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再会

このお話の中には、出会いと再会が数個予定されております。

その内の一つは、色恋沙汰があるはずの二人であります。

が、感動も何もない話となってしまいました。



 日本と言う国は、実に様々な神の風習を受け入れる。

 元々、禁止されていたはずの宗教も、こういう形で受け入れられ、すごいと感心すべきか呆れるべきか。

 雅は一月余りも先の行事の色に染まった街の、広場のベンチに腰掛けて溜息を吐いた。

 まだ十二月の初めなのに、どうしてクリスマスソングが流れるのか、こんなに照明が明々と煌めいているのか。

 何よりも、どうしてこんな時期に、自分は友人に呼び出されて、ここで待ち合わせているのか。

 明るい街並みとは裏腹に、暗くなってくる(みやび)は、軽いノリで近づいて来る若い男を鋭く睨んだ。

「怖い顔だなあ、ミヤ。そんなんじゃあ、年間行事も楽しくないだろ」

 そんな女に気軽に声をかけて来たのは、雅と同じ年ごろの女だった。

 長身で静かな雰囲気の日本美人な雅とは違い、今時の若い格好も似あう愛らしい女だ。

 明るい髪色の女は、目を据わらせて自分を見返す女に苦笑した。

「君は、楽しめてるようで、何よりだよ」

「お前にも、楽しんで欲しいんだって」

「無理だよ」

 平日なのに、この人出。

 すでに人疲れ気味の雅が、げっそりと返す。

 そんな友人を見上げ、メルは頷いた。

「うん、やっぱり、今日でいいよな」

「? 何?」

「お前に、少し早いクリスマスプレゼント、あげるよ」

 何かを含んだその言葉に、雅は逆に不安になる。

「いらないよ。私も、そういうのは、用意しないし」

「お返しはいらないよ。オレの、心ばかりの気持ち、だから」

「? 余計に怖いんだけど」

 いいからと笑いながら、メルは雅を促して歩き出した。

 バスに乗って移動し、雑談しながらその外の風景を眺めていると、意外に見慣れた風景が広がって来た。

「? (あおい)君の山じゃないか」

 今は違うが、昔葵が住んでいた山だ。

 今は、(れん)が寝泊まりしているとは聞いているが、こんな所に、どんな用があると言うのか。

 首を傾げた雅とバスを降りたメルは、バス停の傍で手持無沙汰で立っていた若者に、声をかけた。

「出迎えありがとうな、蓮」

「どうしたんだ、やけに明るいじゃねえか」

 振り返った若者は、メルの後に続いて下りて来た雅を見て、目を見開いた。

 久し振りに間近で見る蓮は、また成長しているようだ。

 髪が長いのは変わらないが、目線は雅と同じくらいにまで高くなっている。

 目を見開いて女を見ていた若者が、目を細めてメルを睨んだ。

「おい、婆さん、あんた、うちの襤褸家を、壊す気か?」

「こら、人目がある場で、婆さんはやめろっ」

「んなことは、どうでもいいだろうが。きっちりと答えろよ。一体、何を企んでんだ?」

 メルの意見はあっさりと蹴り、蓮が目を細めたまま詰問すると、女は真顔で答えた。

「お前な、そろそろ、あいつをどうにかして、身軽になってくれよ。そうじゃねえと、ヒスイをここに呼びにくいじゃないか」

「会う必要もねえ人と、何で会わせたがるんだ、あんたは」

「会う必要あるじゃねえかっ。あいつは、お前の父親だぞっ」

 蓮の目が、細くなるを通り過ぎ、据わった。

「まだ、そんな寝言を言ってんのかよっ。それとも何か? オレが、本当のことをバラしちまっても、いいのかよ?」

「待てっ、もう少し、時間を置いてくれよ。言いにくいんだ、な、分かってくれよ」

「何百年かけて、真実明るみに出す気なんだよ、あんたはっ」

 完全に世間ずれしている若者に、メルの泣き言は通じない。

 話は半分しか分からないが、雅は助け船を出すことにした。

「蓮、私、家を壊す程、乱暴な性格、してないつもりなんだけど、どうしてそんなに嫌そうな顔するの?」

 何故か、予想よりも反応があった。

 蓮が、一瞬声を詰まらせたのだ。

 咳払いし、直ぐに返事したが、目が少し泳いでいる。

「あんたが壊すとは思ってねえよ。うちの居候がな、あんたと会ったら、どんな反応するか不明なんだ」

「? 私を、嫌ってる人を、居候させてるのか?」

「……」

 返答に困った蓮の代わりに、メルが首を振って答えた。

「嫌うと言うより、動揺しそうなんだ」

「……分かってんなら、せめて、家以外で会わせろよ」

 つい嘆く若者に、メルは真顔で返した。

「何言ってんだ、分かってんだろ? あいつは、ミヤと顔合わせと聞いたら、逃げる。だから、知らせず会わせるのが、一番いいんだよ」

「……仕方ねえな」

 溜息を吐き、蓮はようやく歩き出した。

 山を登りながら、携帯電話を出して、誰かを呼び出す。

「……出ねえな。ちっ、また緊急案件が入ったか。間が悪いな」

「ん? 仕事があるのか?」

「仕事じゃねえが、昼から、会う約束がある」

 メルの問いに何でもないように答え、若者は別な相手に電話をかける。

 一言二言話し、すぐに電話を切ると、溜息を吐いた。

「駄目か。仕方ねえ、腹をくくるか」

 何やら心に決め、蓮は足早に歩き出す。

 ついたのは、昔懐かしい小屋の前だ。

 少しずつ、古い部位は修理しながら住んでいる小屋は、意外に頑丈な作りに見える。

 蓮は、小さな戸口に立って、中に呼び掛けた。

「おい、客が来た。茶を頼む」

 気楽な呼びかけに、すぐに出て来たのは、長身の男だった。

「珍しいですね、初見の御客ですか?」

 言いながら中から顔を出した男は、穏やかに笑いながら雅を見た。

「……」

 雅の顔が、驚きで引き攣った。

 対する男の顔も、笑顔が固まり、後ずさる。

 よろめいて柱を攫もうとする男の腕を、蓮が寸前で捕まえた。

「これ以上、壊すんじゃねえ」

「す、すみませんっ」

 我に返って謝ってから、男は蓮を見た。

「な、何で……」

「オレじゃなく、婆さんに訊け」

 すがるような目がメルに移ると、女はしたり顔で言った。

「お前な、いつになったら、居候を辞めるんだ? いい加減、雅の元に戻らないと、迷惑なんだよ」

「だったら、前もって言ってくれよ。心の準備が……」

「心の準備? そんなもん、必要ないだろ。会えば後は、どうとでもなるんだよ」

 胸を張った言い分に、男は困って固まったままの雅を見た。

 上から下まで男を見て、再び顔を見上げた雅は、久し振りにその名を呼んだ。

「……エン、か? 本当に?」

 答えられない男に歩み寄り、女は更に尋ねた。

「エンなのか、何で、ここにいるんだ? 私は、てっきりもう……」

 その後の言葉が続かず、顔を伏せる女を見下ろし、エンは呟く様に答えた。

「すみません……」

「謝ってくれとは、言ってないっ」

 着古された上着を攫み、雅は遮った。

 混乱し、戸惑う二人の様子をしばらく見守った蓮が、頭を掻いて声をかけた。

「中に入って話そう。エン、茶と、昼飯の用意を頼む。ミヤ、そいつから話すより、まずは、そいつがここに来た経緯を、オレから話してやるよ」

 その提案に、振り返った女の目は、恨みがましい。

「その話の後で、怒りでもなんでも、そいつにぶつけろよ。外なら、いくら暴れても構わねえから」

 その目に笑いかけながら、若者は静かに促した。

 こんな状況を作り出した者を思い浮かべ、毒づきながら。


 早い話が、この家の前に、エンが倒れていたのだと言う。

「それは、いつ?」

「あんたらが、古谷に腰を落ち着けたと聞いた年の、冬だ」

「……じゃあ、いなくなって、すぐだね」

 どんよりと呟く女が座る前方に、ちゃぶ台越しに座った蓮が、記憶を遡って話し出した。

「朝起きて外に出たら、雪に埋もれてエンが倒れてた。随分長く倒れてたようで、見つけた時には意識がなくてな、助け出して一応の処置をしてから、セイの元に知らせた」

 が、セイの反応は、恐ろしく鈍かった。

「ああ、あの時は、まだ解散直後だったから」

 雅が頷き、メルも暗い顔で頷く。

「そうらしいな。反応が鈍いんで、ちと不思議だったが、エンに後で聞いた。あいつ、仲間を粛正したらしいな」

 人がいなくなった時期を見計らって動いた、自分を排除しようとする仲間たちが、庇ったジュリの命を奪った。

「あの時、エンを支持する動きが、見受けられたんだ。あの子の姿かたちが、余りにも頼りなかったんだろうね。男衆が出払った隙をついて、あの子に頭を下りるように迫った上で、命を奪おうとした」

 立ち尽くして、その刃を受けようとしたセイを、ジュリが庇った。

 倒れる女にすがる若者に、笑顔を向けて囁く友人の顔を、雅は鮮明に覚えていた。

「そこで、キレたんだよ、セイは」

 メルが続けたが、雅は違うと知っていた。

 あの笑顔は、残った仲間を怯えさせ、躊躇いなく自分に異を唱える者を殺戮したが、それは、正気のままの所業だった。

 その証拠に、雅の言葉を解し、直ぐに振り返った。

 あの時、早めに戻ったロンとゼツは呆然として、セイの姿に憤って成敗する事を願う反乱分子を、抑えきれないでいた。

 そんな様子に業を煮やし、雅へと矛先を向けた者がいたのだ。

 エンのすぐ近くにいる女で、弟子でもある雅が、エンの崇拝者であると思い込んだそいつは、セイの成敗を願った。

「我々は、エン様こそが、頭にふさわしいと思うのですっ」

 そんな事を言う者たちに、雅は優しく笑った。

「なら、エンの為に、死ねるか?」

「勿論ですっ」

「そう、じゃあ、死んでもらおうか」

 優しく笑ったまま言った女のその後の行動に、男たちもメルも、身を凍らせた。

 そんな仲間たちの目を受けながら、雅はセイに声をかけたのだ。

「もう、君を害する者はいないよ」

 そう、呼びかけた。

 初めて行った大量の殺戮に、体が悲鳴を上げるのを感じながら、雅は出来るだけ優しく、若者に語り掛けた。

 振り返って、女の有様を見たセイは、素直に顔を歪ませた。

 何かを言いかけて、声を出せない若者に、雅は笑いかけた。

 声が震えないように気を付けて、話しかける。

「私は、君がこの団体をどうしたいのか知ってる。その為なら、どんな手助けもすると昔言っただろ? 半分は私が受け持ったから、もう、止まりなさい」

 体が強張ってしまった雅を、セイはすがるように抱きすくめた。

 その辺りから後の事は、ここで話さない。

 あんな、愛らしいセイを独り占めしてしまった、負い目があるのだ。

 メルも話したいと思わないのか、そこで話を戻した。

「……まあ、色々とごたついている時に、エンの怪我が深刻なものだと分かって、その後、姿を消した」

 生きる気が、無くなったのだと雅は思った。

 そう言った女に頷き、蓮が続ける。

「死ぬ気で姿を消したのに、何故か葵が住んでたここに来た。一度も足を踏み入れたことのねえはずのこの場所に」

 疑問だったが、何となくそれを画策した者は分かった。

「あいつの親父が、ここに誘導したんだろうな」

 何故かは知らないが、一応親として気にしていたのかもしれないと、蓮は思う事にした。

 そう納得した上で、蓮はその後のエンの処遇を、セイに切り出したが、若者の反応は鈍かった。

 そのまま放って置いてやってくれと、あっさり言われた。

 事情を知らないままだったあの時、反論しようと口を開く前に、セイは首を傾げた。

「そんな状態のエンを置いて来た時点で、あんたもそのまま放って置く気じゃ、なかったのか?」

 そう言われて、蓮は青くなった。

 図星、だったからではない。

 留守を頼んだ者の、方向感覚を忘れていたのに、気づいたせいだ。

「あんたな、オレや婆さんを、この件で責めるのは仕方ねえが、葵は責めるなよ。あいつがいなかったら、オレが戻った頃には、エンはここにはいなかった」

 慌てて戻った蓮が探し出した時、山の奥の方で半泣きになった葵を、エンは戸惑いながら宥めていた。

「方向音痴はあいつも知っていたが、まさか、自分の住処の山でまで迷う奴とまでは、思ってなかったらしい」

 その後、元の状態に戻るまでには時間がかかったが、元々働き者だったのだろう。

 自失状態は、意外に早く溶けた。

「食事の後の片づけから始まって、オレたちの留守中の掃除もしてくれるようになって、今じゃあ、家事全般を任せてる」

「そこまで回復してるのに、何で、姿を見せないんだ?」

「あんたが、あいつを死んだと思い込んでたのも、理由の一つだと思うぜ」

 雅が、声を詰まらせた。

「それは、仕方ないだろっ。あいつ、看病しようとするこいつを、締め出したんだぞ」

 絶望が頭を支配したエンは、雅の心配を拒否した。

 その時点で、弟子としても女としても役立たずだと、雅は引くしかなかったのだ。

「あいつにそれ聞いた時、タコ殴りにしてやったからな、ミヤ」

「え、本当にしたの?」

 力強く言うメルに、驚いて訊き返してしまう雅に、蓮が冷静に答えた。

「あいつが、こらえきれずに反撃する前に、止めさせたがな」

 反撃したら、女の命が危ない。

 その時にはすでに、そこまでその負傷が変化していた。

「ん? 変化?」

「これも、戻ることを躊躇った、一因だと思うんだが……」

 蓮は、どうそれを説明するか考え、ちゃぶ台の真ん中に置かれた、籠に山盛りの小さなミカンを一つ手にした。

 前触れもなく、雅の方へと放る。

 宙に浮いたそれを、雅は反射的に受けようと、手を伸ばした。

 すかさず、そんな女に若者が注意する。

「潰すんじゃねえぞ」

「馬鹿にしてるのか。それ位の加減は、出来る」

 返しながら、雅はうまい具合にミカンを受け止めた。

「まあ、それが普通だな。だがな、見とけよ」

 蓮は、その結果に頷いてから、もう一つミカンを手に取り、おもむろに放り投げた。

 そのミカンは、丁度障子を開けて、盆を右手に乗せ直した、エンの前に行った。

 男は目を見開いて、反射的に左手を掲げる。

 途端に、ミカンが無残につぶれてしまった。

 その汁に驚き、盆を取り落とそうとする前に、若者はその盆を受け、唖然と見守った雅に言った。

「こう言う状態なんだ。四五十年前から」

「そんなに、前から?」

「ああ。お蔭でな、今なら、かなり高値のはずの食器の類を、ガラクタにされちまった。これ以上、オレとしても物を壊されたくねえんだ。出来れば、熨斗つけて送り出したい気分だ。持ってってくれるか?」

 突然の提案を、女は潰れたミカンと、後ろめたそうにするエンを見比べながら聞いた。

 まだ考えがまとまらない雅を見返し、エンが気を取り直して咳払いする。

「送り出すって、セイに返されるならまだしも、この人はオレと何の係わりもないのに……」

「係わりない? お前、本気で言ってんのかよっ」

 メルがつい声を張り上げた。

「そりゃあ、諦めは早かったけどさ、お前の事は、この数十年、故人として悼んでたんだぞっ」

 言わないでくれ……雅は、メルの真剣な主張に、頭を抱えてしまった。

 故人と思い込んだら、直ぐに切り替えてしまうのは、昔からだ。

 それが誤りであると、確かめる術はあったのに、それをしなかった自分にも非はあった。


 昼過ぎに昼食を終え、四人は揃って山を下りた。

 深い話は、もう少し強い発言力のある仲介の元でと、蓮が主張したのだ。

「この後、仕事を通じて集まる二人が、仲介にはもってこいだろ」

 言いながら、蓮はまた電話を手にその相手らしい人物と話し、眉を寄せながら電話を切る。

「……やっぱ、突発の仕事が、入っちまってんのか」

 小さく舌打ちし、そのまま他の男女と歩き出した。

「仕事を通じて集まるって、待ち合わせて仕事するってこと?」

 雅が気になって問うと、蓮は首を振った。

「仕事は仕事だが、一人は只の協力者だ。出来る限りの情報を提供してもらってんだ。その件がちと、複雑な事件でな、一人で受けもって襤褸出しちまったら、次捕まえるのが骨入りそうな案件なんだよ」

 気長に待つしかない案件で、定期的に情報の交換をし、チャンスを伺っているのだと言う。

「気長にって、どれだけ待ってるの?」

「それがなあ、今年で十年経っちまうんだ」

 メルが目を剝いた。

「お前、事件って言ったよな。刑事事件なら、早いとこ解決しねえと……」

「世間に、判明してる刑事事件なら、な」

 この事件は、迷宮入りどころか、事件として見られていないものらしい。

「依頼者が爺さんでな、早く解決してやりたかったんだが、調べてる内に十年経っちまった」

 説明しながらも、その内容までは口にしない。

 聞いている方も尋ねることなく、全く別な事を尋ねた。

「もしかして、その協力者って、セイ?」

「ああ」

 仲介と聞いてもしやとは思っていたが、当たりだった。

 何故か唸り、雅が言う。

「あの子と、頻繁に会ってるの?」

「まあ、時々な。年に一度あるかないかだが」

「そうなんだ……」

 唸り続ける女に、蓮は小さく笑いながら言った。

「直接山に行って会うのは、確率低いんじゃねえのか? 電話の一つでも持てよ」

「壊しそうで、無理だよ」

 テレビをつけるのも、まだ怖いと言う雅に、メルは呆れた。

「お前、ちょっとそれは、遅れ過ぎじゃねえの?」

 その後何故か、時代の流れの話が延々と続き、あっという間に目的の地域についた。

 徒歩の割には、バスより早い到着だ。

 取りあえず古谷家に寄って、セイの連絡を待とうと言う事になり、向かう一同の目に、見慣れた店の、見慣れない風景が目に移った。

 十数年前に開かれた、今も昔も流行っていない、小さな喫茶店だ。

 その喫茶店の中から、何やら賑やかな気配はする。

「……何年か前にも、賑やかになってた時あったけど……」

 雅が首を傾げた。

 あの時の賑やかさは、会議途中に似た物々しさがあったが、今回は騒動の後の賑やかさ、と言うべき気配だ。

「とうとう、あそこのマスター、問題を起こしたか?」

 蓮が呟き、メルが目を剝いた。

「それまずいよ。葵や朱里まで、迷惑被るじゃん」

「ライラさんは兎も角、あの狼さんには、一度きっちりと釘を刺さないと、駄目かな」

 それぞれ好き勝手言いながら、それでもその店を素通りして行こうとする一同は、店の中から出て来た男に気付いた。

「葵じゃん、身内の尻拭いしてんのかな」

 呟くメルの目には、大柄な見慣れた男が、妙に落ち着きなく立ち、続いて出て来た男と深刻な話をしているように見えた。

「ん? どうして、検事と話してるんだろ」

「へ? 検事って、検察官の事か?」

 雅は頷き、葵の後ろの男を指さした。

「あれ、塚本検事だよ。もしかして、刃傷沙汰じゃあ?」

 続いて出て来た男を見て、蓮が溜息を吐いた。

「こりゃあ、何かやらかしたな、あのおっさん」

 三人目の男も、葵と同じ刑事だ。

 ここまで見たからには素通り出来ず、一同は店に近づいたのだが、それに気づいた三人の反応は、意外なものだった。

 雅と蓮に気付き挨拶した葵は、その後ろから来るメルとエンを見て、目を剝いた。

「え、エン、お前、姐御と一緒って事は、戻る気になったのか?」

「半強制的に、そうなりそうです。お世話を掛けました」

「い、いや、別に、世話もしてねえけどよ……随分、急だな」

 引き攣ってそう答える大男の後ろで、素直に青褪めてしまったもう一人の刑事、高野(たかの)信之(のぶゆき)が塚本伊織(いおり)と目を交わす。

 塚本検事は、無言で頷いてから眼鏡の位置を戻し、ゆっくり微笑んだ。

「お久しぶりです、雅様」

「うん、元気そうでよかった。聖君も、変わりない?」

「はい。見慣れぬ方々と連れ立って、どちらにお出かけでしょうか?」

 整った曇りない笑顔の男に、雅は優しい笑顔を返しながら答えた。

「古谷家で、セイの帰りを待つことになったんだ、色々、こじれてるのは知ってるだろ?」

「成程。私も最近、若とは顔を合わせておりません。お会いできましたら、よろしくお伝えください」

 女は優しく頷いてから、不意に尋ねた。

「この店で、何かあった?」

「あ……それが、異臭騒ぎで」

「異臭? 獣臭?」

 葵がすぐに答え、雅の軽口に軽く笑った。

「どうやら、質の悪い悪戯で、匂いのきつい薬を投げ込まれたらしいんです。で、お義父さんが倒れちまいまして」

「ウルさんが? 強烈な匂いだったんだねえ」

 ウルは人の世界に慣れ気味で、巷で流れる匂いならば大抵耐えられる。

 だが、その大男が耐えられなかったほどの、異臭らしい。

「まだ朝早くて、誰も客がいなかったのが幸いして、被害者はお義父さんだけです」

「それは、良かった。でも……」

 雅は違和感を感じて、首を傾げた。

「どうして、悪戯の様な件に、塚本さんまでいるの?」

「慌てた奥様が、近場の私に連絡をくれたんです」

 連絡を貰った塚本氏が、葵に連絡を入れたらしい。

「ふうん」

 まだ、何か違和感を感じたが、雅は納得して頷く。

 会話の間、蓮は店の扉の方を凝視していたが、話が途絶えたのを見て切り出した。

「薬ってのは、どんな薬だ?」

「それがな、来た時には換気されてて、匂いも残ってなかったんだよ」

「それじゃあ、事件性があっても、調べられねえじゃん」

 メルが呆れて言い、エンが首を傾げた。

「マスターらしくないな。それだけ匂いがきつかったからだと言われれば、仕方ないが……」

「で、あの狼のおっさんは、無事なのか?」

 蓮の問いに、葵はゆっくりと首を振った。

「倒れちまって、寝込んでる」

 病院にかかるわけにもいかず、家の中で寝込んでいると言う。

「ふうん、つまり、換気したのは、夫人か」

「ああ、出来れば、大きな騒ぎにしてほしくねえらしい」

 言い分は分かると、一同が頷く中、蓮は扉の方を見たまま、沈黙した。

「? どうした、蓮?」

 葵が気にして尋ねると、その顔を見据えて蓮は笑った。

「な、何だよ」

「いや、異臭って程の匂いは、出さねえ筈だぜ、この薬は」

「そ、そうなのか?」

「ああ」

 ぎくりとした大男に、若者は不敵に笑いながら続けた。

「ほぼ無臭で、一嗅ぎすれば、吸った奴の意識を一瞬で奪い去る、裏じゃあ重宝がられてる薬だ」

 言いながら、残りの男たちを見回し、ずばり尋ねた。 

「この店の中に、マスター夫婦の他に、誰がいた? そいつ目当てで、この店に薬撒いた奴がいるって事だろ?」

 だが、動揺して狼狽えたのは葵一人だった。

「誰も、いなかったそうです」

 そう答えたのは、高野だ。

 中肉中背のその男は、がっしりとした顔を蓮に向け、笑顔を浮かべた。

「奥様の証言です。何なら、確かめてみてください」

「……」

 その笑顔を見て、エンが静かに目を見張った。

 同じように目を見張った雅と目を交わし、笑顔を戻す。

「そうか。取り越し苦労なら、良かった。蓮、行きましょう。騒ぎを大きくしたくないのなら、その処理も大変でしょうから、ここから先、部外者は邪魔ですよ」

「そうだな」

 蓮もあっさりと頷き、四人は三人の男に背を向けた。

 古谷家へと向かうその背を見送り、葵がまず苦い溜息を吐いた。

「誤魔化し切れなかった、くそっ」

「お手数をお掛けして、申し訳ありません」

「いや、礼には及ばない。これは、そうするに値する事案だ」

 塚本が静かに頭を下げるのに、高野が首を振って返した。

「誤魔化せないのも、想定内だ。あの面々の事は、古谷さんが何とかしてくれる。後は、若の連絡待ちだ」

「しかし、怪我の功名とはよく言ったものです。蓮殿の意見、参考になります。その薬の入手先を絞れば、あの方の手助けもやりやすくなると思われます」

 頷き合った刑事と検事の様子に、葵は舌を巻いた。

 あの連中を煙に巻き、裏をかいてやろうと考えることすら、葵には出来ない。

 肝の据わった二人に、大男はただただ感心していた。


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