42・ 持つべきものは友
フェンネルト商会の本拠地バザーカンから支領に戻った十日後、ジュールの姿はガレスタ家本邸にあった。
アランに頼んでガレスタ伯爵に口利きをしてもらい、新規事業への協力を申し出るために当主である父の書状を持参してやって来た。
アランが同席してくれたおかげか、ガレスタ家からの協力は何の問題もなく得られる事になった。
フェンネルト男爵には蒸留の知識を持つ職人を探してもらえるよう頼んでいる。
あとは原料であるリンゴの収穫量のみだが、今年は天候に恵まれたせいか質、量ともにまずまずの収穫を見越せそうだった。
領民の生活が優先だから、手っ取り早く収益になる無加工のままで市場に出し、ダブついて値が崩れる分を買い取って酒の原料に回す。
ここ数年、自分一人では領地の経営についての打開策を見つける事もできないまま、堂々巡りを繰り返しているような感覚があった。
それが今は、悩んでいた事が嘘のように、急速に視界が開けて行くような感覚がする。
それもこれも、全てフロリアの助言と協力によるものだ。
いつまでも半端な関係のままでいるのではなく、きちんと妻と向き合って、名実共に夫婦となれたらと思っていたのに。
まさか妻が自身の事をあんな風に思っているとは想像すらしていなかった。
だが、フロリアの口からそれを告げられてみれば、義弟に聞いた事が、急激に重さを伴ってのしかかる。
妻は今まで、どれだけ女性としての矜持を踏みにじられてきたのだろう。
思わず、長いため息が漏れ出てしまう。
「どうしたジュール、事業の話は順調なのに大きなため息を吐くなよ。どうせ今のお前の悩みなど夫人絡みだろう?」
そうだ、アランの私室で茶を馳走になっていたのだった。
「ああ……ハイネン家の夜会が来月あるだろう? フロリアに、一緒にどうかと言ってみたんだが断られた」
そう返し、ジュールは自嘲気味な笑みを浮かべる。
「夫人は夜会嫌いなのか? 一緒に行きたくない理由は聞いたのか」
「聞くには聞いたが……」
ジュールはその先を言い淀む。
「言いにくいなら無理にとは言わんが、聞けば役に立てるかもしれんし、それを吹聴したりもせんぞ」
迷う様子を見せる友の背を押すつもりでそう告げた。
色恋に疎い親友が、ようやく夫人に対して積極的に行動し始めたのだ。他人に気軽に相談できる事柄でもないのだから、友である自分が手助けしてやるべきだろう。
しばらく迷うようにしていたジュールは、茶を一口含んでからようやく決心したように話し始めた。
「夜会には行きたいが、自分の容姿に自信がないと言っていた。私の隣に立つ自分が許せない、と」
ジュールの言葉に、アランはなるほど、と心内で漏らした。
「夫人の言も分からなくはないな。お前の容姿が優れているとは男の俺から見ても思うしな。夫人にしてみれば、美形の夫の隣に立てば、周囲の反応は全て自分に刺さると思うのだろうな」
「他人の評価など気にするなと言うのは簡単だが、ただでさえ新興男爵家出身というだけでも妬み嫉みを買いやすい。私が盾になったとしても、耳に入る雑音を防ぐにも限度がある。人の魅力は外見だけではないと思うが、私がそれを口にしたところで説得力に欠けるのかもしれないと思ったら、フロリアに何も言えなくなってしまった」
そう述べた友は、難問に挑む学者のように、腕を組んで難しい顔をしている。
ジュール自身は自分の容姿を鼻に掛けるような事はしない男だが、それでも自分の容姿が優れている事は自覚しているのだろう。
確かに、そんな男に容姿以外の人間の価値について説かれたところで、相手によっては嫌味に感じるかもしれない。
だが、夫人も夜会に行きたくないという事ではないのだ。
男装してまで自家の夜会に来ていたのだし、ジュールとは別に会場に入る事が出来るなら、夫人は再び変装して現れるかもしれない。
「夜会には行きたい、と言っていたんだろう? 俺の伝手で無記名の招待状を手に入れてやろうか? お前の隣に立つ事に抵抗があるのなら、一緒に会場入りするのでなければ現れるかもしれないぞ」
「そうか……そうやって少しずつ慣れてくれたら良いかもしれないな。アラン、頼んでも良いか?」
ようやく難問が解けたように明るい笑みを浮かべたジュールに、アランはにんまりと笑って頷いた。
「任せろ」
こんな楽しい事に首を突っ込まず、いつ突っ込むのだ。
またあの面白い奥方が何かやってくれるかもしれない、と思うだけでアランは楽しくて仕方がなかった。




