列車の戦い
「まさか君が……怪盗ストーム!」
「そのとーりさ。マヌケな探偵さん」
その少女……怪盗ストームは、マキシから奪った『月女神の瞳』に目をやって得意げに笑った。
目元仮面舞踏会の黒マスクで隠していて素顔はわからない。
だがしなやかな体つきと、あどけなさの残る声。
年はせいぜい、10代後半くらいだろう。
「やれやれ参った。思い込みというのは恐ろしいものだ」
幼女だったストームの蹴りを受けて床に倒れ込んでいたマキシが、頭を振りながら立ちあがった。
「君のことを男だと、完全に思い込んでしまっていた。おまけにその体……『メルモアの実』の反応者だったとは!」
「ふふっ! 今ごろ気づいても遅いのさ」
少女を指さしてそう言うマキシ。
怪盗ストームは、不敵に笑った。
『メルモアの木』は、不老長寿の秘法を研究していた、古代の錬金術師たちが品種交配を重ねて生み出したと言われている。
現代では黒の森のあらゆる場所に自生して、キイチゴのような実をつける植物だった。
赤くみのったその果実は、食べた者の体を一時的に10歳くらい若返らせてしまう効果があった。
だが、古代から時を経た今では、その効果が現れるのは『メルモア効果』への反応体質を持った、ごくわずかな人間だけだと言われている。
その1人がこの少女、怪盗ストームだったのだ。
「なるほど。これが君の驚異的な隠密能力の秘密か。犯行を目撃されて、警官隊に包囲されても、いちど人ごみにまぎれて幼女や、あるいは赤ん坊の姿になってしまったら、もう誰も疑う者はいない」
「へへっ! なかなか便利でしょ? 分量の調節とか結構気をつかうんだ」
探偵マキシの言葉に、勝ち誇る怪盗ストーム。
「最初は蒸気船の乗組員に変装して『水路』からコイツを盗み出すつもりだった。でもなんだか様子が変だった。3つのアタッシュケースのどこにも『瞳』が入っていない。探偵さん。こいつの針は、ずっとアンタを指してるじゃないか? だから、計画を変更したんだ」
「方位魔針? そんなもので!」
ストームは手首にはまった腕時計のようなものを覗き込みながら、探偵を指さした。
マキシは驚きの声を上げる。
少女の腕にあるのは、小さな羅針盤なのだ。
方位魔針は、魔遺物の放つ強烈な魔力の気配……『魔気』の方角を指し示す貴重品だった。
だが遺跡での発掘に使うならともかく、強力な魔遺物が数多く存在するこの勿忘市では、ほとんど役に立たないはずだった。
何か特殊な細工が施されているのだろうか?
「あらかじめ頂く予定だった市長のオートジャイロを使って、逃げ場のない車両の中でアンタから『瞳』をいただく……と。そういう計画にね。じゃあね探偵さん!」
「待ちたまえ!」
探偵に手を振りながら、ストームは車両の出口を手動で開けて、外に飛び出そうとしていた。
マキシがストームを取り押さえようと、彼女の方に駆け寄った、その時だった。
「無駄よ!」
ビュッ!
ストームの鋭い一声と同時に、マキシの正面に目にも止まらない突きが飛んで来た。
怪盗の放った手甲の突きだった。
「ぬうう!」
両腕をクロスして、とっさに怪盗の手甲を防御する探偵。
ゴッ!
凄まじい衝撃が、探偵の全身を伝った。
「ぐっ! なんてパワーだ!?」
「パワー? これでハッキリした……」
驚愕の声を上げるマキシに、ストームは呆れたように首を振った。
「今のは腕力じゃない。技だ。そして、いま手合わせしてハッキリわかった」
ストームは厳しい目で探偵を睨んだ。
「あたしは、あんたの10倍強い!」
「10倍? また随分な自信だ……!」
マキシを指さして、そう言い放った怪盗ストーム。
探偵は唖然とした顔だった。
「今、体でわからせてやるよ。探偵さん!」
ストームが不敵に笑いながら探偵に迫って来た。
マキシとストームのせめぎ合いが始まった。
「【理由1】。気構えがない! あたしが幼女だったとしても、気配も消さずに放った蹴りに対して、全くの無防備!」
ストームが、凄まじい突きの連撃。
探偵はかわすので精一杯だった。
「【理由2】。心得が無い! その動き。そのパンチ。街のゴロツキ相手なら通用するだろうけど、お師匠のもとで10年間武術の修行を積んだあたしには、全く通用しない!」
マキシがどうにか反撃しよう放ったパンチは、ストームにかすりもしない。
「そして【理由3】。この期に及んで、女をなめてる! その突きの甘さ。このあたし相手に手心をくわえようとしているな。相手の実力を見切れていない。全くのゴミクズ!」
ストームが怒りに燃える目で、蹴りをくりだした。
怪盗のキックが、再びマキシの鳩尾にめりこんでいた。
「ぐううう!」
マキシが苦悶の声。
探偵の体が怪盗からふっとばされて、車両の床に転がった。
「格の違いってものがわかったかい? じゃあね、ヘボ探偵」
ストームは軽蔑しきった目で倒れたマキシにそう言うと、クルリと探偵に背を向けた。
開け放たれた車両のドアから、ストームは車両の屋根によじ登った。
#
「成功した! 今そっちに行くから!」
ゴウゴウと吹き抜ける夜の風が、怪盗ストームの体を叩いていた。
爆走する『あさぎり線』の屋根に立ったストームは、車両と並行するように飛行している市長のオートジャイロに、そう叫んだ。
いったいどうゆう事だろう。
オートジャイロのコクピットには人影らしいものは見えなのに、まるで自動操縦のように、ジャイロは車両のそばを離れない。
ストームが車両の屋根の縁にたって、オートジャイロに向かって跳ぼうとした、その時だった。
「いま跳ぶのは、お勧めしかねるぞ。ストームくん」
「…………!?」
背中から声がかかって来てストームは振り向いた。
立っていたのは、屋根に上って来た探偵マキシだった。
「こりないなあ、あんたも。いいかげん諦めて車両で寝とけば」
「さっきは失望させてしまい済まなかった。ストームくん」
手をパタパタさせてマキシを追い払おうとするマキシ。
だが探偵は、怪盗に深々と頭を下げた。
「だからお詫びに、さっきの君の言葉に色々反証したくてね」
「反証? なにを今さら」
マキシの言葉に、ストームは苛立たしげに首を振った。
「【反証1】。君があの時、蹴りを放って来るのはわかっていた。だがあまりに早すぎて、そいつを君に取りつけるだけで精いっぱいだったんだ。おかげで『瞳』を取られてしまった……」
「な、なに!?」
マキシがストームの足元を指さしてそう呟いた。
ストームが慌てて自分の足元を見る。
少女の足首に、何かが絡みついていた。
それは鎖だった。
キラキラと銀色の光を反射させた、細い鎖。
機械製のマキシの右手に繋がれた、鎖だった!
「ぐっ! あの時、あんなものを!?」
「だから跳ぶのはお勧めしかねる」
マキシがストームの方に歩いてきた。
ストームが再び、拳法の構えを取った。
「【反証2】。格闘技の心得なら私にもあった。だが君ほどの使い手を傷つけずに、その胸の『瞳』を取り返す、いい手が見つからなかったんだ」
「だから! それが舐めてるってことなんだよおおお!」
怒りに任せて放たれるストームの突きの連撃が、今度はマキシにかすりもしない。
「【反証3】。上着を掛ける場所がなかったんだ」
「ジャケット!?」
「ああ。新しく仕立てた上着が少々タイトでね。脱いでお相手したかったんだが、掛ける場所がない。破ってしまうと、またミセス・デイジーからメチャクチャ怒られる……」
ストームの突きや蹴りを紙一重でかわしながら、マキシは空を見ていた。
「だがもうその心配もなくなった」
「なに!?」
探偵の言葉に、怪盗が不審そうに声を上げた、その時だった。
「マキシー!」
「リンネ!」
頭上から鈴を振るような声が聞こえて、探偵は顔を上げた。
『あさぎり線』の車両の上を、ハサハサと掠れた音を立てた、灰色の霞が覆っていた。
何百頭もの黒翅の蝶たち。
マキシのもとにやってきた、吸血鬼リンネの変化した姿だった。
「助かったリンネ。これを預かっていてくれ!」
「わかった。マキシ!」
探偵はストームから距離を取ると、仕立ての良い黒の上着を脱いで、夜の空に放り投げた。
すると、ザザァアアアアア……
空を覆っていた黒翅の蝶たちが、車両の屋根に集って小さな人影を形作った。
美しい少女の姿に戻ったリンネが、マキシの上着を両手で携えて、車両の屋根に立っていた。
「すまないリンネ。さあストームくん。続きを始めようか?」
白いシャツを腕まくりしたマキシが、怪盗を指さして不敵に笑った。