17:リンダ総隊長
マルメン=ダーリーソンが死んだ。頭部を失った身体から、血が噴水のように飛沫をあげている。生暖かい血が頬に当たるたびに、生と死を同時に感じさせられる。辺りに細かな血の粒子が漂い、鉄の匂いが鼻を襲うと、五感が受け入れ難い事実を次々と認識していく。抑えられない吐き気が腹の底から上がってきたところで、視界が黒く染まった。
「森林簡易砦ぁああー!!!」
動いたのは草原大造。マルダリの死を受け、脳が弾き出した答えは、攻撃されている状況にあるというものだった。敵の姿は見えず、どこから攻撃しているかもわからない。この場で一番強いであろう人物が、抵抗もできずに殺されたとなれば、このまま姿を晒し続けている現状は危険である。ならば、視界を遮る。葉と枝でできた防御力の無いシェルターで仲間を守った。
「立つでござる!逃げるのでござる!!」
草原の目には涙が溜まっていた。マルダリが亡くなったことへの悲しさでは無い。恐怖である。一秒数えた後には自分が死んでいるかもしれない。その恐怖から逃げたくて仕方がない。
リンダは足が震え、腰が抜けていた。必死に吐くまいと手で口を抑えている。思考がまとまらず、吐くことは良くないことだという、今考慮すべきことではないものを、頑なに守ろうとする。
リンダの手を引っ張り、肩を貸したのは、ドグロクとドケイガーだった。二人とも口元から酸っぱい酸性の匂いがしていた。
'カコイゾ'において、魔物と人間では価値観が違う。別の生き物なのである。リンダ・オ・ミミラルを美しいと感じた理由は、外見Sのステータスを持つ特例中の特例だった。通常の人間は、魔物から見れば美しいとも、不細工だとも感じない。人間という生き物、それだけである。マルダリについても同じはずだった。
結果、マルダリが死亡した姿を見て吐いた。魔物について理解を示してくれたからか、魔物の未来について考えてくれたからか…理由はわからない。何故か、身体が目の前の事実を拒んだ。
「…リンダ、草原の言う通りだ。全ては逃げてからにしよう。俺たちは冷静じゃない、冷静じゃないんだ!」
「うっ、うん。そうだ…そうなんだ…」
草原はドダインの手を取り歩き始める。森林簡易砦を作り続け、その中を人間二人、魔物三匹が足取り重く歩いていく。
ドダインは責任を感じていた。へいわ隊を率いて向かっていた目標は、予想していたものより、遥かに困難であった。永遠にとはいかなくても、草原がいれば安全な時間を手に入れられた。それで、満足するべきだった。歩き進める仲間についていく。今はそれに集中する。
三十分以上歩いただろうか。最後尾で草木に運ばれているのは、滲み出る血も少なくなった赤い死体袋。葉で中身が溢れないよう何重にも巻かれている。
マルダリの死体を発見されれば、疑われるのはリンダと草原である。リンダが逃げ切り、生き残っていることは、勇者アベルにとって許されることではない。おそらく、マルダリは魔物に殺されたことにしておき、リンダを勇者パーティが始末する流れとなるだろう。つまり、マルダリの死体か、リンダの存在がバレることは、勇者アベルに追われる身に変わることと同義である。
…しかし、リンダ達は自分のことすらままならない。その場に残していくことはしたくなかった。と、いう思いから、危機的状況を一時的に回避したこととなった。
「もう、大丈夫だよ…ドケイガー、ドグロク、ありがとう。」
リンダは一人の力で歩き始めた。時間が経ったことで、冷静になろうと努力した結果、普段だったら、踏み止まることも口から零れてしまった。
「…ねぇ…魔法とか、教会でさ…」
「無理でござる。」
「…ごめん。」
「謝ることじゃないであります。」
「そっけない。」
「まだ怖いのでござる。身体が震えてるから、視界が小刻みに揺れて気持ち悪く、今は真っ直ぐ歩く意識だけで気が紛れるでありますが、それだけじゃ、いつかは立ち止まって泣き出してしまいそうでありまして、そっけない態度をとり、自分が冷静であるって思い込むのでござる。思い込む力は、拙者の世界では既に証明されていて…」
大造の話は続いていた。話すことで頭の中を整理する有用性は私でもわかる。
「これからどうする。いつまでも持ち歩くわけにもいかない。襲われる様子もない。」
「たっ、立ち止まって、話そう…よ。」
いつのまにか、帰らずの砂漠と毒死の森の境を歩いていた。外を遮断した状態で森を横断していたことになる。
「…マルダリさんをドミニオンに持っていこう。」
「持って行ったやつは確実に死ぬだろーが。」
「……俺たちは何から逃げていたんだ?草原さん。」
「わからないでござる。自然にいる生き物ではありませんな…」
「ちょっと待ってよ。まず何をするか決めようよ。」
目標が必要だった。
「……ごめん、やっぱりマルダリをドミニオンに返そう。」
「ドダイン、頭おかしくなったのか?」
「違うでござるよ。拙者達に罪を被せれば、へいわ隊はゼロに戻るだけでありますからな。進展はしなくても、拙者達のことを忘れて、ゼロから始めればいいって算段でござろう。」
「た、大造…?」
「…ごめんなさい…変なことを言ったでござる…」
大造は体育座りをして、蹲ってしまう。
「どっ、ドダイン…そうなの?」
怒りを露わにしたのは、意外にもドグロクだった。口調に反して、拳は強く握られ震えていた。
「違うよ…俺たちが犠牲になるんだ。」
ドダインの目は決意が込められていて、冷たかった。
「リンダと草原さんが、魔物に殺されたとしてマルダリさんを届けに行く。死体だけでも頑張って持ち帰ったことにすればいい。転移者の草原さんがいれば、そこまで疑われないと思う。」
「お、俺たちはどーすんだよ。」
「俺らは巣に戻るだけだ。戻って、前みたいに生活すればいい。」
シェルターから帰らずの砂漠で泳ぐサンドワームを見る。同じ魔物。知能があるかないかの差。
「ちょっと、待ってよ…そんなこと言わないでよ…」
「言うだろ!!!!」
声を荒げる。辛いことだから、勢いに任せて言わないと、リンダの優しさに負けてしまいそうになる。
「あのな!…マルダリさんは強かっただろ。そのマルダリさんが一瞬で死んだ。敵は誰だっていい!」
熱い涙が土を湿らせていく。
「そのマルダリさんより勇者アベルは強い!最低二人は…あんだけ強い人よりも強い人間がいるんだよ!あのなぁ…言うぞ、言うけどさ!」
肩が震える。
「強者が弱者の言うことを聞くメリットなんかねぇーだろうが!!俺ら反抗的なことを企てる魔物はぁ…こ、殺されて終わりなんだよ…うぅ、好き勝手できるのが、強者の特権なんだ!!」
言い返せない。啜り泣く声だけが響く。誰も助けに来てくれる人はいない。
ただ、
「そんなことない!!!」
欲しい言葉を言ってくれる人間がいた。
「私はコザ王国第一王女にしてスキル異世界の迷惑者の使い手!…そして、'カコイゾ'の異変を正すと決意した魔物解放組織へいわ隊の総隊長である!」
呆気に取られた。何を言い出すかと思えば、自己紹介と抱負である。
「魔物の現状を変えるんじゃない。マルダリは、この世界がおかしいって言ったの。魔物に興味がなくても、世界の危機となれば別でしょ!?」
「リンダ殿…?」
「魔物も含めて、世界丸ごと救ってやるってこと!!…私達と出会う前から、マルダリさんは世界を救おうとしてたんじゃないの?'カコイゾ'の異変に一人で立ち向かってたんじゃないの!?」
涙は止まった。それはリンダの外見Sによるカリスマ性は関係ない。ステータスではわからない、リンダの人間性に惹かれ始めていた。
「私は!…全部救って、勇者アベルに感謝されながら、マルダリさんのお墓の前で報告してやるんだ!だからっ、立ち上がれ……皆んな立ち上がるの!」
いつのまにか、地面を見つめていたはすが、シェルターも完全に解かれ、燦々と輝く太陽の日差しに眩しさを感じていた。
「立ち上がって私と世界を救えって言ってんの!!」
……
「返事!」
「はい!」「おう!」
「あぁ」 「うん!」
「魔物解放組織へいわ隊突発会議を始める!席につけぇー!」