その名は
若い男が四人。一人が街を歩いたら目立つだろうけど、複数でいると区別がつかない、そんな格好をした四人だ。
いきなり叫んだあたしに、少し驚いたみたいだけど、今はそんな様子も見せず、徐々に近づいてくる。彼らが、ただ何となく車から降りたわけでも、あたしたちに道を尋ねるつもりで降りたわけでもないのは、つぎの台詞で明らかになった。
「おいおい。マジでいたぜ」
「どっちだ? 例の掲示板のやつは」
「別に二人一緒でかまわねぇだろ。とっととヤってしまおうぜ。誰か来たらやばいって」
「だったら、車に積めこんじゃえばいいじゃん」
物騒な会話が耳に飛び込んでくる。お得意の馬耳東風もできない(できたって、何の解決にもならないけど)。
「やはり、私は敵に狙われる運命の星の下にあるのですね。さぁチャンスです。部下としての株を上げましょう」
「……その敵を呼んだのは、あんたでしょ……っ!」
小声で怒鳴ってやる。とにかく逃げようと自転車の方に目をやると、すでに男の一人が、あたしの自転車に寄りかかっていた。すぐ近くに家があると言っていた姫宮さんの自転車は見当たらない。残りの三人が前方と、右左に広がって逃げ道をふさぐ。後ろは林。こんなに真っ暗では走るのはもとより、歩くのも不可能。
つまりこれって、貞操の危機っ?
まじっすか、これ。
男の一人が、厭らしい笑いを浮かべながら近づいてくる。いつの間にか姫宮さんはあたしの後ろに陣取っている。あたしに庇われるような形、お姫様ポジションだ。
ど……どうしよ……?
足が震えてきた。あたしは不細工だから、こんなことに遭うなんて、思ってもいなかったのに……
「目覚めるのですっ。ひかりさん!」
脈絡もなく、背後で姫宮さんが凛とした声で叫んだ。その声を聞いた瞬間、あたしは頭に鈍い痛みを感じる――
「――って、何よこれはっ!」
あたしは振り向いて、姫宮さんの腕を掴んだ。彼女の手に握られていた物……それはハリセンだったりする。
「いや……このように致しましたら、記憶も戻るのではないかと思いまして」
「いつの時代のテレビの話よっ!」
思いっきり顔を近づけて怒鳴る。世間知らずのお姫様に世の中というものを教えてやる。あたしの跳ねた前髪が、彼女の頭にあたってひょこひょこ揺れる。
「……こいつら、大道芸人か?」
背後で呆れた声。ううっ……これから酷いことされるのに、酷い勘違いまで。
「ま、別に構わねーけど」
男の手があたしの肩に触れた――いやっ!
あたしはとにかく必死に振り払って……気付いたらかなり離れた所に立っていた。
あれ?
まるで瞬間移動したみたい――確かに必死に逃げたけど――男の方も同じみたいで、ぽかんとしている。
「ぎゃはは。何やってんだよ」
「――このっ!」
仲間の一人に笑われて、さらに腹が立ったのか、本気でこっちに突進してくる。
今度は駄目だっ。と思ったのに、まだ衝撃が来ない。思わず閉じた瞳を開けてみると、男がスローモーションで向ってきている(進行形)。あたしは?マークを浮かべながら、姫宮さん他を見る。彼女たちは目の前の男ほど顕著に動いていないけど、やっぱり同じように動きが遅い。
「……ふぇ?」
遅いと言っても、ぴょーん……ぴょーん……ぐらいのスピードだ。このままでは捕まってしまう。あたしは横に避ける。男はそのまま通りすぎる。なんか間抜けだったので(カエルみたい)、軽い気持ちで、男の背中に回ってドンと押す。勢いが付いていたのか、男はそのまま前のめりに倒れた。
呆気にとられるつつ、ほっとした瞬間、世界が元に戻った。
ざわめきが起こる。残りの三人からだ。姫宮さんだけは不敵に笑っている。まるで全てお見通しだ、と言うかのように。
「そっか……」
それを見て、あたしは全てを悟った。
ゆっくりと彼女の前に向う。そして言った。
「これはドッキリねっ!」
「……は?」
姫宮さんが目を点にする。初めて見た表情だ。ふん、そんな面白い顔したって騙されないわよ。
「つまり全てやらせだったのよ。あの掲示板は、実はあなたがそっくりに作成したホームページだった。……もちろん、この人たちはあなたに雇われたさくら。わざとあたしに負けさせて、強引に家来兼護衛にしちゃおうという魂胆でしょっ!」
ホームズ並の素晴らしい推理(読んだことないけど)。どうだね。ワトソンくん?
けれど、姫宮さんは瞳の大きさを元に戻して、ゆっくりと言った。
「いいえ。これが前世における、あなたの力……後ろ」
振り帰ると、さっきとは別の男が襲いかかってきていた!
そっちに意識を向けた瞬間、世界が変わる。スローモーションの世界。テレビのバラエティのスローVTRで聞く、あの、もわぁとした変な声は聞こえない。さっきまでうるさいほど耳に入っていた、風によって木々が擦れる音も聞こえない。静寂の世界。
あたしはひょいっと横にどく。
世界が元に戻り、それだけで、男は勢い余って林に突っ込んだ。
「これって……」
あたしはもう一度姫宮さんを見た。
何となく仕組みを理解したような気がする。
「ひかりさんは自覚していなくても、私たちから見るとあなたは物凄いスピードで動いています。これがあなたの力です」
「よぉし……っ」
あたしはきらーんと瞳を輝かせて男たちをにらみつけた。一歩引く残りの二人。
弱肉強食のこの世の中。弱き者は、焼肉定食になる運命なのよ――ってさすがにそこまではしないけど――今までの恐怖、倍にして返してやるっ!
後はあたしの独壇場! グーで相手の頭を殴ると、こっちの手が痛いことを発見したので、スピードを生かして、脇の林で掌サイズの石を拾う。その石で、相手の固いところ――肘とか膝とか――を殴った。さすがに頭にはしません。それだけで効果覿面っ。その箇所を抑えてうめく男たち。這うようにして車に戻り、いったん林に突っ込みかけて、去って行く。月並みな「覚えていろよ〜」が聞けずじまいなのが、ちょっと残念。
けど。
き、気持ち良いぃぃ〜
あたしは思わず歓喜の涙。ありがとう、前世のあたし。幸せな世の中にばんざーい。
「お見事。さすがです」
姫宮さんが言う。その声に喜びが含まれているのか、自分の気分が良いから良く聞こえるのか。とてもいい感じだ。
あたしはくるりと振り帰って、満面の笑みを浮かべる。
「あたしの前世って、武闘家だったのねっ」
そう、華麗なる美少女武闘家。その立ち振る舞いは、余人、それに敵までをも魅了する、まさに、舞踏と呼ぶに相応しい……武術を芸術の域に達した者だけに許される称号――
「いいえ。違います」
うっとりとその姿を想像する。
「ゴキブリです」
そう、その名はゴキブリ……
「えっ?」
何か変な単語が聞こえたような気がしたけど。まさか、ね。あたしは笑顔で聞き返す。
「ゴキブリです」
「えっと……それって、あの嫌われ物ナンバー1の、台所生物?」
「はい。それが前世のあなたの力」
………………
「はぅっ……」
あたしの中から、何かが抜けた。
合気道と言う武道がある。詳しくは知らないけど、相手の力を利用して敵を倒すらしい。今のあたしは、「華麗なる美少女武闘家」という素晴らしい攻撃を返されてしまったゴキブリ。……よく分からない例えだけど、それだけショックを受けているということ……
「大丈夫。素晴らしいことですよ」
姫宮さんが自信たっぷりな声で言った。
「ゴキブリの力により、頭と胴体が切り離されても、十二時間は生き続けられるのですっ!」
「いやぁぁぁぁぁーっ!」
――その日、あたしははじめて失神というものを体験した。