別れと、そして
「再結合!」
1本足で立ち上がった探偵がそう号令すると、あたりに異変が起きた。
キラキラと銀色の光を瞬かせながら、礼拝堂にまき散らされた歯車や板バネやシリンダー……バラバラになったマキシの破片が彼の元に集まって来たのだ。
そして軋んだ音を立てながら組み合わさってゆくマキシの身体の構成物が、探偵のしなやかな手足を、元あった姿に再形成してゆく!
剥き出しになったマキシの右半身は、寄り合わさわり連動する無数の微細な機械部品で構築された、さながら流麗な銀色の彫像だった。
「復活しただと! 馬鹿な……それに胸のアレは……!?」
ゴーレムの上で驚愕の声を上げながら、ベクター教授は探偵の左胸でゆらめく輝きに目を瞠った。
マキシの左半身……人間の肉体をのこした、しなやかな身体の丁度心臓に重なる部分で、蒼黒く煌いた奇妙な石があった。
探偵の左胸に埋め込まれているのは、握りこぶしほどもある巨大な宝石だった。
冷たい光で辺りを揺らめかせてゆく黒水晶のような輝くその石は……まるで蒼い炎を上げて燃えさかる黒い氷!
「マキシ、あなたは一体……!」
眠るソーマを抱きしめながら、リンネもまた探偵の放つ輝きを呆然とした表情で見つめていた。
「まさか! それは『究極の炎』……『魔氷黒炎』! 世界に7つしか存在しない至高魔遺物の1つを……なぜ貴様が!」
「一目で見破ったか。流石だな教授」
マキシを指さし戸惑いの声を上げる教授に、探偵はそっけなくそう答えた。
「私の身体は、こいつを封印する『棺』みたいなものさ。この魔遺物は危険すぎる。どんな博物館にも、為政者や王侯たちの手に任すのもね……」
「ぬうう……ならばその魔遺物。この私が摘出してやる!」
黒い宝石の輝きに目を奪われながら、ベクター教授はゴーレムの腕を振り上げた。
「もう1度、君を解体してな!」
ゴーレムの放った拳と杭が、再び探偵を直撃しようとした、だがその時だった。
ユラン。探偵の正面で、何かが揺らいだ。と同時に、
「ぐぉおおおおお!」
ゴーレムの頭上から教授の悲鳴。
ゴーレムの腕が、探偵の直前で消失していた。
そして、逆にゴーレムの正面……何もない虚空から突き出した巨腕が、拳が、杭が、逆にゴーレム自身の腹部を貫いていたのだ。
「『虚空の霧』……あらゆる物体の座標とベクトルを一瞬で書き換える。弾丸やナイフ程度なら通常時でも書き換え可能だが、より大質量の物体……機関車や船やゴーレムの書き換えには、コイツの『発動』が必要になる……」
左胸に燃えさかる蒼い炎に照らされながら、マキシは自分に言い聞かすように小さくそう呟いた。
ゴォオオオ……
宝石の炎がマキシの全身を包み込み、やがて彼の機械仕掛けの右手の拳へと集中してゆく。
「そしてこの光は炎をも凍らせる。あらゆる物質を凍結させ砕いて無に帰す……」
半壊したゴーレムの正面に立ったマキシが、ゴーレムに向かって蒼く輝く掌底をかざした。
「『永劫回帰!』」
マキシの一声と共に、掌底から放たれた蒼い炎が、ゴーレムの全身を包んでゆく。
「ぬがああああああ!」
教授の絶叫が礼拝堂に響いた。
炎に包まれたゴーレムが、一瞬にして黒い氷となり、軋み、ひび割れ、次の瞬間!
ギシンッ!
耳をつんざくような鋭い音と共に、ゴーレムの身体が砕けて散った。
無数の黒い氷片が、教会の屋根を突きや破り、空に昇り、蒼く瞬く光となって消えていった。
「教授ーーーー!」
「凄い……! マキシに、こんな力が……!」
消滅したゴーレムを見て、レモンが悲鳴を上げた。
リンネもまたマキシの力を目の当たりにして、感嘆の面持ちでそう呟いた、だが、その時だった。
「ぐぉおおお! こうなればぁああああああ!」
「あっ! ソーマ!」
動けないリンネの背後から忍び寄り、彼女の手から無理やりソーマの身体をもぎ取る者があった。
両手で身体を引きずった、傷だらけのベクター教授だった。
マキシの攻撃が放たれる直前、間一髪でゴーレムから飛び降りて消滅を免れていたのだ。
「魂の消去処置は済んでいないが、こうなればイヤガラセだ! 無理やり『転生』をおこなってくれるわぁ!」
そう叫ぶ教授の額には、既に銀色の髪飾りが装着されていた。
サンデー神父にしたように、御崎ソーマの身体を無理やり乗っ取ろうというのだ!
「教授! させない!」
両足を失って動けないリンネが、教授を睨んでパチリと自分の指を鳴らした。
「ぬははは! もう遅いぞ。発動せよ『魂の座』!」
教授が高笑いしながら、転生を行おうとした、だがその時だった。
「ニャーーーー」
教授が取り押さえたソーマの身体に飛びかかり、彼の額から金色の髪飾りを引き剥がし咥えとる者がいた。
一匹の三毛ネコだ。
「な……しまっ」
慌てた教授が何か言いかけたその時。
ヒィイイイイインンン……
甲高い金属音をたてて、銀の髪飾りと金の髪飾りが互いに呼応し合うように眩しい光を放った!
そして……
「ニャギャーー! にゃんにゃにょにゃー!?」
取り乱した鳴き声が礼拝堂に響いていた。
声の主は、金色の髪飾りを付けて、自分の肉球を見て愕然とする小さな……三毛ネコだったのだ。
「わー! 教授が、ネコに!?」
レモンもまた悲鳴を上げた。
サンデー神父の身体を離れたベクター教授の魂は、リンネが礼拝堂に呼び寄せた1匹の猫の身体に『転生』してしまったのだ。
「ニャー! にょにょにぇにぇにょー!!!」
「あー。待ってください教授!」
ネコになった教授が、情けない声を上げて礼拝堂の入り口から一目散に逃げてゆく。
レモンも猫の行方を見やって、オロオロした声を上げた。
「さあ。どうするミス・レモン。君の主人は行ってしまったぞ。はやく捕まえないと、このまま見失ってしまうぞ!」
マキシは、レモンを指さしてニヤリと笑った。
「戦いを続けるかね? 君のその針が三度私にきくか、試してみるかな? 言っておくが今の私は手加減が利かないぞ!」
「ぐぐぐ……! 覚えてやがれなのですわー!」
蒼く輝く炎の掌底を、レモンに向けるマキシ。
そして、レモンもまた悔しげ声を上げながら、礼拝堂の入り口からその姿を消した。
「ふう……やれやれ、だな」
カクン……カクン……カクン……
マキシがそう呟いた次の瞬間、探偵の身体は、まるで糸の切れた操り人形みたいに力が抜けて、そのまま床に転がった。
「教授……逃げてしまった……!」
「仕方ないリンネ。あの発動形態は3分間しかもたないんだ。その上1回発動させると、その後半日はこの有様さ。ミス・レモンに気付かれなかったは幸運だったよ。それにベクター教授も、あのザマではもう悪事も実験も行えまい……私たちの勝ちだ」
床から動けないまま、マキシは血塗れのリンネの方を向いた。
「しかしまあ、君も酷いありさまだなあリンネ」
「まあ。それはお互い様よ、マキシ」
マキシとリンネが互いに顔を見合わせクスリと笑った、その時だった。
「う……ぐうう……」
土煙の向こうから、聞き覚えのあるうめき声が聞こえる。
「神父……? 神父!」
声を耳にしたリンネの表情が一変した。
リンネが血塗れの身体を両手で引きずりながら、声の元へと這ってゆく。
「神父! しっかりして。お願い目を開けて……!」
声の主は、床に倒れたサンデー神父だった。
リンネが神父の上体をどうにか抱き起こし、悲痛な声を上げていた。
「だめだリンネ。神父はもう……」
リンネと神父の方に目を遣って、マキシもまたやりきれない声を上げていた。
ベクター教授に無理やり精神を乗っ取られ、今また魂の抜け殻となり果てた神父の身体は、もはやその命も風前の灯。
神父の身体から、急速に生命の炎が消え去ろうとしていた、だが……その時だった。
「ずっと……暗い辺獄みたいな場所に閉じ込められながら、それでもわかっていた。私の身体が悪しき者の手に落ちていたことを……リンネ。すまなかったな」
「神父!?」
リンネは黒珠のような瞳を見開いた。
抜け殻のはずの神父の顔が、目が、今はっきりと、リンネを見ていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい神父! 神父を助けられなくて……!」
「なにを謝るリンネ。君はソーマを、教会の子供たちを、そして私を救ってくれた。君は正しいことを……」
神父の手を握るリンネに、最後の一息を吐き出すように少女にそう囁いた次の瞬間、彼の呼吸は止まっていた。
「神父! サンデー神父!」
リンネは、神父にすがって泣いていた。
リンネの見開かれたリンネの目から、真珠の粒のような涙がポロポロこぼれていた。
そしてリンネは、崩落した教会の天窓を仰いだ。
「神様……どうかサンデー神父の魂に安らぎを……!」
邪悪な者。呪われた存在であるはずの少女の姿をした吸血鬼が、空を仰いで手を合わせ、神父のために祈っていた。
「リンネ……」
崩れかけた教会の天窓から差し込む朝日の中で、マキシにはそんなリンネの姿が、いつか何処かの美術館で見た荘厳な聖母子像みたいに見えた。
#
数日後。
「ごめんなさいソーマ! あなたを置いて行ったりして!」
「お母さん……」
教会の崩落事故を耳にしたのだろうか。
孤児院を訪れて、御崎ソーマを抱きしめているのは、彼を捨てて何処かに去ったはずの母親だった。
「本当に馬鹿だった。もう二度と……あなたを離したりしない!」
「お母さん、お母さん……!」
ソーマもまた顔をクシャクシャにしながら、母親に抱きついていた。
「さあ、帰りましょうソーマ」
「うん、でも……お姉ちゃんが……」
「お姉ちゃん? 一体何を言っているの?」
「あ、あれ? うん……そうだね」
母親の言葉に、目をパチパチさせながら、ソーマは空を仰いだ。
霧が晴れ、街には珍しく晴れ渡った秋の空に、一瞬、限りなく優しく綺麗だった誰かの面影がよぎった気がした。
「お姉ちゃん……」
小さくそう呟いて空を見るソーマの目から、一粒の涙が零れていた。
#
「教会は建て直されるそうだ。新しい神父が今日にでもやってくるだろう。孤児院の子供たちも全員無事だったそうだ。レストン警部補が教えてくれたよ」
「そうね。ソーマも家に帰れたし、教会はもう私が居る場所ではなくなった……」
裏路地のものかげから、マキシと共にすっかり創の癒えたリンネが、ソーマと母親の姿を見つめていた。
「いいのか? もう1度、顔を見なくても……?」
「大丈夫。心は決めて来た。それにソーマはもう、私のことを忘れているわ」
血を嗅がせソーマの心から自分の面影を消したリンネが、マキシの問いにそう答えて少し寂しげに微笑んだ。
「さようならソーマ。そしてありがとう、一時だけど私の家族になってくれて。私に帰る場所をくれて……」
家路について遠ざかってゆくソーマの背中に、リンネはポツリ、そう呟いていた。
「マキシ。あの髪飾りは?」
「破壊したよ。あの魔遺物は危険すぎる。『金色』は行方知れずのままだし。これ以上連中に悪用させるわけにはいかないからな……」
リンネの問いかけに、マキシは厳しい表情で答えた。
教授の助手、レモンの行方はいまだに分らないままなのだ。
「そう。ありがとうマキシ」
「それよりもリンネ。君はこれから一体……あ!?」
少女にそう問いかけようとしたマキシは、急に虚ろになった背後の気配に振り向いて、息を飲んだ。
つい今まで背中ごしに話していたリンネの姿は、既にそこに無かった。
マキシが空を仰ぐと、何百頭もの黒羽の蝶に変じたリンネが、澄み渡った秋の空の向こうに流れて消えていくのが見えた。
アリガトウ……
ハサハサと掠れた羽音をたてながら、マキシの耳元で一頭の蝶が今一度そう囁くと、やがて探偵の元を離れて朝靄の彼方へ消えた。
そして……
#
「おかえりなさい、マキシ!」
「な……なんで君が、ここに居るんだ!」
表札の無い屋敷に戻ったマキシを出迎える者の姿を見て、探偵は愕然とした声を上げた。
屋敷で彼を待っていたのは、暁の空に姿を消した御崎リンネだったのだ。
「あらあら、リンネちゃん。よく似合ってるわよ」
「ありがとう、デイジーさん!」
そして、ミセス・デイジーにあつらえてもらったのだろうか。
黒地のワンピースに、真っ白なエプロン。
今のリンネが身に纏っているのは、屋敷のメイド服なのだ。
「馬鹿な! 1度屋敷を離れてしまったら、もう1度帰り着くのは……この私以外には不可能なはず! てゆうかそもそも何故ここに……?」
「大丈夫。私、1度『招待』された家は、絶対に見失わないの! それに結局、髪飾りは壊れてしまったし、マキシには何のお礼も出来なかったわ。だから……」
慌てふためくマキシに、リンネはニッコリ笑って自分の『能力』を自慢する。
「だから私、当分このお屋敷で働くことにしたの。このお屋敷は季節のお花が沢山咲いてるし……食事にも困らなそう! デイジーさん。掃除や洗濯、なんでも言いつけてくださいね」
「働くだって!?」
「助かるわー、リンネちゃん。なにせ年のせいで、色々身体がいうことを聞かないものでね……」
「ミセス・デイジー……!?」
呆れた顔で、ミセス・デイジーを見るマキシ。
彼女はリンネの申し出を、すっかり歓迎ムードみたいだった。
「いやしかし……駄目だ駄目だ駄目だ。君はまだ子供だろう!」
「あら、私は多分、マキシより年上よ?」
憮然とするマキシに、リンネは澄ました顏でそう答える。
「料理の方は、これからデイジーさんに色々教えてもらわないと。デイジーさん、よろしくお願いします」
「はいはい。じゃあまずは私の特製ミートパイからね。これはソースが決め手なの……」
「やれやれ、なんだか妙な事になったなあ……」
和気藹々としたリンネとミセス・デイジーの様子に、探偵はそう呟いて肩をすくめた。
■マキシ
身長 170cm
体重 不詳
髪の色 赤
瞳の色 金色
趣味 深夜の散歩
好物 紅茶
■御崎リンネ
身長 140cm
体重 40kg
髪の色 黒
瞳の色 黒
趣味 美術鑑賞
好物 バラ
■御崎ソーマ
年齢 9歳
身長 130cm
体重 30kg
髪の色 亜麻色
瞳の色 ライトブラウン
趣味 お絵かき
好者 ベーコンエッグ