新聞売りの少年II
今日は、いつも通りに新聞を配った後、パン屋に寄った。おばさんがたくさんパンをくれたから、ちびたちにあげよう。
「帰った」
「「おかえりコトル兄ちゃん」」
鈴がなる、と言うには少々騒がしすぎるこの明るい声たちを聞くために仕事をしていると言っても過言ではない。
まだ働けない子供は子守りを。働けるようになったら近くの工房やら商会やらではたらかせてもらうのだ。続けると、正式に雇ってもらえることもあるし、家を継いでくれと言われることもある。
真面目で、よく働き、よく気づく。
ずっと子守りをしてきたこともあるし、食い扶持を稼げるようにならないと、そして、気に入られなかったら生きていけないことと分かっているから。
以前は、こんなに僕たちのような人達に優しい世界ではなかったらしいのだ。ある時、商人が子供がいないから何人かうちではたらかせたい、とやってきたのだった。そのおかげで孤児たちの勤勉さが広まったのか、様々な職種で呼ばれるようになり、今では争奪戦にまでなっているのだとか。
僕が新聞屋で働いている理由。それは爺さんとの奇跡的な出会いがあったからだ。
ある夜明け前、どうしてもどこかに行かなくちゃいけないと、よくわからないけど強烈な衝動に駆られて、何処に行くかも考えずに走っていると、綺麗な建物の並ぶ街に着いてしまった。場違いだ、と思った。でも、自分が何処にいてどうしたら帰れるのか分からなくて、蹲ることしかできなかった。
すると、新聞配達の爺さんがやってきて、「どうしたんだい?」と声をかけてきたのだ。
☆。.:*・゜
綺麗な服。しわくちゃな顔。ぽかんとして見ていると、彼は
「……下町の子だね。家に帰るかい? こんな夜更けに出歩いてはいけないよ」
と元々たれ目気味の目尻をさらに下げて微笑んだ。
もっと冷たい目で見られるかと思ったのだ。薄汚い格好をして、痩せぎすで。どうして。
「一人で帰れるかい。 できないなら無理はしなくていい。……ただ、そうだねおじさんも仕事をしなくちゃならないから、とりあえず着いてきなさい」
新聞は自転車の前と後ろに山積みにして運ぶ。ちょうど半分配り終わったところだったらしく、前のカゴが空いていた。そっちに新聞を移動させ、後ろに僕を乗せて「捕まっているんだよ」と言って普通に漕ぎ出した。
自転車、というものは知っていたが、乗るのは初めてで、びゅんびゅんと景色が過ぎていくのは正直に言うと怖かった、今より手も足も短かったのだ、二年前と言うと推定十歳。でも栄養不足で七、八歳ぐらいにしか見えなかったと思う。この前会った時、俺に仕事を託して引退した爺さんは、ここ一年でひどく背が伸びたと喜んでくれたな。びっくりするほど伸びたのだ、成長痛で泣きたくなるぐらいには。
一言も喋らず配り終わった。そのまま家に送り届けてもらえるのだ、と思っていたら、何故か爺さんは新聞社に僕を連れていった。こんなぼろで!と抵抗したけれど痩せぎすだった僕は全く抵抗できなくて、そのまま重いドアの中に連れられていくしか無かった。
「おかえり、おや……社長。そろそろ新聞配達辞めたらどうですかね。お年ですし」
「わはは。確かにそうじゃな。……それで、わしの後続にこのこなんぞどうやろか」
「あまりにも小さすぎでしょう。せめて、もう少しだけ歳を重ねた子のほうが」
「年齢だったら、たぶん十を数えれると思うがの。わしが養育してもいいぞ。この家はそれぐらいの余裕はあるし、お前は子がいないからな」
「……育てる? 親御さんはもちろんだが、この子の意見を聞いたのですか。……坊主はどうしたい」
「親は、居ない。家はある。帰りたい」
「ほら、勝手に連れてくるんじゃないよ親父」
「少し強引すぎたかの。……もし働くことになったならうちの新聞社に来るといい。歓迎するよ、お前さんはいい目をしている。……とりあえず送っていこうか」
「……いい目?」
「ああ、いい目だ。珍しい、緑の綺麗な宝石のような目だよ。ただ、珍しいものは狙われやすい。攫われたらいけない、隠しておきなさい」
☆。.:*・゜
その後、爺さんは家に送り届けてくれて、「場所は覚えたから、ご飯やら持ってくるからね」と言って去っていった。攫われたら大変だとか言っていた本人が一番不審者な気がしたし、後にそう言ってみたものの「そうだねぇ」と言って笑っていたので手に負えない。
本当に三日おきぐらいにパンを全員食べても余るほど買ってきたし、それを食べさせてにこにこしていた。変な爺さんだ。
「兄ちゃん、今日は何してきたの?」
「新聞配達と酒場の掃除。そこらへんで菓子やらパンやら貰ったからあとでわけっこな」
「楽しみだな!」
「ぼくもにいちゃんみたいに働きたいなぁ」
「わたしもー」
「そのためにはちゃんとここでの仕事をこなせるようにならないとな。ちゃんとやってるか? 」
「もちろん! 」
頼もしいな。こうやって、ここの子達はしっかりした子になっていくのだ。自分のことは自分でやるのが当たり前、それ以上も自然とできるようになる。のんびりやさんも、みんなより遅れるけれどちゃんとできるようになる。
「いい兄ちゃんだな〜」
「レンディス、茶化すな! ……まあでも、ちびっ子がいい子だから俺も兄ちゃんになれるんだよ」
「そうだな。今度帰ってくる時は、新しい服を持ってくるか」
「従業員価格で?」
「そうそう」
レンディスは、服飾の仕事に就いている。年齢が近いなかでも一番気が合うやつだった。今は、徒弟から職人になるために住み込みで修行をしているのだとか。
「レンディス兄ちゃん、なんか面白い話して!」
「ねえねえ、兄ちゃん、今日のお話は?」
「天使の話かなぁ。コトルは見たことあるんだろ?」
「……二、三回」
「てんしってなに?」
「天使はなぁ、人が死ぬ時に現れるんだ。人は死ぬと歯車になるのは知っているだろう?」
「うん、しってるよ」
「それを取りに来るのが、天使の仕事なんだ」
「そうなんだ」
「その天使がなーー」
天使を見たことがある。
彼らは、白い羽を持っている。フードを深く被り顔を見せないが、白い髪も持っている。
歯車をもっていくのを見て、何故か心が軋んだ。僕もこうなるのだ、という未来への恐怖では無い。なにか、他のもの。
昨日感じた、喪失感に似ている。
「コトルおにいちゃん?」
「……ああ。レンディス、話は終わったか?」
「今からいいとこ」
「了解、少し花摘んでくる」
「おー。どこでその言葉知ったんだよ」
「奥様」
「面白いやつだな」
「わざとだよ」
軽口叩ける奴がいるだけで、少し楽になるものだな。兄ちゃん役は少しだけお前に任せたよ。