怪盗参上!
「怪盗ストーム……。調べれば調べるほど見事な手口だ!」
探偵マキシは感嘆の声を漏らしていた。
表札の無い屋敷の書斎で新聞紙の切り抜きを眺めながら、怪盗の過去の犯行を調べているのだ。
「そんなに凄いの? マキシ?」
マキシの隣に立って興味深そうに新聞を覗き込んでいるのは、書斎に紅茶を運んで来たメイド姿のリンネだった。
「ああリンネ。彼の特技は変装と声帯模写だ。ターゲットの持ち主に予告状を送り付けて、慌てて招集された警備関係者に紛れ込んで魔遺物を盗み出す。怪盗としての手口は実に正統派だが、本当に用意周到だ。常に計算された行動をとる」
リンネの問いにマキシが答えた。
「例えば機巧街の博物館から『ラーヴァの火炉』その他モロモロを盗み出した時は、魔遺物の修復職人の統領に変装していた。1週間かけて博物館の宝物を全て偽物と入れ替えてしまったんだ。また吹雪国の氷の城の晩餐会では、宮廷料理人になり代わっているな。ネムリバの実を混ぜた料理で城内の全員を眠らせ、まんまと国宝『メイの指輪』を盗み出している。料理の腕も相当なものらしい。だが最も注目すべきは彼の隠密能力だ。犯行を目撃されて警官たちに追跡されても、いったん人ごみに紛れてしまったら、もうどうやっても見つけることが出来ない。水も漏らさぬような捜査網をもってしてもだ。いったいどんなトリックなのか、実に興味深い能力だよ!」
マキシの口調が、熱をおびている。
「それと獣王渓谷の黒獅子城に忍び込んで国宝『戦乙女の剣』を盗み出した時は、警備兵たちに城の尖塔まで追い詰められているが、その時は一風変わった事をしているな」
「変わった事って?」
「尖塔の窓から飛び降りて、羽もないのに空を飛んで逃げたっていうんだ!」
「空を飛ぶ? 呆れた。それじゃあどんなに頑張って追いかけても、どうにもならないじゃない?」
マキシの言葉に、リンネは黒珠のような瞳を見開いてそう言った。
「ああリンネ。その通りかもしれん。だが方法はあるさ。誰も見たことが無いという怪盗の素顔と正体。そいつさえ押さえてしまえばね! それにしても……」
「何か、気になるのマキシ?」
熱のこもった口調から一転、いぶかしげな声を漏らすマキシを見てリンネが首をかしげる。
「ああ。少しなリンネ。今回の『月女神の瞳』盗難事件。怪盗の過去の手口と比べると、何か粗いんだ」
「粗い? やり方が?」
「そうだ。1件目、市の魔遺物管理局倉庫からの盗難は担当職員を拘束。一時的に監禁して倉庫の鍵を奪って盗み出している。2件目の博物館は白昼堂々。老紳士が警備員や客の眼前でいきなりケースを叩き割り、館外に逃走、潜伏中だ。予告状が届いたのはその日の朝だったそうだ。いずれもこれまでの彼の手口に比べると、あまりにも準備が足りない。余裕がなさすぎる。何か、妙に急いでいるような。焦っているような……?」
「焦っている? いったいどうして?」
「わからない。いずれにしても、捕まえて確かめるしかないさ」
リンネの問いに、マキシは何かモヤモヤしたような表情でそう答えた。
「残った1つの『瞳』は今夜、勿忘美術館から市の中央庁舎まで搬送される。じきにメイプルトン氏の迎えが来るだろう。リンネ。今回は君も同行してくれ」
マキシは、傍らに立つ人形の様な顏の少女を向いてそう言った。
「え、私も?」
「そうだリンネ。今回の相手は並の犯罪者じゃない。君の吸血鬼としての能力が助けになるかもしれない。捜査に協力してくれないか?」
「わかったわ。私がマキシの探偵助手ね!」
マキシの依頼に、リンネはニッコリ微笑んでそう答えた。
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「困りますよマキシさん。関係者以外の立ち入りは!」
「構わんでくれミスター・メイプルトン。彼女は私の助手なんだ」
「あらマキシ。『有能な』が抜けているわ!」
屋敷にやって来たメイプルトンの運転する自動車に乗って、マキシとリンネは勿忘美術館に到着した。
関係者以外立ち入り禁止の館内まで入り込もうとするリンネに、メイプルトンが戸惑いの声を上げる。
だがリンネは澄ました顔で、マキシから離れない。
「助手だって。大丈夫なのか、あんな子供が……」
先日、自分に酷いミートパイを食べさせた少女の姿を追いながら、メイプルトンは小声でそう呟いた。
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「これが『月女神の瞳』……!」
「ああ。見事だ。実に美しい……」
ニワトリの卵ほどもある滑らかな宝石が、開かれたアタッシュケースの真ん中でトパーズのような眩い金色の輝きを放っっている。
今夜市庁舎に搬送される『月女神の瞳』の輝きに、リンネとマキシは溜息をついていた。
宝石を収めたアタッシュケースの横には、同じ形の空のケースがもう2つ用意されていた。
「『搬送経路』は3つ用意しています。勿忘市警の護送車と、それを守る警察騎馬隊による、あさぎり通りを経由した『陸路』。同じく市警察の擁する蒸気船によって勿忘河を遡上する『水路』。A・A市長ご自慢のオートジャイロを特別に持ち出した『空路』です」
警官の1人がマキシにあらましを説明している。
「このうちの2つ、空路と陸路は偽物を搬送する囮です。本物は河の両岸からの監視が万全、かつ怪盗ストームが人ごみに紛れることの出来ない水路を利用して搬送を行い……」
「待ちたまえ。『経路』を1つ追加してくれないか?」
「は? 追加ですか?」
説明を止めて声を上げるマキシに、警官は首をかしげた。
「そうだ。もう1つだ。この『私』だよ」
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「無茶ですマキシさん! 今さら搬送計画を変えるなんて。それに何の警備もつけずに、マキシさんが『月女神の瞳』を直接……!?」
「なに。安心したまえミスター・メイプルトン。私の上着の内ポケットは、この世で最も安全な『搬送手段』だよ。それに……」
マキシの提案に、メイプルトンが声を荒げた。
陸路、水路、空路の搬送物を全てダミーにして、本物は探偵が直接持ち歩くというのだ。
「今回の相手は並じゃない。自分の過去の手口から、警察が水路を利用することくらい当然おりこみ済みのはずだ。搬送中。市庁舎到着のタイミング。あるいは今すぐにでも、何かを仕掛けて来る。その兆しを見逃してはならないのだ。ミスター・メイプルトン、私は『鉄道』を利用する。勿忘河の東岸に添って市の中央に至る、あの鉄道をね!」
「あ……『あさぎり線』……!?」
マキシの言葉に、メイプルトンは息を飲んだ。
「リンネ。君は空からの見張りを頼む。陸路、空路、水路の全てをだ。少しでも変わったことがあったら、私に知らせてくれ」
「空からね。わかったわマキシ」
「空から? いったい何を言ってるんです?」
マキシの指示に、リンネが涼しい顔で肯いた。
メイプルトンは、わけがわからず戸惑い顏だった。
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「さあ。始まったぞ怪盗ストーム。何を考えている。何を仕掛けてくる?」
搬送任務が始まった。
夜更けの郊外。
マキシの身体は警備もつけずに単身。
勿忘河の沿岸を走る鉄道『あさぎり線』の車内にいた。
この時間に市の中央部に足を運ぶ乗客は少ない。
探偵はノンビリ座席に腰かけて、街の灯を映してきらめく夜の勿忘河を見下ろしていた。
河面を行くのは市警察の擁する蒸気船の一群。水路の護送団だった。
探偵が夜の空に目を凝らせば、闇間を流れているのは何百頭もの黒翅の蝶。
吸血鬼リンネの変化した黒蝶の一団だった。
「マキシ。今のところ特に変わった様子はないわ」
マキシの耳元でそう囁くのは、ハサハサと掠れた羽音をたてて探偵も周りを飛ぶ1頭の蝶。
リンネの身体の一部だ。
「わかったリンネ。引き続き、目を離すんじゃ……」
「待って……何アレ!?」
「……リンネ?」
リンネの声の様子が変わった。
探偵もまた戸惑いを覚えて、座席から立ち上がった。
「『空路』の……オートジャイロのコースが変わった。予定と違う。『水路』まで、マキシたちの方へ近づいていく!」
「なんだって、まさか!?」
リンネの報告に、マキシは声を荒げて車窓の外を睨んだ。
夜の空から、何かが近づいてくるのが見えた。
車窓から漏れる明かりを反射して銀色に輝いたボディ。
車内からでもはっきりわかる、けたたましいエンジン音。
風を切る回転翼。
勿忘市長の所持するオートジャイロが本来のコースを外れて、『あさぎり線』の車両の横すれすれを並走しているのだ!
ガチャン。ガチャン。
そして、ガラスの割れる音がした。
オートジャイロの機上から、誰かの投げ込んだ何かが、窓を破って車内に飛び込んで来たのだ。
と同時に、シュウシュウと何かの漏れ出す音と共に、車両の内部が濛々とした白い煙で覆われてゆく。
「発煙筒……? まさか、狙いは私か!?」
探偵は右手で口を押えながら唖然とする。
オートジャイロの機上にいる者の狙いは、水路の護送団ではなかったのだ。
外部の誰にも知られず『あさぎり線』に乗ったはずの、探偵マキシ自身だったのだ!
「うあああ!」
「きゃあ、助けて!」
「ママ! ママ! どこ!」
そして、車内にパニックに陥った乗客たちの叫び声がいき交った。
「皆さん落ち着いて! 煙は無害です。はやく隣の車両まで避難を!」
咄嗟に隣の車両への入り口を開け放ち、マキシは乗客たちにそう呼びかける。
マキシに手を取られて、1人、また1人と隣へ移動してゆく乗客たち。
やがて発煙筒の火が止まったのか、車両を覆った煙が徐々に晴れて来た、その時だった。
「ママ! ママ! どこ!」
1人の子供の泣き声にマキシは気付いた。
母親とはぐれたのだろうか。
床に座り込んで泣いているのは、まだ5歳にも満たないだろう、赤いワンピースを着た小さな女の子だった。
車両の中に残っているのは、マキシと女の子の2人だけだった。
「もう大丈夫だ。お母さんは隣の車両にいるよ。さ、私と一緒に……」
マキシが泣き止まない女の子をなだめながら、彼女を連れ出そうと小さな体を抱きかかえた、だがその時だった。
「いいの探偵さん。あたし、ココがいい……!」
「…………君は!?」
女の子が、マキシの耳元で小さくそう囁いた。
彼女の言葉に、マキシの身体が一瞬固まった、その時だった。
ゴッ!
女の子の靴の先が、凄まじい勢いでマキシの鳩尾にめり込んでいた。
「グッ……!」
不意の一撃に、たまらず声を上げる探偵のそばから、女の子の身体が飛び退っていた。
「約束のモノ。確かに頂いたよ」
「何を、何を言っている!?」
女の子の手には、黄金色に輝く、大きな宝石が握られていた。
マキシの上着の内ポケットに入っていたはずの、魔遺物『月女神の瞳』だった。
バッ! 女の子が、おもむろに自分の着ている真っ赤なワンピースを脱ぎ捨てた。
「わー! 何をやっているんだ!?」
あられもない姿になった幼女の身体に、マキシが悲鳴を上げて視線を逸らそうとした、だがその時だった。
「……!」
マキシは息を飲んだ。
何かが、おかしかった。
「ン……アァ……ハァ……」
マキシの目の前で、幼女が甘い吐息を漏らしていた。
彼女がワンピースの下に着ていたのは、全身をピッチリと覆った真っ黒なレオタードだった。
そして、さらに異変が起こった。
恍惚とした声を漏らす幼女の小さな手足が、女豹のように長くて優美なものへと変化してゆく。
ペタンコだった胴体に、明らかなふくらみとくびれが出来てゆく。
背が伸び、髪が伸び……幼女だった彼女の身体が、急速に成長してゆく!
「まさか……まさか君が!」
「へへっ! そのとーり!」
驚愕の声を上げるマキシに、成長を終えて立ち上がった少女が得意げにそう答えた。
豊かな胸元と、しなやかな手足をピッチリ隠した黒いレオタード。
ルーズに編み込まれた、ブルーアッシュの長い髪。
目元を隠した仮面舞踏会の黒マスク。
年は10代後半くらいだろうか。
今マキシの前に立っているのは、まるで豹を思わせるしなやか身体をした、1人の少女だった!
そして、いつの間に嵌めていたのか。
彼女の両手を覆っているのは、青光りする金属製の手甲だった。
「怪盗ストーム、ただいま参上! 約束通り『月女神の瞳』は頂いていく!」
マキシから奪った宝石を右手にチラつかせながら、その少女……怪盗ストームはニカッと笑った。