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33・ 商売人の魂

スピリッツ(蒸留酒)?」

 最近定番となった庭園でのアフタヌーンティの時間、旦那様は私が作ったプレゼン資料に興味深げに目を通しながらそうお訊ねになりました。

「ええ。麦もリンゴも、そのままでは付加価値が付きにくく、利益の上乗せの厳しい農産物です。不作に陥った場合、それだけでは経営の回復に時間がかかりますでしょう? 豊作になった場合も収穫量に対して出荷が追い付かず、市場に流通しすぎて値崩れが起きる」

「そうだね、あなたの言った事は実際過去に起こった事がある」

「年間を通して安定した収益と恒久的に販売できる仕組みを作るには、現状の無加工の農産物のままでは厳しいでしょう。リンゴはブドウなどに比べて長距離移動に耐えうる果実であるとは言え、それでも流通経路での腐敗による無駄もありますし、元値が安価な分近隣領まで動かすのが精いっぱいです。付加価値が付き、長期間の保存に耐え、かつ長距離の輸送費用が掛かっても利益が期待できるものを、と考えた結果が蒸留酒です」

 

 前世、私が生きていた頃の日本は輸入大国でした。他国のありとあらゆる食品が手軽に買える、そんな利便性とグローバル化が進んだ社会でした。

 この国でメジャーなアルコールと言えば、異世界物の定番であるワインなのですけど、残念ながらヒュリック領の主力はリンゴと麦なので、ワインは作れません。

 そして、ジュール様の親友であるアラン様のご生家であるガレスタ領はブドウの一大産地。必然的にワインも一大産地なのです。だから、あんなに盛大な豊穣祈願のお祭りをするわけですね。


 ワインは常在酵母菌の力を借りて発酵させて作られるお酒です。その理論で行けば、リンゴも同様の事が可能だと言う事。

 こちらではワインほどメジャーではないとは言え、産地ですから農村部の各家庭で似たような果実酒が作られています。いわゆるシードルってやつですね。現代では少なくなりましたが、昔ながらの味を受け継いでいる家庭で味噌や漬物を作っているのと同じ感覚でしょうか。

 ただ、それはあくまで家庭内での小規模なもの。そのままでは商いとしては小さすぎ、領の財政の立て直しに繋げるのは厳しいです。

 

 そして、発酵作用を利用して醸造されたものは管理が難しいというのが問題です。

 ワインは長期保存すれば熟成が進んで味が良くなるのは有名ですが、それはあくまで適切な湿度と温度を保って管理をした場合に限ります。冷蔵技術も防腐技術も不確かなこの世界、アルコール度数の低いシードルがどこまで保存に耐えうるのかを含め、満足な利益を得られる程の販売に適しているのかは疑問です。

 そこでもう一歩踏み込んで、途中まで同じ工程を経て、蒸留という工程を加えてアルコール度数を高めて出来上がるお酒であるブランデーが良いのではないかと思ったわけです。


「これはあくまで机上の空論の域を出ませんから、領の産業として定着させるまでの間には試行錯誤も必要ですし、時間もかかると思います。嗜好品として定着し、安定した収益を生み出せるようになるまで、下手をすれば何十年もかかるかもしれません。もっと手っ取り早い菓子のような名産品を生み出すことも想定してみましたが、商圏は狭く、収益も少ない。ヒュリック家の抱える問題は、そんなものでは解消できませんでしょう? 領民の生活を守り、安定した雇用を生み出す。領地が潤って初めて安定した収益に繋がるわけですから」

 そう説明すると、ジュール様は困惑した表情を浮かべて私の顔を見つめました。

 あれ? 私何か地雷を踏みぬいちゃったのかしら……。


「以前も思ったが、やはりあなたは大商家の人なのだと実感するな。それに、素晴らしく博識だ……。私などではこんな事は思い浮かばなかった」

 それはまぁ、そうですよね。だって完全にチートですもの。

 二流私大卒でしかなくても、はるかに文明の発達した世界の記憶があるんですからそれだけで十分チートですよね。

「しかし、これを始めようとすると……」

「ええ、産業として軌道に乗せるまでの資金と技術者が必要になりますね」

 でも大丈夫ですよ、旦那様! その為に私がいるのです。こんな時こそ私を利用したら良いと思います。政略結婚なんですから。

「資金については、父に投資してもらいましょう。蒸留までの工程はワイン醸造の技術が応用できるはずですから、そこはアラン様にご協力をお願いしてはどうかと思うのです。蒸留技術については、フェンネルト家の伝手を駆使して職人を探しましょう」

 そう言うと、ジュール様の表情は途端に曇りました。

 うん、何が言いたいのかはなんとなく分かります。ガレスタ家に協力してもらうのはともかく、これ以上フェンネルト家に頼りたくないのですよね。

 私と結婚してからずっと、支度金に始まってフェンネルト家に寄りかかっている形になってますものね。


「旦那様がフェンネルト家を頼る事に抵抗があるのはわかっています。ですから私は、投資と申し上げました。父は商売人です。娘である私の為に無条件でお金を出すのではなく、将来的な利益が資金を出資するだけの価値に見合うなら、商いとしてお金を出すことを惜しまないでしょう」

「これは……すぐには決断できないな。少し時間をもらっても良いだろうか」

 この離れた所領の管理を任されているとは言え、旦那様はあくまで将来的に義父から爵位を継ぐ義兄の補佐に過ぎません。

 ジュール様の一存で新しい事業を勝手に興す事はできないでしょう。それを想定して私も頑張ってプレゼン資料を作ったのですし。

「もちろんです。一度お義父様にもご相談下さい」

「ああ、そうしてみるよ」

 そう言って再び没頭するように、旦那様は手元の資料に視線を下ろされました。

 真剣な表情で資料を見つめるその顔をこうして間近に見る事ができるだけで満足です。

 プレゼン資料作り頑張った甲斐がありました! 

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