1.導きのラーメン
「ここは……。」
視界に見えるのは無限に広がっているのではと見紛うばかりの雲一つない空と無機質な床であった。
それ以外のモノはまるで見当たらない。微生物すらいなさそうな空間、自分以外の人間なんて見る影もない。
俺は気がついたらここに立っていた、それ以前の記憶はあやふやだ。
確か俺は、食ログの星3.61のラーメンを食べに行って、そこでマナーの悪い客と喧嘩になって、それで……
と、おぼろげな記憶を少しずつたどっていると、突然何もない空間の”上”から声がした。
「あなたは死にました。いえ、正確には死ぬ瞬間に魂をこちらに引き寄せたので『現世では死んだ』といったほうが正しいかもしれませんね。」
そう俺に告げながら上から降りてきたのは、巨乳で透き通る蒼い目をした肩までかかる金髪で白衣の上からでもその存在感をアピールしてくるレベルの巨乳の少女であった。
「そうか、俺は死んだんだな、ラーメンの何たるかを理解していないあの客のせいで……!」
俺は少女の告げた内容を驚くべき冷静さで整理し、自分の状況を即座にかつ完璧に理解した。と同時に怒りが込み上げてきた。
「そうです。あなたはラーメン屋で着丼してからスマホを操作しつつ食べていた若者に腹を立て、椅子を蹴りあげたらバランスを崩し倒れてきた若者に押され、そのまま券売機に頭をぶつけてしまったのです。」
「ほう」
「打ち所が悪く本来であれば死ぬところでしたが、こうして魂のみをこの空間に呼び寄せました。」
「なるほど、それでどうして俺はこんなところに呼び出されたんだ。スマホ弄ってたガキはどうなったんだ。」
正直自分が死んでるなんて実感は全くなかった、そんなことよりクソガキだ。ああいったラーメン屋を舐めてる人種……いや、もはや人ではない、ダニだ。あいつが正しく裁かれないと俺の気は納まらない。
「あなたのような人間を求めていたのです、正しい知識を持ち、志高く、正義感にあふれた人間を!」
少女はそれまでの事務的な話しぶりから一転、乳を揺らし熱のこもった声でそう言った。
「あなたのいた世界のラーメン屋というのは非常に完成された文化です!しかし、その広く大衆にまで浸透したものというのはそれだけ理解のない粗暴な輩まで受け入れてしまうのです……具体的には、待ち列が発生しているラーメン屋でマイペースにラーメンを食べてた先ほどの若者のことですね。」
「そうだ。アンタのいうことは間違ってない。ちなみに、そのジャリガキ……若者はどうなったんだ?」
「私は天の使いですよ?天罰を与え死んでいただきました。当然ですね。」
まるで正しいことをしたかのように彼女はそう話す。一瞬ドキリとしたが、冷静になって考えると正しいことには違いない。死んで当然なのだ、ラーメン屋でちんたら麺をすすったり携帯を触ったりするやつは……。
「ガキが無事死んでくれて何よりだ。で、そろそろ俺の質問に答えてくれないか?」
「話が脱線してしまってごめんなさい。私は天の使いですので、正しいことについて語るとつい熱くなってしまうんです……それで、あなたについてなんですが」
落ち着きを取り戻した彼女は、俺がここに来た理由について説明してくれた。要約するとこうだ。
・神が管理する世界は無数にあり、中には天罰などの手入れが行き届かない世界がある
・荒れた世界を正すための人間を探していたらたまたま死にかけている俺がいた
・彼女(とその上司、つまり神)は俺に神の使いの代行をお願いしようとここに呼び寄せた
「なるほど、理解した。つまり俺がどこか異世界に転移して、荒れた世界が良くするよう働きかけてほしいってことだな。言うことを聞かないとそのまま死んでしまうんだ、やらせてもらうさ。」
ひとしきり内容を聞いた俺がそう言うと、彼女は驚いた顔をした。
「素晴らしい理解力ですね……その通りです。もちろん、今のまま転移しろなどというつもりはございません。神の権限の付与は難しく、1つだけにはなってしまうのですが願いを叶えさせてください。現世に戻りたい以外の希望であれば出来る限り応えますよ。」
俺は少し考え、こう答えた。
「じゃあ、さっき食べそびれたラーメンを食べさせてくれ。」
「はい?」
「さっきガキに邪魔されて食べられなかったラーメンだよ。どうしても食べたかったんだ、限定なんでな。」
「あなたほど欲のない方は初めてです……!わかりました、それでしたら少々お待ちください。」
数分後、目の前に突然空間の穴のようなものが現れ、そこからラーメンが出てきた。俺は無心でそれを食した。
「美味かった、やはり食ログの星3.61の店だけあるな。チャーシューはツナ、スープは非乳化、麺はパツパツとしておりでモヤシは完全なクタだ。ラーメンはこうでなくちゃな。」
「お気に召していただけたら何よりです。では、あちらにある次元の穴より異世界へ旅立っていただきます。……失礼ですが、本当に願いはこれでよかったのですか?スキルも能力もなく異世界に旅立とうなんて中々無茶なのでは……。」
「何を言ってるんだ?俺はスキルを持ってる。審美眼だ。生まれてこの方、ラーメンについては常に正しく美しい価値観をもって取り組んでいる。さっきみたいに必要に応じて他の人間に提供することもしているさ。」
「そんな、あなたのいた世界ではスキルの概念はないはずでは……!?」
そういうと彼女(そろそろ名前を聞いておくべきだったか?)は慌てて何か詠唱を始めた。目の前に昔ゲームでよく見たウインドウ画面が表示される。
Lv 1
名前 イマムラ タロウ
年齢 34歳
性別 男
種族 ヒューマン
ジョブ なし
スキル一覧
・鑑定※+
・健康体
「この鑑定※+ってのは?」
「先ほどあなたが言った『審美眼』のことで間違いないかと思います。※は一部のジャンルにのみ適用、+というのは通常人間が用いることのできる範囲を超えているということを示しています。本来であれば人間には付与されないスキルですが……驚きました……。」
「じゃあそれで十分そうだな。」
俺は覚悟を決めた。異世界ということはどんな世界なのかわからない。ラーメンを食べるなんてことはおそらく望めないだろう。おそらく人生最後のラーメンだったが、それに相応しいラーメンだった。ちゃんと6分で完飲した。口に残るほのかな化学調味料の香りを噛み締めつつ、俺は空間の穴に向かって歩いていった。
「それでは、この穴を異世界と繋げます……はい、繋がりました。後はそのまま穴に入っていただければ異世界に到着します。」
「ありがとう。最後に、君の名前を聞いていいか?」
「私の名前はミシェルです。それではイマムラ様、どうかよろしくお願いいたします。」
穴の向こうには草原が広がっていた。これなら異世界入りしてすぐ死ぬことはないだろう。俺はゆっくりと足を穴の向こう側へと進めた。
「あなたに良きラーメンがあらん事を……。」
俺の後ろでミシェルがそう呟いた気がした。