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私が釈迦ったらこの黒縁眼鏡ごと火葬しろ

 私の眼鏡が釈迦った次の日。いつもコンタクトの後輩が私好みの眼鏡をかけてきた。

「その眼鏡は、昨晩眼鏡が壊れた私への当てつけですか?」

「それ、自意識過剰っすよ。万札先輩」

 後輩は、ここぞとばかりにニヤリとしながら娑婆い嫌みを飛ばした。釈迦れば良いのに。




§ § §




 福沢幸実ふくざわゆきみ。私の名前である。

 こんな名前をしているが、日本史上誰もが知っている大偉人・福沢諭吉(ふくざわゆき"ち")とは縁もゆかりも全くない。

 だがこれが祟って、ついた渾名が「万札」。まるで成金セレブみたいな呼ばれようだが、むしろ万年金欠である。解せぬ。

 そんな私だが、視力は右も左も悪めのB。裸眼だと、日常を普通に過ごすには苦がなくとも、黒板の文字を写すにはやや辛い。故に普段は黒縁眼鏡をかけていた。

 その眼鏡が釈迦ったのは昨晩のこと。普通に自分で踏んだ。「象が踏んでも壊れない眼鏡」とか言ってたあのメーカーは、大人しくジャロられて釈迦れば良いと思う。

 直すにも新調するにも、時間帯が深夜だったので叶わず。仕方なく、応急措置として姉にデート用ワンデーコンタクトレンズをミルクアイス(みなさんご存知の大福に包まれている白いアレ)と引換に譲ってもらった。

 しかし、瞼の内側に異物を入れるというのは、なかなかファンキーな感覚だった。例えるなら、厳かなお葬式の最中に般若心経ハワイアンアレンジが流れ出すくらいの違和感。

 それならいっそ今日だけ裸眼というのも考えたが、それだと姉に贈呈したゆきみなアイスが浮かばれない。

 結局、我慢することにした。それに「眼鏡っ子はコンタクトに変えたら美人」説にもあやかりたい気もするし。

 ──そして今に至る。

 さて、先述のまるで不敬な裟婆僧な後輩を下級生どもの集う畜生道に流刑し、教室に向かう高2の私。

 教室の扉の前で深呼吸。考えうる皆の反応を想定。

『あれ? 福沢さん、イメチェンした?』

『良いじゃん、それ。似合ってるよ』

『あの、俺、ずっと前から福沢さんのことが好きでした! 付き合ってください!』

 オーケィ。どうせなら身長175前後で甘顔の細マッチョが良い。

 淡い期待を胸にしまい、教室に入る。

「おはよ──」

「えーっ? ピヨ吉、不倫してたの!?」

「そうっぽい! しかも相手は、元教え子のOGだって!」

「やばっ、生徒に手ぇ出すとかマジ最悪じゃん! 離婚すんの?」

「知らね。てか、その前にフツー辞職じゃね?」

 私のハレ日に何やってんだよ、ピヨ吉(担任)ィィィィィっ!




§ § §




 昼休み、体育館裏。

 そこにいたのは初々しい1年生の男女。

 一目で屋外運動部員と分かる日に焼けた体格の良い男子が、あどけなさの残る小柄な女子に頭を下げる。

 少し間があいて、女子の方がはにかみながらコクリと頷き、顔を赤くした男子が顔をあげる。

 そして──

「だああああああああッ! 釈迦れば良いのにぃぃぃぃぃぃッ!」

 気づくと私は本能で叫んでいた。

 ここは学校の非常階段。体育館裏もよく見える、我が商業高の穴場なランチスポットである。ここを知っているのは私と

「見苦しいぞ、万札」

 と言うこの親友、長曽我部小雪菜ちょうそかべこゆきなくらいだ。

「だって──」

「喪女の嫉妬に付き合わされる俺の身にもなれよ。やってらんねーぜ」

「だ、誰が喪女の嫉妬ですか!」

「あー? 知りたきゃ便所の鏡でも見てこいよ」

 バゲットをかじりながら冷めた口調で答える我が親友。

 彼女とは、入学当初に出席番号が連番だったことで知り合った仲だ。

 その後、共通の趣味を持つことが分かったり同じ部活に入ったりしたことで、今や全く気のおけない間柄である。

 苗字4文字に名前3文字。名簿上では圧倒的存在感を誇る彼女のことを、私は七文字と呼んでいる。

「でもですね、七文字。誰も私のイメチェンに気づいてくれないんですよ?」

 口を尖らせる私。

 ピヨ吉が不倫をしたというのは学内では既に大ニュースになっていた。

 その衝撃たるや、例えるなら、厳粛な葬儀の最中に般若心経ユーロビートリミックスが流れだし、感化された坊主がお棺の上でブレイクダンスを始めたかのような騒ぎだった。ピヨ吉本人はとても学校に来られず、副担任のゴリ松がもろもろを代行している。

 そのせいで、私がコンタクトにしたことには誰一人気に留めず。姉にゆきみアイスを差し出してまでの私の苦労は何だったのかとすら思う。おのれピヨ吉、地獄に落ちろ。

「いやいや。万札がその程度の顔だったってことだろ」

 そして七文字が慈悲のない言葉を浴びせてくる。

「いやでもだって、クラスのアイドルがイメチェンしてきたんですよ? ピヨ吉の不倫騒動くらい吹き飛んでも──」

「アイドル? おまえが? ……その顔で?」

「百歩譲って、マスコットでも良いです」

「百歩譲っても二流芸人枠だろ。冗談は顔だけにしとけよ」

 と、七文字はケタケタ笑う。

 これがそこらの奴なら「人のこと言えるんですか? このオカチメンコ」くらい言えるのだが、相手が七文字だとそうもいかない。

 七文字は、髪こそ男子と同レベルのベリーショートだが、顔のつくりは一級品の美人ちゃん。正直、この点については私も敗北を認めざるを得なかった。

 まして私の場合、顔のど真ん中にいわゆる思春期ニキビがデデーンと居候しており、黒縁眼鏡とギョロ目も相まってか、どうも異性受けがよろしくない。

 そんなわけで男子たちの目に映る私は、美人ちゃんな七文字のパセリくらいにしか思われていないようなのだ。解せぬ。

「つーか、今までの万札の顔に見慣れてるせいからかもしんねえけどさ、なんか今日はパーツが足りねえ気がしちゃうんだよな。寂しい顔っつーか、顔が寂しいっつーか」

「寂しい顔って……。七文字、それが友達にかける言葉ですか」

「仕方ねえじゃん、そう思ったのは事実なんだし。つーか、そういうとこでクソくだらねえオブラートがいらねえ間柄ってのを友達って言うと俺は思いまーす」

「親しき仲にも威儀あり! ──今日くらい手加減してくださいよ。私、今日がファーストコンタクトなんですよ?」

「いや、ファーストコンタクトってそーゆー意味の言葉じゃねえから」

 まったく、ガサツな七文字らしい答えだ。

 七文字は歯に衣を着せるということを知らない。

 言っていること自体は的を得ていることが多いのだが、本当に好き勝手言うので、他人との摩擦は日常茶飯事だし、誰かが傷つこうともさっぱり厭わない。

 内気な子は性別を問わず七文字の相手が鬼門で、私に伝書鳩を頼んでくることすらある。触らぬ神に何とやら、ということなのだろう。

 まあ、味方につければいざというときは何かと頼りになるので、私のように口喧嘩を楽しめる人間なら割りと仲良くできる。

「んで、どうよ、万札。その“ファーストコンタクト”した感想は」

「最悪です。とにかく目の中に居候がいるみたいで違和感最大級です。これでイケメンが寄ってくるならまだしも、そうでないなら来週にでも眼鏡に戻します」

「慣れる慣れる。もう10年つけてる俺が言うんだから間違いねえ」

 七文字は笑いながら寝転がり、階段の踊り場に背中をくっつけた。ここは非常階段の最上階なので、空がよく見えるだろう。

 と言うか──

「え、七文字。あなた、裸眼じゃなかったんですか?」

「あー? 気づいてなかったのかよ。修学旅行、同じ部屋だったじゃねえか。トロくせぇなぁ」

 知らなんだ。

 見れば七文字、ニンマリ。

「……トロくて結構。こんくらいガードを甘くしておかないと、男が寄ってこないんです」

「それでその戦績じゃあ、救えねえな」

 どうも今日の七文字は絶好調らしい。

「て言うかさ、そんなことまでして彼氏ほしいのかよ」

「私は七文字と違って、青春したいんです。恋愛してみたいんです」

「バッカじゃねーの? 俺に男がいるように見えんのか」

 七文字の唇の端がピクリとひきつる。ちょっとだけ、してやったり気分。

 クラス一の美人ちゃんな七文字だが、彼氏ができたことは1度もない。というか、本人が大の男嫌いで、言い寄ってくる奴を片っ端から足蹴にしているのだ。

 そんな七文字が伝説になったのは昨年度末の放課後のこと。

 顔は良いが「ブスとは付き合わない」と公言し、何人かの女子を取っ替え引っ替えしてきたイケメン先輩から「この後、どっか遊びに行かない?」と絡まれたのだ。

 そのときの七文字の返答はこれである。

『あ? フンコロガシの生まれ変わりが偉そうに人語喋ってんじゃねえよ』

 こうして砕け散ったイケメン先輩だが、この強烈なエピソードに今まで捨ててきた女子の恨みが上乗せされ、しばらくは周囲から「元フンコロガシ」と呼ばれ続けたらしい。

 このエピソードが原因で、七文字は男子の間で「顔の良い地雷」の代名詞になっているらしい。本人は筋金入りの男嫌いなので願ったり叶ったりなのだろうが。

 ちなみに、そんな現代のかぐや姫と化した七文字の将来プランは

『俺、ぜってえ結婚しねえし家族も子供もいらねえ。俺が稼いだ金は全部俺が使ってやる』

 とのこと。

 ならせめてその顔を寄越せ、とジェラシーしてみたこともある。

 ──それはともかく、話を今に戻すが

「そんなに恋愛してみたいなら、良い相手がいるぜ」

 と、七文字が言う。

「と言いますと?」

「ピヨ吉とかどうだ? 今ならついでにクラスの話題も一手に掻っ攫えるぜ」

 なんとひどい提案だろう。

 ちょっとでも真面目に聞いてしまった私が莫迦だった。

 何が悲しくて腹が出た中年短足不倫男に抱かれねばならぬのだ。

「あのですね、私にも選ぶ権利はあります」

「あー? なんだよ、我儘だな」

「いやいや。今の提案は、お腹をすかせた子に生ゴミを与えるような惨い仕打ちですよ?」

「ほー。つまり、ピヨ吉は生ゴミってことか。ハハッ、そりゃいいや」

 七文字は愉快そうに笑うと、そのままランチのバゲットにかぶりついた。

「あのー。私は真剣なんですから、もうちょっと親身になってくださいよ」

「じゃあ言わせてもらうけどよ、万札」

「何です?」

「仮にそのイメチェンの結果、男が寄ってきたとしてだよ? おまえ、本気でそいつと付き合う気だったのか?」

「えっ?」

 思わぬ晴天の霹靂に、私は完全に虚を突かれる形となった。

 実のところ、そんな先のことまで何も考えていなかった。

「フツーに考えてよ、そんな奴は『僕ちん女は見た目でしか判断しましぇーん』ってゲロってるようなもんじゃん。それで『前から貴女が気になってました』なんて吐こうもんならクロ確定だよ、そいつ」

「そ、そんなもんですかね……」

 とは言いながらも、私の中でイメチェン熱が急に冷めていく。

 乙女回路全開で一喜一憂していたのを見透かされ、恥ずかしくすらあった。指摘してくれたのが七文字でなかったら、本気でへこんだと思う。

「なんかさ、嫌いなんだよ、その考え方」

 七文字はバゲットを食べ終え、私のほうを見ながら語り出した。

「俺の知り合いに、旦那の気を引きたくて整形中毒になった女がいてよ。子育て丸投げ、バカみてえな借金してまで自分磨きに精出して、挙句に返済焦げ付かせ。散々煽ってきた旦那は、借金とは知らなかったと掌返しで家庭崩壊。……まあ万札はそんなバカとは違うだろうけどさ、少し同じ匂いがしたから、ちょいガチってみた」

 なんか、いつもと少し違うヘビーな雰囲気をまとった七文字。

 こんな側面もあったんだな、とちょっと感心。

「つーか、万札なら顔じゃなくて腕で勝負だろ。ぜってー、そっちの方が良いって」

「腕、ですか。確かに、どっちに自信があるかと言われたら、正直、顔より腕ですが……」

「だろ? 焦ったって良いことねーぞ」

 不思議だった。今朝からの浮わつかない期待と焦燥が、いっぺんに吹き飛んだ気がした。

 七文字は、普段から口が悪いけど、見当はずれなことはあまり言わない。言われる側が大ダメージを受けるのも、それが図星だからだったりすることが多い気がする。

 形容しがたい、不思議な相棒だ。

「七文字」

「あん?」

「あなたって、たまには良いこと言いますよね。ホントに極稀ですが」

「まーな。俺だって伊達に18年も生きてねーよ」

 ん? あれ?

 アイアム17歳。今年度、もう誕生日を迎えて17歳。

 んでもってあなた、同級生なのにホワイ18歳?

「七文字、あなた一浪していたんですか!?」

「あー? それも今更かよ。トッロ」




§ § §




 今でこそ東京JKを名乗れる私だが、実は、小学生時代までは道民であった。

 生家はお寺。祖父は住職。私が初めて喋った言葉は、ママでもなければパパでもジィジでも天上天下唯我独尊でもなく、なんと「ポンポン」だった。

 ポンポンとは、住職の祖父が毎朝叩いていた木魚のことである。ほどなくして、ポンポンは完全に私の玩具となったらしい。

 他に玩具がなかったというのもあるだろう。父が売れない漫画家だったこともあり、当時の我が家は貧乏だった。玩具などもっての他、必需品すら切り詰めた生活であった。

 結局、父は漫画家を廃業し、旧友に頼みこんで職を宛がってもらった。それが、私が北海道から東京へ移り住んだ理由だ。

 一方で、ポンポンを乱打するだけの赤子時代を送った私は、小学校の低学年時代には地元の祭りで和太鼓に、高学年の頃には学校行事で鼓笛に出会い、東京の中学校に入るとドラムに出会った。

 そして高校生となった今、私は軽音楽部に所属し、本気BPM180の高速ロックドラマーとして活躍中である(ふふん)。

 七文字とは、同好の士として高校に入学した当初からつるんでいる。

 実は私も七文字もロックが好きだったので、入学からほどなくして軽音楽部に入部し、親しい間柄になった。そして、あっという間に口論する間柄(俗に言う音楽性の違い)にもなった。一週間ほど激突しあって、出た結論は「おまえの言い分はサッパリ分からんが、その熱意だけは認めてやる。この分からず屋!」だった。

 七文字は楽器がほとんどできない癖に、DTM(デスクトップミュージック、早い話がパソコンを用いた作曲)が得意で、人間用とは思えない曲ばかりバンバン作ってくれやがった。

 それは並の高校生ドラマーを秒で釈迦らせる、千手観音像にでも任せたくなるような修羅譜面。まあ、中学の頃から爆速ドラマーを目指して特訓し続けてきた私がそのプライドにかけて叩き伏せてやったが。

 そんな私と七文字のコンビに数人の愉快な(ときに不愉快な)仲間が加わって、今や5人組のバンド「裟婆スクリプト」として活動している。

 先述の通り、私がドラム。今朝会ったあの裟婆僧後輩もメンバーの1人で、ギター。あとシンセが1人、ベースが1人。リーダーの七文字は楽器こそダメだが舌がよく回るので、ボーカル担当だ。

 

 そして今日は、我ら軽音楽部にとってちょっとした正念場となる、毎月第1週目の水曜日。

 この日は「定期リハーサル」と呼ばれる日で、クラシカルでオールドファッションなミュージシャンたちを音楽室からパージし、私たち軽音楽部がオープンなコンサートを開く。聴衆は大歓迎で、誰でも入場自由。

 我らロックバンド「娑婆スクリプト」は軽音楽部の中でも人気な方で、ありがたいことに最近は「ドラムの万札さんパネエ」というお声をよくいただく。

 見ず知らずの男子にまで「ドラムの万札さん」として顔を覚えられているようで照れ臭いが、なぜか渾名と比べて本名の浸透率は低く、告られることもない。あとイケメンのファンに限って私より可愛いカノジョ持ち。解せぬ。

 まあ、それは良いとして。

 今回の定期リハーサルにも、それなりに聴衆が来てくれていた

「おめーら、そろそろ出番だぞ。準備は良いよな」

 舞台裾の控えスペースで、リーダーの七文字が私を含むメンバーに声をかけた。

 前のバンドらが演奏を終えたので、撤収さえしてくれれば次は私たちの出番となる。他のメンバーは、私も含めていつでも演奏できる状態だ。

 ──と言いたいところだが、実は私、インザエマージェンシーなう。というのも、朝から慣れないコンタクトをつけ続けたせいで、もうお目目が涅槃寸前。

 嗚呼、南無三。なぜこんな重要な日の前夜に眼鏡を踏んだのだ、昨日の私よ。

「七文字」

「あ?」

「コンタクトのせいで両目が涅槃です。開眼供養を希望します」

「馬鹿野郎、なんで今になって言うんだよ」

 七文字に深くため息をつかれる私。

 踏んだり蹴ったりである。いや、踏まれたのも蹴られたのも私なのだから、より正確には、踏まれたり蹴られたりである。

「とりあえず外せよ。おまえなら、コンタクトなしでもやれなくはないだろ」

 そう言われ、私はとりあえずコンタクトを外すことにした。

 確かに、裸眼でも困るのは板書や読書するときくらいで、ドラムなら支障があるとは思えない。

 慣れないながらにコンタクトを外してみる。途端、ドッとモヤける視界。思っていた以上に落ち着かない。

 視界と同じく気分までモヤモヤしていると、いよいよ出番がやってきた。

「どうだ万札、行けそうか?」

「どぅまいべすと」

「オッケー」

 七文字が立ち上がる。私もステージに上がり、バンドの椅子に座った。

 が、どうもぼやける視界が実にストレスフル。

 途端に七文字が昼休みに言ってきた言葉が脳裏をよぎる。

『つーか、今までの万札の顔に見慣れてるせいからかもしんねえけどさ、なんか今日はパーツが足りねえ気がしちゃうんだよな』

 七文字よ、不本意だが認めよう。確かに今の私にはパーツが足りない。

 ええい、こうなれば背に腹は代えられない。

「娑婆僧」

 と私、例の娑婆僧後輩を呼ぶ。

 この後輩、パパが社長というボンボンのドラ息子で、目に見える不良行為こそしないが、言うことやることの1つ1つがどことなく嫌味っぽい。故に私は娑婆僧と呼んでいる。

 自慢のレパートリーだけはやたら豊富で、その中には「ケータイの電話番号が語呂合わせ的にすごく覚えやすい」なんてのもあった。知らんがな。

「何です?」

「その眼鏡、貸してもらえませんか?」

「マジっすか? まあ、お礼に期待して良いっつーなら貸しやっても良いっすけど?」

「ま、まさかそうやって私のこと手籠めに──」

「あ、俺、ブス専じゃないんで」

 こん畜生。

 だからおまえは娑婆いんだ、この娑婆僧。

「まあ、七文字先輩をキレさせるとメンドイので貸しますけど、礼については後で相談ってことで」

「感謝します」

 こうして、なんとか土壇場で眼鏡を確保。

 かけてみると、どうも彼も私と視力はさほど変わらないようで、ちょうど良い塩梅。

 そう、まさにこれ! この感覚! これぞ私に欠けていたパーツそのもの!



 ── 嗚 呼 、 私 の 視 界 に 輪 郭 が 満 ち る ! !──



『Wieeeeeeeeeee!! 眼鏡サイッコー! ふっふぅうぅぅぅうぅぅぅぅ!』

 心の中で雄たけびを上げながら、私はドラムのスティックを握る。

 そして、七文字に「いつでも翔べる」のハンドサイン。うなずく七文字。

「よっしゃ! じゃあ始めるぞ! 今季の新曲、『十代戦線 -Teens Wars-』!」

 七文字の音頭に合わせ、私は重厚なドラムビートを唸らせる。

 今回の新曲は特に、七文字をして「おまえ以外にこの譜面を任せられる奴はいねえ」と言わしめる修羅譜面。

 もしこのトリッキーな爆速ドラムを叩ける奴が現れたら、私はこの座をそいつに譲って引退しても良い。

 曲自体はまだ2分強の試作段階だが、こいつの演奏には本当に魂を削られる。

 終わってみてようやく、私は呼吸を思い出す有様だった。

 終演と同時に歓声、歓声。そして歓声。

 歌い終わり、振り向いた七文字の顔には良い笑顔が浮かんでいた。

 こういう顔を見ると、美人はやっぱり得だな。そう思いながらも私はハイタッチ。

 撤収を終えると、私は眼鏡をはずした。

「助かりました。帰りに何か奢りますよ」

 と娑婆僧に言うと、あん畜生はニヤけて

「いや、その眼鏡は先輩にあげますから。そん代わり、シャープオデッセイ(高級眼鏡ブランド)の新品、買ってください。シルバーフレームのボストンタイプで良いんで」




§ § §




 翌週。

 慈悲深い私は、借りた眼鏡を、我が家の超音波洗浄器で綺麗にクリーニングした上でお返し致した。

 その上で感謝の気持ちとして、仮装パーティー用の鼻眼鏡を、きちんとフレームを銀色に塗装した上で贈呈してさしあげた。有名な百均ブランドが手掛けた逸品だ。

 私の菩薩力に打ち震えながら一生それをかけてろ、この娑婆僧。

 

 


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