女の河童と船頭【人外短編企画 参加作品】
ああ、ついに見てしまった。
さんざん親方に脅されて、どうせ作り話だろうと高をくくっていたのに見てしまった。
川渕に女の頭が浮かんでいた。
つややかな黒髪に、ぞっとするほど白い頬。
そして、恐ろしいほどに整った顔つき……。
女はどこか一点をじっと見つめつづけている。
「……」
背筋に冷たいものが流れた。
うだるくらいの暑さなのに、体の芯はすうっと冷えていくようである。
もしかしたら川遊びをしていた人かもしれない、そう思ったが、すぐにあそこは深さが三メートル以上もあるはずだと思い返す。
淵とは言っても流れがまったくないわけではない。
水温だって山の水は手が切れるほど冷たいのだ。そんなところで、一人で、しかも水しぶきすら立てずにその場に留まっていられるなんて――どう考えたって人ではない。
息を飲んで見つめていると、船の舳先にいる親方に注意された。
「おい、見るな。目が合ったら最後……喰われるぞ」
俺はハイと震える声で返すと、棹を強く握りしめた。
※
都会の忙しなさに疲れて、このN村に引っ越してきたのは今年の春のことだった。
田舎の、住み込みで働けるところを探していたら運よくこの「ライン下り」という仕事を見つけられたのだ。
この村にはキャンプ場や登山ができる山があり、有名ではないがそこそこの観光地として機能していた。
はじめは自分に船を操るなんてできるのかと思ったが、真夏までにはどうにか棹を持たせてもらるまでになった。
いろいろ教わったが、コツさえつかめば割合簡単である。また、二人一組でやるのでそこまで気負わずにいられた。
風を切り、川の流れに逆らわぬよう船を操るのは気持ちがいい。
俺は、この仕事はまさに天職だと思った。
そんな素晴らしい職場だったが、一つだけ。親方から口を酸っぱくして言われていたことがあった。
この川には人を喰らう女の河童がいる。だからもし見た場合には気付かないふりをしろ――と。
幸か不幸か俺は春から一度もそれを目撃したことがなかった。
けれど今日、ついに見てしまった。
「嘘だろ。あれが、河童……?」
毎朝営業前に川の状態をチェックしに行くのだが、それを終えたばかりの俺は川岸で呆然としていた。
河童っていうのは、あれだろ?
緑色の肌で、頭に皿があるやつ。背中に甲羅があって、キュウリなんかが好物とか、そういう妖怪だったはず。
しかしさっき見たあれは、なんだ。どう考えても人間の女だった。
水面の下がどうなっていたかはわからない。けれど少なくとも、俗に言われている河童の姿とは似ても似つかなかった。
「おーい何してんだ、高橋!」
「あっ、すいません! 今行きます」
親方に呼ばれ、急いで駐車場へと向かう。
さっきの船はもう、船着き場の面々によってトラックの荷台に載せられていた。これから上流にまた戻しに行くのである。
トラックに乗り込むと、運転席にいた親方にバシッと肩を叩かれた。
「おい、しっかりしろ高橋。ああいうもんはな、相手にしなきゃそれ以上寄ってこないんだよ。だから今後も無視しろ。な?」
「は、はい、親方……」
親方はアクセルを踏みこむと、公道に出るため大きくハンドルを切った。
※
「皆さーん。そろそろ出発しますよー」
「はーい!」
日が昇り、営業時刻になると観光客たちが続々とやってくる。
みな配られたライフジャケットを着こみ、船の真ん中に陣取った。
俺も親方も、船頭のシンボルである法被と笠を身に着け、乗り込む。
川底に竿を差すと船はゆるりと川面を進んでいく。
「えー、あちらに見えますのが蛙岩と呼ばれておりまして……」
俺と親方が交互に川から見える景色をアナウンスしていく。
客たちからはその都度「へえ~」と感嘆の声があがった。
しばらく行くと、小さな段差の滝に差し掛かり、流れも速くなってくる。
「そろそろいくぞ、高橋!」
「はい!」
「お客様もビニールの準備の方よろしくお願いいたします」
「はーい」
親方とともに慎重に船を操作していく。
これはちょっとしたアトラクションだ。
滝を下るとき、勢いがつくので多少水しぶきがかかるが、客たちにはあらかじめ説明してあるので、船の脇につけられたビニールを持ってもらい水除けを作ってもらうのだ。
「きゃあー!」
滝を下ると客席から歓声があがった。
その後はまた、穏やかな流れが続く。
しばらくすると広い河原が左手に見えてきて、その先はあの河童が出た淵だった。
「……」
俺は人知れず緊張していた。
また「あれ」が出るのではないかと思うと、うまく息が吸えなくなってくる。
しかし、予想に反してその場所では何も起こらなかった。
女は現れず、何事もなく通過する。
「おい、高橋!」
「あ、はいっ! すいません!」
気がそぞろなことがバレたのか、また親方に注意されてしまった。
それにしても今朝のあれは何だったのだろう。
河童だというが……とてもそうには見えなかった。
あんな美女、また見られないだろうか。一度しか見れないなら少し残念――。
ん? 残念……?
何を考えているんだ俺は。
いくら美しかったとはいえ、あれは……人を喰らうというバケモノなんだぞ。
しかし俺は、その後もあそこを通るたびにひどく気になってしまい、結局仕事に集中することができなくなった。
※
本当に、今日はさんざんである。
あの後も俺は親方に何度も注意をされ、しまいには「ちょっと頭を冷やせ」と現場から外されてしまった。
いまは下流の船着き場で、船をトラックに積み込む作業だけをやっている。それ以外には特にやるこもなく、休憩所でタバコをふかしているしかなかった。
「はあ……? 嘘だろ。またか」
そう。また、である。
またあの女のことを考えてしまっている。
「いったいどうしちまったんだ、俺は……」
女の顔が何度も何度も頭に浮かんでくる。
そればかりか、「ここからあそこまでは結構な距離があるよな」とか、「今フラッと出ていったらすぐには戻ってこれないよな」などと妙なことまで考えてしまっている。
「なんで。なんでだ……? 『あれ』に会いに行きたいと思っているのか、俺は……」
最後の船がここに到着するのは十五分後。
そこから片付けなどをして、仕事をあがれるのはさらに一時間後だった。
俺は携帯灰皿にタバコを押し込んだ。
「はあ……」
なんだか、妙な気分だ。自分が自分でなくなっていくような……。
でも、何をすればいいのかはもう……わかっている。
※
確かめなければと思った。
俺が見たモノは本当に「河童」だったのかを。
嘘だと思いたかった。
あんな美人がバケモノであってたまるかと思った。
いなかったらいなかったで見間違いだと、自分を納得させたかった。
でも実際現場に着いてみたら……そんな気持ちはいっぺんに吹き飛んでしまった。
月の綺麗な晩だった。
川向こうの雑木林の上に、血のような色の満月が浮かんでいる。
そしてその直下の水面に、ぷかりと黒い頭が現れた。
ああ。やはりあれは……今朝見た女だ。
相も変わらずどこか一点をぼうと見つめている。そして、微動だにしない。
「……」
俺はごくりと生唾を飲み込むと、川べりに近づいた。
青白い横顔が川下を見つめ、ぬるい闇がその周囲を取り巻いている。
さらさらと断続的に聞こえる水音。
虫の声。
そして、俺が踏みしめる砂利の音。
「!」
その音に反応したのか、女はゆっくりとこちらを振り向いてきた。
月明かりの逆光で表情はわからない。
俺を見ているはずなのに、こちらにはやってこなかった。
「なんだ……? 俺を食べる気はない、のか……?」
やはり河童ではなく、霊とかそういったたぐいなのかもしれない。
オカルトはあまり詳しくないが、そうであるという方がまだ納得できた。
しばらく固唾をのんで見守っていると、いきなり声が聞こえてくる。
「もうし。そこのお方――」
「ひっ!」
思わず悲鳴をあげてしまった。
まさか話しかけられるとは思っていなかったのだ。返事をすべきかと迷っていると、さらに続けて声が聞こえてくる。
「もうし。貴方はもしや、今朝の船頭さんではありませんか?」
「……」
気付かれていた。
そうだと答えていいものか……。
俺の口はまるで縫われてしまったかのように動かない。
「目を合わせてはいけないと、親方さんに言われていたのではないですか? 相手をするな、無視しろとも……。なのにどうして、こんなところまで来てしまったんです?」
「……」
「あらあら。困ったお人ですね」
女はそう言うと、突然ぽちゃんと水の中に潜ってしまった。
まさか、俺の態度に呆れ果ててしまったのか……?
「ああっ……!」
なんと惜しいことをしたのだろう。
俺が返事をしなかったばっかりに!
あの美しい女は再び、姿を消してしまった!
「ま、待ってくれ――」
その時、何かが突然こちらに飛んできた。
俺の胸に当たったそれは足元にびたんと落ちる。
それは生きた魚だった。
川を見ると、女がまた先ほどの場所に姿を現し、けたけたと笑っている。
「うふふ……気に入りました。どうぞ。それお持ち帰りになって?」
そう言いながら、女はもう一尾捕まえていたであろう魚を頭からむしゃむしゃと食べていた。
ぐちゃぐちゃという咀嚼音がこちらまで聞こえてくる。
「人を食べることもありますが、主な食糧はこちらなんです。さあ、わたしの気が変わらぬうちに早く、お帰りなさい」
俺は魚を拾うと、後ろ髪を引かれつつ、そこを後にした。
※
結論から言うと、もらった魚はうちで美味しく食べてしまった。
あれはあの女のきまぐれだったのだろうか……。
毒が入っていたとかそういうこともなく、俺は大いに心をかき乱された。
「ああ、でもあいつは人を食べる……食べるんだ……」
本人もそう言っていたのでそれは確かなのだろう。
けれど信じたくなかった。あんな、あんな美しい女と……これ以上何もできないなんて。
俺が助かったのはたまたまだったのかもしれない。
もう行かないようにすれば安全だ。
しかし、しかし……。
俺はそれから、寝ても覚めてもあの女のことを考えるようになってしまった。
忘れなければならないのに。
どうしても、忘れられなかった。
※
「おい高橋、大丈夫か?」
「あ、親方……」
翌日出勤した俺は、親方に目の下の深いクマを発見され、非常に心配されてしまった。
「まさか、あの河童のことを考えているんじゃないだろうな?」
「それは……」
「やめろ。アイツはそうやって人間の男をたぶらかすんだ。そうして気を許したところで、水の中に引き込む。人間が川の魚を釣るのと同じだ。ヤツもお前を獲物としてしか見ていない」
「わかってます。でも……」
「いいな? 命が惜しけりゃ忘れろ。忘れられないんなら……もったいないが転職も視野に入れておけ」
「親方……。あ、ありがとうございます……」
言葉の上ではそう言ったが、内心はまた今日も会いに行きたいと思っていた。
※
仕事を終え、またあの淵に向かう。
血のような色の満月。
そして、青白い顔。
「あら、また来たのですか?」
「……」
「おしゃべりをしに来た、というわけでもなさそうですね。何が目的なんでしょう」
「……」
「わたしは気が長くありません。理由を言わないのなら貴方を食べますよ?」
そうだ。食べればいい。
そうして俺に近づいてくれれば、お前の顔をもっと見られる。
「……つまりませんね。それを持って、早く帰りなさい」
「え?」
気が付くと、また胸に魚が投げつけられた。
どうして、俺を食べないんだ。
女はちゃぽんと川の中に入って、その日はそれきり姿を見せなかった。
※
何が悪いのかわからない。
再び顔色を悪くして出勤すると、親方がぎょっとして俺に声をかけてきた。
「おい高橋、本当にどうしたんだ。お前……」
「すいません親方。忘れようと思っても……忘れられないんですよ。だって、あれは……河童なんかじゃないでしょう?」
「何?」
不穏な会話を周囲に聞かせたくなかったのか、親方は俺を建物の外に引っ張っていった。
「ちょっと待て。どういう意味だ。河童じゃないって……おとといお前は見たんだろう? あの河童を」
「河童って、なんなんですか? 俺にはあれが見たこともないような美女にしか見えないんです。ああ、あの女を抱いてみたい。今はもうそのことで頭がいっぱいです」
「ああ……そうか。そういうことか」
親方は首をふると悲し気に言った。
「いままでにも、そう言っていなくなったやつらがいた。船頭の中でもあれが見える者はわずかなんだ。そいつらはみんな、お前のように男前なやつらばかりだった……」
俺は自分でも容姿がいい方だと、自覚している。
けれど、それを今指摘されて、ぶわっと鳥肌が立った。
「その……容姿がいい、とかいう以前に……せ、船頭だけなんですか。それを見るのは……」
「まあ、観光客はだいたい二日以上この川を訪れないしな。たとえ見たとしてもそんなに害はないんだ。地元のやつらもこの川に河童がいるのを知ってるから、普段から川に近寄らない。釣り人も同様だ」
「そう、ですか……」
「俺はお前に、むざむざ喰われてほしくないんだよ。せっかくここまで船を操れるようになったんだ。なあ、高橋。考え直してくれ」
「……魚を、もらったんです」
「なに?」
俺は昨日おとといと、河童から魚をもらったことを話した。
親方はなんてことだと頭を抱える。
「喰われるなら最初に喰われているはずです。でも、あいつは俺を食べるどころか魚を恵んでくれました。ねえ親方、あいつは本当に人を喰うんですか?」
「……騙されるな」
「えっ?」
「やつはお前にどんな姿を見せてきた?」
「どんなって……」
「あいつがどんな姿をしていようと、俺はじいさんの言っていたことを信じる」
「じいさんって……?」
「俺の祖父だ。もう亡くなってるが、この村に昔から住んでいたんだ。じいさんは、河童は人によって見せる姿を変えると言っていた」
「そんな……」
「お前が見た、会ったという河童は、お前が望む姿になっていたんじゃないのか」
「……」
「なあ、悪いことは言わない。もうあれに関心を持つな。それが無理なら今日付でここを辞めろ」
俺はなんとも返事ができず、その日も仕事が終わるまでずっと上の空だった。
※
日が暮れて、仕事をあがると、俺は親方に止められる前にあの淵に向かった。
もうどちらにしろ今日で最後にしようと思っていたのだ。
「あら、貴方も懲りませんね」
行くと、女は今日もそこにいた。
俺は今日だけは絶対に失敗しないようにと、心に決めていた。
「お前は……河童なのか?」
「あら。口が利けたんですね。ええ、ええ、河童と呼ばれていますよ」
「なぜ、昨日も今日も俺を食べなかったんだ」
「食べられたいんですか? 奇特な方ですね」
「話を逸らすな。俺は、お前の顔に惚れた。もっと近くで見てみたい。そう思って来てるんだ。それに……あわよくばお前を抱きたいとも思っている」
「うふふ。正直なお人。いいでしょう。わたしの顔をもっと見たいという、それだけの気持ちで来たのなら、ぜひともご覧に入れましょう」
女はそう言うと、すうっとこちらに泳いできた。
青白い顔がどんどん近づいてくる。
そして、水深が浅くなるほど首が、上半身が、腰が、現れてくる。
一糸まとわぬ全裸だった。
俺はその美しさにくらくらとめまいがしてくる。
女はくるりとその場で回転し、その美しい体を見せつけてきた。
「いかがですか?」
「あ、ああ……ああ、美しい……」
手に水かきなどついているかと思えばそんなものはなく、背中にも甲羅があるかと思えばまっさらであった。
夢にまで見た、理想の美女の姿。
俺はそれを食い入るように眺めた。
そろそろと川の中に入る。
足首が浸かり、膝が浸かり、ようやく女の前までたどり着くと、何かの声が聞こえた。
「高橋ーーーっ! 高橋ーーーっ!」
聞き覚えのある声だった。
けれどもう俺は後に引けなくて。
目の前の女の顔を注意深く見つめるのみだった。
すぐにでも抱きしめられる位置で、女の目鼻口を眺める。
ああ、なんと美しい顔なんだ。
こんな美女とは二度とお目にかかれないだろう。思わず口づけしたくなって、顔を近づける。
「高橋ーーーっ! どこだーーーっ!」
親方だ。
すんません。俺はもう疲れたんです。まわりからの妬みや嫉み、そういうものが渦巻いてる世界から逃げきりたかったんです。
恋人を同僚に寝取られ、プロジェクトの手柄も上司に持っていかれ。
そんなことをすべて忘れさせてくれるものがあるなら、もう何でも良かったんです。
ああ、ずっと死にたいと思っていた。
死ぬ勇気がなくて、死ねずにいたから、こんなところまで来てしまったんだ。
この河童と呼ばれる女が俺を殺してくれるならば、それはもう願ったり叶ったりの――。
「ん?」
思わず伸ばしかけた手を止めた。
なにかおかしい、と感じたからだ。
女のまぶたが……動いていなかった。ずっと先ほどから目を開きっぱなしである。
「どうしました? 抱かないんですか? 高橋さん」
「……っ!!」
口元が一切動いていなかった。
これはいったい、どこから声を出してるんだ?
硬直していると河童はさらに俺に近づいてきた。なんだ? 今の動きは。歩く動作じゃなかった。まるで船のように水面を滑ってきて――、
「高橋ーーーっ! 行くな! 戻れーーっ!」
親方の怒鳴り声が背後から聞こえてくる。
けれど俺はもうどうすることもできなかった。
「高橋さん? どうしたんです?」
目を開けたまま、口を閉じたまま、河童が俺の名を呼ぶ。
よく見ると、手足も一切動かしていなかった。なんなんだこれは。いったいどうなってるんだ……。
「しょうがないですね。面白かったんですが、ここまでですかね」
「え……?」
ぐにょ、と女の形が崩れる。
そしてそれは大きな漏斗型になると、俺の右腕を肩までずっぽりと吸い込んだ。
「うわあああっ!」
「た、高橋っ!!」
ざばざばと後ろから親方が川の中に入ってくる。
そして吸い込まれた腕とは反対の方をつかまれた。
「待ってろ、今助けてやる!」
「うわあああっ、お、親方! 親方っ!」
漏斗状の根元は、まるで蛇のようにうねっていた。
その先は、川の中に消えている。
これはなんだ。蛇なのか? 河童じゃなかったのか。
「ああもう! 食事の邪魔をしないでくれませんかね?」
あれの声が、苛立たしげにつぶやかれる。
だが親方もまたそれにキレたようだった。
「うるっせえ! 俺んとこの船頭を何人も喰いやがって! こいつも喰わせてなるものかよ!」
「そうですか。わたしだって妨害されると困るんです」
そんな声がしたかと思うと、さらに強い力で吸われはじめた。
俺の右腕は明らかになんらかの生物の口の中だった。粘膜のなんともいえないぬめりが不快感をもよおす。
これはやはり、俺を喰おうとしているのだ。
吸引の力強さにだんだんと痛みが増していく。
「ううっ……。親方……お、俺のことはあきらめて……ください。もう、いいです!」
「馬鹿野郎。そんなこと言ってる暇があんなら早くそっちの腕を抜け!」
川面には満月の月明かりが反射していた。
だがその一部が急に盛り上がる。
「……?」
大きな丸い岩が現れた。
二抱えほどもある平らなそれが、水面に浮かんでいる。しかし、その下には黒っぽい亀のような顔があった。ああ、これが……「河童」なのか。あの丸い岩は「皿」だったのか。
見ると、漏斗の先がその口の中へと続いていた。
これはやつの舌だったようだ。
「まるで、チョウチンアンコウだな。チョウチンアンコウは頭から突き出た疑似餌を釣り人のように振って獲物を狩る。だがこいつは、舌でそれを作っていたようだ……ようやく本性を現したか」
そう冷静に親方は分析しているが、俺の方はもう限界だった。
右腕の感覚がもうほとんどない。
徐々に河童の本体も近づいてきており、死は目前だった。
「おーい!! 親方ーーーっ! 高橋ーーーっ!」
「おっ、みんな来たか」
「えっ」
「俺一人だけじゃ心もとないからって、あいつらにも来るようにって言っておいたんだよ」
背後を振り返ると何人かの同僚たちがこっちに走ってきていた。
彼らの手にはみんなそれぞれ何かが握られている。あれは鉈か? 鎌や、ああ、猟銃もある。
「うっ、み、みんな……!」
安堵しかけたその時、ぐいと右腕が強く引かれた。
あっと親方が声を上げる。
景色がスローモーションになり、俺は川の上をすごい勢いで移動し――……
完
最後までお読みいただきありがとうございました。
この作品以外にも「人外短編企画」で検索すると他の方の参加作品をご覧いただけます。
企画の開催期間は10月12日までですので、ご興味のある方はぜひ参加されてみてくださいませ。
くわしくはとびらの様の活動報告まで。