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後日談:えあこん(Episode After Contact)

 ──あのコンタクト事件からもうすぐ1年が経とうとしていた。

 

 フィクションに登場する高校生は、その大多数が高校2年生である。その理由については私も薄々分かってはいたが、それを体感する年齢になると、いよいよもって確信できた。そう、就職や進学を控える高校3年生に青春している暇はない。

 うちは商業高校なので、よその進学校とは違い、高卒のまま就職を考える人が大勢いる。就活に向けて活動を激化させる生徒は大勢いたし、私も七文字もそのクチだった。

 私は、これまでに取得した全商簿記1級と日商簿記2級を携え、地元の中小企業に願書を出すことにしていた。指導の先生からも面談の際に、この調子で頑張れば目立った問題はないと言われ、安堵した次第であった。

 ところが、全てが順風満帆だったわけではない。実はこの頃から、私と七文字の間に溝が生まれ始めていたのである。

「万札、考え直せよ。おまえ、本当にその腕を棒に振る気か?」

「私は最初からそうするつもりでした」

「ああ!? じゃあおまえ、今まで遊びでドラム叩いてたっつーのかよ!」

「極論になりますが、部活ってそういうものでは?」

 顔を合わせれば、いつもそんな喧嘩になっていた。

 というのも、七文字は私と組んでプロのミュージシャンになりたかったようなのである。

 校内では「ドラムの万札さん」として名を馳せ、夏休みに参加した「青春ドラマーコンテスト」で優秀賞を頂いた私だが、最初からプロデビューする気は全くなかった。決定打になったのは父の「遊びでやりたいことを仕事にはするな」という言葉だった(今でこそ普通のサラリーマンである父だが、昔は漫画家に志しており、かなり苦労したらしい)。

 別にプロにならなくてもドラムは叩ける。最近はプロとアマの境界が曖昧になってきているので尚更だ。だから私は趣味としてドラムをしつつ、安定した稼ぎと生活を欲していた。

 勿論、七文字が自分の夢を追いかけることは否定しない。だが、私はその相棒にはなれないというだけの話だ。

 この温度差は、月日が経つほど決定的になっていった。

 もう1つ、致命的な問題が残っていた。本気でプロデビューすることを目指していた七文字は、一般企業への就活という側面から見れば、何もしていなかったのである。

 ここまでくると、問題は「私と七文字の仲違い」という簡素な構造では収まらない。その口の悪さもあって周囲から浮き気味だった七文字は、この頃になると周囲から完全に孤立し始めていた。

 勿論、私は幾度となく七文字を説得した。同じように、七文字もまた私を説得にかかった。そしてその全てが無駄に終わった。

 実質的なデッドラインの日、私はついに志望企業へ願書を出した。提出してしまったからにはもう引き返せない。我らがロックバンド「娑婆スクリプト」は、過去の私たちなら想像すらしなかっただろう最悪の形で決裂した。

 幸か不幸か、そこから私の就活は全てが順調だった。試験も満足な結果で終えられたし、面接でも良い印象を残せたと思う。そして後日、私が感じた手ごたえの通り、あちらから内定をいただくことができた。

 私が内定をゲットしてくると流石の七文字もあきらめたようで、その後は私に接触しようとすらせず、1人で何か頑張っていたようだった。その頃の七文字はもう学校からも見放されかけており、ほとんど孤立無援の戦い。目の敵にしていた私からの助言など、何ひとつ受け付けてくれず。

 最終的に七文字は、卒業間際になって、ライブハウスでバイトしていた頃の知人の伝手で就職先を見つけてきた。聞いた話では、その知人のさらに知人が音楽関係の起業をしようとしているらしく、そこに何とか転がりこむことができたのだとか。

 ところが、その就職先の立地が台湾ということが、大議論を催した。学校側は「本当にそれで良いのか」「今からでも国内の真っ当な企業を探した方が良い」と何度も説き伏せようとしたらしい。

 しかし七文字は着々と出国準備を進めたし、彼女の保護者も「うちは金に余裕がないので仕事が決まった以上は養えない」の一点張りだったようだった。そもそも学校が推薦状を書いたわけでもないので、学校としてはこれ以上の深入りを断念。

 七文字の就活は、それを以て終了した。


 ──そして、卒業式の日。

 無事に式を終え、思い出の記念撮影も済ませ、卒業生だけでカラオケに行くことになった。

 私は最後の思い出作りに参加することにしたのだが、七文字は記念撮影の直後、忽然と姿を消していた。

 ある意味、仕方のないことだったのかもしれない。卒業間際、各々が進路を見つけたクラスメートの中に、迷走に迷走を重ねた七文字とすすんで接触しようとする者はもう誰もいなかった。

 カラオケは楽しかったけど、七文字のいない会場を見てどこか空虚な心情を抱いたことは否めない。

 そして、それも終わった直後。私は久々に、七文字からSNSでメッセージを受けた。

「最後に話がしたい」

 聞けば、出国の都合上、まともに時間がとれるのはもう今日だけだと言う。

 今や非常に険悪な仲になってしまった私たちだが、途中までは同じバンドで活動した最高の相棒だ。今日でお別れとなると無性に寂しくなって、私は両親に門限ブッチ申請までして時間を確保した。

 私は2人で行きつけの喫茶店に入った。メッセージに書かれていた通り、七文字はもうそこで待っていた。

 ひとまず何も頼まないのも気まずいので、抹茶ラテとエスプレッソを注文する。

 最初は当たり障りのない話題から始まったJK最後のトークショー。結局ピヨ吉は辞職した後どうしてるんだろうな、とか、あの娑婆僧後輩に部長が勤まるのでしょうか、とか。

 そのうち、そろそろ閉店時間のことも気になりだした頃、

「なあ、万札。最後にひとつ教えろよ」

 ふいに七文字が話の向きをグイと変えてきた。

「おまえ、本当にプロの道を蹴ったこと、後悔してねえのか?」

 ついに来たか、と私は身構えた。

 この話題なくして今日という日が終わらないことは、七文字に呼ばれた時点で覚悟がついていた。

「してませんよ。夢見たことがないと言い切れば流石にダウトですが、それより安定感のある仕事にたどり着けた安堵感の方が大きいです」

「そうか……」

 いつになく、力なく答えた七文字。思えばこのときから既に様子がいつもと違かった。

「……マジな話さ、いつか言おうと思ってた。いつか、いつか、またいつか……。そうやって後ろに倒してきたけど、もう今日を逃したらチャンスはないからな。最後にこれだけ言わせろ」

 そう言って、七文字は私の目を直視した。

「昔はそうでもなかったし、俺たちはずっと上手くやってきた。でも、今なら言える。俺、おまえのこと──」

 一瞬の躊躇。そして。

「──ガチで恨んでる」

 たぶんその時、私は頭がすぐに回らなくて、何を言われているかすぐには理解できなかったと思う。

 すぐ噴火する代わりにストレスを溜め込まない七文字が、こんなことを言い出したのは前代未聞のことだった。

「…………すみません」

 なんか謝ってしまった私。

「確かに、七文字の力になってあげられないのは悪いと思っています。でも……」

「そうじゃねえよ、タコ」

 沈んだ顔の七文字に遮られる。いつになく俯いて、

「俺はな、最初に万札のドラムを聴いたときから、ずっと万札のこと、最高にクールな奴だと思ってた。安い言い方だと憧れっつーか、まあ、そんな感じでよ。そんな万札が、俺よりずっと先を走ってるおまえが、俺の目標を『夢』なんて切り捨てんなよ。万札ですら諦めた壁に挑む俺の気持ちにもなってくれ、っつってんだよ」

 まるで七文字らしくない弱音だった。

「……就活は、お笑いの連続だったぜ。万札には黙ってたけど、実は俺、娑婆スクリプトの曲を何ヵ所かの事務所のスカウト担当に送ったんだよ。結果、全滅。でも1ヶ所だけ、親切な人事が教えてくれたよ。ドラマーはもう実戦級だとさ。──傑作だよな。俺が格の差を見せつけられたその日、当のおまえは、たかが企業面接の対策なんかに現抜かしてたんだからよ」

「じゃあ言わせてもらいますがね」

 私は反射的に言い返していた。だいぶ、頭に血がのぼっていたのかもしれない。

「私が『彼氏ほしいなぁ』と言っていたとき、七文字、告ってきた男の子を片っ端からフッてましたよね。私とあなたがしたことに、何の違いがあるんです?」

「ザマァ見ろってか?」

「突っかかられても困ることもある、ということです」

 その言葉に、七文字の目がこちらに向く。いよいよ臨戦態勢だ。

 構わない。私たちはこの3年、いつもぶつかりあってきた。最後の大喧嘩というなら、受けて立つ。

「……なあ万札。おまえ、たった1日だけコンタクトで学校に来たことあったろ。あの日俺が言ったこと、まだ覚えてるか? 自分磨きに金を使い果たした女と、それをけしかけた男の話だ」

 覚えている。一人娘の育児を投げ出してまで、しょうもないことにのめりこんで破滅した男と女の話。七文字が私を諭すためにしてくれたその話は、なぜか妙に印象に残っており、まだ忘れられずにいた。

「ええ」

「あれよ。──俺の、実の親父とお袋のことなんだよ」

 そのとき私が感じた悪寒は、この後しばらくは忘れることができなかった。

 それくらい強烈な体験をした直後だというのに、七文字は淡々と語る。

「クソを体現するような奴らでよ。子育てに飽きたし学校は金がかかるから、学校には行かせなかったんだとさ。うるさいガキには中古パソでも与えて黙らせ、死んだ親の遺産を食い潰して遊び呆けて、金が尽きたらドロン。最後まで放置された俺は叔母さんに引き取られたが、何ひとつまともな教育も躾もなかったせいで、とても小中学校なんて行けるレベルじゃなくてよ。なんとか支援を受けて一年遅れでここまで来た」

「……じゃあ、七文字が私よりひとつ年上なのって──」

「まあな。つっても別に、不幸自慢してえわけじゃねえ。ただな、こんなクソ人生背負わされて、その対価が異性受けの良い顔って、嬉しいわけねえだろ。家庭って物に嫌悪感しかねえ俺に、彼氏つくって結婚しろって言う気かよ。俺、そんなに悪いこと何かしたか?」

 と、七文字は窓ガラスに映った自分の顔を嘲笑った。

 私が知っている七文字の姿ではなかった。こんな弱り切った七文字、見たことがない。

「くれてやるよ。こんな顔なんて。それでまともな人生を過ごせるなら、この顔を包丁で剥ぎ落としても良い。万札。それでもおまえ、こんなツラの方が羨ましいか? ドラムどころか、まともに学校に行かせてくれねえ親がセットでくっついてくるって聞いてもか?」

 乾いた笑いを浮かべながら主張する七文字に、私はただ押し黙ってしまった。

 何が情けないって、七文字がこんな悩みを抱いていることを何ひとつ知らなかったことだ。

 私たちは互いのことを熟知しているし、何でも言い合える仲だと思っていた。そういう気の置けない友情で結ばれた仲だと信じてきた。それが、現実はどうだ。このザマではないか。

 私の考えは、実に傲慢だった。

 私は、七文字のことを何も分かってあげられていなかった。

「七文字」

「言うな。何も言うな」

 七文字が私の言葉を遮る。

 今まで見たこともないような深い怨嗟のこもった視線に射貫かれ、私は閉口してしまった。

「…………俺だって分かってんだよ。自分の言っていることが、ただの我儘、ガキの八つ当たりだって。ただ、どう思われたって良い。どうなじられたって笑われたって良い。俺は、おまえとずっとメタルを続けたかった」

 最後はもう、聴く側である私も辛くなってしまうほど、絞り出すような声だった。

 息をするのもはばかられるような重苦しい空気が漂う中、七文字は唇を噛み締めた後、深いため息を吐いて力なく立ち上がった。

「もういい。最後に全部吐き出したらスッキリするかと思ったけど、何だよ、屈辱感と劣等感が酷くなっただけじゃねえか」

 言われた内容こそ散々だったが、私としてはむしろ、半ば自暴自棄になりかけている七文字が心配になってきた。

 七文字は俯いて、2人分の茶代のつもりか千円札1枚を置くと

「じゃあな」

 私と目を合わせないままぼそりと呟き、そのまま去ろうとした。

 このとき私は、とっさに七文字の手をつかんだ。

 台湾の新企業への就職が決まっていたとは言え、七文字の様子を見れば、それが彼女の本意ではないことは明白だった。

 このまま行かせたら、自棄の末に奈落の底へでも落ちていきそうな気がしたから……。

 しかし七文字は間髪いれず、私の手を振り払った。

「万札。なんで俺たち、出会っちまったんだろうな。おまえにさえ会わなきゃ、俺は夢なんか見ずに済んだってのによ」

 もう振り返ることもなく、背を向けたまま七文字が吐き捨てる。

 そんな空しい言葉を浴びせられたのは、これが初めてだった。確かに、私たちはこの3年間ずっと衝突してきたし、最後の半年なんか特にひどかった。それでも、ここまでのショックはなかった。

 そこからはほとんど、考えるより先に体が動いていた。

 七文字の肩をつかみ、力ずくで私の方に向き直らせる。そして改めて両肩をつかみ、人目も憚らず

「前を向け! 前も見ない奴が、前に進めると思うな!」

 そう叫んだ。

 私は普段から、口論の際は声量より内容で戦う人間なので、こうも大声を出すことはそう多くない。

 七文字は目を丸くしたまま、絶句していた。

 そこに

「あなたが何人もの人に虐げられながら生きてきたのは分かった。私がその加害者の1人だったなら、それについては謝る。でも、いつまでも被害者として生きていたら、あなたはそのうちダメになる。だから、もう終わったことは忘れろ。私のことも忘れてくれて良い。あなたの目の前には、自分で見つけてきた道があるはず。────今はもう、前を向いて、前へ進んでください」

 これで絶縁になるなら、それでも良かった。

 頭に血がのぼっていた私は、それくらいの覚悟で、思っていたことを1枚のオブラートにも包まずに言い切った。

 思えば、私に「無い物ねだりをしているうちは何も変わらない」と教えてくれたのは、コンタクト事件の日の七文字だった。異性受けを狙ってコンタクトで登校し、ものの見事に敗北した私に「万札は顔より腕で魅せる女だろ」と諭してくれたことは、今でも覚えている。

 確かに、七文字にはミュージシャンとしての力量は足りなかったかもしれない。恵まれない境遇で生きてきたのかもしれない。でも私は、七文字が持っている器量の良さは社会に通用するほど確かな物だと思っている。

 あとは前さえ向ければ、現実にしっかり立ち向かえれば、きっと七文字なら上手くやれる。私は3年も一緒にいた相棒として、そう信じていた。

「…………なんでだよ、万札。なんでおまえは、いつも、いつもいつもいつもいつも、そうなんだよ」

 俯きながら、七文字は言葉をこぼした。

 それがこの日、七文字の口から聞けた最後の言葉になった。一言も交わさないまま、一緒に店を出て、それぞれの帰路についた。

 突き放すような形になってしまったのは申し訳ないと思っている。もしかしたら、もっと良い解決方法があったのかもしれない。

 しかし現実がこうである以上、私だって前を向いて、前へ進まねばならない。

 タラレバにすがっても何も変わらないのだから。




 ほどなくして4月がやってきた。

 入社式も終え、仕事の段取りなどもマスターし、私の社会人生活は軌道に乗りはじめていた。

 そんな頃、かつての級友からのメッセージがケータイに来た。

「ここ最近、七文字と連絡とりあってる?」

 全然。

 私の方から「忘れてくれても良い」と言ってしまった以上、自分から接触するのは気まずかったのだ。

 七文字の方からも連絡は一切なかった。便りがないのは良い便りだと思っていた。

 しかし事態は、私が考えもしなかった方に動き出していた。

 七文字は全てのSNSから退会し、電話番号とメアドまで変更していた。私たちから接触できる手段を全て潰してきたのだ。

 実質、消息不明になった七文字。

 国外に知り合いなんていない私に打てる手は、何ひとつなかった。




§ § §




 社会人としての暮らしは実に多忙で、気づけば、七文字が消息を絶ってから5年もの月日が経っていた。

 七文字の行方はいまだ分かっていない。事件性がない以上警察を頼るわけにもいかず、かと言って国外ともなると私だけで手を回すのは不可能だった。

 その間にも、成人式やら昇給のための資格試験やらで時間はガリガリ削られた。

 そう言えば、かつて思春期と共にやって来たニキビは、思春期の終わりと共にどこかへ去っていった。その頃には化粧のやり方も覚えたので、誰もが振り替える美人とまではいかなくとも、まずまずの容姿にはなれた。

 周りから「コンタクトにした方がより綺麗に見えるよ」と言われたが、もろもろの愛着から、私はまだ黒縁眼鏡のまま過ごしている。

 そして──




「じゃあすみません。今日はこの辺で失礼させてもらいます」

「オーケー。クラス会、楽しんでこいよ」

 バンド仲間に見送られながら、防音スタジオを後にする。

 今の社会人バンドメンバーたちと出会ったのは、入社した直後のことだった。

 歓迎会にて、新人恒例の自己紹介で「趣味はドラムです」と述べたところ、なぜかその話が音速で出回り、ドラマー不足に喘いでいた社会人アマチュアバンド『フルメタルホーネット』から熱烈な勧誘を受けたのである。

 アマチュアとは言え、そこは「おまえらホントにアマチュアかよ」と言いたくなるくらいハイレベルな本格派バンドだった。全員プロではないので、バンド活動はメンバーの休暇が重なった日に都合をつけて行っていたが、それでも十分だった。

 練習は防音スタジオを借りてガッツリやるし、たまにライヴもやる。体力的には疲れるが、心の疲れをとるには最高だった(私の本業は経理なので、頭は使えど体力はそう使わないのである)。

 それに、2年前から活動環境に変化があった。その頃から音楽の投稿とストリーミングに特化したSNSアプリが流行りだしたのだ。名前を『ポルター』というこのSNSアプリには、ファンからの支援金システムもあり、我がバンドでもいくらかいただいている。楽器や音響装置は基本的に高価なので、この手の援助は本当にありがたかった。

(こうしたSNSの発達がプロとアマの境界を曖昧にさせている、という芸能事務所のボヤキをこないだ雑誌で見かけた。私は良い時代になったと思っているが)

 

 とても充実した社会人生活を送っていたある日、クラス会の話が持ち上がった。

 いや、前々から持ち上がってはいたのだが、誰も具体的な段取りを決めず「やりたい」「やりたい」と言うだけだったのだ。埒があかないので、バンド活動から事務経理まで務めあげたこの私が、会場確保から参加費の徴収までの全てを1人でしてやったのである。自分で自分の敏腕さを誉めてあげたい。

 事前にキャッシュレスアプリで出欠確認も兼ねた参加費集めを行ったところ、嬉しいことに、卒業時の担任も含む大多数の人が参加を表明してくれた。

 ただし、超真面目だった元学級委員長がホスト遊びに嵌まって借金つくって逃亡中だったり、クラス1の秀才だったイケメンがFXで失敗してマグロ漁船に乗船中だったり、クラスのムードメイカーだったお祭り男が就職先の金をちょろまかしてムショに転職したりと、七文字以外にも連絡がつかない奴らも何人かいた。なんか闇の深いクラスだ。

 それでクラス会の方は、駅前の小洒落たバーを一軒貸しきり、立食パーティーにすることにした。この店は前から私のお気に入りで、マスターと顔馴染みなので(なんとマスター、昔はドラムをやっていたという)、プランや予算についても色々と相談しやすい。店の立地もアクセスの良いところだ。

 唯一の難点は、例のコンタクト事件でもひと悶着あったあの娑婆僧後輩が、バイトとして働いていることだ。こいつ、親の金で大学に通っている分際にもかかわらずデートに現を抜かして留年するという相変わらずの娑婆僧ぶりだが、私は慈悲深いので今回は容赦してやる。ただし再犯したらドラムで折檻だ。


 そして今日が、そのクラス会というわけである。

 元から会社は休日。バンドの練習も早々に抜けさせてもらった。

 スタジオを出た足で、気持ちばかり化粧を整えてからバスに乗った。会場から最寄りのバス停で降りると、丁度同じクラスだった男子たちが徒党を組んでやってくるところだった。気分は

「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます」

 なんか含み笑いを浮かべている娑婆い元後輩に歓迎されながら、私はバーにたどり着いた。何かを企んでいるのだろうか。これは後で丁重に締め上げて差し上げないと。

 それはともかく、店内には懐かしい顔がいくつもあった。どうやら皆、普通にたどり着けたようである。良かった。

「あー! 久しぶりー!」

 と、かつての級友である女子グループに迎え入れられた。

 こういう場所では、近況報告しあうだけでいくらでも時間が過ぎていく。あっという間に、開始時間となった。

 有能な幹事である私は、開幕の挨拶をちゃんと考えてきていた。それをスピーチすると、来てくれた元担任(ピヨ吉の後釜、渾名はゴリ松)に乾杯の音頭をとってもらって、まずはビールジョッキを空にする。

 早速、お店の方がサーモンとチーズのサラダとかローストビーフの盛り合わせとかを持ってきてくれた。ガテン系の男子諸君には申し訳ないが、私は量より見た目、カロリーよりヘルシーをとる人間である。食べ足りなかったら、二次会でラーメンでも食べにいってほしい。

「へーえ。これ全部、万札が手配したの? 流石、やるじゃん」

 と、元級友の1人が感心しながら私に声をかけてきた。

 彼女は広重夕輝子ひろしげ ゆきこ。通称ヒロシ。我がクラスの女子社会のボスだった女で、その性質は「歩く求心力」。今回のクラス会でこんなに人が来てくれたのも、ボス・ヒロシが培ってくれた団結力の顕れかもしれない。

 ただそんなボス・ヒロシは、一匹狼だった七文字とは犬猿の仲で、落とし所を探すのはいつも私の仕事だった。そのためヒロシは、私には一目置いてくれていたようであった。

「フフン。私もやればできるんですよ」

「次からもお願いして良い?」

「連続では引き受けませんよ?」

 しれっと飛んできた凶弾。流石は抜け目のないボス・ヒロシ。しかし有能な私は華麗に回避してやった。うん。

 正直、幹事というのは労力に対して得られるものが少ない。なので「やってもらって当然」というスタンスをとられるのは困る。ボス・ヒロシは七文字と同じで、言えば分かってくれるが、言わないと自分の好都合な方に解釈するので、ここは牽制しておかねばならない。

「えー? まあ、万札ばかりに負担させるのもアレか」

 と、ボス・ヒロシは一応納得してくれたようだった。

「──あ、そう言えば、この前、新曲出してたよね。聴いたよ」

「お、ありがとう。どうでした?」

「ドラムめっちゃ気合い入ってたじゃん。ああいうの好きだよ」

 好評なようで何よりだ。

 ボス・ヒロシは去年あたりから、私の属する社会人バンド『フルメタルホーネット』のファンになってくれたようだ。なんでも、職場の友人との付き合いでライヴに来たところ、「なんか懐かしい顔がドラム叩いてる!」となったらしい。

 今では、あまり多くないとは言え、全曲聞いてくれたみたいだ。

「で、その新曲なんだけどさ。あれって、ぶっちゃけ七文字のこと?」

「あ、分かります?」

「いやぶっちゃけ隠す気ないっしょ」

 と、ボス・ヒロシ。

 その通り、『フルメタルホーネット』はこの前、ひとつの新曲を発表した。

 きっかけは、バンド仲間との飲み会で昔話に花が咲いたことだった。そこで私は何気なく、最大の親友(七文字)と喧嘩別れ同然の離別をしたことを詳しく話してしまった。

 その際、こんな形で終わりになんかしたくなかった、という本音を吐露してしまったところ、それに発奮した仲間たちが『メッセージソングを作ろう』と言い出した。酒の勢いだけの言葉だと思っていたら、しっかりガチ発言だった。

 それで私も、仲間たちがここまでしてくれているのに当事者の私が冷めていてどうする、という気になり俄然ヒートアップ。遠い昔に諦めていた何かに火がついた瞬間だった。

 作曲にあたっては、かつて七文字が作った最高傑作「十代戦線 -Teens Wars-」のメロディを随所アレンジして使わせてもらった。ドラムパートなんか特にそうだ。

 結果、ガチガチのスピメロメタル曲ばかり奏でる我がバンドとしては珍しい曲調になったが、いざ音楽共有SNS『ポルター』に投稿してみたところ、我がバンドの曲の中で一番人気にまでなってしまった。新規ファンも増えたようで、副産物ながらうれしい限りである。

 ポルターには曲の自己紹介欄があり、私はそこに「前へ歩めていますか? 違う道を歩むことになってしまったけど、私はあなたをここで応援しています」と書かせてもらった。不特定多数の見るネットなので流石に本名は書けないが、私のハンドルネームは「万札」にしている。

 残念ながら今のところ、七文字からのコンタクトはない。聞いてくれているかも分からないが、私にはこれが精一杯だ。せめて今、無事に自分の人生を歩めていると良いのだが。

「で、結局、七文字とは連絡ついたの?」

「ダメですねー。まあ、アップしたのがまだ先月のことですし」

「あー、やっぱりかー。今日、しれっと来るかなー、なんて思ってたんだけど」

「まずクラス会のことを知らない可能性の方が高いですね。私たちの誰も、向こうの連絡先を知らないんですから」

 それを聞くと、ボス・ヒロシもいくらか肩を落としたようだった。

 まあ私も、期待していなかったと言えば嘘になる。クラス会の幹事を引き受けた真意もそこにあったようなものだ。メッセージソングも作ったことだし、それに加えて皆が集まる機会を設ければ、もしかしたら七文字も、という淡い期待があった。

 しかし「連絡先が分からない」という根本的な問題を最後まで崩すことができず、今日を迎えてしまった。当然、七文字の姿はない。

 仕方ない。チャンスは今日だけではないのだ。このクラス会は気持ちを切り替えて楽しみ尽くすことにした。




§ § §




 ちょうど開始から一時間が経った頃。

 私は、ピヨ吉の後釜を勤めた担任のゴリ松と現状報告なんかで盛り上がっていた。そこに

「万札ぅ」

 結構酔いの回ったボス・ヒロシが私を呼んだ。

「なんか、あっちの店員さんが、幹事に話があるっぽいよ」

「……はい?」

 見ると、その店員というのは娑婆僧後輩だった。妙に唇の端がニンマリしている。

 一体なんだろう。私を呼ぶからには大した用なんだろうな、と思いつつ行ってみる。

「何かありました?」

「今ですね、飛び入りで参加したいというお客様が、表におりまして」

「飛び入り? いや、そう言われても、貸しきりで予約したじゃないですか」

「でももう、お金をいただいちゃいましたし」

 なんてバイトだ。

「……あなた、本気でクビになりますよ?」

「まあまあ。折角ですし、幹事として話つけてきてください」

「何をバカなことを──」

 思わず本音を言ってしまった、そのとき。


「──万札」

 5年ぶりに聞く声が私を呼んだ。

「……七文字?」

 そこにいたのは、紛れもない、ずっと探していた往年の親友だった。


 何かを考えるより先に、ほぼ反射的に飛びついていた。で、突き飛ばして押しつけて、気づくと所謂壁ドンの構図になっている。

「……どのツラ下げて戻ってきた」

「悪かったな、こんなツラで」

「何をどうしたら5年も音信不通になる」

「まあ、その、色々あってよ」

 ひとまず手を壁から離して、向き合う。

 七文字は、この数年の間にかなり大人びた容姿になっていた。化粧嫌いは相変わらずのようだが、ベリーショートだった髪がショートまで伸びたこともあり、だいぶ色っぽくなっていた。少なくとも食うのに困るようなひもじい生活をしてはいないようで何より。

「連絡絶ったのは悪かった。あっちに移った後、おまえに言われた通り、過去のことを考えるのはもうやめようって思ってな。まず、ケータイの連絡先を全部消して、あと電話番号とかも変えたんだ。こうでもしないと、また昔のことを考えちまいそうだったから」

「ずいぶんとはた迷惑なことをしてくれましたね。心配しましたよ」

「悪い」

「ホントです」

 今までの鬱憤を晴らすように、思いっきりなじってやる。

 私はすぐ七文字の手をつかんだ。

「あなたが待たせた人の数を教えてあげますよ」

 そのまま、逃がす隙も与えずに七文字をバーの中に引きずり込む。

 それに気づいたボス・ヒロシや他の女子たちから歓声が上がった。

 学生時代こそよく衝突したが、それも今となっては昔のこと。何より情報共有が大好きな私たちの中で「音信不通ちゃん」と化せば、それはもう強烈な鉄板ネタだった。死亡説やら誘拐説やら、何度飛び交ったか分からない。

 その本人がサプライズカムバックしたことで、辺りは騒然。自分から周囲との交流を絶ち一匹狼を貫き続けた七文字は、まさか歓迎されるとは思っていなかったようで、目を白黒させていた。

 周りからナチュラルに

「生きてた!」

 と驚かれていることに、七文字はきちんと反省してほしいものである。

 驚いたことに、学生時代にはあんなに仲の悪かったボス・ヒロシが、一番七文字と親しく話をしていた。酒の勢いというのも多分にあるとは思うが、それ以上に、かつては自分から進んで喧嘩を吹っかけるほど刺々しかった七文字の性格が、だいぶ丸くなっているようにも見えた。

「あっちでの生活、どう? 元気でやっていけてるの?」

「もうすっかり慣れたぜ。中国って互いのことをフルネームで呼び合うのが普通でさ。『おまえの名前は長いな』って言われたんで『長すぎるから日本では七文字って呼ばれてた』って返したら、これがバカ受けでそのまま定着。給与明細の氏名欄にまで七字って書かれたときはちと困ったが」

 と、話に花を咲かせている。

 そうして周りに七文字が揉まれている間に、私はそっと娑婆僧後輩をつかまえた。

「説明してもらいましょうか?」

「いやー、偶然ってあるもんなんすねえ」

 と娑婆僧後輩はニヤニヤしながら、ここまでの経緯を得意げに喋りだした。

 七文字から電話があったのは、私がこの店をクラス会の会場とした次の日だったという。

 娑婆僧後輩は高校にいた頃からケータイ番号の語呂が良いことを吹聴しており、それをまだ七文字は覚えていたようだ。

 七文字が電話してきた本当の目的は、私の電話番号かメアドを教えろ、ということだった。が、そこは娑婆僧後輩。なんと連絡先を教えず、代わりに今日ここでクラス会があることを伝えたそうだ。

 バイトとしてそれで良いのか、と思わなくもないが、結果オーライだ! 許す!

「娑婆僧の癖にキザな真似を……」

「俺、先輩の3倍は有能なんで」

「まあ、今日は素直に感謝してあげますよ」

「礼なら金券が良いっす」

 なんてバイトだ。鼻眼鏡かけながら釈迦れば良いのに。

 そんなことを思いながら戻ると、外周にいた男子の一部が七文字をちらちら見ながら

「なんかあいつ、すげえ綺麗になったよな」

「つーかエロくなってね?」

「分かる」

「前は性格さえ良ければな、て思ってたけど、今のあれならそこも妥協できそうな気がするわ」

 と言ってくれた。

 昔の七文字がこれを聞いたら秒で一蹴しただろう案件だ。今はどうなのか。

 輪の中心では、そんな話がされていたとは気づいていない七文字とボス・ヒロシがまだ歓談しており、

「てか七文字、何気にイメチェンした? あんたの髪、元は野球部かってほど短かったよね」

「ちげえよ。あっちの床屋のクソジジイが、これ以上短く切ってくれねえんだよ」

「とか言って、ホントは良い男でも見つけたんじゃないの?」

「んなわけねえだろ。俺、生涯独身って決めてるから」

 ……だそうだ。男子諸君、無駄な抵抗はせずに諦めてほしい。

 さて、なぜかトーンが落ちてしまった野郎どもを掻き分けて、私は輪の中に入る。

 七文字は、恐ろしいことに、度数の高そうなウイスキーをロックで飲んでいた。あちらでは給料のみならず鋼の肝臓まで支給されるとでもいうのだろうか。

 かく言う私はさほど強いわけではないし、幹事が潰れては洒落にならないので、烏龍茶で我慢する。

「で、七文字。向こうでミュージシャンにはなれた? 今度買うから曲名教えてよ」

 酔った勢いそのままにボス・ヒロシが七文字に絡む。

 私なら訊くかどうか悩む案件だったが、そこをズバッと切りこんでくれて、感謝半分、緊迫半分。

 すると七文字は笑いながら手を振って、

「いや俺の仕事って、音楽と言えば音楽だけど、どっちかっつーとプロデューサー側だから。俺自身が舞台に立ったり曲を出したりはしてねえよ」

「え? そうなの? 軽音部でバンドしてたじゃん」

「甘い甘い。楽器はできない、歌も素人レベル、そんな俺じゃこの厳しい業界は参入すらできねえよ。増して最近じゃ、プロと同レベルの腕を持ったアマチュアも平然と転がってるし。──な? 万札」

 周りの視線が私を向く。畜生、なんて話の振り方をしてくれたんだ。

 確かに、私が青春ドラマーコンテストで優秀賞をとったのは既に公然の秘密と化していたが、改めて注目されると照れ臭い。

 と言うか七文字、私がプロにならなかったことをまだ根に持っているのか。

「いやまあ……」

 あやふやな返事で茶を濁そうとした、そのとき。

 店のBGMが途切れ、聞き覚えのあるベースとドラムの音が流れ出す。すぐハッとした。この曲、うちのバンドで作った例のメッセージソングだ!

 まさかと思ってカウンターを見ると、明らかにニヤニヤした娑婆僧後輩。そして横を見ると、彼に親指を上げてサインを送る七文字の姿が。……そうか、おまえらの計略か。

 まあ、七文字が私の曲を聞いてくれていたということが分かったのは嬉しいが、むしろ褒め殺しにでもあってる気分で、なんか照れ臭い!

 勘弁して! 私、煽り耐性はあっても、褒められ耐性はそこまで高くないんです!




§ § §




 その後、記念撮影まで終えてお開きとなった後。

 二次会はボス・ヒロシの発案でカラオケとなった。

 結局はミュージシャンの道を諦めたという七文字だったが、その歌唱力は未だ健在のようで、私はとても懐かしい思いをさせていただいた。思えば、私の青春はいつもその歌声の隣にあった。

 ここのカラオケ店は、例の音楽共有SNS『ポルター』と提携しており、ランキング上位の楽曲がカラオケの方にも登録されるようになっている。故に『フルメタルホーネット』の曲もいくつか入っていた。

 七文字へのメッセージソングとして作った曲を七文字が歌うというのは少し不思議な光景もしたが、普通に上手かったので良しとする。作曲に携わった私としてもうれしい限りである。

 終わった頃には最終直前の深夜で、その日は今度こそ解散となった。

 私は七文字と2人で夜の街を歩く。

「七文字。日本には今日戻ってきたんですよね。宿、大丈夫ですか?」

「大丈夫。ビジホは確保してある」

「なら良かった。じゃあ、そこまで一緒に行きますか」

「おまえはそこからどうすんだよ」

「歩いて帰ります」

「それなら一緒におまえの家に行くぞ。そこから俺が1人でホテル行くから」

「いや、せっかく来てくれたんですから、七文字に合わせますよ」

「おまえに悪いことしたと思ってんだから、こういうときくらい付き合わせろよ」

「いやいや」

「うるせえ」

 最終的にジャンケンして、私が七文字の宿泊先まで送ることになった。やったぜ。

 途中、七文字は何度も「変わってねえな」とか「やべえ懐い」とか感動しながら夜の街並みを見渡していた。まあ、たかが5年で街が大きく変わるはずもない。大体の古い店はそのままだ。

 途中、まだ開いていた鯛焼きのテナントに寄った。よく部活帰りに2人で買っていた物だ。生憎、今は深夜につき営業時間外だったが。

「ここのたい焼き、昔は放課後によく買ってたよなー」

「いつも七文字は餡子でしたね。で、私はクリーム」

「ああ、そうそう」

 昔の思い出に浸って、七文字はすっかりご満悦。

 また少し進むと、これまた七文字のお気に入りだった精肉店があった。七文字はここのメンチカツが大好物で、昼休みにこっそり学校を抜け出して買ってきたことすらある。

 店舗の閉まったシャッターに目をやって、七文字は、

「ここのメンチもよく食ったな。明日、空港に行くついでに買いに来ようかな」

「七文字。ここのご主人はつい去年、腰を悪くして店を畳んじゃったんですよ」

「ああ!? 嘘だろ!?」

 大層ショックなようだった。急に笑顔が消え失せる。

「地味に楽しみにしてたのになぁ」

「まあ、ドンマイです」

 と生暖かい慰めの言葉をかけながら道を行く。

 夜の街は面白みがない。道行く人もそんなにいないし、開いているのもコンビニくらい。

「七文字、あちらにはいつ帰るんですか?」

「明日の夕方の便で帰るよ」

「一泊二日の弾丸ツアーですか」

「月曜からはまた仕事だからな。明日は、俺を育ててくれた叔母さんが入院中だって言うから、そっちに顔出してから帰る」

 と七文字は言う。

「てことは七文字、まさか5年も叔母さんのこと、放り出していたんですか?」

「いや、流石に叔母さんとはよく連絡を取りあってた」

「私とはご無沙汰だったのに?」

「仕方ねえだろ。叔母さんには俺以外にまともな家族はいねえんだ。それこそ放り出すわけにもいかねえだろ」

「そっちは責めてませんよ。私を“放り出した”ことに怒っているんです」

「まあ、なんだ。その、それについては、悪いことしたとは思ってる」

 バツの悪そうな顔をする七文字。

 本人も思うところがあるようだし、これ以上ネチネチ責めるのはやめることにした。

 そのとき、

「あ、俺のとったビジホ、ここだ」

 七文字が足を止めた。

 確かに、隣を見るとよく名を聞く系列のビジネスホテルがそびえ立っている。

「……あら。結構近いんですね」

「だから俺はおまえんちに行くって言ったんだよ。ろくに何も話せねえまま着いちまったじゃねえか」

「そうですねえ」

 とは言え、逆にここから私の家は遠すぎる。正直、今日はだいぶ酒が回っているのでタクシーでも拾って帰るかと考えていたくらいだ。

「じゃあ七文字。明日、空港で落ち合いませんか?」

「あ? 俺は別に良いけど、おまえ、どこか行くのか?」

「あなたの見送りです。それにあそこ、私の推しカフェがあるんですよ」

「お、万札の推しカフェか。そいつは期待できそうだな。じゃあ明日の午後な。病院出たら連絡すっからよ」

「合点です」

 私が返事をすると、七文字は手を振りながらホテルの自動ドアの向こうに消えた。

 こうして私と七文字は、今日のところは散会した。

 ──後に知ったが、彼女の育ての親である叔母は元から病弱らしく、それが理由でずっと独り身だったようだ。今は七文字が給与から入院費用を仕送りしているらしい。

 学生時代は「俺が稼いだ金は俺が使う」と豪語していた七文字だったが、精神的に成長したようで何より。




§ § §




 翌日。

 空港のショップにて。

「本当にこういうので良いんですか?」

「あ? 『こういうの』って何だよ」

 約束通り、七文字の再出国を見送るため私は空港に来ていた。

 どうせなら少し早めに落ち合って、空港にて軽くショッピングでも、という流れになっていたのだ。

 まずは七文字から職場へのお土産を買おう、ということで今に至るわけだが、その日本土産をめぐり軽くひと悶着。

 早くも意見が一致しない辺りが、ある意味、私たちらしい。

「もっとこう、鉄板と言うかハズさないと言うか、定番の物の方が良いのでは?」

「いや。うちのボスは日本人の友人知人が山ほどいてよ、定番の物は頻繁に来るんだよ。だから、期間限定の物の方が受けが良いぜ」

 結局、七文字の職場へのお土産に私が意固地になっても仕方ないので、チョイスは七文字に任せることに。

 その後は七文字が個人的に持っていきたい物を何個か買って、ついでに私もこれから来る夏のためにサンダルをひとつ買ってみた。

「一緒に買い物とか、昔を思い出したな」

「よくアウトレットに遊びに行ってましたね」

「お互い金欠だったけどな」

「楽器とか、見るだけ見て終わってましたね」

 そんなことを言いながら、いざ、私の推しカフェへ。

 ここのワッフルは絶品で、甘さ加減がちょうど私の好み。ここへ来るためだけに空港へ足を運ぶこともある。

 入店すると、幸いにも待ち時間はなく、すぐに滑走路の見える窓際の席に通され、メニューを渡された。

 とにかくワッフル推しのカフェなので、どのワッフルにするか(ワッフル以外の選択肢はない)で悩むことに。

 すると七文字が言った。

「付き合ってくれた礼に、ここは全部俺が出すから、好きなもの頼めよ」

「あ、良いんですか?」

「おう。何なら、1番高い物を三人前頼んだって良いぜ」

「そんな卑しい真似ができますか」

 と言いながらも、私は七文字の厚意に甘えることにした。

 注文し、ワッフルを待つ間、

「ところで七文字。今、どんなお仕事をしてるんですか?」

 私はそう尋ねた。

「お、ついに訊いてきたな。ずっとそれを待ってたんだよ」

 七文字が目を光らせながら身を乗り出す。

「なんだ、それなら昨日にでも教えてくれたら良かったのに」

「まあまあ。折角だ、当ててみろよ」

 何だそりゃ。

 肩透かしを食らったような気分になったが、七文字はやたら目を輝かせている。熱量というか、気概がすごい。

「ここまで来たのに勿体ぶらないでくださいよ。第一当てるも何も、台湾の企業なんて私、何ひとつ分かりませんし」

「じゃあヒントな。ヒント1、うちの社名を聞いたことがねえとは言わせねえ。ヒント2、いつも弊社をご利用いただきありがとうございます」

「私が? それとも、私の勤め先がですか?」

「あー……。じゃあヒント3。ぶっちゃけ、おまえの勤め先がどこだったか忘れた」

 はて。

 さっぱり分からん。

「ドラムの楽器メーカーですか?」

「ブー」

「アンプ工場」

「ブー」

「じゃあ……、眼鏡職人」

「お、思いっきり遠ざかった」

「ええい、まどろっこしい!」

 と、ずいぶんとパワフルな降伏宣言をあげた私。

 七文字は満足げに笑いながら、

「そうか? おまえなら知ってると思うが。まあ、引っ張っても白けるし、ネタ晴らししちまうけどよ」

 と、バッグから名刺入れを取り出し、それを1枚私にくれた。

『株式会社ポルターコーポレーション 事業部第二課課長 長曾我部小雪菜』

 最初、それを見せられても私はまだピンとこなかった。ぼんやり「へえ、もう課長になったか」くらいにしか思わなかった。

 だが、社名と名刺に印刷された見覚えのあるマークが、鈍い私の思考回路を思いっきりぶん殴った。そのマークは、紛れもない、私たちのバンドがお世話になっている音楽共有SNS『ポルター』だったのだ。

「七文字。まさか……」

「ああ、そうだよ。ポルターはな、俺が、いや、我が社が1から作り上げたSNSだ。あのインターフェースはSEである俺が組んだ。デザインも全部、俺の趣味」

 ……なななななんですと!?

「でもあなた、さっきプロデューサーと言ってませんでした?」

「似たようなもんだろ。アマチュアミュージシャンに、音楽を発表する場を与えてるんだからよ」

 得意げに話す七文字を見て、私は数秒遅れで、なんとなく実態が分かってきた。

 思い起こせば、七文字は昔から機械の扱いが得意だった。商業校ではパソコンを使った実習授業もあったが、七文字は常にトップクラスの出来栄えで、機械音痴だった私に何度も助力をくれた。スマホとかアプリとかの飲み込みも早く、私はよく色々と教わったものである。そんなわけなので、システムエンジニアというのは七文字の天職なのではないかと思えたのだ。

「確かに、音楽の業界で食っていけるような力は俺にはなかった。でもどうしても、音楽に携わる仕事がしたくてよ、知人という知人に手あたり次第頼みこんだ。そしたら、音楽のアプリ開発をやるって仕事がようやく見つかって、とりあえずここで当面は糊口を凌ぎながら実力を磨いてプロを目指すかって、そんくらいの心構えで頼みこんだ」

「それが、ポルターの開発だった、と……」

「ああ。ただ言っておくが、おまえたちのバンド『フルメタルホーネット』がランクインするほど人気が出たのは、100%おまえらの実力だ。人気が低迷してたら少しくらい梃入れは考えたかもしれねえが、その必要もなさそうだったんでな」

「それを聞いて安心しました」

「おまえならそう言うと思った」

 そう言って、七文字はまた笑った。

 連られて私も笑っていた。

「……なあ、万札。この5年間のこと、ぶちまけて良いか? ずっと色々と抱えこみながら生きてきたけど、今、誰かに全部打ち明けたい気分なんだ」

「是非。途中で勿体ぶったら、川に突き落としてでも吐かせますよ」

「そうか。じゃ、遠慮なしに吐かせてもらうぜ」

 いよいよ語りだそうとする七文字。

 この独特の緊張感は、高校卒業の日に喧嘩したとき以来だ。

「俺を雇ってくれたボスは、昔は妻子持ちだったらしい。でも事故で全部なくしててよ。もし娘が生きてたら、俺くらいの年齢になってたんだと。そういう縁かもしんねえけど、入社から今までずいぶん世話焼いてもらってる。だから思ってたほどの苦労はなかった。向こうでの入社後はとにかく、万札に叱られた通り、ひたすら前だけ見て生きたよ。終わったことは仕方ない、誰だってずっと被害者ではいられない、あの日おまえに言われたことが何度も頭をよぎった。そうやって働いてたら、生活も軌道に乗り始めた。その頃から俺の仕事ぶりが評価されてきて、良い仕事も任されるようになって、段々と自分に自信がついてきた。初めての感覚だった。そこで、ようやく分かったよ。万札と喧嘩した日の俺は、どうしようもない不安で一杯で、ただ誰かに八つ当たりしたかっただけだったんだなって。……悪かったな」

「もう忘れましたよ、そんな昔の話」

 謝られ、罰が悪くなってしまった私はつい目をそらしてしまった。私も結構キツいことを言ったのは覚えているので、猶更だ。

「そうか。……本当のことを言えば、そのときから万札に謝りに行こうって思ってた。けど、俺から絶縁したみたいな喧嘩しといて今更どの面下げてって思ったし、何より、おまえに連絡できる手段が何も残ってないことに気づいた。結局、気持ちの整理をつけて、また前だけ見ながら働いたよ。そんな時、当初の予定よりずっと早くポルターは完成した。実用試験が始まった頃、ふと思ったんだ。もし万札がまだドラムをやってたら、こいつを使ってくれるかなって。その可能性に賭けて、アプリ内の全文章を俺ひとりで和訳してやったぜ。当初の予定にはない、完全な俺の暴走だったけど、ボスには客層を広げるためって後付けの理由を言って認めてもらえた」

「流石バイリンガル!」

「茶化すなよ。で、リリースしてからしばらくして、日本にもだいぶシェアが広まってきた頃。やっと、おまえがポルターに参入してきた。万札ってハンドルネームで、いきなりランキング上位に入りこんできたから、すぐ目についたぜ。聴いてすぐ、ドラムパートでおまえだって確信できた。──この業界にいりゃ、プロの世界の厳しさなんて嫌になるほど聞こえてくる。安定した収入を得ながら趣味としてドラムをやるっていう万札の決断は、きっと立派な選択だったんだなって、ようやく分かったぜ」

「そんな大した決断じゃないですよ。七文字、あなたなら私を持ち上げたところで何も出てこないって知ってますよね」

「良いから言いたいこと言わせろよ。……万札がポルターに入ってきたとき、俺は嬉しくてさ。運営権限で確保できた連絡先を通じて、おまえとコンタクトをとるか、すげえ迷ったんだよ。でも個人情報やらコンプライアンスやら以前に、何を言えば良いか全然分かんなくて、そのときはそれっきりにしちまった。第一、万札がもう俺に見切りをつけて前へ進んでるなら、今更俺が戻ってきたって困るかもって思ったし。でも先月、万札たちの新曲を聴いた。それでもう、何を言われたって良いから1度戻ろうって決めたんだ。そのとき──」

「やたら覚えやすい、あの娑婆僧の電話番号だけは覚えていた」

「そう。それがあいつの鉄板ネタだったからな。それを思い出したから、そっちに連絡とった。そしたらあん畜生……」

「私の連絡先は教えず、代わりに今日のクラス会のことを教えてきた、と」

「だから俺に言わせろよ。でもまあ、そういうわけだ。キザな真似しやがる」

「全くです。まあ、何はともあれ、私と七文字の再会を手伝ってくれたんですから、今日限りは感謝してやりますか」

 と、2人で本来なら恩人とも呼べたかもしれない娑婆僧後輩を思い切りなじった。

 きっと今頃、あちらはくしゃみでもしているに違いない。

 そこに、注文したメイプルワッフルとのセットが運ばれてきた。

「……でも、あの喧嘩別れの日から今日まで、5年もかかっちまったな。まあ、俺が色々こじらせたのが主因なんだが」

 七文字はそう言ってダージリンティーを一口。

「で、この5年の間、万札の方は何か変わったことあったか?」

「私ですか?」

「ああ。俺だって近況報告したんだから、万札も最近のこと、教えろよ」

「あー……。実は最近、万札は福沢さんじゃなくなったんですよね。七文字は台湾にいたから実感ないとは思いますが」

「誰もリアル万札の話なんかしてねえよ」

 私が渋沢栄一の新一万円札を見せつけると、七文字はそう返してきた。

 学生時代は福沢諭吉だった一万円札も、この5年の間に代替わりし、最近はもう渋沢一万円札しか見かけない。ゆえに私、福沢幸美も「昔は万札って呼ばれてたんです」ネタが使いにくくなってしまった。

 それに──

「いや、私もそのうち、福沢さんじゃなくなるんですよ」

 と、ハンドバッグから指輪を取り出して、それを七文字に見せた。

 変な傷がつくんじゃないかと心配でなかなか指にはめて外を歩けないが、いつもきちんと肌身離さず持ち歩いている大切な指輪だ。

「……万札、まさか、それ──」

「ええ。俗に言う、婚約指輪って奴でして」

 いざ言ってみると、急に羞恥心と気まずさがこみあげてきた。顔が火照りだし、思わず視線を七文字から手元のワッフルへ落してしまう。

 きっと赤面してしまっているんだろうが、それどころではない。

「2つ年下の男の子でしてね……。バンドの打ち上げで行ったバーで馴染みになって…… 。私のドラム、前から見てくれていたみたいで……」

 

 ──今になって思えば、私の「彼氏願望」は、頻繁に彼氏自慢をしてくる姉が羨ましかっただけだった。4つ年上の姉は、私が高校を卒業した年に結婚し、そのまま実家を出た。同時に、誰も彼氏自慢をしてこなくなったことで、私の中の彼氏願望は落ち着いた。

 社会人になると、とにかく時間がない。オフの使い道として合コンに誘われることもあったが、私はバンド活動を優先した。彼氏のない生活には慣れているが、体がドラムを忘れてくれなかったのだ。

 そんな恋沙汰と無縁な生活の最中、彼と出会った。

 いつもライヴ上がりの打ち上げにまで来てくれるので、最初は単なる熱心なバンドのファンかと思っていた。

 そしたら彼の正体は、うちのバンドのギタリストの従弟で、まだ大学生だった。従兄の演奏を見にライヴへ行ったのに、なぜか私の方が強烈な印象に残ったらしい。

 こんな私の何を見て「オトナの女」と憧れてくれたか知らないが、社会の荒波に揉まれて人として擦れ始めていた私から見て、彼は眩しいくらいにピュアだった。

 共通の趣味と知人がいたので、そこから仲が深まるのは早かった。結局、コンタクト事件の日に七文字が言った「万札は顔より腕で魅せる女」という言葉は、何ひとつ間違っていなかったわけだ。

 それからはバンドメンバー公認のもと、少しずつミュージシャンとファンの溝を埋めつつ付き合っていった。

 どうやら、忘れたころにやってくるのは、何も悪いことだけではないらしい。


「指輪、もらったのは、ついこの前でして……。何でも、彼にもビッグなドリームがあるらしくて……。私に、この指輪をしてゴールテープを持っていてほしいみたいです……」

 ついもじもじしてしまいながら、ひとまず現状報告を続ける私。

「……それにしても、男の人の考えることはよく分かりませんね。何ですか、ゴールテープって。応援席で一緒に並んで走っても良いじゃないですか。なんで私はゴール待機なんでしょうか、ね……。言ってやりましたよ。何日でも待つけど、ギブアップしたら1人で帰りますって……」

 相手は七文字のはずなのに、妙にしどろもどろしてしまう。

 悪気があったわけではないが、生涯独身宣言をした七文字にこんな報告、どんな顔をしてすれば良いか分からなかったのだ。

 すると

「おまえ、昔からずっとそうだったよな」

 と七文字がため息をついた。私は思わずキョトンとしてしまい、

「いやいや。私が学生時代、いかにモテなかったかは、あなたもよく知ってるでしょう」

「そうじゃねえよ。ほら、俺、あの喧嘩別れの日にも言っただろ」

「うーん……。進んで思い出したい出来事ではないので……」

 そう私が答えると、七文字は言った。

「俺が必死に頑張って、身を削るような努力を重ねて、やっと目標にたどり着いたとき、おまえはいつもその一歩先を涼しい顔で歩いてたよな。昔からずっとそうだった」

「え? それはないでしょう。私は学生の頃はずっと、あなたと二人三脚で過ごしたと思ってますけど」

「それはおまえの感想だろ。俺が軽音楽部に入部したとき、おまえはもう部内で一番のドラマーだった。俺が校内マラソンを走破したとき、おまえはもう汗も拭き終えて休んでた。俺が就職先をどうにか見つけたとき、おまえはもう卒業文集のとりまとめ役をしてた。少なくとも俺にはそう見えてた」

「宿題を終わらせるのはいつも七文字の方が早かったでしょう」

「うるせえ」

「んな理不尽な」

 なんか勝手な言い分を浴びせられている気がして、私は閉口してしまった。

 しかし七文字は唇の端に笑みを浮かべ、

「万札。覚えてるか? 俺、あの喧嘩別れの日に、おまえにひどいこと言ったよな。『なんで俺たち、出会っちまったんだろう』って感じで。俺、ずっと劣等感を抱いてたんだよ。──でも、悪いけどアレ、撤回させてくれ。俺、おまえと出会えて、本当に良かった。やっぱおまえはすげえよ。負けた。サイコーのドラマーだよ」

 七文字は私に左の手のひらを見せてきた。

「ああ」

 すぐ意味を理解した。

 ライブが無事に終わったとき。宿題の共闘が済んだとき。私たちはいつもそうしてきたんだ。

 喧嘩別れ以来、実に久方ぶりのハイタッチ。

 キレの良い音が会場に鳴った。木魚ともドラムとも違う音だったけれど、良い音だった。

「けど、勘違いすんなよ。さっきのプロポーズ、何がゴールテープだ。そこはおまえらのスタートラインだろ」

「分かってますって」

「間違っても俺んちみたいなクソ家庭は築くなよ。ま、おまえなら杞憂だと思うけどよ」

 そう言って七文字は笑った。

 今まで見てきた中で、一番きれいな満面の笑顔だった。




§ § §




「じゃあ、そろそろ行くぜ」

 出発ゲート前で、七文字が言う。

 もうここから先には私は行けない。

「今度は音信不通にならないでくださいよ」

「それはもう懲りた。連絡先はちゃんとするから、挙式の日程が決まったら教えろよ」

「友人代表のスピーチ、引き受けてくれます?」

「任せろ」

 と七文字は二つ返事でニッと笑った。

「じゃあな、万札。お互い、上手くやろうぜ」

「ええ。来てくれて、ありがとう」

 私が礼を言うと、七文字は最後に手を振って、ゲートの向こうへと歩いていった。

 5年ぶりの離別。また私と相棒は遠距離の友人となる。

 でも、喧嘩別れとなってしまった5年前とは違う。もう七文字は1人でも上手くやっていけるだろう。

 今日の空模様にも勝る晴れやかで、毎日ケアを欠かさない我が眼鏡と同様に曇りのない心境で、私は今一度、最高の相棒の背中を見送った。

 

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