教会の怪異
「この輝き……そしてこの反応……間違いない、これは『魔遺物』!」
リンネがテーブルに置いた小さな銀色の髪飾りを前にして、マキシの目が驚愕に見開かれていた。
さし伸ばされたマキシの右手の指先に呼応するように、髪飾りと指先の間でパチパチと紫の火花が瞬いているのだ。
「マキシさんの手に……反応してる!」
リンネもまた髪飾りの放つ異様な輝きと火花に、驚きの声を上げていた。
「信じられない。こんなモノをいったいどこ何処で!?」
「持って来たんです。教会から……」
リンネを向いて厳しい声でそう問いただすマキシに、彼女は物怖じもせずそう答えた。
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『魔遺物』とは、この「世界」に人間がやって来て、都市や村々を築く遥か以前の時代……
いわゆる『機元前』の時代に造られた道具の総称だった。
その時代の住人たち……、現代では魔物や妖精と呼ばれている、忘れられた種族の残した、不思議な力を持つ数々の宝具。
考古学者や探検家の中にはこの『魔遺物』の発見や発掘に生涯を捧げる者も多く、その発掘品のほとんどが、投資家や富豪の蒐集家の間で、莫大な額で取引されているのだ。
中には現代の人間の手には負えないような、恐ろしい力を秘めた兵器も存在するという。
こんな小さな、市井の……それも孤児院の少女の手に在ることなど、まずありえない話だった。
「教会から持って来た? 聞き捨てならない言葉だな。私はドロボーを依頼人に迎えた覚えは……」
「待ってくださいマキシさん。これには理由があるの。方法なんて知らないけれど、はっきりわかる。この髪飾りは、何かとても恐ろしいことに使われていたの!」
眉を寄せてリンネと問い詰めようとするマキシの声を、彼女は静かに遮りそう答えた。
「恐ろしいこと? それが……事件にかかわることなんだな?」
「ええ、そうよ。マキシさん……」
リンネが、話を始めた。
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女手一つでリンネとソーマを守ってくれていた母親が病を得て亡くなり、二人がゆうぎり町の『贖罪教会』の孤児院に引き取られたのは、今から半年前のことだった。父親は行方知れずだった。
悲しみに暮れるリンネと、空けても暮れても泣いてばかりいたソーマを、教会のイーラーイ・サンデー神父と孤児院の仲間たちは暖かく迎え入れた。
孤児院での生活は、それまでよりも更に慎ましいものとなったが、リンネは感謝していた。
生活態度や勉強のことには厳しくとも、常に孤児院の子供たちを気にかけ、思いやるサンデー神父を、リンネもソーマも、そして周囲の誰もが尊敬し慕っていたのだ。
「でも……。何かがおかしくなり始めたのは今から1月前……あの人が教会にやって来た頃からでした」
そう続けるリンネの、バラの花びらのような唇が微かに震えていた。
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「初めましてみなさん。今日からこの教会でお仕えすることになりました。シスター・テレーズです……」
その女、シスター・テレーズは礼拝堂でリンネら孤児院の子供たちを見回すと、優雅に微笑んでお辞儀をした。
折悪く事故で足を痛めて、教会での仕事に色々差し障りのあるサンデー神父の補佐。
そして、優しくて働き者だが寄る年波で子供たちの世話が難しくなってきたシスター・ケイトに代わるため、中央教会から遣わされた新しい修道女だった。
齢は20そこそこ。輝くような金色の髪。男なら誰でも振り向いてしまいそうな優美な目鼻立ち。そして身に纏った修道服の上からでもはっきりわかる、バツグンのプロポーション。
「おおーーー」
孤児院の子供たちに、どよめきが広がってゆく。
「み、みなさんもシスター・テレーズの言うことをよく聞いて、彼女を困らせるようなことをしてはいけませんよ」
いつもは厳格なサンデー神父が、妙にソワソワしながら彼女を皆に紹介する。
リンネは、何かが気になった。
「さあみなさん。勉強部屋に戻って。夕方までは学校の復習にあてること。夕食はこれまで通り。6時からですよ」
シスター・テレーズはポンポンと手を叩くと子供たちにそう告げる。
「わかりましたシスター!」
子供たちが一斉に声を上げて、勉強部屋へと戻ってゆく。
リンネもソーマの手を引いて礼拝堂を出ようとした、その時だ。
「『神父』、中央教会から、これがお約束の……」
「おおお……ようやく。でかしたぞ、『シスター・テレーズ』!」
そうやりとりする神父とテレーズの声に、妙な気配を感じて、リンネは振り返った。
そして……一瞬だが確かにリンネは見たの。
シスター・テレーズがそっと神父に手渡していたのは、小さな銀色の髪飾りだったのだ。
「『髪飾り』? なぜ、神父様があんなものを?」
リンネは胸にわき上がるモヤモヤしたものを抑えきれないまま、小さく首を傾げてソーマの手を引いた。
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「それからです。教会とそのまわりで、恐ろしいことが起き始めたのは……」
「恐ろしいこと?」
テーブルの髪飾りを見据えて、声を震わすリンネにマキシは再び眉を寄せた。
「教会の地下室から毎晩、変な物音が聞こえるようになったの」
人形の様なリンネの顔が、恐怖に歪んでいた。
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シスター・テレーズから髪飾りを受け取ったその日以来、神父は人が変わったようになってしまっていた。
教会の仕事も、子供たちの面倒も、どこか冷淡で、上の空。
祭事と、まるで判でおしたような説法以外は全てシスター・テレーズに任せきりになった。
毎週日曜日に行っていた地域の浮浪者への「施し」にも顔を出さなくなる。
やがて日がな1日、神父は教会の地下室にこもりきりになるようになった。
教会に毎日毎日、中身もわからない木箱……妙な荷物が届くようになる。
荷物は、次々に地下に運び込まれていった。
リンネだけではない。その頃には、孤児院の子供たちも皆気付いていた。
毎夜教会の地下から、妙な物音が聞こえるようになっていたのだ。
「神父様、どうしちゃったのかな」
夜な夜なベッドの中で、地下から聞こえて来る歯車の軋むようなおかしな音を聞きながら、リンネたちは不安そうに顔を曇らせていた。
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「髪飾り。人が変わった神父。謎の荷物。そして地下室の物音! なかなか興味深い趣向だ……!」
「でもそれは始まりに過ぎなかった。毎週、教会の『施し』に顔を出す人たちが……次々におかしくなっていって……しまいには……!」
興奮した面持ちで目を輝かすマキシとは反対に、リンネは耐えかねるように語気を強めた。
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教会の周辺で、浮浪者の変死が相次ぐようになった。
毎週日曜日に教会からの施しの食事を受けていた浮浪者たちの顔ぶれが、まるで歯が欠けるように一人、また一人と消えていった。
「まだ暖かいのに。妙なこともあるもんだな……」
勿忘市警は行き倒れた浮浪者の死因など気にも留めないようだったが、リンネは知っていた。
原因は病気でも、寒さに倒れたせいでもなかった。
死因は「餓死」なのだ。
あの日、リンネがゆうぎり町の路地で出会った浮浪者の一人の顔を彼女は忘れることが出来ない。
毎週の施しに決まって顔を出す、リンネの差し出すスープやパンを笑顔と感謝の言葉とともに受け取る、人の好さそうな老人だった。
だが、その日リンネが目にした道端にうずくまった老人の様子は一変していた。
食事も水もまったく口にしていないのだろうか。ガリガリにやせ細り骨と皮ばかり。
この前の日曜の施しにも、顔を出さなかったのだ。
「おじさん。教会にも顔を出さないで、どうしたの?」
そう尋ねて水とパンを差し出すリンネの声にも、老人は答えない。
見開かれた目に、もうリンネの姿は映っていないようだった。
まるで……生きた屍。
翌朝その老人は、本物の死体になって発見された。
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そして、その夜が訪れる。
リンネがソーマを連れて、着の身着のままで教会を飛び出すことを決意する、恐ろしい夜が。
「聞こえる。今夜もまた……」
街をおおった霧が一際、一際濃さを深めた夜更けだった。
リンネは簡素な木製のベッドの上で一人、耳を澄ませていた。
夜ごとに地下から聞こえて来る、歯車の軋みのような奇怪な音。
間違いない。教会で何か、よくない事が起きている。
神父はいったい、地下に何を持ち込んだのだろうか。何をしているのだろうか。
今朝がたその死を知らされた、あのハーディー老人の抜け殻のような顔をまざまざ思い出し、リンネはきつく唇を噛んだ。
その時だった。
「ん……音が……おかしい?」
リンネはベッドから身体を起こして首を傾げた。
リンネの鋭敏な耳には区別がついたのだ。
いつもはもっと規則的に聞こえる地下からの音が、何か妙に不規則で……たわんで聞こえるような……。
次いで、タン、タン。何かの弾けるような乾いた音。
「あの音、まさか……!」
リンネはベッドから跳ね上がって自分の部屋を出る。
足早に廊下を渡ってソーマの部屋を覗く。
さっきの音に気付かなかったのだろうか。弟のソーマは、死んだように眠っている。
いや、ソーマだけではなかった。
孤児院の子供たちの一人も、音に気付いて起きて来る様子がないのだ。
リンネは部屋の窓から、教会の中庭を見下ろす。
確かめろ。今確かめておかなければ、取り返しのつかないことになる。
リンネの第6感のようなものが、彼女の理性にそう訴えていた。
リンネは窓から踵を返し、階段を下り、教会の中庭に向かった。
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「これは……血……!?」
中庭に降り立ったリンネは唖然としてそう呻く。
黒く湿った庭の地面を、立ち込めた夜の霧とは違うものが濡らしていた。
赤黒く鉄臭い……人間の血だった。
血痕はおそらく教会の裏手……いつもは施錠された地下室への入り口から、アーチ状の門を抜けて、ゆうぎり通りまで点々と続いていた。
血の跡を追うか? リンネは一瞬逡巡する。
これ以上余計な詮索をすれば、危険な目に遭うかも知れない。
でも……!
リンネの瞼に再び死んだハーディー老人の顔が浮かぶ。次いであどけないソーマの寝顔……。
リンネは、血の跡を追った。
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血は、夕霧通りの石畳を濡らして、狭い裏路地へと続いていた。
数メートルさきもおぼつかない立ち込めた霧の中、リンネが恐る恐る辺りを見回しながら、裏路地に足を踏み入れた、その時だった。
「ヒッ!」
リンネは小さく悲鳴を上げた。
節くれだった何者かの手がリンネの肩を掴み、路地の奥まで引っ張り込んだのだ。
「はなして……はなし……」
「あんたは、教会の……たしかリンネ……」
必死で路地から逃れようとするリンネに、弱々しい男の声が返って来た。
「ブラナーさん……!?」
声の主の正体に気付いて、リンネは悲痛な声を上げた。
男は教会の施しで会ったことのある、浮浪者の一人だった。
周りからはブラナーと呼ばれていた
そして今、壁にもたれかかって苦し気な息をした男の様子は無残だった。
猛火の中でも潜り抜けてきたのだろうか。
ブラナーの右の半身は、焼け爛れていた。
衣服は焦げ、酷いやけどの跡からはポタポタと血が滴っていた。
「ヘヘ……騙された振りをしてやったんだ。ハーディー爺さんの仇をとってやろうって……だからわざと教会に……でも……!」
立つ力も尽き果てたのだろうか、自分に言い聞かすようにそう呟きながら、ブラナーはずるずると石畳に倒れ落ちた。
「俺には無理だった。あんな恐ろしい奴……あんたらの教会の神父様は……人間じゃない……!」
見開かれたブラナーの目が、恐怖ですくんでいた。
ブラナーはポケットから何かを取り出すと、震える手でリンネにそれを手渡した。
「これは……!?」
リンネが小さく驚きの声。
手渡されたのは銀色の髪飾りだった。
見間違えようがない。シスター・テレーズが教会にやって来た日、サンデー神父に渡したものだ。
「壊しちまってくれ。それが無理なら、警察でもなんでもいい。奴らの手の届かない遠い所へ。はやく……教会から逃げろ……でな」
「ブラナーさん!」
リンネは息を飲んだ。
言葉も半ばで、ブラナーの息は止まっていた。
そして、その時だった。
「…………!」
リンネは何かに気付く。
息を潜めて、用心深く辺りを伺う。
カツン……カツン……通りの向こうから、何者かの足音が近づいてくるのだ。
ゆうぎり通りを覆った霧の向こうに人影が揺らめいていた。
あの靴音……そしてあの歩幅……!
鋭敏なリンネの耳には、はっきりと区別がついた。
それは修道女の靴音だった。
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それからのリンネは脱兎となった。
裏路地を通り抜け、足音を忍ばせて教会に帰り着き、何事もなかったかのように孤児院の2階へ。
死んだように眠っているソーマの頬を張り無理やり叩き起こすと、なけなしの小銭を握って着の身着のままで教会を飛び出す。
路面電車を乗り継いでなるべく教会から遠くへ。
警察に駆け込むか? だがまだ小さな二人の話など取り合ってくれるだろうか。
もし教会に連れ帰されるようなことになりにでもしたら……!
アーケードで夜露をしのぎながら、腹を空かし途方に暮れていたリンネの記憶をよぎったある男の名前……。
リンネは駅舎の電話をさがす。
電話帳から『表札のない屋敷』を見つけ出し、そして探偵マキシのもとに……。
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「なるほど、それが事件の大筋か。大した胆力だぞリンネくん!」
「おねがいマキシさん。教会のみんなを助けて。私とソーマが逃げたと分かったら、孤児院の子たちもどんな目に遭うか……」
リンネの話を聞き終えて感嘆の声を上げるマキシに、彼女は切実な表情でそう言って頭を下げる。
「任せたまえ、さっそく明日から捜査に当たろう。私も神父とシスター、それにこの『髪飾り』のことを調べてみよう。あとはブラナー氏の身元と警察の捜査状況も押さえておかないとな。それに君たちを追い回した連中のことも気になるな……。さあ、今日はもう遅い。ゆっくり休みたまえ。シャワーはあっちだ。ベッドはあそこの部屋のものを使うといい……」
探偵は興奮の面持ちでソファーから立ち上がると、リンネと眠るソーマを向いて、浴室に至る廊下の方を指さした。
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「おはようございます。小さなお客さんたち……」
翌朝、ベッドから起き上がったリンネと、目を覚ましたソーマが客間に顔を出すと、2人を出迎えたのは、割烹服を身に着けた、腰の曲がった優しそうな老婦人だった。
「2人とも、紹介しよう。こちらはミセス・デイジー。この屋敷の家事の一切を任せているんだ……」
既に着替えを済ませたのか、昨日と同じ黒い仕事着に身を包んだマキシが、そう言って老婦人を紹介する。
「一切だなんてイヤですよマキシさん。寄る年波なんですかね、最近はめっきり身体が言うことを聞かなくなってしまって……」
「何を言ってるんですミセス・デイジー。あなたの作るミートパイはこの世で一番美味い食べ物だ。2人とも今度振る舞ってもらうといい」
マキシの言葉に、ミセス・デイジーがコロコロと笑いながらテーブルに皿とカップを配していく。
「私は軽めでいい。ポーチドエッグとトースト。あとディンブラのミルクティー。君たちも、好きなものを食べなさい」
「わー! いただきます!」
マキシの勧めで、ソーマが久しぶりに落ち着いて食べることの出来る食事に歓声を上げた、だがその時だった。
「私は……結構です……」
リンネは申し訳なさそうにそう告げると、テーブルを離れた。
「どうしたんだリンネくん? 気分でも悪いのか?」
「あらあら、朝食がお気に召さない? リンネちゃん?」
「いえ、すいません。昨日から色々あって、まだあまり食欲が……」
心配そうに声を上げるマキシとミセス・デイジーに、リンネは曖昧に言葉を濁した。
「…………?」
マキシは訝しげな顔で、リンネの背中を、次いで客間のソファーの傍らに置かれた花籠に目を遣った。
リンネが携えていた花籠。昨夜は赤や紫に瑞々しく咲き誇っていたバラやアジサイの花々が、今朝は全て、枯れ落ちていた。