41・ 夢幻馬車
私は今、ジュール様と再び帰路の馬車の中に居ます。
昨夜はソファで寝たはずなのに、朝起きたら寝台の上でびっくりしました。
夜中にジュール様が寝台まで運んで下さったのですね。旦那様は本当にお優しいです。
侍女が起こしに来るまで目覚めもしなかった私って一体……。
まさか、まさかです! ガチヲタとして不甲斐なし! 穴があったら入りたい!
明るい場所で推しの麗しい寝顔を眺める予定がぁぁぁあ。
……まぁ、昨夜の寝顔はゲットしたので良しとしましょう。
こほん……それはともかく、私が寝室を出た時には、すでに旦那様は身支度を終え、先にお父様と朝食を摂るために食堂に向かわれた後でした。
投資の条件はお父様からジュール様に話してほしいと昨夜お願いしておいたので、時間のロスを嫌って朝食の席に呼び出したのでしょう。
「販売の独占権はともかく、命名権に関しては少し悩んだ……生産地の名を残してやれないのは領民達に申し訳ない気がしてね。私たち領主は所詮あれこれと口を出すだけで、実際に作るのは領民達だ」
そうおっしゃって、旦那様は少し寂しそうに笑われました。
なんとなく、そうおっしゃるような気がしていました。だから、提案段階で私の口からそれをお伝えすることはできませんでした。
日頃支領の経営に奔走しているジュール様のお姿を、結婚してからずっと見て来ました。
村で何か問題が起これば、天候が悪くても自ら出向かれる。そして問題解決のために知恵を絞り、動かれる。
だから領民からの信頼も厚くて、良い事も悪い事も、何かあれば邸まで村長が訪ねて来るのです。
領民からの信頼がなければ、支配階級である貴族の邸にわざわざ訪ねて来ることはありません。
「そうですね……それでも、領地の財政が破綻してしまえば領民の暮らしを守る事もできません。それについて内心で不満を抱く者も出てくるかもしれませんが、暮らし向きが豊かになれば、きっと皆分かってくれます。……いえ、分かってもらえるように頑張るしかないのだと思います」
「ああ、私もそう思う。だから男爵の条件をのむ事にした」
領地経営は綺麗ごとだけでやって行く事はできません。時には敢えて自ら汚名を着る事もあるでしょう。そのせいで、領民から恨まれる事も。
それでも、それも覚悟の上で父の出した条件を……いいえ、私の考えをのむと言ってくれた旦那様を尊敬します。
やっぱり私の推しは最高の人なのです!! 麗しいだけではないのです!
「それはそうとフロリア……。ハイネン伯爵家の夜会が来月あってね。私たちが結婚したことも、一部では広まりつつあるようだし、あなたさえ良ければ一緒にどうかな」
う゛っ……恐るべし社交界! どこから漏れたのでしょう。むしろ今まで噂になっていなかった事の方が奇跡だったのかもしれませんけどね。そこそこ時間も経ってますし。
まぁ、今更そんな事を気にしたところでどうにもなりません。
夜会には行きたいですけど、正直ご一緒するのは嫌だなぁー。
ご一緒するならコスプレはできませんし、盛らずに参加しなくてはいけないじゃないですか。
この美形の旦那様の隣にモブ顔の私が立つとか拷問ですか?
「ジュール様の妻として連れて行って下さるお気持ちはとてもうれしいのですけれど、ご一緒するのは遠慮してもよろしいですか?」
私は旦那様がお怒りになられてもおかしくはない事を言いました。
「フロリア……理由を聞いても良いかな?」
それなのに、そんな私を責めず、旦那様は静かにそうおっしゃいました。
「私は美しいものが好きだと以前お伝えしました。その中に、自分の事は含まれていないのです。ジュール様の隣に立つ自分を想像すると、どうしようもなく許せない気持ちになるのです」
前世でも今生でも、私は自分の素の容姿に自信を持てた事はありません。詐欺メイクやコスプレは、そんな自分を解放する方法でした。
コスプレをしている時は自分以外のキャラクターになりきって、コンプレックスを忘れている事が出来ました。
そんな私から見て、素顔のままで麗しい旦那様は奇跡のような人なのです。
私は、普段の自分のままで旦那様の隣に立つことが怖い。私たちの事情を知っている人の前ならともかく、夜会なんて口さがない人々の標的になりに行くようなものです。
「ですから、遠くから眺めているだけで充分なのです。お気持ち、とてもうれしかったです。ありがとうございました」
「フロリア……」
旦那様はどう返せば良いか分からなかったのでしょう。絶句したように私の名前を呟かれたあと、そのまま口を噤まれました。
本当に、こんな私でも妻として扱って下さる優しさに、心が燃えるような気がします。
私、昨日の自分より、確実に今日の自分の方が幸せです、旦那様。




