犯罪王ベクター教授
深夜12時。
勿忘市の西、ゆうぎり町の大通り。
マキシは、開け放たれたままの贖罪教会の門をくぐっていた。
「フハハハ。待っていたよ、マキシくん!」
礼拝堂に入りこんだマキシを迎えたのは、嘲笑うような神父の声だった。
堂内の壇上には既に、車椅子に座ったサンデー神父がいた。
神父の様子が、昼間とは一変していた。
その瞳には残忍な光。穏やかな笑みを湛えていたその顏に浮かんでいるのは、今は酷薄なうすら笑い。
「夜中にコッソリ礼拝かね? 昼間会ったばかりだというのに、またずいぶんと信心深いんだな、探偵くん」
「ああ。神父としては今日の昼間、教授としては勿忘大学の公開講義でお会いしてはいたが、こういう場所、そしてこういう立場で出会うのは、互いに初めてだったな。はじめましてサンデー神父……いや、犯罪者アルバート・ベクター教授!」
壇上から探偵を見下ろす神父姿の……アルバート・ベクターを指さし、探偵は語気を強めた。
「フン。君の事だ。いずれ事件を嗅ぎつけ犬のように食らい付いてくるだろうと思っていたが、それにしても早い……まさかレモン君のことまで探り当てていたとはね」
「簡単な符合だ教授。半年前、ウルヴェルクの古代遺跡から発掘された新たなる『魂の座』が、何者かに盗み出され何処かに消えた。そして事件の重要参考人、盗難の直後から姿をくらませている、勿忘大学から派遣された調査団のメンバーがいたな。名前はレモン・サウアー。今も行方知れずのはずの彼女が、お前のシンパだったとはな……」
一体いつの間に、そこにいたのか。
物音ひとつたてずに壇上に姿を現し、影のように教授の傍らに立っている女の姿を指さして、マキシは答えた。
修道服のレモン・サウアーが自身の両腕で抱きかかえた者の身体を、そっと壇上に横たわせた。
薬を飲まされたのだろうか? 昏々と眠る御崎ソーマの小さな身体だった。
そしてソーマの亜麻色の髪には、小さな金色の髪飾りが取り付けられていた。
ちょうど探偵のポケットの内にソレと、同じ形の。
「その通りだ。改めて紹介するよ。こちらはミス・レモン。魔道考古学のスペシャリストにして魔遺物盗掘のプロフェッショナル。そして今では私の『研究』に欠かせない忠実な助手だよ!」
「まあ、イヤですわ教授。助手だなんて、そんなヨソヨソしい……」
ベクター教授の紹介に、レモンはアダっぽい笑みを浮かべて、彼の肩にしなだれかかった。
「ベクター教授。例の髪飾り……『魂の座』の用途と、お前の目的については、お前が『ウィザード』誌に寄稿した論文の内容からおよその見当はついていた。かつての『来訪者』と同じく、自分の魂を他者の肉体に転送して永遠の命を得る。それがお前の研究の究極の目的だった。だが2ヵ月前、お前は十分な研究も入念な準備も出来ていない状況で、やむにやまれぬ理由から『魂の座』の『御業』を行使せざるを得なかった。それが『トワイライト・エクスプレス』脱線事故だ……」
「フン! その通りだ……」
金色の瞳を輝かせて教授を問いただすマキシ。
教授は忌々しげに鼻を鳴らして、自分の両脚に目を遣った。
「あの日、あのクソったれな脱線事故に巻き込まれて、私は瀕死の重傷を負っていた。このままでは私の研究も、究極の目的も全てが無に帰ってしまう。だから……使わざるを得なかったのだ。たまたま近くに乗り合わせていた、無傷そのもののイーラーイ・サンデー神父の肉体をね!」
ベクター教授が凄惨な顏で笑った。
「だが十分な研究も準備もなく行った『御業』の代償は大きかった。魂の消去を行うことなく無理やり不適格な肉体に転生してしまった私は、両脚の自由を失ってしまったのだ。もっとも、ちょっとしたメリットもあったがね。神父の記憶の一部はいまだに私の内部にある。おかげで神父として執り行う祭祀にも困らないし、子供たちの名前を覚えなおす必要もなかったよ。君のことだって、ちゃんと覚えていただろう……?」
教授は自分の額をコツコツと指で叩くと、得意そうにそう言った。
「なるほど。そうやって神父として教会に潜り込み、夜な夜な『実験』に精を出していたってわけか。浮浪者たちが抜け殻のようになって死んだのはリンネのせいなんかじゃない。お前の実験で魂が『消去』されていたんだな!」
「その通り。実験は順調だった。あと数日で全ての準備が整う……はずだった。あの忌々しい吸血鬼が裏切って逃げ出すまでは!」
怒りに燃える目で教授を睨む探偵に、彼は苛立たしげにそう答えた。
「あの夜……実験に1つの『手違い』が生じた。5人目の『被験者』への処置が十分ではなかったのだ。魂の消去処置がね……」
「5人目……ブラナー氏のことだな?」
「フン。名前なんぞ覚えちゃいないが、迂闊だったよ。ソイツの頭には多分弾丸かなにか……金属片が食い込んでいたんだ。頭蓋にある金属みたいな異物は、私の処置の効果を著しく弱めてしまう。ソイツは魂を消去されたふりをして……おもむろに用意していた拳銃を私に向けた。そして実験室に使用していた『魂の座』を持ち去り……教会から逃げ出したんだ!」
教授の顔が怒りに歪んでいた。
「なるほど。そして、教会から逃げ出したブラナー氏の手を経て『髪飾り』はリンネの手に……」
「ああ。愚かな吸血鬼だよ。おとなしく私に協力していればよかったのに。あの貧弱な少女の身体。教会の外……人の世界では絶対に生き延びられないあの姿で……私の『庇護』を離れて裏切り逃げ出したんだ!」
「『庇護』だと……! なるほど、お前は正真正銘のクソ野郎だ……」
教授の放つ言葉に、マキシは吐き気を覚えていた。
「おしゃべりはこれくらいにしよう、マキシくん。取引の時間だ。『魂の座』は持ってきたな?」
「ああ、ここにあるさベクター教授。そこの御崎ソーマと……孤児院の子供たちと引き換えだ」
マキシは上着の内ポケットの中から、銀色に輝く小さな髪飾りを取り出して教授の方にかざした。
「ふむ。認めよう本物だ。そいつを床に置くんだ。入り口まで下がれ」
「だめだ。まずはソーマの身柄だ。ミス・レモン、彼を抱えてここまで来るんだ」
教授から目をそらさずに、油断なくマキシはそう問いただす。
「ああわかった。しかし彼には少し気の毒をしたな。レモン君が、きみの屋敷まで電話をかけたんだ。彼の母親のふりをしてね! 喜びいさんで、表通りまで出てきてくれたよ。さぞやガッカリしただろう……」
「なるほど。ソーマを捨てた母親を騙って……つくづく『品格』の無い奴らだ。早く彼を連れて来るんだ!」
「いや。その必要はないマキシくん……」
「必要はない? 何を言っている」
「例の『被験者』なんだがね。なかなかに良い焼き上がりだったろう?」
「……ブラナー氏のことか?」
「フン。名前なんぞ覚えちゃいないが、要するに君も……ここで焼き上がるんだからな!」
「…………!」
教授の言葉と、彼の放った強烈な殺気に反応して、マキシが反射的にその場から飛び退った、次の瞬間!
ゴオオオオッ!
「なにィ!」
マキシの眼前で、空気が燃え上がった。
猛烈な熱波が探偵の上着を焦がし、燃え立つような彼の紅髪を燃やす。
「発火能力? 馬鹿な!」
間一髪で炎から逃れた探偵が驚愕の声を上げる。
突如虚空から燃え上がった炎が、床や椅子……周囲の調度品に燃え移ることもなく、探偵の肉体だけに襲い掛かったのだ!
ゴオオオオッ! ゴオオオオッ!
マキシが身をかわすそのたびに、空気が燃え上がり執拗に探偵の跡を追ってゆく。
「ニャアア!」
「ニャギャギャ!」「ニャアアア!」
礼拝堂に潜り込んで眠っていたネコたちが、突如生じた熱気と喧騒に目を覚まして、混乱の悲鳴を上げていた。
「フハハ、どうだ私の開発した魔遺物は。こいつは『火竜の断罪』。このての仕事に使うには、なかなか実用的なバーベキューマシンだろう?」
壇上では、ベクター教授が勝ち誇った笑いを上げていた。
いつの間にか、彼の右手の指に嵌ってマキシの方を向いているのは、神父の姿に似つかわしくない、大きな紅玉のあしらわれた指輪だった。
「なるほど。あの炎でブラナー氏を……だが奴の視線と殺気さえ見切ってしまえば……」
炎をかわしながら探偵が、どうにか教授との間合いを詰めようとしていた、だがその時だった。
シュ……シュ……シュ……
真っ赤な炎の向こうから、風を切る音とともに、煌く何かが飛んでくるのがわかった。
「しまった!」
飛来物の正体に気付いたマキシが咄嗟に身をかわそうとするが、既に遅かった。
「アハハ! どこを見ているの探偵さん? 脇が甘いですわあ!」
髪飾りを持った探偵の右手を貫いていたのは、何本もの銀色の針。
教授の助手、レモン・サウアーの放った針だった。
ギギギギ……。レモンの針に自由な動きを奪われたマキシの手が、髪飾りを床に取り落とす。
いや、右腕だけではなかった。
左手、両脚、腹、胸……いまや探偵の全身には、何本もの銀色の長針が突き立てられていた。
「グウウ!」
全身の自由を奪われたマキシが、苦し気な声を漏らして協会の床板に転がる。
「フハハ! よくやったレモン君。いーいコントロールだ!」
「アハハ! お茶の子サイサイですわ教授! 『魂の座』も回収っと……」
動けないマキシの傍から銀色の髪飾りを拾い上げて、レモンはコロコロ笑った。
「いいぞ。ちょっと離れていなさいレモン君。楽しいバーベキューだぞ~~!」
教授がニタニタ笑いながら、右手の指輪をマキシに向けて、とどめの炎を放とうとした、だがその時だった。
「な……なんだ!?」
「ニャー」「ニャー」「ニャー」「ニャー」
壇上の教授が、戸惑いの声を上げていた。
礼拝堂に潜り込んでいたミケやブチや虎縞……何匹ものネコたちが、いつの間にか教授を取り囲んでいたのだ。
「なんだお前ら。離れろ! 離れんか!」
「ニャギャー!」
そして、猫たちが一斉に教授に飛び掛かると、教授の身体に爪を立てて全身を引っ掻きはじめたのだ。
「教授!」
「いったい……何が?」
髪飾りを手にしたレモンと、動けないマキシも、突如の怪事に驚きの声を上げた、その時だった。
「あの距離では炎は使えないでしょ? 自分を焼いてしまう……」
探偵の耳元で、マキシにも聞き覚えのある鈴を振るような声が微かに聞こえた気がした。
「その声は……!?」
「血の香を少し残しておいた。私の血は、こんな使い方も出来る……」
ハサハサと掠れるような羽音とともに、探偵の眼前で何かが舞っていた。
それは小さな一頭の、黒翅をした蝶の姿だった。