友達じゃなくっても
あたしは反射的に、姫宮さんの前に出て、飛びかかってくる猫野先輩の腕を掴んだ。不意に力が加わったせいか、彼は大きくバランスを崩して、転倒した。
「くっ……やはり『姫』の味方をするのか」
彼は素早く体を起こして、あたしを睨みつける。猫が肉食動物であることを思い出す。その眼光に射すくめられ、正直、涙が出ちゃいそうなほど怖い。……でも、
「……確かに人遣い荒いし、前世ではなんか守ってあげる価値がないような人かもしれないけど、あたしは、姫宮さんを守る護衛だったっていうし、それに……」
――友達だから、と言いかけて、あわてて口をつぐんだ。そんな恥ずかしい言葉、言えるわけないじゃないっ。そもそも別に友達ってわけじゃないし。だいたい、あたしがどう思っていようとも、相手の姫宮さんは、あたしのことを家来としてしかみていないもん。
「――ってとにかく! 見て見ぬふりはできません」
「……仕方ないね。なら、俺も本気を出させてもらうよ」
先輩は、あたしたちから少し離れ、両足を広げて力を込める。次の瞬間、彼の身体に変化が起こった。
ぽんっ、と音を立てそうな勢いで、頭の上から耳が生えた。猫耳だ。ズボンの中で何かがうねうね動いているのは、尻尾だろうか。でも何か、アレみたいで、すごく嫌っ。
「わっ、へ、変身したよっ」
「外道の技術では変身するのですね。ひかりさんも変身するの方が良いですか?」
「絶対に、嫌っ!」
ゴキブリに変身するぐらいなら、眼の前の敵に殺されてやるっ!
あたしたちのそんなやり取りにも動じず、変身を終えた彼は悠然と言った。
「ふふっ。これが真の俺の力! にゃん」
――今、なんか奇妙な音が聞こえたような……?
『……にゃん?』
姫宮さんとあたしの声が、綺麗にハモった。
「くっ、変身するとこうなるんだ。……別に、問題ない……にゃん」
やっぱり最後に「にゃん」。あたしと姫宮さんは向かい合って言葉を交わした。
「似合わないよね」
「はい。殿方が『にゃん』なんて言っても可愛くありません」
「うん。女の子でも、いちいち語尾に『にゃん』なんてつけていたら、うざったいし」
「はい。ところで、ひかりさんがもし語尾につけるとしたら『ゴキ』ですか?」
「ううっ……それは嫌だなぁ……」
「やかましい〜にゃんっ!」
やっぱり語尾に「にゃん」をつけて突進してくる。
速いっ! 笑っている暇がないっ!
とっさに姫宮さんの腕を引っ張って、先輩の突進を交わさせる。ぎりぎり、すぐ横を通りぬけた先輩は、すぐに止まって向き直る。
「あくまで邪魔をする気かにゃん。仕方ないにゃん。君からやっつけさせてもらうにゃん」
あぁぁ、「にゃん」がやかましいぃぃ。
つっこみを入れたいのに、そんな余裕もない。フラストレーションが溜まる。これが作戦なら、反帝国勢力侮り難しっ。
彼は右手を大きく振りかぶって、あたしに向ってくる。その右手の先には、小型のナイフのような大きな爪。あたしは紙一重でかわす。紙一重でないとかわせなかったのだ。
「ちっ、にゃん」
彼はすかさず方向転換して再び襲いかかってくる。
かわしてもかわしても、攻撃は続く。あたしは反復横飛びをひたすら繰り返して、彼の攻撃を避けているんだけど、避けるのに精一杯で、反撃なんてとても無理。
前に強姦(未遂)魔とやりあったときは、相手の動きがのんびりしていて、それをあたしが普通の動きでかわせば良かった。けれど、今回の彼の動きは、物凄く速い。だからあたしも全力で動き回らないといけない。自分でも信じられないようなスピードで右へ左へ。暴走するコーヒーカップってこんな感じかもしれない(回してくれる人いないけどね)。
ううっ……景色が回る……酔いそう。
彼は少し離れた所で、ようやく動きをとめた。
それに合わせて、あたしも止まって――ふらついた。あぁ、世界が凄いことになってるぅぅ。
しかも、無理して動かしていた体を止めたとたん、一気に疲れが身体中を襲った。はっきり言って、立っているのが精一杯。
そこに彼が突っ込んで来た。交わし切れないっ。あたしの左肩と胸の中間に猫パンチがさく裂した。
痛みを感じたとたん、あたしの体は後ろに飛ばされて、背後のフェンスに背中から衝突した。
「んぁっ」
息が詰る。痛いよ……。
背中に焼けるような激痛が走る。打ちつけた後頭部にも鈍い痛み。フェンスにぶつけた肘か肩は、血が出ているかもしれない。目から、涙が溢れ出てきた。
……どうして、漫画やアニメの主人公は、血が出ても平気で闘えるの? こんなに痛いのに。もう、やだよ……。
「ひかりさんっ!」
彼女の声で、あたしははっと顔を上げる。急に視界が暗くなる。彼が高く飛び上がって、あたしを狙っている。両手の鉤爪が鈍く光る――
あたしは必死で、地を這うようにして、彼の下を抜け攻撃をかわした。さっきまでいた位置と、入れ替わった状況になる。
「大丈夫ですか?」
近くにいる姫宮さんが、心配そうに尋ねてくれる。けど……
「……大丈夫じゃないよ」
姫宮さんを責めている訳じゃない。だけど、やっぱり無理だよ。
「しょせんあたしはゴキブリ。猫に勝てる訳ないもん……」
「いいえ。ゴキブリも猫も、あくまでその力を得ただけで、ひかりさんも彼も人間です。同じ人間なら何とかなります」
「例え人間同士でも、男と女だよ。しかも上級生」
あたしの至極もっともなつっこみに、姫宮さんはしばらく沈黙して、
「……まぁ、根性で何とかなるかと」
「なるかぁぁ〜」
あぁ……つっこみにも力が入らない。
「覚悟にゃんっ!」
彼が爪を立てて突撃して来た。姫宮さんがあたしを押し退けて逃げようとする。あたしはバランスを崩してしまった。
……でもいいの。だって、あたしは家来なんだから……家来を踏み台にして悪事の限りを尽していたとしても。
それに、少しは感謝してたんだよ。
――って、違うっ!
姫宮さんは逃げたんじゃない。あたしを庇うように、彼の間に立っているんだ。彼は惑ったようだけどそれも一瞬。その獰猛な瞳を光らせて姫宮さんに――
「駄目ぇぇぇっ!」
あたしは力を振りしぼって、姫宮さんに向かって、ラグビー部員も真っ青なタックルをかました。鋭い爪が姫宮さんの肌に触れる寸前、彼女を押し倒し、そのまま地面にダイブ。同じようにあたしもズサササーと、地を滑る。
「だ、大丈夫?」
「痛いです。ひかりさんのタックルが」
あたしが安否を尋ねると、姫宮さんはそんな言葉を返して来た。どこか擦りむいちゃったかもしれないけど、大丈夫だ。たぶん。
「……まったくもぉ、どうしてあんな無茶なことを……?」
「家来を守るのも、主君の義務ですから」
彼女は服に付いたほこりを払いながら、そっけなく何気に早口で言う。でも……
そんな義務なんてないよ、姫宮さん。
あれ? 既視感。そうだ、今朝見た夢の続きだ。あれはたぶん前世の記憶。あの日、あたしと姫宮さんはお城から抜け出して、遠出の最中に馬に逃げられて、そんなところに刺客というより山賊が現れて、そのときもこうやって姫宮さんに庇われたんだ。
絶体絶命のピンチを、どうやって対処したのか。それは……
「はぁ。君たちも無駄な抵抗をするにゃんねぇ。そろそろ諦めたらどうにゃん?」
彼が悠然と歩みよってくる。勝利を確信するような燦々とした笑みを浮かべている。
けれど、その笑みを浮かべているのは、あたしも同じこと。ふふっ。
彼が怪訝なまなざしを見せる。それはそうでしょう。だってあたしたちの方が不利なはずなのに。
「……思い出したのよ。なぜあたしがゴキブリの力を持っているか。それは……魔法使いだったから!」
彼が驚いたように足をとめた。
遠距離では絶大な力を誇る魔法使いも、接近戦は苦手。だからこそ、その距離をかせぐ素早さを得るため、ゴキブリの力を求めたのだ。
びしっと決めると、あたしは精神を集中させた。正直言うと、山賊たちをやっつけた記憶がいまいち曖昧だったので不安だったけど、魔法使いというのは間違いないみたい。魔法が出来上がっていく。手ごたえを感じる。
あたしは『炎』を強くイメージする。詠唱も動作も必要ないことも分かっている。
彼とあたしの間に、風が吹き荒れる。恐れをなしたのか、彼は突っ込んでこない。なぜか姫宮さんもあたしから遠ざかっているみたいだけど。
イメージが頂点に達したとき、あたしは魔法を開放させた。
「プロミネンスフレアっ!」
風が強まる。ほこりや小石が風に吹かれて渦を巻く。初めは地面を転がっていた小石がやがて宙に浮く。どこかに落ちていた空き缶が風に捕まって、くるくる回りながらどんどん上昇したり……なんかすごい音がして、あたしの制服をバタバタなびかせて……
……あり? 華麗な炎が舞うはずだったのに、これって何か……竜巻?
その答えが見つかる前に、あたしはその風に巻き込まれて――意識を失った。