んでいる。

「奥ゆかしい付け髪……」

 親友がひっそりとそう漏らしたのを、隣に立っていたアランだけは聞き逃さなかった。

 アランは楽しい事が起こる予感がして、内心でほくそ笑む。

「俺は少し席を外す」

 アランがそう言うと、仲間たちが「さてはお前も袖にされに行くつもりだろう」などと茶化す。

「違う、化粧室だ」

 ジュールの性格上、話題の貴婦人を確認しに行くなどとは言い出せまい。

 今は没落しかかっているが、ジュールは由緒ある伯爵家のお坊ちゃまだ。元来俗な事は苦手な性分である。同じ伯爵家でも、騎士家系の自分とは受けて来た教育が違う。

「私も席を外す。少々飲みすぎたようだ」

 思った通り一緒に席を外すと言い出したジュールと二人揃って悪友達に「またな」と別れを告げて、ホールの人混みの中を進んで行く。

 友人達の姿が見えなくなってから、アランはジュールに聞こえるように口を開いた。

「とは言え男なら気になるよな、あいつ(エディ)がそこまで言う美人なら。俺も袖にされに行ってみるかな」

 その言葉に、ジュールはアランを振り仰いだ。

「お前……本気か、化粧室に行かなくて良いのか」

「混雑を見越して早めに席を外しただけだ。まだ余裕はある。付き合えジュール。物は試しだ」

 そう告げてアランは、ニ、と白い歯を見せて笑った。

 そしてジュールの前に出る形でホールを早歩きで闊歩して行く。

 ジュールは置いて行かれまいと、アランの後ろをついて歩く。

 ホールを歩いていれば、人々の会話も耳に飛び込んでくる。アランは拾ったそれらからおおよその目測をつけてホールを流れる。

 そして、ようやく噂の貴婦人と思しき女性の後ろ姿を捕らえた。

 貴婦人の前には、リオネル伯爵家の嫡男であるヨハンが立っている。

 何やら話も弾んでいるようだ。

「いたぞ、ジュール。もう少し近づいてみよう」

「あ……ああ」

 揃って会話が聞こえる程度の距離まで近づいた時だった。

 無意識にだろう、ジュールが小さく呟く。

「あの声……フロリア」

 驚愕の表情を浮かべた親友の顔は、歪んでいても美形だった。

 それと同時に、その顔に今まで見た事のない色が載っているのを見つけてほくそ笑む。


――― お前程の男でも、自分より若い美形が相手だと気が気じゃないんだな。


 休暇を取ったのは正解だった、とアランは内心で思った。

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