新聞売りの少年Ⅲ
短め。
今日も新聞を配る。
昨日と比べて肌寒い。そろそろ上着の季節かもしれない。
いつものボロ衣に比べたら、全然暖かいので上着に甘えるものか! といらない反抗心が湧いているのもあって、上着を着る機会を逃している。去年はそれで奥様に叱られたっけな。
「風邪をひくじゃないの。新聞配達は体が資本よ、阿呆なことをしないで」
心配をかけるのはよくないことだってわかっているけれど、冬におくるみ一枚で橋の下に転がされていたのに拾われるまでピンピンしていたのだから、心配されるような軟弱な体であるはずもないんだ。
ちなみにコトルという名前はそのおくるみに刺繍してあったらしい。正確にはコトルの後は刺繍が解かれていて判読できなかったのだと家の兄たちが話していた。
うちの人たちはひどく努力家で、貧民街に住んでいるのにちゃんと文字が読める。これってすごいことなんだぞ。貧民街の人間は数字が読めれば生きてはいけるからな。
僕が厚着をする気になれないのは、自分だけ暖かくても、家に戻れば凍えて集まっている自分より小さな子供たちがいるんだ、と思ってしまうからなんだ。たしかに自分が小さかった時よりはましな服を着て、ましなご飯を食べて、すくすくと育っているけれど、自分だけがいい思いをしているのは変だろう。
でも確かに、自転車を漕ぐと風が痛い。ちんたらちんたら考え込む前に、はやく回ってしまうに限るな。
「明日、今日よりも寒かったら着るか」
そう呟いて、足を早める。
「動くな」
低い声が、耳元で。
数瞬後に響いたのは、自転車が地面に打ち付けられる音。
どうやら、自転車から引き剥がされて、男に捕まったらしい。
夜なのに、がちゃんと大きな音を立ててしまった。新聞は、大丈夫だろうか。ぐちゃぐちゃになっていたら、苦情が来そうだ。旦那様の顔に泥を塗ることは許されないのにな。なんて、呑気な感想が浮かぶ。
「お前は私に着いてくるのだ。……緑の瞳を持つ少年」
ぐい、と胴に回った腕が締め付ける。食い込んで痛い。
知らないうちに、帽子が飛んでしまったようだ。街灯が、目に明るい。
職務放棄、帰宅。職務放棄。帰宅。
ふたつの言葉が頭をよぎる。
「そうはさせない」
声、女の人だろうけれど、それにしては低めの声がした。そちらを向くと、髪の長い、真白な女が立っている。
と認めた瞬間、その女は消えた。
「ぐ」
「その男児を離せ。さもないと白塔送りだということは、わかるだろう」
「この子が鈴付きだということぐらいわかっている。だからこそだ、だからこそこの子はうちに保護されなければならないのだよ」
「白塔送りにされたいということしかわからないな。さっさと離せ」
女が男を羽交い絞めにしたらしく、少し力が緩んだ。
はくとう、すずつき。知らない単語が回らない頭に飛び込む。
僕は、家に帰らなくてはならない。それだけだ。こんな奴に捕まってはいられない。
ベルトからナイフを抜き、男の腕に突き刺す。少し怯んだその隙に、さっと抜け出す。バランスを崩して道に倒れこんだが、男は女につかまったまま。追いかけてはこない。
貧民街は治安が悪い。こんなことは日常茶飯事……とは言わないが、何回か遭遇したことがある。
「逃げなさい!」
「逃がすか」
女の声が聞こえる。走る。走る。
一人だったら、攫われていた。
が、なんか変だ。後ろから、ガガガガと金属が引きずられているような音がする。
「後ろを向かずに走れ! お前を追いかけている物は檻だ!」
はて、檻は人を追うものだったかな。
走る、走る、走る。
新聞屋のほうまで来ると、ガガガと耳障りだった音はやんだ。
「なんだったんだ」
女の白い、髪。
普通の色ではない。
市井の人々は栗色の髪と目をしている。僕の目の色は爺さんが言った通り、かなり特殊なのだ。
昨日の夜、ちびたちに話したことを不意に思い出す。
古い伝承。白い死神。
白い、天使。