1・ 貴腐人転生
私に前世の記憶が蘇ったのは、父から結婚相手を告げられた時だった。
その衝撃に思わず言葉を失った私を見て、父は私が政略結婚を嫌がっているのだと勘違いしたのだろう。
「お前が言いたい事は分かっている。社交界ではあまり良い噂のないお方だ。だがうちのような新興男爵家にとってこの縁談はチャンスなのだ。断る事は許さない。当主としての命令だ。ヒュリック伯爵家へ嫁いでもらう、フロリア」
思わず体が震える。
それを目にした父が反論は許さないとばかりに更に口を開こうとしたのを、私は返事をすることで阻止した。
「お父様のお決めになった事に従います。どうぞ、話を進めて下さいませ」
父は明らかにホッとしたように頷いた。
ボロが出てしまわないよう俯いたまま、足早に父の仕事部屋から自室へと帰って来た。
みなさまごきげんよう、フロリア・フェンネルトです。
びっくりしましたね、まさか現代日本で完全モブの私がうっかり異世界転生なんてしてしまうなんて。
新卒で入った中小企業で事務職として勤務して八年あまり。結婚もせずもうすぐ三十路に突入という所で死にました。
日々の癒しのヲタ活のために週末開催されていた大規模イベントに参加しようと会場へと向かっている最中でした。
会場最寄駅付近は混雑していて、手荷物の多い人が大勢いました。まさか登りかけた階段から、人が雪崩て来るなんてだれが予想出来ると思います?
最後に私が見たのは、今流行りの少年漫画『白刃結界』の人気キャラ光宗のアクキーがぶら下がった黒いバックパックでした。
頭を打った衝撃と、薄れゆく意識の中で感じた息苦しさ。頭部挫傷か窒息かあるいは胸部圧迫か……もしかしたら全部かもしれないけど。
ワンチャン目覚めたら全部夢でしたってオチもなくはないけど、異世界転生も最近はやってるから、きっと死んで転生したんだと思う。うん。
そして今ココ。
現在の私の立ち位置は、やはり完全モブです。乙女ゲーで言えば、名前もない脇役であることは間違いない。
だって髪色はピンクじゃないし、悪役でもないし美人でもないし特殊能力もありません。いや、推しカプ無限想像という特殊能力はあるけど。あ、そう言う事じゃないですかね?
かろうじて大商家の娘とは言え、嫁ぎ先にさえ事欠いて最近まで父が私を持て余していたのを知っている。
だって転生前の記憶を思い出したと言ったって、この世界で生きて来た私の記憶に上書きされたわけじゃないから。
現在二十三才の私ことフロリアは、こっちの世界でもやっぱり行き遅れでした。
でもまぁ、それも私的にはなーんにも問題無し。
なんなら運命の神様GJと言いたいくらい。
お父様が持って来た縁談の相手がまさかあのジュール・ヒュリック様とは思わないじゃないですか。
お父様が言っていたジュール様の悪い噂話とは、彼が同性愛者だと言う事。
この世界の貴族社会の結婚と言えば、それなりの家になれば割と早いんです。日本で二十三才なんてまだようやく仕事を覚えた頃だったし、なんなら晩婚化が進んでたから全然余裕って感じだったけど、この世界だとどこかに欠陥でもあるんですか? くらいの勢い。
ジュール様も確か今二十五、六だったはずだから、伯爵家の次男としたらちょっと遅いわよね。許嫁がいたっておかしくはない家柄だもの。
普通の貴族女性なら旦那様になる相手にそんな噂があれば不安だろうけど、私的にはむしろ美味しいと思ってさっきは体が震えました。
だって転生前はBLガチ勢の貴腐人だった私は、推しのイチャイチャをアリーナ席かぶりつきで観賞したいってずっと思ってたんだから。
ヒュリック家の台所事情はあまり良くないって耳にしていたし、おそらくあちらは我が家の持参金目当てね。新興男爵家とは言え家業で成功したフェンネルト家はお金だけはうなるほど持っている。
たぶんお父様は持参金とは別に私個人にも資産を持たせて送り出してくれるだろうから、ヲタ活の軍資金は心配なし。
夜会で噂の美貌の伯爵家御令息だし、これは気分がアガります。
まぁ、家格が違いすぎてご本人には近づけなかったし、実物は見たことないんですけどね。
どんな美形でしょうか。やはり金髪碧眼の細マッチョあるいは黒髪蒼眼のワイルド系……ううん、銀髪紫眼の美人も捨てがたい。
「はぁ……楽しみ。待ってて下さいませジュール様」
その後私は持って生まれた特殊能力を発動しました。
んー、たまりません。今夜のお夕食もおいしかったです。